万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年7月30日

デイヴィッド・ハルバースタム 『ベスト&ブライテスト  下 アメリカが目覚めた日』 (二玄社)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 06:00

最終巻。

南ヴェトナムへの地上軍派遣をめぐる論争から下巻は始まる。

マクスウェル・テーラーが駐南ヴェトナム大使となり、統合幕僚本部議長はアール・ホイーラーが就任。

文民統制があっても、文官の国防インテリが好戦派だったため、悲劇を防ぐことはできず。

この時期、最も効果的に軍事介入に反対したのは国務次官のジョージ・ボール。

著者は彼をハト派というより欧州重視の現実主義者で、民主党内でアチソンの強硬路線とスティーヴンソン、ボールズのリベラル路線の中間に位置する人物としている。

その他、議会の有力議員であるフルブライトとマンスフィールド、副大統領のハンフリーも懐疑派であり、強硬派だったテーラー自身、北爆には賛成だが、地上軍派遣には反対の立場。

大統領リンドン・ジョンソンにも迷いが見られた。

1965年2月からの北爆は当初地上軍派遣回避のための手段とされたが、ハノイの態度は変化せず、かえって北ヴェトナム軍の南への浸透が激しくなり、現地指揮官ウェストモーランドに押し切られる形で、65年3月海兵隊がダナンに上陸。

これまでの南ヴェトナム軍に随行し指導する軍事顧問団と違って、地上戦闘部隊の派遣はこれが始めて。

同年4月に行なわれたドミニカへの軍事介入がさしたる支障もないまま成功したことも、介入への楽観論を助長した。

当初は北爆のための空軍基地防衛が任務とされたが、後には沿岸部拠点確保と限定的攻勢を経て、内陸部への索敵攻撃へとなし崩し的に任務が拡大される。

陸海空三軍はそれぞれの役割拡大のみを重視し、長期的総合的視野で政府に進言することが無かった。

南ヴェトナムでの事態はますます悪化し、65年末には政策の主導権は軍部に移り、最大で50万人超の米軍が派遣されながら、完全な泥沼化の状況を呈する。

ジョンソン大統領は孤立し、秘密主義の傾向が著しくなり、政権内部にも綻びが目立つようになる。

国務長官ラスクと駐南ヴェトナム大使バンカーが依然強硬論を貫き通したのに対し、66年補佐官マクジョージ・バンディが辞任、確信的な強硬派ロストウに代る。

同年ジョージ・ボールも辞任。

67年穏健化し軍事的ディスカレーションを模索した国防長官マクナマラが事実上更迭され、クラーク・クリフォードが就任。

68年テト攻勢により楽観論の誤りが白日の下に晒され、同年の大統領選で懐疑派のユージン・マッカーシー、ロバート・ケネディが出馬する中、ジョンソンは北爆停止と自身の出馬断念を発表。

結局民主党候補にはハンフリーが指名されるが、共和党候補ニクソンが辛勝。

本書は1972年までが叙述範囲であり、73年ニクソン、キッシンジャーがパリ和平協定に調印、米軍は撤退するが、著者の筆致は両者に対してもかなり厳しいものとなっている。

量は多いが内容はなかなか良く、比較的読みやすいと思う。

訳文もよくこなれている。

とにかく登場人物の描写が極めて巧みで、人物像の明快なイメージが深く脳裏に刻み込まれるのがよい。

それがあまりに流暢なのである種の単純化があるんではないかと、かえって警戒心を持つくらい。

これだけ知名度が高いのも頷ける出来。

ただアメリカの介入過程を詳細に分析する本であり、北ヴェトナムの政策決定、南ヴェトナム政局の変遷、ヴェトナム戦争の結末についてはかなり手薄。

特に南のグエン・ヴァン・チュー政権についての説明が欲しかった。

本書のような視点ではなく、ヴェトコンによるテロ活動や北ヴェトナムの軍事的浸透をより批判的に扱った本ももちろん読めばいいと思うが、立場の相違に関わらず本書の有益さに変わりは無いと感じる。

情報量から言って、高校世界史のヴェトナム現代史をマスターしていても、それだけで取り組むのは少しきついかもしれない。

何でもいいから国際政治史の概説を一冊読んでおくことを勧める。

それから取り掛かれば、知識を大幅に伸ばすことができる有益な本だと思います。

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2010年7月27日

デイヴィッド・ハルバースタム 『ベスト&ブライテスト  中 ベトナムに沈む星条旗』 (二玄社)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 06:00

この巻は、1962年から北爆直前の64年まで。

ここで高校レベルのヴェトナム現代史を確認。

1945年  ヴェトナム民主共和国独立宣言

1946年  インドシナ戦争

1949年  ヴェトナム国(バオ・ダイ)、フランス連合内で独立

1954年  ジュネーヴ協定(北緯17度線分割)

1955年  ヴェトナム共和国(大統領ゴ・ディン・ディエム)

1960年  南ヴェトナム解放民族戦線(ヴェトコン)結成

1961年  米ケネディ民主党政権

1962年  米軍事顧問団活動

ここまでが上巻の内容。

ちなみにヴェトナム戦争というのは開始時期がよくわからないという、珍しい戦争である。

1965年米国の本格的軍事介入の時点を採るのは狭義に過ぎるし、南ヴェトナム政権に対する、北ヴェトナムと南の反政府勢力による非正規・ゲリラ戦争という性質から、はっきりとした年代を挙げることは難しい。

『国際政治経済の基礎知識』(有斐閣)の該当項目では、57年・59年・61年などの説を挙げている。

63年11月、腐敗と専制によって支持基盤を著しく狭めていたゴー・ジン・ジエム(ゴ・ディン・ディエム)と弟ゴー・ジン・ヌーの南ヴェトナム政権が、ズォン・ヴァン・ミン将軍によるクーデタによって打倒される。

その直後、ケネディ暗殺、副大統領リンドン・ジョンソンが大統領に昇格。

64年はじめ、グエン・カーン将軍の再クーデタ、同6月ウィリアム・ウェストモーランドがヴェトナム援助軍司令長官に就任。

希望的観測と半ば意図的な情勢判断の歪み、一枚岩の共産勢力とドミノ理論の幻想などに突き動かされて、徐々にヴェトナムの泥沼に嵌まり込む米国の姿を容赦なく描いている。

政策担当者が、主観的には軍部の主張を鵜呑みにせず妥協的判断を下したつもりであっても、実際には知らず知らず政策選択の幅を狭められ勝算の極めて薄い軍事的エスカレーションの途に傾いていく様相に、非常に強い印象を受ける。

政治が常に正確な情報を把握し、文民統制を徹底させてリーダーシップを確保しておくことの重要性を痛感させられる。

本書でのケネディへの評価は両義的である。

軍事介入への第一歩を踏み出したのは間違いなくケネディの決断だが、暗殺前にはヴェトナムを軍事的問題と見做すのではなくその政治的側面を重視し、一部撤退を考慮していたとしている。

