万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年6月28日

塚本哲也 『メッテルニヒ  危機と混迷を乗り切った保守政治家』 (文芸春秋)

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高校世界史レベルでも「何となくイメージの悪い人」というのはいるものです。

ヒトラーは完全な別格ですが、ネロ帝やジョン王などがまずそうでしょう。

次に「傾国の君主」といった感のある、徽宗、ジェームズ2世、アウラングゼーブ、ヴィルヘルム2世辺りが来ますか。

君主以外では袁世凱、フランコ、フーヴァー、ネヴィル・チェンバレン等々・・・・・・。

本書の主人公メッテルニヒも教科書の記述からくるイメージは決して良好なものではない。

フランス革命の理念に背を向け、言論の自由と諸民族のナショナリズムを圧殺し、貴族的秩序を無理やり再興した保守反動の抑圧政治家、というのが通り相場でしょう。

しかし、虚心坦懐にメッテルニヒ以後の歴史を眺めてみると、近代技術と結合した野放図なナショナリズムが人類史上最悪の大戦争を引き起こし、煽動された民衆の暴走が左右の全体主義を生み出し、その抑圧は君主政や貴族政下では考えられなかったほど悲惨なものとなったわけで、単に「歴史の進歩に逆らった反動」と片付けられないものがある。

そもそも反動的ウィーン体制の「抑圧」と言っても、20世紀の全体主義体制下の強制収容所と大量虐殺に比べれば、率直に言って桁違いに軽いものと言わざるを得ない。

メッテルニヒに対してどちらかと言えば否定的評価を下している、ゴーロ・マン『近代ドイツ史』(みすず書房)でも、悪名高き1819年の「カールスバートの決議」について以下のように書かれている。

この決議の主な点は次の通りだった。国家に対する破壊活動を調査するため委員会を設立し、その調査の結果を、各国は、自己の判断に従って活用する。新学生組合を解散し、大学を政治的に監視する。二〇折より以下のあらゆる印刷物に事前検閲を行ない、これを統制する。こんな措置が陰惨な専制主義だとみられた時代は、なんと幸福で、悪意がなかったかと、またも言いたくなる。・・・・・現在“全体主義的”と呼ばれている権力をうちたてるためには、狂信的な意志と信念を持たねばならないが、メッテルニヒとその仲間たちは、これがなかった。

(ただし、上記「・・・・・」で省略した部分では、「だが、各時代は、それぞれ固有な尺度ではかられなければならない。十九世紀初頭が、ヨーロッパ、アメリカなど至る所で目指していたものは、政治的問題の自由討議を含む市民的自由であった。だから、この意図を圧殺しようと試みた人は、時代精神に対して罪を犯した。」とも書かれてある。)

「絶対王政」よりも、しばしばそれを倒した市民革命後の国家の方が余程「絶対的」であった(ジャン・クリスチャン・プティフィス『ルイ16世 下』引用文(坂井榮八郎2))。

ヨーロッパ的自由の伝統と全く無縁な専制主義として嫌悪と恐怖の的だったロシアのツァーリズムですら、ボリシェヴィキの独裁に比べれば遥かに犠牲者の少ないものだったことについては、『共産主義黒書 ソ連篇』参照。

またメッテルニヒが対峙したフランス革命がもたらした被害について、本書ではルネ・セディヨ『フランス革命の代償』から以下の文章を引用している。

「大革命期と(ナポレオン)帝政期の人的損失をもういちど足し算してみよう。1800年までの戦争における死者が40万人、ナポレオン戦争で100万人、内乱で60万人、念のためつけ加えるならさらに断頭台での死者もいる。総計200万人が死んだのである」

著者はメッテルニヒのプラス面とマイナス面を冷静に比較考量して、バランスの取れた評価を下しながら、その生涯を詳しく叙述している。

メッテルニヒは、1773年ライン河沿いの街コブレンツで生まれる。

フランス革命勃発時にはストラスブール大学に在学中、当地で革命暴動を目撃し深い嫌悪の情を抱く。

「私はちょうど、自らを民衆と呼ぶ無知な人びとに囲まれて、ストラスブール市庁舎の焼き打ちを目撃してきたところであった。これは、錯乱状態の下層民が犯した文物破壊(ヴァンダリズム)の蛮行であったが、その連中もまた自ら民衆と称していた」(『メッテルニヒの回想録』

「このジャコバン党員の説く教義と民衆的情熱への呼びかけは、私に一種の嫌悪感を覚えさせた。この気持ちは、私が年をとり経験を積むに従って、ますます増大するばかりであった。私は、たとえ自分がもっとも賤しい地位にあったとしても、またいかなる時代においてであろうと、私と同時代の人びとがあのように多く陥った誘惑に影響されることはけっしてなかっただろうと確信している。・・・・・」

ただし同時に亡命してきたフランス貴族の腐敗と堕落にも気付き、そこに革命の一因を見出している。

父に従って神聖ローマ帝国に仕え、1794年にはイギリスに渡り、エドマンド・バークと直接会談(これは知らなかった)。

かつて「外交革命」を主導した宰相カウニッツの孫娘と結婚、1801年外交官となり、1809年外相となる。

教科書ではウィーン会議のところで初登場だが、実質この時期からオーストリア外交の指導者。

1799年ブリュメール18日のクーデタから1815年ワーテルローの戦いまでのナポレオン時代は、一年ごとに何があったのかを把握しておいた方が良い。

年表を見ると、重要事件や大きな戦いが無かったのは1811年くらい。

ハプスブルク皇女マリー・ルイーゼ(マリ・ルイーズ)とナポレオンの結婚を容認。

ロシア遠征失敗後、武装中立の姿勢のまま和平を提案するが、ナポレオンが拒否すると対仏同盟に加わり、これを打倒。

ウィーン会議では勢力均衡の観点からロシアの過度の進出を警戒、フランスへの懲罰的措置を回避し、英仏墺の連携を作り上げ、ポーランド全土を要求するロシアと同様にザクセン全ての併合を求めるプロイセンに対抗、結果露・普両国はそれぞれ一部のみの領有に留まる。

結局、第一次大戦勃発まで、百年続くヨーロッパの平和の基礎を築くことに成功。

1822年良き協力者であったイギリス外相カースルリー(カッスルリー)が自殺、後任は自由主義的なカニングで、ギリシアとラテンアメリカの独立運動が高まる最中、英国との齟齬が大きくなる。

