万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年9月16日

南宋・モンゴルについてのメモ その2

Filed under: おしらせ・雑記, 中国 — 万年初心者 @ 06:00

その1に続き、モンゴル史について高校レベルの基礎的事項を復習してメモ。

まず、遊牧民族の風習で兄弟継承が多かったので、中国史の他の王朝と違い、系図をしっかり把握しないといけない。

チンギス・ハンの長子がジュチ、次子がチャガタイ、三男オゴタイ、末子がトゥルイ。

ジュチの子がバトゥ、オゴタイの子がグユク、グユクの甥がハイドゥ、トゥルイの子がモンケ、フビライ、フラグの兄弟。

これだけ頭に入れて、次に大ハン位の移動順とその在位中にどこの国が滅ぼされたのかをチェック。

まず1206年にはじまるチンギス・ハン時代だが、意外にも滅ぼされたのはホラズム朝と西夏だけ。

西遼(カラ・キタイ)領も手に入れているが、これはモンゴル高原から追い出したナイマンがまず西遼を簒奪して滅ぼし、そのナイマンをさらにチンギスが倒した形になっている。

ややこしくてすっきりしないがこの経緯は高校レベルでも出てくるだろうから、仕方ないので記憶。

実はホラズムも存続年代は1077~1231年で、滅亡はチンギスの死(1227年)以後なのだが、これは実質的にチンギス遠征時に滅亡したと考えていいのか。

中国華北から中央アジア・北西インドにまで侵攻しているが、チンギス一代では結局モンゴル統一とホラズム・西夏征服のみとチェック。

次にオゴタイ・ハン時代(1229~41年)。

バトゥの征西、ロシア征服と1241年ワールシュタットの戦い。

1234年(イチ、ニ、サン、シで憶えやすい)には金が滅亡、華北征服。

グユク・ハン時代は皇后の称制などを挟んでごく短期間、取り立てて何も無し。

モンケ・ハン時代(1251~1259年)は、まず何といっても弟フラグの征西、1258年バグダード入城とアッバース朝滅亡が最大事件。

1259年には高麗服属。

1254年に大理国滅亡、1257年にはタイでスコータイ朝が成立しているが、柿崎一郎『物語タイの歴史』(中公新書)では、この両者を直接結び付けるのは根拠が薄く、近代以降の「大タイ主義」の影響でそう考えられるようになった、みたいなことが書いてあったと思うが、うろ覚えです。

1260年フビライ・ハン即位。

1266~1301年のハイドゥの乱は、上記系図を踏まえて「末子トゥルイ系統のハン位継承が続いたことに対するオゴタイ系の反乱」という意味も記憶しておく。

1271年国号を「元」、1274年文永の役、1279年南宋滅亡、1281年弘安の役。

南宋滅亡が二度の元寇に挟まれていることをチェック。

元成立後はフビライに「ハン」を付けて呼ぶべきではないのか?

例えば、元寇時の元の君主は?と問われた場合。

受験時代に模試でそれでバツをくらった覚えがあるんですが。

1368年には明が成立しモンゴルは中国から追い出されるのだから、王朝の成立あるいは中国全土統一のどちらから数えても、結局元朝は100年も続いてない。

1284年からヴェトナムの陳朝とチャンパーを攻撃するが、両者は持ちこたえ、1287年(1299年としている本もあり)にはビルマのパガン朝滅亡、1292~93年にはジャワ遠征、元軍撤退後の1293年には最後のヒンドゥー王国マジャパヒト朝成立。

1294年フビライ死去。

以後の元朝については類書も少なく、全然頭に入っていないのでパス。

たまに復習しないと、以上程度のことすら所々忘れる。

私は関連本を読んだ時に教科書や用語集や年表を読み返してます。

それだと割りと頭に入りやすいので皆様にもお勧め致します。

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