万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年9月14日

南宋・モンゴルについてのメモ その1

Filed under: おしらせ・雑記, 中国 — 万年初心者 @ 06:00

前回記事、田中芳樹『海嘯』を読んだ後、年表・用語集等で確認した、高校レベルのごく基礎的な事項を以下にメモ。

まず宋について。

この辺、年代をあやふやなままにしていた部分があるので、まずそれを確認。

北宋成立が960年、遼との澶淵の盟が1004年、靖康の変が1126~1127年

この三つは当然暗記。(靖康の変と、永楽帝が即位した原因の1399~1402年靖難の変はもちろんしっかり区別。)

1127年に南宋成立、上記『海嘯』の記事のように滅亡は1279年

そうなると、北宋と南宋の存続期間はうまい具合にそれぞれ150年ずつほどとなる(北宋は160年を超えるが)。

しかしなぜか、南宋は盛期が短く、儚げなイメージが高校時代からある。

それはたぶん、1234年に金が滅ぼされ、以後の半世紀近く、モンゴルの軍事的圧力を常に受け続けていたからだと思う。

そう考えると平穏だったのは最初の100年だけか。

いや、初期には秦檜、岳飛の争いがあり、金の圧迫を受けていたのだから、盛期はもっと短いか。

女真族に華北を追われ、江南でやっと落ち着いたかと思いきや、もっと恐ろしい敵であるモンゴルに長年脅かされ、ついに滅ぼされるんですから、気の毒なイメージを拭い切れない王朝ですねえ。

南宋の文化人で最大の大物である朱熹の生没年が1130~1200年と書かれてあるのをたまたま見て、「この人、ちょうどうまい時に生まれて亡くなったんだなあ」という感想を持った。

次に皇帝位について。

徽宗の子で、欽宗の弟、高宗が初代皇帝。

この人には子が無く、北宋時代太祖趙匡胤の弟太宗系統の継承がここで終わる。

太祖の系統から孝宗、光宗、寧宗と三代が父子継承で順に即位。

その後、太祖の別系統から理宗が即位、この人の代に金が滅亡。

次が甥の度宗、度宗の子、恭宗が臨安で元に降伏。

恭宗の兄弟の端宗を擁して南宋残存勢力が南へ退避、端宗病死後、さらに兄弟の衛王(帝「へい」。漢字が出ない。たぶん「日」の下に「丙」だと思うんですが、違うのかな。)を立てるが厓山で滅亡。

次にモンゴルについて。

テムジンがチンギス・ハンに即位し、モンゴル帝国が成立した1206年は当然絶対暗記事項。

以下、四ハン国と元朝の存続年代をそのまま書き出してみる。

オゴタイ・ハン国  1225ごろ~1310年

チャガタイ・ハン国  1227~14世紀後半

キプチャク・ハン国  1243~1502年

イル・ハン国  1258~1353年

元  12711368年

1258年はイル・ハン国成立年代としてではなく、アッバース朝滅亡年度として暗記が必要。

オゴタイ・ハン国はチャガタイ・ハン国に併合。

キプチャク・ハン国はモスクワ大公国自立後、しばらく細々と存続。

要するに「13世紀はモンゴルの世紀で世界史上稀に見る大膨張を遂げるが、もう次の14世紀半ばにはロシアのキプチャク・ハン国以外はバタバタ倒れる」ということを頭の中でイメージしておく。

続きます。

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