万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年8月8日

B・H・リデルハート 『第一次世界大戦  その戦略』 (原書房)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 06:00

同じ著者の『第二次世界大戦』(中央公論新社)の記事で触れた『第一次世界大戦』とは厚さが違い過ぎますんで、たぶん別の著作。

原題は“THE WAR IN OUTLINE”。

戦間期の1936年刊で、1939年冨山房から出た翻訳を、仮名遣いと漢字を新字体に改めて原書房が1980年に復刊、それをさらに今年新装刊したものが本書。

一年ごとに章分けして、綿密な戦史を叙述していく形式。

まず総論として、特に機関銃の発達により、当時の軍事技術では攻撃側に対する防御側の優位が揺るぎないものとなっており、そのため歩兵兵力の大きさが実際の戦力に反映せず、それを悟らなかった軍事指揮官が無意味な攻勢を採ったため、犠牲のみを大きくしたといったことが書いてある。

本文を読んでいく上で、各国の軍司令官として、フランスのジョッフル、ニヴェル、ペタン、フォッシュ、イギリスのフレンチ、ヘイグ、キッチナー、ジェリコー、ドイツの小モルトケ、ファルケンハイン、ヒンデンブルク、ルーデンドルフ、アメリカのパーシングなどの名前は頭の片隅に記憶しておいた方が良い。

以下ごく基礎的な事項のみ挙げた、簡略な年表形式のメモ。

 

 

1914

6月末  サライェヴォ事件

7月末  オーストリア、対セルビア宣戦

8月初  ドイツ、対露・対仏宣戦、ベルギー中立侵犯→イギリス、対独宣戦

8月末  タンネンベルクの戦いでドイツ軍がロシアに圧勝

9月末  マルヌの会戦  フランス軍がドイツ軍の進撃を押し止め、戦線膠着化・持久戦へ

この「マルヌの奇跡」を現出したフランス軍司令はジョッフルだが、本書ではジョッフル自身はこの時点での反撃計画に消極的だったとして、その評価は甚だ低い(というかイギリス軍含め評価の高い軍司令官などほとんどいないんですが)。

10月  トルコ、同盟側に参戦

 

 

1915

2月~  トルコ・マルモラ海のエーゲ海側入口にあるガリポリへの英軍上陸作戦失敗

5月   ルシタニア号撃沈事件

同月   イタリア、三国同盟破棄し対オーストリア宣戦

といってもイタリア軍は極めて不振で、歴史地図を見るとオーストリアにヴェネツィア近くにまで攻め込まれている。

9月   フサイン・マクマホン協定(アラブの蜂起は翌年)

10月  ブルガリアが同盟側参戦

結局、同盟国は独・墺・土・ブルガリアの四ヶ国。本書では“四国同盟”との表記あり。

ここで中小国の参戦・中立態度を整理。

バルカン諸国ではセルビアが連合(協商)国側なのは当然として、兄弟国(?)のモンテネグロも連合国側。

ブルガリアは上述の通り同盟国、ルーマニアとギリシアは連合国側。

セルビアとルーマニアは国土のほとんどが占領された状態に陥っている。

1913年独立したばかりのアルバニアは中立国の表示だが、地図を見ると領土のかなりの部分が独墺に占領されているような表示となっている。

北欧諸国のデンマーク・ノルウェー・スウェーデンは中立、フィンランドは当時ロシア領で国自体存在せず。

ベルギーは当然連合国、戦後のルール占領にフランスと共に参加したことを想起。

隣のオランダは中立、そのため戦後ヴィルヘルム2世が亡命し、連合国が引渡しを要求しても応じなかった。

イベリア半島ではスペインが中立なのに対し、ポルトガルは連合国側で参戦(ちなみにポルトガルは1910年以降フランス・スイスと並んで第一次大戦前の欧州には珍しい共和国)。