なお本書の大きな特徴として、話の本筋の途中でかなりのページを割いて登場人物の描写をしていることが挙げられる。

これが実に巧みで、人物像が即座に脳裏に刻み込まれる。

例えばこの中巻では、国務長官ディーン・ラスクの履歴を語ることで、米ソ冷戦史のおさらいをしてくれている。

この説明もわかりやすく、非常に上手い。

この部分でつくづく思うのが、ジョージ・ケナンという人の偉大さ。

甘い平和主義でも無思慮な好戦主義でもない、本当の良識と叡智に基づく穏健な政策の提唱者として、知れば知るほど敬意と好感を覚えます。

国際関係・外交カテゴリに入っているものと『レーニン・スターリンと西方世界』『二十世紀を生きて』など、ケナンの著作は手当たりしだいにお読みになることをお勧めします。

64年8月トンキン湾事件。

これは高校世界史でも、やや詳しく教えられる場合出てくるが、実際どんな事件だったのかはあまり関係書が無く、本書の記述は貴重。

北の攻撃に向かった南ヴェトナム哨戒艇に随伴していた米駆逐艦が北の魚雷艇と交戦。

米駆逐艦が南の海軍と共同作戦を取っていると北が認識していると暗号解読で知りながら、米軍は作戦を続行し第二次攻撃を受ける。

南ヴェトナム海軍との事実上の共同作戦という事実を隠し、米艦が一方的攻撃を受けたと発表、ジョンソン政権は議会に軍事介入権限を与えることを要請。

この時決議取りまとめに結局応じた上院外交委員長フルブライトはのちに強固な政権反対派となる。

64年末大統領選挙でジョンソンは、極右的な共和党候補ゴールドウォーターに圧勝。

ヴェトナム軍事介入の流れがますます強まる中、それを押し止めようとした懐疑派としてロバート・ケネディ(大統領の弟・司法長官)、アヴェレル・ハリマン、マイケル・フォレスタル(トルーマン時代の初代国防長官ジェームズ・フォレスタルの息子)、ジョージ・ボール、ダニエル・エルズバーグ、ロジャー・ヒルズマン、ヘンリー・カボット・ロッジ、ウィリアム・トルーハート、ニコラス・カッツェンバック、ポール・カッテンバーグなどの名が挙げられている。

武断派のジョンソン、マクナマラ、バンディ兄弟、ラスク、テーラーらにも意見の揺れは見られるし、マクナマラの下にいたジョン・マックノートンなど半ば懐疑派に近い人物もいた。

しかし、総体としては悲劇的な介入への決断に徐々に追い込まれていくところで、本巻は終わる。

2010年7月24日

デイヴィッド・ハルバースタム 『ベスト&ブライテスト  上 栄光と興奮に憑かれて』 (二玄社)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 06:00

アメリカのヴェトナム戦争介入の悲劇を描写した本。

翻訳は上・中・下の3巻構成。

版元はサイマル出版会→朝日文庫→二玄社と移動している。

私は、ジャーナリストの書いた時事的同時代史はあまり好きではないんですが、これは一種古典的著作として非常に有名であり、かなり以前から書名も知っていたので、この際一度読んでおくかと手に取る。

表題通り、「最良にして最も聡明」な進歩的ケネディ・ジョンソン政権のスタッフがヴェトナムの泥沼へと足を踏み入れる過程を非常に詳細に描いている。

もし10年前に読んだら、視点がリベラル派(というか正確にはハト派)寄り過ぎるかという感想を持ったかもしれないが、その後小ブッシュとネオコンが「アメリカの保守派に対して持っていた漠然とした敬意」を木っ端微塵にしてくれたので、今読むと違和感はほとんど感じない。

そもそもこの本の視点は、中道・リベラルの支持を受けて誕生したケネディ民主党政権が、国内政治で保守派および共和党の攻撃をかわすためと、アメリカの力への過信と過剰な使命感によって、オーバーコミットメントと軍事優先策にのめり込んだことを批判するというものなので、共和・民主両党の対立の中で、極端に党派的な印象は受けない。

(タカ派・ハト派で言えば、圧倒的にハト派的著作とは言えると思うが。)

予備知識としては、1945~53年トルーマン民主党政権下で米ソ冷戦が激化、49年中国共産化と50年朝鮮戦争が米国内でマッカーシズムという反共ヒステリーを生み、これが足枷となって中華人民共和国承認やむなしとする現実主義派や、第三世界のナショナリズムに理解を示すリベラル派が逼塞、1953~61年アイゼンハワー共和党政権では軍事的対応を優先し中立主義を敵視する硬直した反共政策(ダレス外交)が続くが、60年にケネディが副大統領だった共和党候補ニクソンを破って大統領に当選、社会風潮に変化の兆しが現われつつあると思われた、というようなことだけ理解しておけばよい。

あと、巻頭にある関係年表の事項と年代は、高校教科書の範囲内のものが多いので、大体記憶することが望ましい。

この上巻は1960年暮れ、ケネディ政権発足準備期から61年末南ヴェトナムへの軍事顧問団派遣まで。

以下、内容メモ代わりの登場人物リスト。

(あくまで私的知識と関心に基づいているので偏っていて網羅的ではないですが。)

ロバート・ロヴェット=トルーマン政権で一時国防長官。政権準備期のケネディにマクナマラ、ラスクなどを推薦。

ディーン・アチソン=トルーマン政権国務長官。フルブライトなどと並んで民主党内の伝統主義派。

チェスター・ボールズ=民主党内リベラル派の大物。ケネディ政権初期の国務次官。

アドレイ・スティーヴンソン=ヒューバート・ハンフリーと並んで民主党リベラル派の重鎮。52・56年の大統領選でアイゼンハワーに敗北。ケネディ政権では国連大使。(ファーストネームはアンドレイと書いてる本も見た覚えがある。)

ディーン・ラスク=ケネディ政権国務長官。定見とリーダーシップの無い人物として本書での評価は甚だ低い。

マクジョージ・バンディ=ケネディ政権国家安全保障担当大統領補佐官。同補佐官代理(のち国務省政策企画局長)のウォルト・ロストウ、中巻で詳しく扱われる国防長官ロバート・マクナマラと共にタイトル通りの「秀才エリート」だが、歴史的視野の無いしばしば不正確で意図的誤りを含む統計数字に基づいた、狭い範囲の合理性と効率性を盲信し、アメリカの国力(特に空軍力の効果)を過信し、思慮に欠ける軍事的積極策を採る人物として、本巻では批判の対象とされている。兄のウィリアム・バンディものちに民主党政権入り。

アヴェレル・ハリマン=ソ連専門家のベテラン外交官。第二次大戦終結時の駐ソ大使。鉄道王ハリマンの息子。米外交界の長老だが、ケネディ政権では当初無任所大使という低いポスト。ラオス中立化交渉をまとめる。賢明な自制を説く人物として、本書での記述は好意的である。