ここで皇帝名のチェック。

1790年代表的啓蒙専制君主ヨーゼフ2世死去、弟のレオポルド2世即位(この両者はマリー・アントワネットの兄)。

わずか二年でレオポルドが死去、1792年子のフランツ2世即位。

1806年神聖ローマ帝国滅亡、フランツ2世はオーストリア皇帝フランツ1世に。

メッテルニヒ時代の大部分はこのフランツ1世の治世で、1835年子のフェルディナント1世が継ぎ、1848年革命で退位、甥のフランツ・ヨーゼフ1世が若干18歳で即位。

このフランツ・ヨーゼフ1世が実に在位68年を数え第一次世界大戦中の1916年まで帝位にあり、実質的には最後の皇帝。

フランツ・ヨーゼフ1世の兄弟が銃殺されたメキシコ皇帝マクシミリアン、甥がサラエヴォ事件で暗殺された皇太子フランツ・フェルディナンド、最後の皇帝カール1世は別の甥の息子。

オーストリア帝国を名乗った時点で皇帝名の○世の部分がリセットされ、以上しか皇帝がいないのだから、考えてみるといちいち○○1世と付けなくてもいいのか。

本書でも「フランツ皇帝」というような言い方がほとんどである。

後半部の章で面白いのは、メッテルニヒ体制の「抑圧」を象徴する検閲制度と、ナポレオン没落後のマリ・ルイーズとその子ナポレオン2世(元のローマ王、後にライヒシュタット公)の生涯を描いた部分。

前者について書くと、20世紀以降の全体主義体制に比べればその検閲はザルに等しいものだったことが述べられ、以下のような文章が引用されている。

さらに歴史家アラン・スケッドは書いている。

「検閲制度について指摘すべき第二の点は、この制度がある程度まで支持されていたことである。言いかえれば、検閲は一切廃止すべきだ、という意見を支持する人はおそらくほとんどいなかっただろう。宗教的感情からこうした検閲廃止論はなじまなかったし、慣習からいってもそうだった。・・・・・1845年に検閲制度に反対する請願がメッテルニヒに提出され、当時の主要作家29人の署名が添えられていたが、彼らが要求したのは検閲の即時廃止ではなく、ただ検閲法規の緩和だけだったのだ。

それどころか検閲官の給料アップと環境改善が要求としてあげられている。判断を下すべき原稿に気分よく臨むだけでなく、もっと時間をかけ神経を注ぐことができるようにという思惑である。またそうすれば、検閲官が原稿について当の作家ときちんと話し合う時間もできるだろう、という読みもあった」

そして、当時ワイマル公国にいたゲーテがカールスバートの決議を支持していたことが記される。

「・・・・・彼が多数決原理を認めていなかったことは前にも書いたが、とりわけ『出版の自由』には反対であった。『言論の自由を叫ぶ者は、それを濫用しようとする者にほかならない』(『箴言と省察』)。・・・・・ゲーテの方は『出版の自由』(プレス・フライハイト)は『出版の厚顔』(プレス・フレヒハイト)だなどといい出している」(『ゲーテとその時代』坂井栄八郎)。

著者はさまざまな要素を考慮し、この点についてメッテルニヒを一方的に非難することはしていない。

しかしどの途避けがたい時代の趨勢を押し止めようとするだけで、イギリスに見られたようにそれを善導し、少しでも害の無いものにしていく努力を放棄していたとして、総合的には上記ゴーロ・マンと同じく、メッテルニヒに批判的な態度を示している。

それはそれで一つの立派な見識だと思うが、しかし、「現代は当時と比べ、教育も普及し、識字率も高く、社会常識も広まり、民主主義の理念が浸透し、批判精神も旺盛で社会を混乱させるような過激な言論はまずありえない。」という著者の言葉はあまりに楽観が過ぎるように思われる(ホイジンガなどを読んだだけでも)。

個人的には、言論の自由というものが、どんな状況下でも、どんな主題についても、どんなレベルにおいても、発言者がどのような資質の持ち主であろうとも、どんな弊害や副作用があろうとも、絶対的に擁護されるべき究極の価値だとは、率直に言って全く思わないので(マイケル・オークショット『政治における合理主義』等参照)、少なくとも当時においてのメッテルニヒへ批判は当たらないように感じるし、さらに言えば「本当は今もそうした自由の制限が必要な場合が多々あるんじゃないんですかあ」と思うだけ。

1848年革命によって退陣、イギリスに亡命、1859年イタリア統一戦争中、ソルフェリーノにおけるオーストリア敗戦の報を聞きつつ86歳で死去。

結構面白い。

ご病気で半身麻痺の状態で執筆されているという著者に対して非常に失礼ですが、文体はあまり流暢とは言えない気がします(「そもそもお前が言うな」と言われるでしょうが)。

しかし読みやすい文章であることは間違いなく、平易で堅実な印象を与える記述で、一章の分量も適切。

本書と『エリザベート』および『マリー・ルイーゼ 上・下』(文春文庫)を合わせて「ハプスブルク三部作」としているが、『マリー・ルイーゼ』は本書と完全な同時代に属する本なので、とりあえず『エリザベート』と本書を読むだけでいいんじゃないでしょうか。

以上記事中にリンクした以外の関連書としては、高坂正堯『古典外交の成熟と崩壊』を絶対必読本として挙げておきます。

なお、本書でもゴーロ・マン『近代ドイツ史』がしばしば引用されていますが、この本は本当に素晴らしい。

初読よりも再読、再々読の方が印象が良くなった。

歴史叙述というものの一つの完成形態といっても過言ではない。

たまに本棚から取り出して眺めると止まらなくなる。

このブログで取り上げた全ての本の中で、間違いなくベスト10に入る。

高坂先生の本と並んで是非お勧めします。

みすず書房様、何とか復刊してもらえませんか。

この本が新刊で手に入らないのは、岩波文庫のトゥキュディデス『戦史』ホイジンガ『朝の影のなかに』、ゴーロ・マンの父が書いたトーマス・マン『非政治的人間の考察』と同じく、ほとんど文化的醜聞に等しいと思う。

「いま社会は新しい階級によって危機にさらされている。新しい階級―それは王室、貴族と庶民の間にある中産階級、ブルジョワジーである。主に文学者、会計士、法律家、弁護士、役人、先生、教授などで、彼等は何世紀の間培われてきた人間の尊厳と忠誠を、いま言論の自由というむちを使って破壊しようとしている。彼等は合法的な方法でその欲求を実現しようとしているが、我々はこのような動きに屈服してはならない」

