万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年7月17日

ジグマンド・ノイマン 『大衆国家と独裁  恒久の革命』 (みすず書房)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

原著は第二次世界大戦中1942年に出たもの。

著者はコーンハウザーの分類に従えば、民主主義的大衆批判者に属すると別の本で読んだ記憶がある。

本文に取り掛かると、まず第一章「現代独裁制の特質」という章で、次のような文章がある。

今日の独裁制はデモクラシーと全く相反する理念を代表するとはいえ、事実上それはデモクラシーの欠陥の直接の産物なのである。

近年における大衆民主政の出現と、伝統的諸制度の崩壊のおそれとが、現代政治に危機をもたらしているが、この二つの要因は同時に今日の独裁出現の歴史的前提でもある。

・・・・・独裁者たちがいかにデモクラシーを軽蔑しようと、彼等がその子であることに違いはない。そしてフランス革命以前の「アンシァン・レジーム」における絶対制と、今日にの独裁とを区別する根本的な相異は、まさにこの点にあるのである。デモクラシー以前の独裁政は、比較的容易に行なわれ得た。民衆の声を制圧する必要は殆んどなく、宮廷の派閥を統制し、貴族の陰謀を監視するだけで事が足りた。そこに民主主義革命が起り、無言の民衆はめざめたのである。その時以来、デモクラシーの経験を経た国々に再び独裁をもたらそうとする者は、(たとえその経験が束の間のものであろうと)その経験を忘れぬ民衆の疑問に答えねばならなくなった。この歴史的な記憶を克服し、配慮と統制とを忘れぬところに、「世論」の尊重が必要となったのである。

こうして「民衆的独裁」が、大衆民主政の時代に登場することになる。それはたしかにデモクラシーに対立するものではあるが、その根底には擬似民主的な基盤を見ることが出来る。「合法的」な権力掌握、選挙制に対する外見的尊重、人気維持に腐心すること――こういった半民主的な要素は、すべてこの新時代における独裁の存立に前提条件となるものである。現代全体主義の下での日常生活にプロパガンダの占める重要な役割は、この事実によって説明される。

こうしたかなり透徹した認識を示してはいるが、以下の章では上記のような「民主政と独裁政の近似性」という視点が掘り下げられることは極めて稀で、指導者・運動幹部・政党・官僚制・軍隊・宣伝・世代などの事項について、米英仏と独伊とソ連(および日本の例が少し)を比較対照し、最後の章で戦間期から全体主義台頭と第二次大戦勃発までの国際関係史を概観しておしまい。

具体的事例を多数挙げながらの分析と説明は、読みやすく興味深い点も無いでは無いが、正直かなり物足りない。

読み止しで終えるのももったいないと思ったので最後まで読み通したが、残念ながら期待をかなり下回る印象しか受けなかった。

大衆社会論としては、オルテガル・ボンヤスパースキルケゴールはもちろん、コーンハウザータルドに比べても劣る感じで、必読とまではやはり言えないと思います。

実に彼等は、最近の社会心理学における、いわゆる群集行動の、あらゆる特色をそなえていた。キャントリルは彼の『社会行動の心理』についての鋭い分析の中で、「群集の中の個人は、成人に達しない人間のさまざまな特徴を示すことが多い」と述べている。すなわち単純で粗野、均衡と思慮を欠くのが彼の通性である。自制を主調とする成熟した個性に彼が達していないことは明らかである。子供のように、彼の運命と内的均衡とは環境に全く依存している。その結果、彼は集団に完全に没入し、集団と自己とを、完全に同一視するに至る。

こうした集団への没入は、同時に外界の遮蔽を伴う。「群集成員個々の世界は、限定され制約される。」そのような「反対宣伝」の遮断は、たしかに生活を単純化し、文化的規範を固定化し、行動の予測可能性を保障し、安定を約束する。この「心理的自給自足」は、経験のない子供にとっては「保護関税」の役を果たす。しかし成人でありながら閉鎖的社会に身を託した、混乱した群集成員にとっては、それは個性の破壊を意味することは疑いない。厳重に防備を固めた城塞に逃避するなら、彼は独立の立場と判断とをもち得なくなる。それは、あたかも甘やかされ厚く保護されて育った子供が人生に備えるところないのと同様である。

そのような自己放棄の心理的効果は明らかである。自己の独自性の中に、すべての人が他人と異なる権利を認めるのが、自制力ある個性の力である。それは節度と寛容とを生み出す。個性を奪われた群集は自己中心で偏見をもち、狂信的である。

群集心理が全国民を捉えると、複雑な社会組織の網が破壊される。個々の成員が相異なるように、生きた社会の無数の異なった集団結社は、おしなべて灰色の大衆の中に融合されてしまう。この「大衆化」の過程――自由な組織の崩壊と階層ピラミッドの平板化――は、ある意味で現代における独裁者の出現にさきがけて進行した。現代の独裁者はこのような社会の崩壊の産物である。また逆に、そうした崩壊が彼等の支配確立の基礎となったとも言えよう。

第一次大戦後の革命運動の目的ならびに本質は、家庭まで含めたあらゆる自治的グループを解体し、明瞭な社会的意志をもたぬ一つの群集に仕立てることにあった。そのような群集は、常に圧政的指導者を要求し、感情的に動かされ満足を与えられることによってのみ結束を保つものである。それは常に動的な過程の中におかねばならず、鎮静は不可能である。これが現代の独裁的大衆国家の基盤である。しかしその成立の成否は、旧社会秩序を内外から崩壊させる長い過程を前提としている。

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