ジョン・デイヴィス、ジョン・サーヴィス、ジョン・ヴィンセント=マッカーシズムの中、「容共的」との嫌疑がかけられ国務省を追われたアジア専門家。

ジョセフ・オルソップ=国務省攻撃の最初の引き鉄を引いたタカ派ジャーナリスト。しかし後にマッカーシー批判者に。

マシュー・リッジウェイ=朝鮮戦争中のマッカーサー解任後の後任者。1954年アイゼンハワー政権時代、フランス敗北寸前に陸軍参謀総長として統合参謀本部議長ラドフォードらに反対、インドシナへの軍事介入を阻止する。この上巻では最も高く評価されている人物。

マクスウェル・テーラー=ケネディ政権では当初軍事問題担当大統領特使、後に統合参謀本部議長。南ヴェトナム訪問後に書いた報告が軍事顧問団派遣につながり介入の第一歩となったため、駐南ヴェトナム大使ノルディング、南ヴェトナム援助軍司令部ハーキンズ将軍などと並んで、極めて厳しく評価されている。

エドワード・ランズデール=空軍からCIAに出向したインドシナ専門家。当初は現実離れした楽観論を持つが後には南ヴェトナムのゴ・ディン・ディエム体制の問題点を直視する両義的人物といった描写だったと思う。

2010年7月22日

清水政彦 『零式艦上戦闘機』 (新潮選書)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 06:00

児島襄『太平洋戦争』の記事で、兵器類などを中心にした細かな戦史には深入りしないようにと書いたばかりなのに、こういう本を挙げるのは完全に矛盾してるが、ざっと一読して非常に面白かったので・・・・・。

一年ほど前に出た本で、著者は昭和54年(1979年)生まれとかなり若い。

前半、零戦についての技術的考察は別に飛ばし読みでもよいと思うが、後半の戦史部分が非常に良い。

具体的な戦闘を時系列順に取り上げて、戦争全体における意味付けと結果をわかりやすく述べ、明解な講評を下していくので、極めて好印象を受ける。

日米戦争の流れを俯瞰しながら、通説や固定観念となっている事柄を訂正していく。

ミリタリー・マニアの好事家的著作というだけではなく、歴史愛好家が一般的通史のサブテキストとして使用しても有益。

他にもいい本はあるんでしょうし、ミクロ的戦術戦史を描いた本としてこれだけを挙げるのはアンバランスかもしれませんが、まあ私の知っている範囲のみでは良書だとお考え下さい。

2010年7月20日

引用文(ノイマン1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

ジグマンド・ノイマン『大衆国家と独裁』(みすず書房)より。

日本が他の面では独裁国家の特色を示しながら、現代全体主義に対して極めて懐疑的であったのは、何よりもその上述した全体主義の半宗教的性格のためであった。極東にもたらされた一大社会変革は、未だに日本社会の宗教的基盤を変革するには至らなかった。天皇は国民の宗教上の主長である。なるほど首相の権限は大きく、軍部は強力かもしれない。しかし国民運動が呼称され、枢軸諸国との戦略的同盟が結ばれようとも、「八紘一宇」を唱える国民にとって、ファシズムはなお受容れ難い。日本がいかに西欧化されたとはいえ、神の世俗化が政治権力の神格化を許すところまで進んでいないのは確かである。そして、これこそ、まさに現代の「信仰運動」の中核である。何故ならファシスト党は、ひっきょう不信の世界における新たな信仰の唱道者という役割をもつからである。

特定の教義、儀式、制度的様式を除けば、あらゆる宗教は人間が超絶的な力を認めるところから出発する。かくして道徳律や個人の責任は、人力の彼方にある価値体系に直面する。霊魂の永遠の救いが教会の最高の任務と見做される一方、この超絶主義はまた人間至上主義を警戒する保護者の役割をも果す。しかし独裁の唱える現代的トライバリズムの特色は、まさにこのような絶対的、全体的支配の要請にある。こうして彼等は、その全体主義支配に対して超え難い障壁となる宗教と戦わねばならない。

ウィリアム・ホッキングは、かつて個人主義の興起が中世末期における宗教的良心の覚醒と密接な関係のあることを指摘した。「個人主義の永続的要因」を育てるのは、この宗教的基盤である。全体主義体制に対抗し、人間的自由の防衛のために戦ったものの中でも、最も烈しく、最も頑強な抵抗が教会によって行なわれたというのも、むしろ当然であろう。彼等は妥協も行なったが、それは制度を維持するために必要な手段であった。教会は人間自由の最後の砦である。

戦前の日本が、民主化・平等化・近代化・世俗化が十分進んでいなかったが故に完全な全体主義化を免れているという逆説的見解(実は逆説でも何でもないが)は、エミール・レーデラー『大衆の国家』と軌を一にしている。

2010年7月17日

ジグマンド・ノイマン 『大衆国家と独裁  恒久の革命』 (みすず書房)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

原著は第二次世界大戦中1942年に出たもの。

著者はコーンハウザーの分類に従えば、民主主義的大衆批判者に属すると別の本で読んだ記憶がある。

本文に取り掛かると、まず第一章「現代独裁制の特質」という章で、次のような文章がある。

今日の独裁制はデモクラシーと全く相反する理念を代表するとはいえ、事実上それはデモクラシーの欠陥の直接の産物なのである。

近年における大衆民主政の出現と、伝統的諸制度の崩壊のおそれとが、現代政治に危機をもたらしているが、この二つの要因は同時に今日の独裁出現の歴史的前提でもある。

・・・・・独裁者たちがいかにデモクラシーを軽蔑しようと、彼等がその子であることに違いはない。そしてフランス革命以前の「アンシァン・レジーム」における絶対制と、今日にの独裁とを区別する根本的な相異は、まさにこの点にあるのである。デモクラシー以前の独裁政は、比較的容易に行なわれ得た。民衆の声を制圧する必要は殆んどなく、宮廷の派閥を統制し、貴族の陰謀を監視するだけで事が足りた。そこに民主主義革命が起り、無言の民衆はめざめたのである。その時以来、デモクラシーの経験を経た国々に再び独裁をもたらそうとする者は、(たとえその経験が束の間のものであろうと)その経験を忘れぬ民衆の疑問に答えねばならなくなった。この歴史的な記憶を克服し、配慮と統制とを忘れぬところに、「世論」の尊重が必要となったのである。

こうして「民衆的独裁」が、大衆民主政の時代に登場することになる。それはたしかにデモクラシーに対立するものではあるが、その根底には擬似民主的な基盤を見ることが出来る。「合法的」な権力掌握、選挙制に対する外見的尊重、人気維持に腐心すること――こういった半民主的な要素は、すべてこの新時代における独裁の存立に前提条件となるものである。現代全体主義の下での日常生活にプロパガンダの占める重要な役割は、この事実によって説明される。

こうしたかなり透徹した認識を示してはいるが、以下の章では上記のような「民主政と独裁政の近似性」という視点が掘り下げられることは極めて稀で、指導者・運動幹部・政党・官僚制・軍隊・宣伝・世代などの事項について、米英仏と独伊とソ連(および日本の例が少し)を比較対照し、最後の章で戦間期から全体主義台頭と第二次大戦勃発までの国際関係史を概観しておしまい。