「アメリカが短い間にあれだけの発展をしたのは、民主主義のおかげであろう。しかしヨーロッパには合わない。デモクラシーは人々を離間し、人々の敵対心を煽り、競争によって人々の間を疎外させてしまう。王朝だけが人々を一体化させ、人々をまとめ、効果を発揮するようにできる。また最高度の文化と文明をもたらすことができる」

トクヴィルが民主主義について語っていることも知っている。民主主義はもっとも古くもっとも単純で、もっとも複雑な政治制度であるといっているようだ。アメリカはこれからも民主主義を続け、さらに続けていくだろう。しかしそれは何時、どのようにして終わるのだろうか。それは静かな成熟した形で終わることはできないだろう」

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2010年6月25日

引用文(プラトン3)

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プラトン『国家 下』(ワイド版岩波文庫)より。

「民主制国家は何を善と規定していると言われるのですか?」

「<自由>だ」とぼくは言った、「じっさい、君はたぶん、民主制のもとにある国で、こんなふうに言われているのを聞くことだろう――この<自由>こそは、民主制国家がもっている最も善きものであって、まさにそれゆえに、生まれついての自由な人間が住むに値するのは、ただこの国だけである、と」

「ええたしかに」と彼は言った、「そういう言い草は、じつにしばしば人々の口にするところですね」

「では、いま言いかけていたように」とぼくは言った、「そのようなことへのあくことなき欲求と、他のすべてへの無関心が、ここでもこの国制を変化させ、僭主独裁制の必要を準備するのではないだろうか?」

「どのようにしてですか?」と彼はたずねた。

「思うに、民主制の国家が自由を渇望したあげく、たまたまたちのよくない酌人たちを指導者に得て、そのために必要以上に混じりけのない強い自由の酒に酔わされるとき、国の支配の任にある人々があまりおとなしくなくて、自由をふんだんに提供してくれないような場合、国民は彼ら支配者たちをけしからぬ連中だ、寡頭制的なやつだと非難して迫害するだろう」

「ええ、たしかにそういう態度に出るものです」と彼は答えた。

「他方また」とぼくはつづけた、「支配者に従順な者たちを、自分から奴隷になるようなつまらぬやつらだと辱めるだろう。個人的にも公共的にも賞賛され尊敬されるのは、支配される人々に似たような指導者たち、支配者に似たような被支配者たちだということになる。このような国家においては、必然的に、自由の風潮はすみずみにまで行きわたって、その極限に至らざるをえないのではないかね?」

「そうならざるをえないでしょう」

・・・・・・・

「そういうことのほか」とぼくは言った、「次のようなちょっとした状況も見られるようになる。すなわち、このような状態のなかでは、先生は生徒を恐れて御機嫌をとり、生徒は先生を軽蔑し、個人的な養育掛りの者に対しても同様の態度をとる。一般に、若者たちは年長者と対等に振舞って、言葉においても行為においても年長者と張り合い、他方、年長者たちは若者たちに自分を合わせて、面白くない人間だとか権威主義者だとか思われないために、若者たちを真似て機智や冗談でいっぱいの人間となる」

「ほんとうにそうですね」と彼。

・・・・・・・

「すべてこうしたことが集積された結果として」とぼくは言った、「どのような効果がもたらされるかわかるかね――つまり、国民の魂はすっかり軟らかく敏感になって、ほんのちょっとでも抑圧が課せられると、もう腹を立てて我慢ができないようになるのだ。というのは、彼らは君も知るとおり、最後には法律さえも、書かれた法であれ書かれざる法であれ、かえりみないようになるからだ。絶対にどのような主人をも、自分の上にいただくまいとしてね」

「よく知っています」と彼は言った。

「それではこれが、友よ」とぼくは言った、「僭主独裁制がそこから生まれ出てくる、かくも立派で誇り高い根源にほかならないのだ。ぼくの考えではね」

「たしかに誇り高くはありますね」と彼は言った、「しかし、それから後はどうなるのですか?」

「寡頭制のなかに発生してその国制を滅ぼしたのと同じ病いが」とぼくは言った、「ここにも発生して、その自由放任のために、さらに大きく力強いものとなって、民主制を隷属化させることになる。まことに何ごとであれ、あまりに度が過ぎるということは、その反動として、反対の方向への大きな変化を引き起こしがちなものだ。季節にしても、植物にしても、身体にしても、みなそうであって、そして国家のあり方においても、いささかもその例外ではない」

「当然そうでしょう」と彼。

「というのは、過度の自由は、個人においても国家においても、ただ過度の隷属状態へと変化する以外に途はないもののようだからね」

「たしかにそれは、当然考えられることです」

「それならまた、当然考えられることは」とぼくは言った、「僭主独裁制が成立するのは、民主制以外の他のどのような国制からでもないということだ。すなわち、思うに、最高度の自由からは、最も野蛮な最高度の隷属が生まれてくるのだ」

2010年6月22日

引用文(コーンハウザー1)

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ウィリアム・コーンハウザー『大衆社会の政治』(東京創元社)より。

中心的な価値のかわりに御都合主義的な打算をもってくる結果、その政治的独自性を保持しえなくなった同じような例は、ナチ運動と提携したドイツの保守主義者の場合にもみられる。自らナチと提携したあるドイツの指導的保守主義者がその過失を次のように分析している。

なによりもまず思い起こされねばならないことは、民族主義者、保守主義者、自由主義的な中産階級、貴族主義のいかんを問わず、それらの人たちの思想の世界が、さらにはまた知識階級の思想の世界も、長い間、懐疑主義にむしばまれていたということである。これら「支配」階級の全体が、大都会のプロレタリア大衆におとらず、ニヒリズムに向かって動いていたのであった。かれらのこの方向への動きは、むしろ労働者階級よりも急速であった。伝統的な支配階級の間で、伝統への信頼はおとろえ、機械と小細工と唯物主義に対する信頼が成長しつつあった。そしてかれらをナチの敵から味方に変えてしまったのである。原理の欠如がおそらく[ナチ]の強みであろう。君主制主義者や保守主義者の間で伝統が欠如していたことは、間違いなくかれらの弱みである(Rauschning)。

指導的な保守主義者自身が、大衆を組織する必要を感じるにいたったとき、またこの目的のためにナチとの提携にのりだしたとき、ドイツにおける保守主義の死期はすでに迫っていたのである。

