万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年9月1日

加藤陽子 『戦争の日本近現代史』 (講談社現代新書)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 06:00

この著者は、去年出した『それでも日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)がかなり売れましたが、それにいく前にとりあえず本書を読んでみた。

存在は知っていましたが、これまで手に取ることは無かった。

2002年初版ですから思ったより随分前ですね。

「東大式レッスン! 征韓論から太平洋戦争まで」という、何となくゲンナリする副題が付いてます(あまり安っぽいキャッチコピーみたいな副題は付けないでもらいたいと、編集者様には希望します)。

内容は月並みな重要史実をただ並べただけの「研究書を水割りしたような概説」ではなく、幕末・明治の日本人の対外認識から筆を起こし、時の為政者と国民が対外戦争を合理化し納得して行う上で、どのようなロジックを用いたのかを、政治家・軍人・知識人の言説を豊富に引用しながら検討するというもの。

その叙述はまあまあ面白いかなといった感じ。

最初はやや退屈に感じる部分もあるが、だんだん興味深い部分が増えてくる。

最後の、日中・太平洋戦争の章における外交史整理は結構面白い。

全体の感想は・・・・・・普通、ですね。

読んで損したとは思わないが、目が冴える思いがしたとか、そういう感じはしない。

初心者が読んでもそれなりに有益だし面白みもあると思うが、上記『それでも日本人は~』を含め、こういう歴史解釈に関わる本だけ読んでわかった気になるのではなく、重要史実とその繋がり、年号など細かな事実関係を記した著作に地道に取り組むことも初心者にとって疎かにしてはいけないと、自戒を込めて思います。

日本の深いジレンマを考える前に、日中両軍の偶発的な衝突から始まった日中戦争が、いやおうなく欧州やソ連の情勢とリンクしてゆく状況をまずはおさえておきましょう。入江昭はこれを、日中戦争の国際化、という概念で説明しています。

1938年に起こった次の五つの事象を契機として、日中戦争は、激変しつつある世界情勢の変数として組みこまれてゆきました。(1)ドイツが五年間にわたる中国援助の実績を放棄し、対日接近を明確にするという政策転換をおこなったこと、(2)日本が蒋介石の国民政府を、中国の正統な政府として認めないとの政策を打ち出し、親日政権樹立を画策した上で、長期持久戦態勢に入ったこと、(3)英米両海軍の共同戦略会議が秘密裏にロンドンで開始されたこと、(4)ソ連内に対日強硬論が生まれ、これまでの中国援助策以上の、対日強行策を選択する動きがみられるようになってきたこと、(5)イギリスが日本へある程度の宥和姿勢をみせたため、日本のなかにイギリスに圧力をかけて日中戦争を解決しようとする気持ちが生じたこと。

イギリスは来るべき戦争に備えるために、帝国の防衛順位を決めました。その上で、1938年9月30日にミュンヘン協定を成立させ、ドイツに対する宥和をおこない、日本に対しても、その対アジア政策を軟化させたのです。一方、ドイツは同年5月12日、独満修好条約の締結に踏みきり、満州国を承認しました。

ナチス・ドイツとファシスト・イタリアと日本帝国による陣営が着々と形成されつつあるなかで、イギリスの防衛順位は、大西洋と地中海に限定されました。そして極東から太平洋一帯においてイギリスのなす術はないと知らされたとき、アメリカに残された道は非常に限られたものになりました。それは、第一に、中国を自己の陣営から離脱させないこと、第二に、ソ連を日独伊の陣営に加わらないようにしておくことでした。アメリカの外交史家ウオルドゥ・ハインリクスが明快に述べているように、1941年6月の日本の南部仏印進駐、7月の関特演(関東軍特別演習の略称。演習とは名ばかりで、現実には対ソ連戦準備のための軍事行動)に対して、アメリカが在米日本資産凍結、対日石油禁輸という強硬手段で応じたのは、大部分、ソ連に対するアメリカの援護と解釈できます。日中戦争が世界の陣営の二分化を促進し、その結果、中国とソ連を媒介として日米対立が前面に出てくるという構造でした。

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