具体的事例を多数挙げながらの分析と説明は、読みやすく興味深い点も無いでは無いが、正直かなり物足りない。

読み止しで終えるのももったいないと思ったので最後まで読み通したが、残念ながら期待をかなり下回る印象しか受けなかった。

大衆社会論としては、オルテガル・ボンヤスパースキルケゴールはもちろん、コーンハウザータルドに比べても劣る感じで、必読とまではやはり言えないと思います。

実に彼等は、最近の社会心理学における、いわゆる群集行動の、あらゆる特色をそなえていた。キャントリルは彼の『社会行動の心理』についての鋭い分析の中で、「群集の中の個人は、成人に達しない人間のさまざまな特徴を示すことが多い」と述べている。すなわち単純で粗野、均衡と思慮を欠くのが彼の通性である。自制を主調とする成熟した個性に彼が達していないことは明らかである。子供のように、彼の運命と内的均衡とは環境に全く依存している。その結果、彼は集団に完全に没入し、集団と自己とを、完全に同一視するに至る。

こうした集団への没入は、同時に外界の遮蔽を伴う。「群集成員個々の世界は、限定され制約される。」そのような「反対宣伝」の遮断は、たしかに生活を単純化し、文化的規範を固定化し、行動の予測可能性を保障し、安定を約束する。この「心理的自給自足」は、経験のない子供にとっては「保護関税」の役を果たす。しかし成人でありながら閉鎖的社会に身を託した、混乱した群集成員にとっては、それは個性の破壊を意味することは疑いない。厳重に防備を固めた城塞に逃避するなら、彼は独立の立場と判断とをもち得なくなる。それは、あたかも甘やかされ厚く保護されて育った子供が人生に備えるところないのと同様である。

そのような自己放棄の心理的効果は明らかである。自己の独自性の中に、すべての人が他人と異なる権利を認めるのが、自制力ある個性の力である。それは節度と寛容とを生み出す。個性を奪われた群集は自己中心で偏見をもち、狂信的である。

群集心理が全国民を捉えると、複雑な社会組織の網が破壊される。個々の成員が相異なるように、生きた社会の無数の異なった集団結社は、おしなべて灰色の大衆の中に融合されてしまう。この「大衆化」の過程――自由な組織の崩壊と階層ピラミッドの平板化――は、ある意味で現代における独裁者の出現にさきがけて進行した。現代の独裁者はこのような社会の崩壊の産物である。また逆に、そうした崩壊が彼等の支配確立の基礎となったとも言えよう。

第一次大戦後の革命運動の目的ならびに本質は、家庭まで含めたあらゆる自治的グループを解体し、明瞭な社会的意志をもたぬ一つの群集に仕立てることにあった。そのような群集は、常に圧政的指導者を要求し、感情的に動かされ満足を与えられることによってのみ結束を保つものである。それは常に動的な過程の中におかねばならず、鎮静は不可能である。これが現代の独裁的大衆国家の基盤である。しかしその成立の成否は、旧社会秩序を内外から崩壊させる長い過程を前提としている。

2010年7月15日

藤田勝久 『項羽と劉邦の時代  秦漢帝国興亡史』 (講談社選書メチエ)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 06:00

著者には中公新書『司馬遷の旅』などの著作もあります。

私は中国史のすべての時代の中でこの秦末漢初が一番好きで、中国史のすべての人物のうちで劉邦が一番好きなので、これを読んでみた。

戦国時代の秦の台頭、南方の大国楚の社会と文化からはじまって、漢王朝の隆盛期まで。

秦の制度と楚などの風土・習俗との相克を常に対比させながらの叙述。

各国の興亡を指導者の個性ではなく、システムの違いに重点を置いて説明していく。

秦の郡県制が各地方の固有文化との軋轢の中で崩壊した後、項羽の分封体制となり、それが漢初の郡国制(中国西部は郡県制、東部は異姓諸侯分封から劉氏へ)を経て、景帝・武帝時代の実質郡県制へ、という大きな流れに沿った内容。

『史記』や『漢書』の記述を考古学的発見や他の史料によって補正しながら、話を進めている。

この時代の諸侯・将軍・謀臣などの固有名詞はかなり知っているが、改めて読むと結構記憶から抜け落ちていたり曖昧だったりする部分もあり、再チェックしながら通読した。

具体的記述については、以下一点だけ。

秦末の陳勝・呉広の乱について。

この二人は楚出身で、反乱後、国号を「張楚」とし、当初自分たちは楚の将軍項燕と始皇帝の子扶蘇であると称した。

項燕はともかく、温和な君子で人格者との世評があり、二世皇帝胡亥に自殺させられたとはいえ、あくまで敵国秦の人間である扶蘇がなぜ楚人の旗印になりえたのか、ということを考察しているのだが、それが中々面白く「ほう」と感心してしまった。

悪くはないが、上に書いた部分以外では目から鱗が落ちるといった感じは受けなかった。

私はそれなりに面白かったが、趣味の違う人にはやや退屈かも。

後半がやや落ちますか。

まあ普通の本です。

2010年7月13日

引用文(ホイジンガ4)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

ヨハン・ホイジンガ『朝の影のなかに』(中公文庫)より。

科学の進歩と教育の普及が、つねに向上し完成へとむかう社会を保証し、約束するという、一世紀以前の心たのしい幻想は、現在、なんとナイーヴにみえることだろう。科学の勝利を、よりすばらしい技術の勝利に転ずることによって文化は救われるなどと、いまではいったいだれがまじめに考えようか。あるいは、また、文盲の根絶が非文明の終末を意味するなどと。とことんまで文明開化され、ほとんどくまなく機械化された現代社会は、進化思想の夢みたヴィジョンとは似ても似つかぬ相貌を呈している。

わたしたちはよく知っている。とるに足らぬほどの笑うべきおろかさ、あるいは邪悪なおろかさと、ありとあらゆるかたちをとって、おろかさが、きょうこのごろほどまでに、全世界に狂宴をくりひろげたときはかつてなかった。もはや、この痴愚女神のふるまいは、あの心気高く真摯のユマニスト、エラスムスの諧謔と笑いの文章のテーマとなるところのものではないであろう。わたしたちは、このわたしたちの時代の底なしのおろかさを、社会の病としてうけとめ、これを注意ぶかく観察し、その症状をつまびらかにし、冷静にリアルに、社会の実態をつきとめるべくつとめなければならない。しかるのち、治癒の手段について思案しなければならない。

現代の大衆娯楽のメカニズムは、集中ということを妨げるはたらきを極度にもっている。イメージや音響の機械的再生という事態にあっては、「熱中する」「夢中になる」ということも出てこないのだ。内省と献身が欠落しているのである。おのれじしんの内面への回帰、この瞬間への没入、これこそが、文化を求める人間にとって欠くべからざる心の構えなのである。

ところで、この、視覚的暗示にすぐ反応するということ、まさしくこれにのっかって、現代の宣伝は、人をひきつけ、衰弱した判断力という現代人の弱点をつくのである。このことは、商業広告、政治宣伝、そのどちらについてもいえる。・・・・・