要するに、社会主義的なものにせよ保守主義的なものにせよ、政治的集団が自らの基準を捨て去って、大衆的基準をかわりにかかげるようになると、それらの集団はもはや独立した勢力として自らを維持していくことができなくなる。政治集団が自らの方向感覚を失うとき、その集団のメンバーも指導者も、思うままに大衆志向的なエリートによって虜とされる。「独裁の野望に燃えた集団にすきを与えるのは、現代大衆社会に遍在するこの方向の喪失なのである」(Mannheim)。

引用文(レーデラー1)参照。

「日本における保守主義の死期」も迫っていなければ幸いです。

2010年6月19日

ウィリアム・コーンハウザー 『大衆社会の政治』 (東京創元社)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

書名はかなり前から知っていたものの、なかなか手に取る機会が無く、読むことのなかった本書だが、たまたま古書店で見かけて、結構安かったので買ってみた。

1959年に出た大衆社会論の本。

まず冒頭で、これまでの大衆社会論を貴族主義的大衆批判と民主主義的大衆批判とに分ける。

貴族主義的大衆批判者はエリートの排他性・隔離性の喪失とその地位を大衆が簒奪することによる社会の文化的政治的劣化を非難する。

挙げられている代表者はブルクハルトル・ボンオルテガなど(バークもそうか)。

それに対し、民主主義的大衆批判者は社会の平等化それ自体は問題視せず、国家と個人の間にある中間組織が崩壊して民衆が原子化・孤立化し、極めて煽動に弱く操作されやすくなることを指摘する。

代表者はレーデラー、ハンナ・アレント(加えて、『自由からの逃走』の著者フロムなども含むか。なおレーデラーは上記リンク先記事では貴族主義的批判に近い面も持っているように思えた)。

トクヴィルは両方の面を持っているとされる。)

著者はこの双方の認識が共に重要であり、それぞれ補完し合うことが必要だとしている。

簡単に言うと、前者はエリートへの接近可能性を批判し、後者は非エリートの操縦可能性を問題視する。

本書では、この二つの基準の強弱で社会を四つの種類に分類している。

まず支配層が世襲原理や身分制によって確固とした状態に保護・隔離され、同時に民衆が身分・宗教組織・地域社会・各種組合によって固く拘束され、集団煽動に乗せられにくい社会がある(この場合エリートへの接近可能性および非エリートの操縦可能性ともに小)。

基本的に前近代の社会がこれに属するが、著者はこれを「共同体的社会」と呼ぶ。

「進歩」への可能性は乏しいが、一番安定していて最も危険の少ない社会でもある。

近代以降、民主化が徐々に進展し、多くの民衆が政治に参加するようになるが、国家以外の様々な中間団体が勢力を均衡させながら存在し、民衆がその団体に属することによって欲求や価値観を自制しているのが「多元的社会」であり、著者はこれを最も望ましい社会と考えている模様(ここではエリートへの接近可能性大、非エリートの操縦可能性小)。

しかし、民衆が原子化・孤立化すると極めて情緒的で煽動に乗ぜられやすくなり、ここにエリートへの接近可能性・非エリートの操縦可能性ともに大となる「大衆社会」が成立する。

そこでは暗示やプロパガンダで煽動されたことを自らの意志や選択だと信じ込んだ大衆が中間組織による媒介や干渉も無しに、無分別な要求や感情を直接的に社会の指導層にぶつける(その際大衆煽動に利用されるイデオロギーや宣伝文句の左右を問わない)。

同じくエリートへの接近可能性が大だと言っても、多元的社会の民衆の政治参加が定期的な選挙など厳格なルールに則った間接的なものなのに対し、大衆社会では暴力・脅迫・誹謗中傷・示威行動などしばしば無規則・非常識なものとなる(今で言えば、本来複雑な問題について、回答者の資質を問わずに単純な世論調査の結果を絶対視することなどもそうか)。

当然、このような社会は極めて不安定で、政治的経済的危機に対しては著しく脆弱である。

様々な大衆運動が惹起し、社会が混乱を極める中、それを利用して大衆志向的な全体主義エリートが台頭し、遂には彼らが社会全体を転覆、既存のエリートを追放・抹殺し、支配権を手中に収める。

こうして成立した「全体主義社会」はエリートへの接近可能性は小、非エリートの操縦可能性は大である。

ここでは国家に抵抗力を持つ中間団体はすでに消滅しており、統制の容易な、バラバラに孤立した個人しか存在しない。

全体主義エリートはイデオロギー闘争や対外戦争などの緊張状態に大衆を置いて、自発的組織を発達させる隙を与えないようにするだけで、全能の支配権を振るうことができ、社会は国家権力に押し潰され、いかなる制約要因も持たない最悪の独裁制が誕生する。

近代以降の歴史はまさに以上の通り進行したように思える。

人間の平等という概念が独裁や全体主義に対する防壁になるのではなく、多数決原理を梃子にして、むしろその勝利の前提条件となってしまうパラドクスを明解に説明している。

本書では続けて、以上四つの社会類型における文化や個人的パーソナリティの分類、階級社会論との関わり、欧米諸国の具体的大衆運動の検証などが記されている。

あと、大衆行動の特性として、疎外感や不平不満を持った人間が、個人的経験や日常生活から遠く隔たった問題に自立性・現実感・責任を欠く形で直接的情緒的に関わることだ、などと書かれていて、ああ自分もこういう傾向があるなあ、私も間違いなく「大衆」だなあと反省させられた。

非常に良い。

近現代の世界史を見る基本的視座を提供してくれる本。

著者がアメリカ人ということもあって、叙述がやや民主主義的大衆批判に傾きがちであるのが気になったり、オルテガなどは精神主義的大衆批判とでも言うべきではないかとの批判も別の本で読んだこともあるが、やはり必読書と言える。

しかし、これが新刊ルートで手に入らないのは極めて遺憾。

中公文庫か講談社学術文庫、ちくま学芸文庫のどれかに収録されて常時在庫されるべき本。

なんとかしてもらえませんかね・・・・・。

[以下引用、一部変更有り]

「社会の諸条件が平等である国におけるほど、絶対的な独裁政治を打ち建てるのに容易なところはない、と私は思う。さらにもしこのような政治が、いったんそのような国民の間に確立したならば、その政治は人々を抑圧するだけでなく、ついには各人から人間としての最高の品位をいくつか奪い去ってしまうだろう、と私は考える。」[トクヴィル]

