万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年7月10日

小前亮 『宋の太祖 趙匡胤』 (講談社文庫)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 06:00

この前の田中芳樹『蘭陵王』の読後感が割りと良かったことに味を占めて、通俗的中国歴史小説のうち、たまたま目に付いたこれを読んでみる。

カバーの著者紹介で、「東京大学大学院修了。専攻は中央アジア・イスラーム史。在学中より歴史コラムの発表をはじめる。(有)らいとすたっふに入社後、田中芳樹氏の勧めで小説の執筆にとりかかり・・・・・」という文章があるが、「つまり、中国史は専門じゃないということですか・・・・・」と、大変失礼ながら不安な気持ちになる。

気を取り直して読み始めてみると、結構面白い。

この趙匡胤という人は中国王朝の建国者の中でもかなり良いイメージがある。

たぶん宋王朝自体が、前代の殺伐とした武断主義から文治主義に転換し、遼・西夏・金・モンゴルなど異民族に圧迫され通しで「文弱」という言葉が思い浮かぶものの、政治的には君主独裁制が成立し皇帝と臣下の力の差が隔絶し王朝支配体制は安定、経済的には新興地主の台頭と占城米などの導入、坊制市制崩壊による商業都市発達、火薬・羅針盤・活字印刷の三大発明など、大きな躍進を遂げ、文化的には宋学の誕生、と社会の各分野で華やかで繁栄した印象があるからでしょう。

禅譲のあと、前王朝の一族をほとんど殺さなかったことも好印象。

それに引きかえ、モンゴル族の元朝を飛ばした次王朝明の太祖朱元璋なんてイメージ最悪。

前王朝の帝室は漠北に逃げて北元を建ててますから殺せなくても、自らの功臣をいくらなんでも殺し過ぎ。

宮崎市定先生が『中国史 上・下』(岩波書店)で朱元璋のことを偏執狂的な「中国のスターリン」と評してますが、ほんとに滅茶苦茶ですよ。

ただ私の好きな漢の高祖劉邦も建国後は韓信はじめ功臣を随分殺してるじゃないかと指摘されたら、「いやいや、あれは全部、歴史上最悪の鬼嫁呂后のやったことです」と都合の良い解釈をするようにしています。

閑話休題。

本書は五代の四つ目、後漢王朝の時代から始まる。

後梁・後唐・後晋・後漢・後周という、五代の王朝名と順番は当然要記憶。

「後」の部分はすべて「ご」ではなく「こう」と読み、特に「後漢」は「こうかん」と呼んで、古代の前漢(ぜんかん)・後漢(ごかん)と区別する、と私は高校時代に習いましたが、皆様はどうだったでしょうか。

年代は唐滅亡と後梁の成立907年と、宋成立の960年だけはしっかり憶えましょうか。

あとは建国者名をチェック。

後梁の朱全忠、後唐の李克用と李存勗(そんきょく)[建国は存勗の代]、後晋の石敬瑭、後漢の劉知遠、後周の郭威。

後唐は「李」姓だから国号も唐、後漢は「劉」姓だから漢。

真ん中三つ、後唐・後晋・後漢は突厥沙陀部出身者が建国。

燕雲十六州を割譲したのは後晋、その後晋が遼の怒りを買い滅ぼされた後、契丹への抵抗を組織して建国されたのが後漢。

この後漢はわずか4年で滅び、中国の正統王朝の中では最も寿命が短いことで知られているが、後梁が16年、後唐が13年、後晋が10年、後周が9年だから、他もたいして変わらないか。

951年郭威が後周を建てると、後漢帝室の一族の劉崇が遼との国境地帯に北漢を建国、この北漢が「五代十国」の十国のうち、唯一華北にあった国。

太祖・郭威を継いだのが世宗・柴栄。

名前を見てわかる通り、実子ではなく養子。

名君が二代続き、国力は大いに伸張。

北は北漢を討ち、南は十国中最大の強国南唐を攻撃、長江以北の領土を併合。

悲願の全国統一も近いと思われたが、959年に世宗・柴栄は病死。

ちなみにこの世宗は「三武一宗の法難」の最後の仏教弾圧を行なった人。

960年禁軍司令官の趙匡胤が即位、(北)宋建国。

文官では趙普、弟の趙匡義、武官では石守信、高懐徳、曹彬などの助けを得て、民力の恢復と節度使権力の削減と中央集権化に努める。

この宋王朝成立については、

宋太祖が禅譲・・・の最後であったことは、皇帝独裁制の成立によって皇帝と臣僚との権力に大きい格差ができたことの証しでもあろう。以後は異民族の戦争によってしか王朝交代はおこらない。(中谷臣『世界史A・Bの基本演習』。赤文字引用者。)

ということは初心者でも要チェック。

ここで一応十国を整理しますか。

呉、南唐、呉越、荊南、閩、南漢、楚、前蜀、後蜀、一つだけ離れて北漢。

まず呉が滅んでから南唐が建国。

南唐は閩と楚を併合。

前蜀が滅んだあと、後蜀が建国。

ということで宋成立時に存続していたのは後蜀、荊南、南唐、呉越、南漢、北漢。

まず荊南を併合。

次に後蜀が降伏。

さらに、大陸南端、広州を中心にした南漢が降る。

975年には江南と称していた南唐も滅亡。

ここまでが太祖の時代。

976年太祖崩御、弟の趙匡義が即位し太宗に。

以後太祖の子孫は冷遇され続け、南宋初代皇帝の高宗が死去した後、ようやく太祖の子孫が帝位に就くことになる。

978年呉越併合、979年北漢併合で中国統一達成。

ややこしいことこの上なく、十国は基本的に南唐だけ押さえておけばOKでしょうが、まあ五胡十六国時代よりはかなりマシなので、可能ならばすべて憶えてもいいでしょう。

関連文献を挙げると、五代通史としては『馮道』(中公文庫)がかなり優れていると思います。

また本書のような中国歴史小説の場合、正史など原典史料と比較対照して、どこに典拠を採りどんなアレンジを加えているのかを観察する楽しみもありますが、残念ながら私には欧陽脩『新五代史』などを読む能力はもちろんありません。

私がそうした楽しみを味わえるのは陳寿『三国志 蜀書』だけです。

(追記:と思ったのですが、考えてみると『史記列伝』『世家』『本紀』で項羽と劉邦およびその臣下たちの記述を知っている逸話と比較するのは好きです。)

なかなか良い。

趙匡胤の武人としての活躍を描いているので、「なんかイメージ違うなあ」とも思うが、晦渋な部分も無く、スラスラ読める。

平易で印象深い人物描写を通じて、重要な史実が無理なく頭に入る。

私程度の初心者にとってやはりこういう歴史小説が与える効用は無視できない。

もっともののわかった人なら、こうした本は読まなくてもいいでしょうが、初学者はあまり馬鹿にせず気になったものは手に取ってみるといいでしょう。

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