人のおおいに誇りとする、ふたつの偉大な戦利品、一般国民教育と情報宣伝の組織、これがそのまま文化の水準を高める方向には機能せず、逆に、その機能するところ、頽廃と衰弱を示す現実を生みだしているというこの事実、わたしたちの時代は、この事実におびやかされているのである。その量といい質といい過去の経験を絶する、ありとあらゆる種類の知識が大衆にもたらされる。だが、大衆は、その知識を生活のなかにとりこむことができず、とまどう。消化しきれぬ知識は判断を阻害し、知恵のゆくてをはばむ。一般国民教育(オンデルワイス)、すなわち下等の賢さ(オンデルワイス)。これは忌むべきことばのあそびではある。だが、不幸にも、この意味するところは深い。

2010年7月10日

小前亮 『宋の太祖 趙匡胤』 (講談社文庫)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 06:00

この前の田中芳樹『蘭陵王』の読後感が割りと良かったことに味を占めて、通俗的中国歴史小説のうち、たまたま目に付いたこれを読んでみる。

カバーの著者紹介で、「東京大学大学院修了。専攻は中央アジア・イスラーム史。在学中より歴史コラムの発表をはじめる。(有)らいとすたっふに入社後、田中芳樹氏の勧めで小説の執筆にとりかかり・・・・・」という文章があるが、「つまり、中国史は専門じゃないということですか・・・・・」と、大変失礼ながら不安な気持ちになる。

気を取り直して読み始めてみると、結構面白い。

この趙匡胤という人は中国王朝の建国者の中でもかなり良いイメージがある。

たぶん宋王朝自体が、前代の殺伐とした武断主義から文治主義に転換し、遼・西夏・金・モンゴルなど異民族に圧迫され通しで「文弱」という言葉が思い浮かぶものの、政治的には君主独裁制が成立し皇帝と臣下の力の差が隔絶し王朝支配体制は安定、経済的には新興地主の台頭と占城米などの導入、坊制市制崩壊による商業都市発達、火薬・羅針盤・活字印刷の三大発明など、大きな躍進を遂げ、文化的には宋学の誕生、と社会の各分野で華やかで繁栄した印象があるからでしょう。

禅譲のあと、前王朝の一族をほとんど殺さなかったことも好印象。

それに引きかえ、モンゴル族の元朝を飛ばした次王朝明の太祖朱元璋なんてイメージ最悪。

前王朝の帝室は漠北に逃げて北元を建ててますから殺せなくても、自らの功臣をいくらなんでも殺し過ぎ。

宮崎市定先生が『中国史 上・下』(岩波書店)で朱元璋のことを偏執狂的な「中国のスターリン」と評してますが、ほんとに滅茶苦茶ですよ。

ただ私の好きな漢の高祖劉邦も建国後は韓信はじめ功臣を随分殺してるじゃないかと指摘されたら、「いやいや、あれは全部、歴史上最悪の鬼嫁呂后のやったことです」と都合の良い解釈をするようにしています。

閑話休題。

本書は五代の四つ目、後漢王朝の時代から始まる。

後梁・後唐・後晋・後漢・後周という、五代の王朝名と順番は当然要記憶。

「後」の部分はすべて「ご」ではなく「こう」と読み、特に「後漢」は「こうかん」と呼んで、古代の前漢(ぜんかん)・後漢(ごかん)と区別する、と私は高校時代に習いましたが、皆様はどうだったでしょうか。

年代は唐滅亡と後梁の成立907年と、宋成立の960年だけはしっかり憶えましょうか。

あとは建国者名をチェック。

後梁の朱全忠、後唐の李克用と李存勗(そんきょく)[建国は存勗の代]、後晋の石敬瑭、後漢の劉知遠、後周の郭威。

後唐は「李」姓だから国号も唐、後漢は「劉」姓だから漢。

真ん中三つ、後唐・後晋・後漢は突厥沙陀部出身者が建国。

燕雲十六州を割譲したのは後晋、その後晋が遼の怒りを買い滅ぼされた後、契丹への抵抗を組織して建国されたのが後漢。

この後漢はわずか4年で滅び、中国の正統王朝の中では最も寿命が短いことで知られているが、後梁が16年、後唐が13年、後晋が10年、後周が9年だから、他もたいして変わらないか。

951年郭威が後周を建てると、後漢帝室の一族の劉崇が遼との国境地帯に北漢を建国、この北漢が「五代十国」の十国のうち、唯一華北にあった国。

太祖・郭威を継いだのが世宗・柴栄。

名前を見てわかる通り、実子ではなく養子。

名君が二代続き、国力は大いに伸張。

北は北漢を討ち、南は十国中最大の強国南唐を攻撃、長江以北の領土を併合。

悲願の全国統一も近いと思われたが、959年に世宗・柴栄は病死。

ちなみにこの世宗は「三武一宗の法難」の最後の仏教弾圧を行なった人。

960年禁軍司令官の趙匡胤が即位、(北)宋建国。

文官では趙普、弟の趙匡義、武官では石守信、高懐徳、曹彬などの助けを得て、民力の恢復と節度使権力の削減と中央集権化に努める。

この宋王朝成立については、

宋太祖が禅譲・・・の最後であったことは、皇帝独裁制の成立によって皇帝と臣僚との権力に大きい格差ができたことの証しでもあろう。以後は異民族の戦争によってしか王朝交代はおこらない。(中谷臣『世界史A・Bの基本演習』。赤文字引用者。)

ということは初心者でも要チェック。

ここで一応十国を整理しますか。

呉、南唐、呉越、荊南、閩、南漢、楚、前蜀、後蜀、一つだけ離れて北漢。

まず呉が滅んでから南唐が建国。

南唐は閩と楚を併合。

前蜀が滅んだあと、後蜀が建国。

ということで宋成立時に存続していたのは後蜀、荊南、南唐、呉越、南漢、北漢。

まず荊南を併合。

次に後蜀が降伏。

さらに、大陸南端、広州を中心にした南漢が降る。

975年には江南と称していた南唐も滅亡。

ここまでが太祖の時代。

976年太祖崩御、弟の趙匡義が即位し太宗に。

以後太祖の子孫は冷遇され続け、南宋初代皇帝の高宗が死去した後、ようやく太祖の子孫が帝位に就くことになる。

978年呉越併合、979年北漢併合で中国統一達成。

ややこしいことこの上なく、十国は基本的に南唐だけ押さえておけばOKでしょうが、まあ五胡十六国時代よりはかなりマシなので、可能ならばすべて憶えてもいいでしょう。

関連文献を挙げると、五代通史としては『馮道』(中公文庫)がかなり優れていると思います。

また本書のような中国歴史小説の場合、正史など原典史料と比較対照して、どこに典拠を採りどんなアレンジを加えているのかを観察する楽しみもありますが、残念ながら私には欧陽脩『新五代史』などを読む能力はもちろんありません。