「大衆が指導者に圧力をかけうるあいだは、もろもろの価値は次から次へと犠牲に供されねばならない。地位、財産、宗教、すぐれた伝統、高い学殖などの価値が。」[ブルクハルト]

「ニーチェの予言したごとく、民主主義的な平等の権利が普及すれば、お互い平等に、権利を気やすく蹂躙できるようになる。」[Viereck]

「これまで文明というものは、小数の知的貴族階級によって創造され、導かれてきたのであって、けっして群集によっておこなわれたのではない。群集が力を示すのは破壊においてだけである。」[ル・ボン]

「保守的傾向をもった人たちの大きな誤りの一つは、真の共同体への欲求をかれらがなおざりにしてきたことだと思う。」[Kirk]

「第一次世界大戦いらい、ほとんどすべての西欧諸国が深刻な困難に直面してきているが、スカンジナビア、オランダ、イギリス連邦の立憲君主国家のほうが、フランス、ドイツ、スペイン、イタリアなどの共和国よりも辛抱づよく、自由の秩序を守りとおすことにかけて、より大きな能力のあることを示したことは、意味深長なことと私は考える。少なくとも示唆的であることはたしかである。・・・・・はかりがたい権力の雲散霧消、集会と大衆的有権者への完全な依存、これらが国家の二つの機能の間に成り立っていた力のバランスを破ってしまった。執行部は物質的ならびに精神的権力の両方を失ってしまった。集会と大衆的有権者が有効な権力を独占してしまった。」[リップマン。ただしコーンハウザーはこの文章を貴族主義的批判に傾きすぎた例として引用している。]

「ヨーロッパの民主化は同時に独裁者を育てあげる意図せざる準備である」[ニーチェ]

貴族主義的批評家も民主主義的批評家もともに認めていることは、大衆社会は伝統的な独裁形態に対してよりも、全体主義に対して脆弱だということである。ナチズムと共産主義とが台頭するずっと以前に、ドゥ・トックヴィルは大衆社会のもつ著るしい脆弱さを指摘していた。かれは次のように記している。

現在民主国家を脅かしている圧迫は、世界にかつて存在したいかなる圧迫とも異なったものだと私は考える。・・・・・それについて私が抱いた思想を、遺漏なく正確に伝えうる表現を私はさがすのだが、うまくみつからない。独裁主義(デスポティズム)、僭主制度(ティラニイ)といった昔からの言葉も適切でない。事柄自体が新しいのである。

大衆社会を論じた最近の一批評家は次のように記した。すなわち現代の全体主義は「民衆の熱狂の上に築かれた独裁であり、その意味で、神権を享受した王や、成り上がりの僭主によって行使された絶対権力とはまったく異なるものだ」と(Talmon)。特にレーデラーとアレントとの二人は、大衆社会が全体主義に脅かされていることを強調した。かれらの主張によれば、大衆社会は自由主義的支配形態だけでなく、真に権威主義的な支配形態の発展をも阻止する。なぜならば制度としての権威主義は、たとえ中央集権化されたものであっても、その権力には限度があるからである。

民主主義に敵対的な大衆運動は、民主主義に敵対する伝統的な運動からも、きっぱり区別されねばならない。すべて反民主的なイデオロギーが、大衆志向的なものだとはかぎらない。君主制政党――たとえばイタリアのP・N・M[全国王党]――は大衆運動ではない。ナチ以前のドイツ保守党のように、ヨーロッパの貴族主義的政党も大方、大衆志向的なものではない。主として上流階級によるこの種の民主主義への抵抗は、イタリアにおけるファシズム、ドイツにおけるナチズムおよび所を選ばず活動している共産主義運動などに要約される反民主的大衆運動とは大変異なったものである。これらの大衆運動に特徴的なことは、民主的制度や制度的自由に対する人民主義的な攻撃にある。それらは真底から革命的である。なぜならば、貴族的ないし神権的な支配のある形態を復活させようとするのではなく、政治権力に課せられるあらゆる制度的制約を撤廃しようとするものだからである。

共同体や団体の衰微は、大衆運動が権力に課せられる制度的拘束を打破し、権力の在り方を変革する絶好のチャンスとなる。そんなわけで、全体主義は大衆の支持を土台とした独裁であり、かつ集権化した組織のエリート支配を土台としたものであるが、その著るしい特徴は、それが断えざる動員状態におかれている大衆運動であり、生活の全領域を支配しようとするものだということである。全体主義的独裁は、伝来の法律や規範(伝統的権威主義はこれによって拘束される)によっても、さらには統治機能の限界(古代の僭主制にはこれがある)によっても制約を受けない全体的支配をめざすものである。なぜならば、全体主義的独裁は国家と社会のけじめを認めないからである。全体主義に課せられる唯一の拘束は、大多数の民衆を、エリートによって統制された不断の活動状態に配置しておかねばならないことだけである。

2010年6月17日

引用文(内田樹4)

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内田樹『日本辺境論』(新潮新書)より。

(赤字は原文傍点)

今、国政にかかわる問いはほとんどの場合、「イエスかノーか」という政策上の二者択一でしか示されません。「このままでは日本は滅びる」というファナティックな(そしてうんざりするほど定型的な)言説の後に、「私の提案にイエスかノーか」を突きつける。これは国家、国民について深く考えることを放棄する思考停止に他なりません。私たちの国では、国家の機軸、国民生活の根幹にかかわるような決定についてさえ、「これでいいのだ」と言い放つか、「これではダメだ」と言い放つか、どちらかであって、情理を尽くしてその当否を論じるということがほとんどありません。・・・・・

そうしたときにとっさに口にされる意見は、自分の固有の体験や生活実感の深みから汲みだした意見ではありません。だから、妙にすっきりしていて、断定的なものになる。

人が妙に断定的で、すっきりした政治的意見を言い出したら、眉に唾をつけて聞いた方がいい。これは私の経験的確信です。というのは、人間が過剰に断定的になるのは、たいていの場合、他人の意見を受け売りしているときだからです。

自分の固有の意見を言おうとするとき、それが固有の経験的厚みや実感を伴う限り、それはめったなことでは「すっきり」したものにはなりません。途中まで言ってから言い淀んだり、一度言っておいてから、「なんか違う」と撤回してみたり、同じところをちょっとずつ言葉を変えてぐるぐる回ったり・・・・・そういう語り方は「ほんとうに自分が思っていること」を言おうとじたばたしている人の特徴です。すらすらと立て板に水を流すように語られる意見は、まず「他人の受け売り」と判じて過ちません。

