万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年8月18日

引用文(トクヴィル1)

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アレクシス・トクヴィル『フランス二月革命の日々』(岩波文庫)より。

これは七月革命を目撃した私が、それから十七年たって、再び実現するのをまのあたりにすることになった革命なのだ。

二つの革命はともに私を悲しい思いにかり立てた。しかし二度目の革命が私にひきおこした印象は、いかに堪え難く、より苦いものだったことか! シャルル十世に対しては最後まで、祖先から受けついできた敬愛の念が私の心の中に残っているのを感じていたが、しかし、この国王は私が貴重だと考える諸権利を侵害したために打ち倒されたのであり、私はわが国の自由が、この国王が打倒されたために消え失せることはなく、むしろよみがえるだろうと、希望を持つことができたのだった。現在、この自由は死滅したように私には思われる。逃亡した王族たちは私にはどうでもよいことなのだが、私自身が抱いていた自由の大義が失われてしまったように感ずる。私は若い頃、自由を再びとりもどして繁栄に向かい偉大さを再現したようにみえた社会の中で、最もすばらしい年月をすごした。私はそのなかで、中庸をえた自由の理念、逸脱することなく信仰と良俗と法によって支えられた自由の理念を抱くにいたったのである。私はこの自由の魅力に心を奪われた。自由は私の生涯を通じての情熱となった。その自由が失われてしまったことで、私はいやしがたい心の苦痛を感じていた。自由を放棄しなければならなくなったという事態を、今や私は充分に経験したのだった。

今度の場合、私は人並みの経験を充分してきたので、無益な言葉によって心が慰められるようなことはなかった。たとえ一つの国で大革命が自由を樹立しえたとしても、それに続くいくつかの革命が、節度のある自由を長い間にわたり不可能にしてしまうということを私は知っていた。

こうしたことからどういうことが起るのか、まだ私にはわからなかったが、私を満足させうるようなものは何もそこから生まれてこないということは、はっきりしていた。私たちの子孫に予定された運命がどのようなものであれ、私たち自身の今後の運命は、容認と抑圧が交互にやってくる反動のただなかで、自分の生命を惨めにすり減らすことなのだと、私は予感していた。

・・・・・・

アンシャン・レジームの後を引き継いだのは立憲王政であった。この王政の後に共和政が、共和政の後に帝政、帝政の後に復古王政がくる。その後にやってきたのが七月王政だった。この相つぐ変り目のそれぞれで、人は自分勝手に自らの事業と称したものを完成させ、フランス革命は終了したと宣言したものだった。こう宣言することで、人は実際そうなのだと信じ込んだ。悲しいかな、私も復古王政のもとで、そうあってほしいと望んだし、復古王政の政府が倒れた後も、そのように考えていたのだ。そしてまたフランス革命が始められた。というのも、いつも同じことだったからなのだ。われわらが前に進むと、到達点は遠くになり、その輪郭がぼやけてしまうのだった。以前の予言者と同様にうぬぼれの強い新たな予言者が保証しているように、われわれは、これまで誰も予見しなかったし欲することもなかった、そしてわれわれ自身も想像できなかったような、より完全でより深いところに達するような社会変動に到達するのだろうか。それともあの断続的におこる無政府状態、かつての民衆の間でよく知られたあの周期的に起る不治の病に、おそらく到達してしまうだけだというのだろうか。私はといえば、これに答える能力はないし、このような長い旅路がいつ果てるのかさえはっきりしない。私は岸に向かって、人を欺くばかりの汽船を次々と乗り継いで行くことに疲れてしまった。それで私はしばしば、われわれがずっと以前から探し求めているしっかりとした陸地は、実際に存在しているのか、あるいはわれわれの運命は、むしろ永久に海原をさまよい歩くことにあるのではないか! と自問自答してみるのである。

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