万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年7月20日

引用文(ノイマン1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

ジグマンド・ノイマン『大衆国家と独裁』(みすず書房)より。

日本が他の面では独裁国家の特色を示しながら、現代全体主義に対して極めて懐疑的であったのは、何よりもその上述した全体主義の半宗教的性格のためであった。極東にもたらされた一大社会変革は、未だに日本社会の宗教的基盤を変革するには至らなかった。天皇は国民の宗教上の主長である。なるほど首相の権限は大きく、軍部は強力かもしれない。しかし国民運動が呼称され、枢軸諸国との戦略的同盟が結ばれようとも、「八紘一宇」を唱える国民にとって、ファシズムはなお受容れ難い。日本がいかに西欧化されたとはいえ、神の世俗化が政治権力の神格化を許すところまで進んでいないのは確かである。そして、これこそ、まさに現代の「信仰運動」の中核である。何故ならファシスト党は、ひっきょう不信の世界における新たな信仰の唱道者という役割をもつからである。

特定の教義、儀式、制度的様式を除けば、あらゆる宗教は人間が超絶的な力を認めるところから出発する。かくして道徳律や個人の責任は、人力の彼方にある価値体系に直面する。霊魂の永遠の救いが教会の最高の任務と見做される一方、この超絶主義はまた人間至上主義を警戒する保護者の役割をも果す。しかし独裁の唱える現代的トライバリズムの特色は、まさにこのような絶対的、全体的支配の要請にある。こうして彼等は、その全体主義支配に対して超え難い障壁となる宗教と戦わねばならない。

ウィリアム・ホッキングは、かつて個人主義の興起が中世末期における宗教的良心の覚醒と密接な関係のあることを指摘した。「個人主義の永続的要因」を育てるのは、この宗教的基盤である。全体主義体制に対抗し、人間的自由の防衛のために戦ったものの中でも、最も烈しく、最も頑強な抵抗が教会によって行なわれたというのも、むしろ当然であろう。彼等は妥協も行なったが、それは制度を維持するために必要な手段であった。教会は人間自由の最後の砦である。

戦前の日本が、民主化・平等化・近代化・世俗化が十分進んでいなかったが故に完全な全体主義化を免れているという逆説的見解(実は逆説でも何でもないが)は、エミール・レーデラー『大衆の国家』と軌を一にしている。

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