断定的であるということの困った点は「おとしどころ」を探って対話することができないということです。先方の意見を全面的に受け入れるか、全面的に拒否するか、どちらかしかない。他人の受け売りをしている人間は、意見が合わない人と、両者の中ほどの、両方のどちらにとっても同じ程度不満足な妥協点というものを言うことができない。主張するだけで妥協できないのは、それが自分の意見ではないからです。

2010年6月15日

ジェームズ・メイヨール 『世界政治  進歩と限界』 (勁草書房)

Filed under: 国際関係・外交 — 万年初心者 @ 06:00

去年の春ごろ、読売新聞の書評で見て「これは読むべき本だ」と思ったのだが、それきりになっていた本書を一年以上経ってようやく手に入れた。

著者は、体系化・制度化と自然科学的な理論的精緻さを重視するアメリカの国際関係論主流とは距離を置き、歴史と古典的教養を根底に置く英国学派に属するイギリス人の国際政治学者。

冷戦後の状況を踏まえた、主権・ナショナリズム・民族自決・民主主義・人道的介入などに関する考察。

主権と内政不干渉の原則が依然として重要であり、国際社会で為し得ることの限界を強く意識するプルラリスト(多元主義的)見解を支持し、理念・イデオロギーや人権・民主主義などの普遍的価値のためなら上記原則を乗り越えるのも許されるとするソリダリスト(連帯主義的)見解に懐疑的な目を向ける。

民主的な政治文化を欠いておりしかも非常に分裂した社会では、選挙による政治を導入したことによってかえって暴政への道が開かれたり、まさに選挙が防ごうとした類いの暴力的紛争が引き起こされたりした。

もちろん問題は、ある種の条件下では、民主化という治療の方が権威主義という病よりも悪いことがあるということである。

・・・・・人民主権の国々からなる国際社会では、君主たちのクラブよりも、相互に内部へ浸透する力は強いが、その異質性は大きい。そして君主からなる社会よりも進化する潜在力が強いが、文化的誤解や相互の憎悪やポピュリスト的排外主義を生みやすい環境でもある。

著者のこうしたごく大まかな主張は理解できたが、本文を読みながら少し脇道に入った論旨や見解がちょっと把握しづらい。

全く理解できないということもないが、かなり注意して読まないと頭が混乱する。

1990年代、冷戦終結後のイラク・カンボジア・ソマリア・ボスニア・コソヴォなどでの民族紛争についての知識が無いとわかりにくいでしょう。

私自身、内容を全て十分に理解したとは言えません。

一点だけ、本題から大きく外れた周辺的な事項をメモすると、米ソ冷戦時代には民族紛争が凍結されており、「旧植民地の一回限りの独立」以外で分離独立した民族は90年代まではほとんど無く、バングラデシュがその唯一の存在だが、それもインドという強力な支援者がいた故だったと書いているのが印象に残った。

(ナイジェリアのビアフラやコンゴのカタンガ、エチオピアのエリトリアなどが失敗例として挙げられている。エリトリアは冷戦後1993年独立。)

余談ですが、インダス文明の遺跡の多くが現在の領土でいうとインドではなくパキスタンにあることは典型的ひっかけ問題ですが、古代以来1947年印パ分離独立までの「インド史」は現パキスタン領も含むことと、独立後71年第3次印パ戦争と72年バングラデシュ独立まではパキスタンはインドを挟んで東西に領土を持っていたことにご注意。

短い割にはレベルはやや高い。

私には少し難しい部分もあり、期待したほどの面白さは無かった。

人にもよると思いますので、一度手に取ってご覧下さい。

2010年6月13日

引用文(アリストテレス1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

アリストテレス『政治学』(中公クラシックス)より。

現在多種多様の国家体制ができてしまっているが、これは、すべての人々は正義つまり比例的平等が行なわれなければならないとする原則において意見の一致をみているが、それを実際にどうするかということになると間違う(考えが分かれる)・・・・・からである。

すなわち民主制が生じてきたのは、なんらかの点で平等であればそれでもう絶対的に平等であるという人々の考えが基盤になっている――事実、人々は、自分たちがみんな自由市民という点で同等であることから、それでもう絶対的に平等であると思ってしまう――。

これにたいして寡頭制は、ある一点で優劣の差があればそれでもう無条件の差別があるのだとする考えが人々にあるところから生じてきたのである――事実、人々は、財産の点で優劣の差があれば、それでもう自分たちは絶対的に他の者とはちがうと思いがちである――。

そして、一方のものは自分たちが平等であるという考えで万事に平等の参与を要求する。これにたいして、他方のものは、自分たちはちがうという考えで「より多く」の配分を得ようとする――「より多く」はすなわち差をつけること(等しくないこと)だから――。

これら民主制、寡頭制いずれの体制も、ある意味の正当性はもっているが、しかし絶対的に正しいというものではない。これが原因となって、民主派も寡頭派も、その国政への参与のあり方が、かれらそれぞれがたまたまもっている正義観に合致しない場合、国内分裂(内乱)を起こすのである。

だが、同じ内乱を起こすといっても、徳の点で優越した人がそうするなら、それは誰の場合よりも正当なことだろう――もっとも、この人たちがそういう挙に出る可能性はほかの誰よりも少ないが――。なぜなら、この人たちだけは余人と同じでないことが絶対的だと見なしてすこしもさしつかえのない人たちなのだから。

2010年6月10日

アリストテレス 『政治学』 (中公クラシックス)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

プラトン『国家』に続けて類書を片付ける。

この中公クラシックス版は、「世界の名著」シリーズの翻訳を転用したもので、抄訳。

岩波文庫や京都大学学術出版会の「西洋古典叢書」には全訳本も収録されているが、とりあえずこれで済ませることにする。

高校の倫理(政経?)の時間で出てきたように、すべての国制を、統治者の数によって三種類、正しいものと邪道にそれたものによって二種類にわけ、合計六つに分類しているのが特徴。

王制と僭主独裁制、貴族制と寡頭制、国制(共和制)と民主制。

最後のものを民主制と衆愚制と書いている本もあるが、本書では多数者が公共の福利に留意して国事を行う正しい政体を、六種類すべてに共通する名称である「国制(ポリーテイアー)」(共和制)と呼び、その堕落形態が民主制であるとしている。