私がそうした楽しみを味わえるのは陳寿『三国志 蜀書』だけです。

(追記:と思ったのですが、考えてみると『史記列伝』『世家』『本紀』で項羽と劉邦およびその臣下たちの記述を知っている逸話と比較するのは好きです。)

なかなか良い。

趙匡胤の武人としての活躍を描いているので、「なんかイメージ違うなあ」とも思うが、晦渋な部分も無く、スラスラ読める。

平易で印象深い人物描写を通じて、重要な史実が無理なく頭に入る。

私程度の初心者にとってやはりこういう歴史小説が与える効用は無視できない。

もっともののわかった人なら、こうした本は読まなくてもいいでしょうが、初学者はあまり馬鹿にせず気になったものは手に取ってみるといいでしょう。

2010年7月7日

児島襄 『太平洋戦争 下』 (中公文庫)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 06:00

上巻の続き。

この巻はガダルカナル撤退後の1943年(昭和18年)初頭から。

まず押さえておくべきことは、この43年中には日米空母機動部隊同士の決戦は生じなかったということ。

この年、「エセックス」級正規空母とその約半分の艦載能力を持つ「インディペンデンス」級軽空母を中心に、米海軍の空母戦力が猛烈な勢いで整備されていく。

終戦時までに「エセックス」級が17隻、「インディペンデンス」級が9隻も就役している。

翌44年半ばの決戦時に完成し訓練を終え実戦参加したものだけでも、「エセックス」級6隻、「インディペンデンス」級8隻に達する。

これに対し、日本海軍が開戦後完成させた正規空母で実際に戦力化したのは「大鳳」1隻のみ。

他数隻が完成しているが、完成時には載せる航空機も無く、使い道の無い空箱に等しい状態。

総合的国力の差をまざまざと見せ付けられ、せめて戦後の高度経済成長が終わった時点くらいに生産力の差が縮まった条件下でなければ、やはり戦うべきではなかったなと思う。

陸戦ではソロモン・ニューギニアでの消耗戦続く。

4月ソロモン航空戦を督戦していた山本五十六連合艦隊司令長官の乗機が撃墜され戦死。

5月北太平洋アリューシャン列島のアッツ島日本守備隊玉砕。

8月ムッソリーニ失脚、バドリオ政権成立、9月イタリア降伏。

この年の末から米軍の大攻勢が始まるが、その前に馴染みの無い太平洋の島嶼名を憶えないといけない。

これまでの主戦場はオーストラリアの北、赤道以南のニューギニアとソロモン諸島。

これが赤道以北の中部太平洋に移る。

東から順に、まず赤道直下のギルバート諸島。

そこから北西に向かうとマーシャル諸島。

西に向かってカロリン諸島、カロリン諸島から北西に向かうとマリアナ諸島、さらに北西に行くと硫黄島と小笠原諸島、伊豆諸島、日本本土に至る。

カロリンから真西に向かうとパラオ諸島、そこからさらに西進してフィリピン・ミンダナオ島。

以上のうち、マーシャル・カロリン・マリアナ・パラオ諸島は第一次世界大戦後、独領から日本の委任統治領になったところ(ただし南マリアナのグアム島は米西戦争の結果米領土に)。

43年末から44年中にかけて、主戦場が南東から北西に中部太平洋を横切っていく様を地図で確認して下さい。

11月ギルバート諸島のタラワおよびマキンに米軍上陸。

同月ラバウル空襲、空母を離れラバウルの地上基地に進出していた「翔鶴」「瑞鶴」の艦載機が「ブーゲンビル島沖航空戦」で大打撃を受け、貴重な空母艦載機とパイロットを損耗。

同時期カイロ会談・テヘラン会談。

1944年(昭和19年)1月マーシャル諸島のクェゼリン失陥。

2月カロリン諸島の日本海軍根拠地トラックに米機動部隊の大空襲、基地機能喪失。

同月マーシャル諸島エニウェトクも陥落。

3月ビルマ方面でインパール作戦(~7月)。

この時の第十五軍司令官牟田口廉也中将は、マレー・フィリピン攻略で本書でも顔を出す辻政信と並んで、旧軍人でもこれほど評判の悪い人はいないだろうという感じの人ですが、本書ではもちろん批判的なことも書いているが、その筆致はやや抑え気味かと思える記述だった。

6月マリアナ諸島サイパンに米軍上陸。

日米機動部隊が最後で最大の空母決戦「マリアナ沖海戦」を戦う。

これが事実上日米戦争の天王山か。

日本側主力は「大鳳」「翔鶴」「瑞鶴」、米側は「エンタープライズ」に「エセックス」級6隻。

ちなみに米空母の中に「レキシントン」とか「ヨークタウン」などの名がありますが、これは戦没艦の名前を新たに建造した「エセックス」級空母に付けたもので、沈没艦を引き上げて戦列復帰させたわけではありません。

(その種の再戦力化としては実は真珠湾で沈んだ米戦艦が挙げられる。湾内なので当然水深が浅く、沈没とされた艦も引き上げ・修理・改修を経て2年ほど後には続々と戦列復帰している。うろ覚えだが確か攻撃された戦艦が8隻、そのうち完全喪失となったのは2隻だけのはず。緒戦の段階で当時主戦力と考えられていた戦艦の多くを行動不能にしただけでも大戦果かもしれないが、当時真珠湾以外にも確か4隻の戦艦があり、米戦艦部隊が「全滅」したわけではないし、開戦後完成した新鋭戦艦も10隻あるはず。よってこの奇襲が米国のヒステリックな反日世論に火を付け、妥協的講和を不可能にしたという最大の問題点をあまり重視していないことに加えて、以上のような意味でも、著者が上巻で真珠湾攻撃を戦術的にも戦略的にも大成功であったとしているのには首をひねらざるを得ない。)

結果は日本海軍の大惨敗。

攻撃隊はほぼ全滅し、「大鳳」「翔鶴」が(潜水艦の攻撃で)沈没、米側空母は2隻が小破したのみ。

残念ながらこの時期には、艦載機の質と量、パイロットの練度、高性能レーダーと無線電話を駆使した航空管制の精度、対空火器の命中率、母艦のダメージコントロールなど、あらゆる面で力の差がありすぎた。

レーダーの発達によって基本的に奇襲というものがありえなくなり、ミッドウェーとは逆に日本側が敵艦隊の早期発見と先制攻撃に成功しているのに、最適の時間・位置・高度で米戦闘機の大群に待ち受けられ、壊滅的損害を蒙っている。

なお、同じ6月にはノルマンディー上陸作戦が行なわれており、欧州戦線でも大戦は最終段階に入っている(これは本書を読むまで意識していなかった)。

7月サイパン陥落。首相が東条英機から小磯国昭に。

「日本海軍空母戦力の崩壊」「日本本土が重爆撃機B29の攻撃圏内に入る」「東条内閣が(7月に)退陣」というサイパン戦の三つの帰結は、44年6月という時期と共に初心者でも頭に入れておくこと。