スイスはイメージ通り両大戦とも中立。

第二次大戦ではデンマーク・ノルウェー・オランダ・ベルギーはフランス攻略の露払いのような感じでドイツに撃破され、スウェーデンのみ中立、フィンランドはソ連に攻撃されたこともあって枢軸側、フランコ政権のスペインとサラザール政権のポルトガルは賢明にも中立を守り、チェコ・ユーゴ・ギリシアがドイツに占領されたのに対し、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアは同盟関係といったところはもちろん記憶。

 

 

1916

2月~12月にかけて断続的にドイツの攻勢によるヴェルダン要塞攻防戦

6月~11月には逆に英仏の攻撃によるソンムの戦い

両者とも莫大な犠牲を出しながら決定的勝利を得られず。

私はこのソンムの戦いをなぜか1917年の出来事と以前記憶していたが16年です。

6月   ユトランド沖海戦  英・独両艦隊が激突するが勝敗つかず

同月   フサイン挙兵によるアラブの反乱(しかし同年サイクス・ピコ協定)

高校教科書レベルで出てくる個々の戦いは、第二次世界大戦ではミッドウェーとスターリングラードだけですが、第一次大戦では上記マルヌ、タンネンベルク、ヴェルダン、ソンム、ユトランド沖と、こちらの数の方が多いのも何か不思議な感じがしないでもない。

11月   墺帝フランツ・ヨーゼフ1世(位1848~)死去

12月   英ロイド・ジョージ内閣

開戦時の英国政権は1908年以来のアスキス自由党内閣。

アスキス自身は指導力に乏しいパッとしない人という感じの評価らしく外相のグレーの方が有名。

この辺の記述を読んで思うのがドイツ軍の精強さ。

西部で英仏とがっぷりよつに組みながら、ロシア・イタリア戦線でオーストリアの危機を救い、劣勢を挽回。

イギリスが中立を守り、もちろんアメリカも参戦しないという条件なら、仏・露二正面作戦になっても勝ってたんじゃないかと思わせる。

無論そうしたドイツの大陸制覇を防ぐためにイギリスは参戦したんでしょうが。

 

 

1917

2月   独、無制限潜水艦戦

これに対してロイド・ジョージら英国首脳らは渋る海軍に護送船団方式を強要。

少々理解に苦しむが、それまで軍艦が商船を直接護衛するという発想は、護衛を必要とする船団の数の問題などから、全く無かったらしい。

春頃には仏軍内で抗命・反乱の動きが広がる。

この時フランス軍司令官がニヴェルからペタンに代わるが、ペタンは援護火力を重視し、犠牲のみ多い無謀な攻撃を退けることで軍内部の動揺を鎮めたとして、本書での評価はかなり高いようである。

3月   ロシア三月革命

4月   アメリカ、対独宣戦

11月  ロシア十一月革命、仏クレマンソー内閣、バルフォア宣言

 

 

1918

3月   ブレスト・リトフスク条約

これを受けて東部戦線から兵力を移動したドイツが春に西部戦線で最後の大攻勢をかける。

しかし夏には連合国軍が反攻。

11月  ドイツ革命と休戦条約調印

結局、ドイツ本国内に攻め込まれる前に休戦。

これがドイツは戦場で敗れたのではなく革命によって背後を一突きされたのだ、という「匕首伝説」を生み、それをナチスはじめ極右勢力が利用したとかいう話は教科書には出てこないが、初心者でも頭に入れておきましょう。

開戦が1914年、ヴェルサイユ条約が1919年というのは憶えている人が多いが、実際の戦闘中止をもたらした休戦条約が18年なのは要チェック。

評価は「普通」です。

初版の発行年代が発行年代ですから、言い回しが古く読みにくく感じる部分がある。

前半部分に一箇所明らかな乱丁があり、誤植も数箇所あった。

上記リデル・ハートの同名著より分量が少ないのはいいが、A・J・P・テイラー『第一次世界大戦 目で見る戦史』(新評論)より特に本書が優れているということもない。

あまり強くお勧めする気は湧いてこない本でした。

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