最初からじっくり読み進んでいくと、特に難解な部分や意味の取れない文章は無い。

哲学者の頭の中でしか存在しない理想国家ではなく、現実にあり得る限りの最善の国制を追求し、「中庸」を重んずる立場であろうから、読んでいてすぐ気付くのが、プラトンほど民主制に対して否定的ではないということ。

邪道にそれた三つの政体のうちでは、民主制が一番安定していると書いている。

後は、貴族制とは寡頭制と民主制の混合形態だとか、僭主独裁制は極端な寡頭制と極端な民主制が合体したもので、両者の害悪を併せ持つだとか、それぞれの政体の特徴や同じ政体の中でのヴァリエーション、相互の比較対照について、あれこれ述べてある(以上ややうろ覚え気味です)。

プラトンに比べてると、現在の通俗的見解からの距離は近い方ではあるが、その分あまり面白くない。

読み進むのはさして困難ではないが、真ん中辺りまでは少し退屈。

以後興味深い文章が出てくるようになりましたが、読み終えてもプラトン『国家』ほどの充実感は無かった。

全訳を読むべきなのかもしれませんが、どうもやる気が出ません。

また別の種類の民主制は、他の点ではいまのと同じだが、国制を左右する力をもっているのが大衆であって法律ではない、というものがある。これは、大衆の票決が力をもって法律がこれをもたない場合に起こることである。そしてそういう結果になるのは、民衆煽動家(デマゴーグ)の影響によってなのである。なぜなら法律にもとづいて民主制が行われている国においては、民衆煽動家は現われないで、市民のなかで最もすぐれた人々が重要な地位を占めているが、法律が力をもっていないところでは民衆煽動家が現われるものだからである。というのは、そういうところでは民衆は、多人数の集団が一人の人間のようになって、単独支配を行うことになるからである。つまり多くの人が個人個人としてではなく、総勢として主権者となるからである。

・・・・・とにかくいまいったような種類の民衆は、単独で支配するものだし、法律に支配されないということもあって、単独支配を行うことを求め、やがて専制的になり、その結果取り巻きが尊重されることになる。こうしてこの種の民衆(民主制)はいろいろな単独者支配制のなかでは(僭主の)独裁制に対比すべきものであるということになる。それゆえこの両者は性格も同じであり、両者ともに自分たちよりすぐれた人々を専制的に支配し、大衆の票決は独裁者の命令に当たるものであり、民衆煽動家と取り巻きは、同じものでありまた対応している。またこの両者はいずれもそのそれぞれのところで、すなわち取り巻きは独裁者のところで、民衆煽動家はこれに対応する一般民衆のところで、最も大きな力をもっている。そして最終的に決定権をもっているのが大衆の票決であって法律ではない、ということにしてしまった張本人はこの民衆煽動家たちであり、そのようになったのはかれらが何事もすべて一般民衆のところへもちこむということによってであった。つまりなぜならかれらが大きな勢力をもつことになるのかといえば、万事を決定する支配力は一般民衆にあるが、その一般民衆の意見を決定する力はかれら民衆煽動家の手中にあるからで、それは大衆はかれらの言に左右されるからである。

そのうえにまた、政府当局を非難する人々は、一般民衆がことを決定しなければならないと主張し、一般民衆のほうは喜んでその申し出を受け入れる。こうしてすべて支配体制が解体されるのである。そしてこのような民主制はもはや国家の体制をなしていないと主張する人は道理にかなった非難をしているように思われるであろう。なぜなら、法律が支配していないところには、国家の体制は存在しないからである。なぜなら法律が一般的なことがらのすべてを支配し、政府が個々のことがらを支配するというのでなければならず、このようなものこそ国家体制であると判断しなければならないからである。したがってもし民主制が国家体制の一つであるならば、万事が大衆の票決だけで片づけられるような状態にあるものは、本来の意味での民主制でさえない、ということは明らかである。なぜなら大衆の票決はどんなものでも決して一般性をもつものではありえないからである。

エドマンド・バーク『フランス革命の省察』(みすず書房)引用文参照。

2010年6月8日

引用文(プラトン2)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

プラトン『国家 下』(ワイド版岩波文庫)より。

「ひとりの青年が、さっきわれわれが言っていたように、教育をかえりみず万事物惜しみする環境のなかで育てられたのち、ひとたび雄蜂どもの与える蜜の味をおぼえたとき、そしてそういう烈しく恐ろしい動物たちと――彼らは多彩にして多様な、あらゆる種類の快楽を提供するすべを心得ているのだが、そういう動物たちと――交わるようになったとき、おそらくそのときにこそ、彼自身の内なる寡頭制が民主制へと移行する、その変化の始まりがあるのだと思ってくれたまえ」

・・・・・・・

「こうしてついには、思うにそれらの欲望は、青年の魂の城砦(アクロポリス)を占領するに至るだろう。学問や美しい仕事や真実の言論がそこにいなくて、城砦が空になっているのを察知するからだ。これらのものこそは、神に愛される人々の心の内を守る、最もすぐれた監視者であり守護者であるのに」

・・・・・・・

「いまやそれらのものに代って、思うに、偽りとまやかしの言論や思わくが駆け登ってきて、そのような青年の中の同じ場所を占有することになるのだ」

・・・・・・・

「そしてこのまやかしの言論たちは、それらの徳を追い出して空っぽにし、自分たちが占領して偉大なる秘儀を授けたこの青年の魂を洗い浄めると、つぎには直ちに、<傲慢><無統制><浪費><無恥>といったものたちに冠をいただかせ、大合唱隊を従わせて輝く光のもとに、これを追放から連れもどす。<傲慢>を『育ちのよさ』と呼び、<無統制>を『自由』と呼び、<浪費>を『度量の大きさ』と呼び、<無恥>を『勇敢』と呼んで、それぞれを美名のもとにほめ讃えながら――・・・・・」

・・・・・・・

「ただし、真実の言論(理・ことわり)だけは」とぼくは言った、「けっして受け入れず、城砦の見張所へ通すこともしない――かりに誰かが彼に向かって、ある快楽は立派で善い欲望からもたらされるものであるが、ある快楽は悪い欲望からもたらされるものであって、前者のような快楽は積極的にこれを求め尊重しなければならないが、後者のような快楽はこれを懲らしめて屈従させなければならない、と説き聞かせることがあってもね。そういうすべての場合に彼は、首を横にふって、あらゆる快楽は同じような資格のものであり、どれもみな平等に尊重しなければならないと、こう主張するだ」