フィリピン諸島で、最北部で、マニラのある一番大きな島がルソン島、以下南にサマール島、レイテ島、ミンダナオ島。

10月米軍がレイテ島上陸、「レイテ沖海戦」生起。

日本海軍は唯一生き残った正規空母「瑞鶴」に軽空母3隻とわずかの艦載機を付けて本土を出港、おとりとして北側からフィリピンに接近し米主力空母を引き付け、その隙にブルネイから出撃した栗田健男中将率いる戦艦部隊が西からフィリピンに接近、レイテ島の米上陸部隊に殴り込みをかけるという作戦を立てる。

驚いたことにこの作戦が途中までは成功し、米主力空母部隊は空襲で栗田艦隊に痛打を与えたあと北に移動、「瑞鶴」含む4空母全てを撃沈。

「武蔵」を失いながらも栗田艦隊はレイテ湾目前まで進撃し、護衛空母(小型空母)部隊に損害を与えるが、自身も少なからぬ損失を蒙り、結局突入を中止し退避。

この比島沖海戦では日本海軍の水上艦艇戦力も枯渇したことと神風特別攻撃隊が組織されたことをチェック。

1945年(昭和20年)1月米軍ルソン島上陸。

2~3月硫黄島攻防戦。

3月東京大空襲。

4~6月沖縄戦。

4月鈴木貫太郎内閣。

同月「大和」特攻、沈没。

4月末ヒトラー自殺、5月ドイツ降伏。

7月ポツダム宣言。

8月6日広島原爆投下、8月8日ソ連参戦、8月9日長崎原爆投下、8月15日玉音放送。

割と良い。

その気になれば本書の何倍の分量にもなるものをコンパクトに通読できる範囲内で収めてあることが何よりの長所。

陸戦の描写がややくどく、逆に海戦の描写が簡略過ぎる印象もあるが、これは単に私自身の予備知識の差でしょうね。

初心者にとって、最初の取っ掛かりとしてこれを基本書にするのも悪くない。

著者はかなり右派的な歴史家・評論家として知られた人だが、本書ではそうした面はあまり前面に出てこないので、どんな立場の人が読んでも有益だと思う。

ひとまずこれを読んで、最低限の基礎をつくるのも良いでしょう。

2010年7月4日

児島襄 『太平洋戦争 上』 (中公文庫)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 06:00

この本については、全編通読はしないまま、新書版は以前記事にしました。

一度日米戦争の概略をきちんと頭の中で整理しておこうと思い、文庫版を通読することにしました。

先の大戦に関する戦史ものは、とにかくもの凄い数が出ています。

例えば光人社のNF文庫に収録されているようなものだけでも、数年かけても到底読みきれないでしょう。

あまり深入りするのは避けつつ、常識的な知識はしっかり把握しなければならないという場合、まあ本書辺りが適当かなと。

以前この記事で触れた、「中公新書の森 2000点のヴィリジアン」という小冊子で、保阪正康氏が本書を、

「太平洋戦争を政治的に分析することも重要だが、しかしこの戦争の事実やその経過を描写した書がなければそれはできない。実証性の伴った最初の書といえるが、新たに発見される史実を確認しながら読んでいくべきだろう。」

と評されています。

手堅い本ではあるんでしょうが、何しろ初版が1965年ですから、やや古い点も見受けられるんでしょうね。

とは言え、オーソドックスで堅実な叙述形式であり、初心者が基礎的な史実を確認するには適切でしょう。

開戦前史は直前の日米交渉に少し触れるだけで、あくまで戦争自体の描写が主。

地図を常に参照して、太平洋と東南アジアのどの方面が戦場となっているのかを確認。

同時に何年何月の史実なのかを確実に把握しながら読み進むこと。

予備知識の無い場合、最初は細かな固有名詞にはあまり拘らなくてもよい。

特に陸軍の第○師団とか第○連隊とか指揮官名などはそう。

私は小学校高学年の時からしばらくの間、日本海軍マニアで、以後もたまに関連本を読んでいたので、本書の海軍関係は少し細かくチェックした。

戦史関係本一般を読むにあたって、余りに当たり前過ぎることを書きますが、個々の戦闘に関わる事柄である「戦術」と、戦争全体に関わる方針である「戦略」をしっかり区別。

海軍艦艇の呼称である「軍艦」が、艦の大きさと戦闘力で「戦艦」「巡洋艦」「駆逐艦」の三つに分けられ、巡洋艦は「重巡洋艦」と「軽巡洋艦」に分かれることも事前にチェック。

(日本海軍では、形式的かつ制度上では、駆逐艦は「軍艦」には分類されてなかったとか言う話は細か過ぎるのでパス。)

その他、「潜水艦」と「航空母艦(空母)」などの艦種があり、第二次世界大戦では空母が海戦の主役となったこともご存知の通り。

個々の兵器に関しては、「零戦」や「大和」などは一般常識の範囲内だとしても、深入りするとミリタリー・マニア道の迷路に迷い込むので避けた方がいいか。

しかし、つかみづらい戦局の全体像をわかりやすくするため、制式空母(正規空母・大型空母)にだけ注目してもよい。

戦前の予想と異なり、海の戦いの主役が戦艦から航空機と空母に移ったことは一般常識の範囲内ですが、その空母の数を押さえるだけでも日米戦争のあらましはある程度わかる。

開戦時、日本が保有していた制式空母は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」の6隻。

アメリカは、「レキシントン」「サラトガ」「レンジャー」「ワスプ」「ヨークタウン」「エンタープライズ」「ホーネット」の7隻。

このうち、ほぼ常に大西洋戦線にあった「レンジャー」を除く6隻が、主に開戦後一年間に日本空母と死闘を繰り広げることになる。

その機動部隊同士の戦いとして、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦、少し間が空いてマリアナ沖海戦の、五つの空母決戦が、いつ、どこで生起して、どの空母が沈没・損傷したのかを把握する。

以下、他の本の知識も援用して、正規空母の数にだけ注目した滅茶苦茶単純化された日米海戦史。

まず1941年(昭和16年)12月8日(現地時間7日)に日本空母6隻が真珠湾を攻撃、米戦艦部隊が大打撃を受ける。

12月末香港占領。

1942年(昭和17年)1月マニラ占領、2月シンガポール陥落、3月ラングーン占領、蘭印軍降伏、5月バターン半島・コレヒドール島の米比軍降伏、と開戦半年で東南アジア全域を占領。

5月オーストラリアの北、ニューギニア南東部ポートモレスビー攻略計画の護衛のため出撃した「翔鶴」「瑞鶴」とこれを迎え撃った「レキシントン」「ヨークタウン」の間で、史上初めての空母同士の戦いである「珊瑚海海戦」が起こる。

結果、日本側は「翔鶴」中破(他に軽空母1隻沈没)、米側は「レキシントン」沈没、「ヨークタウン」中破。

6月、個々の戦闘では唯一高校教科書でも名の出る「ミッドウェー海戦」。

ミッドウェーはハワイから北西方面に離れた島。

日本側戦力は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の4隻、米側は「エンタープライズ」「ホーネット」と突貫工事で修理を終え出撃した「ヨークタウン」の3隻(「サラトガ」は1月日本軍潜水艦に攻撃され損傷・修理中、「ワスプ」はこの時点ではまだ大西洋戦線にいた模様)。

結果は、日本側は4空母すべてが撃沈される最悪の展開、米側は「ヨークタウン」のみ沈没。

8月、米軍がソロモン諸島のガダルカナル島に上陸、戦線が一気に南太平洋に移る。

オーストラリアの北にニューギニア、その東にニューブリテン島、ここに日本軍の一大根拠地ラバウルがある。

その東にソロモン諸島が広がり、ブーゲンビル島、ガダルカナル島がある。

このガダルカナルをめぐって以後42年中、陸海軍ともに激しい攻防戦が続く。

8月下旬、「第2次ソロモン海戦」、「翔鶴」「瑞鶴」と「エンタープライズ」「サラトガ」が対戦、「翔鶴」小破、「エンタープライズ」中破。

この海戦で私は「翔鶴」が中破したと思い込んでいたが、他の本を読むと実際は至近弾をくらっただけで小破もしくは損害無しということらしい(ただし本隊から分離した日本軍軽空母が1隻撃沈されている)。

同月末、潜水艦の攻撃でまたも「サラトガ」損傷、戦線離脱。

9月には同じく潜水艦により「ワスプ」が撃沈。

10月「南太平洋海戦」、ガダルカナルでの陸軍の総攻撃にあわせて進出した「翔鶴」「瑞鶴」が「エンタープライズ」「ホーネット」と激突、「翔鶴」と「エンタープライズ」が大破、「ホーネット」沈没。

この時点で、太平洋戦線で稼動可能な米軍空母が1隻もいなくなった。

これは表面上、戦術的には大勝利のはずが、日本側も艦載機と搭乗員の損耗が激しく、結局空母数の優位を生かすことができず。

ガダルカナル水域で主に夜間行なわれた水上艦艇同士の砲雷撃戦でも、8月上旬米軍上陸直後に生起した「第1次ソロモン海戦」のように、当初は日本側が勝利することが多かったが、米海軍が高性能レーダーを装備するようになると徐々に不利になっていく。

11月、それまでにも成功していた戦艦によるガダルカナルの米飛行場への艦砲射撃のため進攻した日本軍戦艦2隻が米艦隊と交戦の末、沈没(「第3次ソロモン海戦」)。

この前後で記される日本陸軍の状況は本当に悲惨の一言で読んでいて辛くなる。

戦場で非命に斃れるのはどんな場合でも悲惨に決まってるが、飢餓と疫病にこうまで苦しめられての死は本当に痛ましい。

心から戦没者のご冥福をお祈りして、平和な時代に生まれた有難さを痛感する。

1943年(昭和18年)2月ガダルカナルからの日本軍撤退で、この巻は幕を閉じる。

割と予備知識があったこともあり、2日ほどで非常に楽に読めた。

やや煩瑣な部分もあるが、初心者向け戦史としてはよくまとまっていると思う。

下巻も続けて記事にします。

2010年7月1日

坂野潤治 編 『自由と平等の昭和史  1930年代の日本政治』 (講談社選書メチエ)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 06:00

編者の坂野氏(「さかの」ではなく「ばんの」とお読みするようです)については、『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)、『明治維新 1858-1881』(講談社現代新書)、『明治デモクラシー』(岩波新書)、『日本憲政史』(東京大学出版会)など、読むべきだと思っている本が相当あるのですが、結局これを最初に読むことになってしまった。

政友会・民政党の二大既成政党の「自由」と軍部の「ファシズム」の対立と、通常捉えられている1930年代の日本政治に、合法的無産政党である社会大衆党によって代表される「平等」という要素を付け加え、その三者の相克として当時の政治状況を理解しようとする本。

日本史教科書で無産政党の記述をチェックすると、1925年農民労働党が結成されるが即日禁止、翌26年に共産党系を除外した労働農民党結成。

共産党系が主導権を握ろうとしたため同年労働農民党・日本労農党・社会民衆党に三分裂。

満州事変後、国家社会主義への転向が進み32年日本国家社会党結成、残った社会主義者が合同して同年社会大衆党を結成となっている(社会大衆党は40年大政翼賛会によって解党するまで存続した模様)。

なお、坂野氏は自らの立場を以下のように述べている。

編者としての私個人は、「自由主義」と「社会主義」とが妥協の余地のない選択として突きつけられれば、躊躇なく「自由主義」を選択する。過去の人生で、「社会主義」陣営の内向きの「全体主義」を嫌というほど体験させられてきたからである。

それにもかかわらず、歴史分析において「自由」と「平等」のどちらを選ぶかと問われれば、「自由」六分に「平等」四分と答えざるを得ない。社会の底辺で何が起こっているかに全く無関心な「自由主義者」は、自陣の内側で何をしているかに無関心な「社会主義者」と同程度に嫌いだからである。

1936年2月の総選挙とその直後の二・二六事件、1937年1月宇垣一成内閣の流産と2月林銑十郎内閣成立、4月総選挙、6月第一次近衛内閣成立と7月盧溝橋事件勃発が、本書の中心的な時代背景。

「自由」重視派と「平等」重視派が一致協力して「ファシズム」に対抗することができず、「自由」派は社会の困窮に明解な手を打てず、「平等」派はその目的実現のために、時には軍部に親和的な態度を取るといった状況だったことが記される。

第一章では、二大既成政党を足場に「自由」を重視したジャーナリスト馬場恒吾と、社会大衆党と既成政党改革派に期待し「平等」を重視した行政学者蝋山政道を対比させ、1930年代の政治史を概観。

第二章では、民政党内での「自由」派として「反軍演説」で有名な斉藤隆夫を、「平等」派として永井柳太郎を挙げ、両者の活動を描いている。

なおもう一方の既成政党である政友会は単純な保守政党として「自由」「平等」どちらへの寄与も少ないとされ、本書での評価は甚だ低い。

第三章は、社会大衆党に代表される「平等」派よりもさらに過激な日本共産党など「左翼」に目配りし、野上彌生子の小説を通じて弾圧の結果転向した人々がこの時代をどのように眺めていたかを考察している。

この三章は一、二章とは毛色が非常に異なり、突飛な印象を強く受ける。

割と面白い。

200ページ足らずで、集中すれば一日で十分読める。

特に難解な部分は無く、戦前の政治史について明解な見取り図を与えてくれるが、教科書レベルの次に即読むのはつらいかも。

第一章の冒頭で、

日本の近代史には、興隆、崩壊、再建の三つの大転換があり、それぞれの大転換期にはその画期となる時点や事件が存在した。

・・・・・崩壊期の画期として著者が着目してきたのは、1937年1月の宇垣内閣の流産とその三ヶ月後の第20回総選挙における社会大衆党の躍進である。

なんて文章がいきなり出てくるが、慣れていれば何ともないとは言え、昭和の内閣順がスラスラ出てくるくらいじゃないと面食らうか。

ある程度のことがわかっていないと、あまり効用は期待できないかも。

最低限の基礎ができていれば、有益な本だと思います。

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