「そうです」と彼は言った、「間違いなく彼は、そのような心の状態でそのような態度をとるものです」

「こうして彼は」とぼくはつづけた、「そのときどきにおとずれる欲望に耽ってこれを満足させながら、その日その日を送って行くだろう。あるときは酒に酔いしれて笛の音に聞きほれるかと思えば、つぎには水しか飲まずに身体を瘠せさせ、あるときはまた体育にいそしみ、あるときはすべてを放擲してひたすら怠け、あるときはまた哲学に没頭して時を忘れるような様子をみせる、というふうに。しばしばまた彼は国の政治に参加し、壇にかけ上って、たまたま思いついたことを言ったり行ったりする。ときによって軍人たちを羨ましく思うと、そちらのほうへ動かされるし、商人たちが羨ましくなれば、こんどはそのほうへ向かって行く。こうして彼の生活には、秩序もなければ必然性もない。しかし彼はこのような生活を、快く、自由で、幸福な生活と呼んで、一生涯この生き方を守りつづけるのだ」

「まったくのところ」と彼は言った、「平等を奉ずる人間の生活というものは、あなたがいま述べたとおりのものです」

2010年6月6日

引用文(プラトン1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

プラトン『国家 下』(ワイド版岩波文庫)より。

「・・・・・君も気づいていると思うが、年端も行かぬ者たちがはじめて議論の仕方の味をおぼえると、面白半分にそれを濫用して、いつももっぱら反論のための反論に用い、彼らを論駁する人々の真似をして自分も他の人たちをやっつけ、そのときそのときにそばにいる人々を議論によって引っぱったり引き裂いたりしては、小犬のように歓ぶものだ」

「ええ、異常なほどにね」と彼は言った。

「こうして、みずから多くの人々を論駁するとともに、他方また多くの人々から論駁されているうちに、彼らは、以前信じていたものを何ひとつ信じられなくなるという状態へと、はげしくまた急速に落ちこんで行く。そしてまさにこれらのことから、彼ら自身だけでなく哲学に関するすべてが、他の一般の人々から不信の目で見られることになるのだ」

「おっしゃることはこの上なく真実のことです」と彼は言った。

「しかし、もっと年輩の者なら」とぼくは言った、「そのような気違いじみたことをする気にもならないだろうし、遊戯のために面白半分で相手を反論する人を真似るよりは、対話によって真実を考察しようとする人をこそ真似るだろう。そして自分自身もより節度ある人間になるとともに、この営みを軽蔑から救って、より尊重されるものとすることだろう」

「それが正しいあり方です」と彼は言った。

「それでは、先に言われたこともすべて、このことの用心のために言われたのではないか?すなわち、こうした言論を習うことを許されるのは、生まれつきの素質において端正な、しっかりした人々でなければならず、現在のように誰でも行き当たりばったりの、まったく不適当な者がそこへ赴くことがあってはならないということだ」

「まったくそのとおりです」と彼は言った。

2010年6月3日

プラトン 『国家 下』 (ワイド版岩波文庫)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

上巻に続けて取り組む。

哲学無用論と偽哲学者への批判、哲人統治者のための教育プログラム、善のイデアに関する「太陽の比喩」と有名な「洞窟の比喩」、と来て、続いて国家の諸形態を論ずる部分が出てくる。

哲人王が統治する理想国家としての優秀者支配制が、名誉支配制(スパルタなど)→寡頭制(金権・富者支配制)→民主制→僭主独裁制という順に堕落していく有様が述べられる。

本書では、この国制に関する部分が一番面白かった。

以後、詩・演劇に対する批判・告発があり、最後に現世と死後における正義の報酬を述べて大団円を迎える。

この下巻も、途中かなりサボった日もあったにも関わらず、一週間弱で読めた。

非常に良い。

内容的には、現在の社会で理想とされる自由民主主義とは適合しない叙述が多い。

しかし、ある人が言っていたように、そもそも政治哲学が民主主義批判と共に始まったことの意味を深く考えさせられる。

私でも楽に通読できたのだから、騙されたと思って皆様も手に取ってみて下さい。

これだけの古典だけあって、読み終えた後、非常な充実感がある。

どう考えても以下引用文中の「巨大な動物」の一員でしかありえない私としては、一瞬だけ自分自身を反省する気持ちになります。

文字通り「一瞬」だけで、次の瞬間には普段通り何も考えない状態に戻るのが私の限界ですが。

政治哲学の古典中の古典として、やはり一度は通読しておいていいんじゃないでしょうか。

是非お勧め致します。

 

 

「彼ら大衆が国民議会だとか、法廷だとか、劇場だとか、陣営だとか、あるいはその他、何らかの公に催される多数者の集会において、大勢いっしょに腰をおろし、大騒ぎをしながら、そこで言われたり行われたりすることを、あるいは賞賛し、あるいは非難する――どちらの場合も、叫んだり手を叩いたりしながら、極端な仕方でね。さらに彼ら自身に加えて、岩々や彼らのいる場所までが、その音声を反響して、非難と賞賛の騒ぎを倍の大きさにするのだ。

このような状況のただなかにあって、若者は、諺にも言うように、『いったいどのような心臓(こころ)になる』と思うかね?個人的に受けたどのような教育が、彼のために抵抗してくれると思うかね?そんな教育などは、このような非難・賞賛の洪水のために、ひとたまりもなく呑みこまれて、その流れのままにどこへでも流されて行ってしまうとは思わないかね?そしてその若者は、彼ら群衆が美しいと主張するものをそのまま美しいと主張し、醜いと主張するものをそのまま醜いと主張するようになり、彼らが行なうとおりのことを自分の仕事とするようになり、かくて彼らと同じような人間となるのではなかろうか?」

「そうです、ソクラテス」とアデイマントスは答えた、「それはまったく避けられないことです」

 

 

 

「例の、賃銭をもらって個人的に教えるほうの連中、――この連中のことをしも、彼ら大衆はソフィストと呼んで、自分たちの競争相手と考えているのだが、そのひとりひとりが実際に教えている内容はといえば、まさにさっき話したような、そういう大衆自身の集合に際して形づくられる多数者の通念以外の何ものでもなく、それが、このソフィストたちが『知恵』と称するところのものにほかならない、ということだ。

それはたとえば、人が、ある巨大で力の強い動物を飼育しながら、そのさまざまの気質や欲望について、よくのみこむ場合のようなものだ。この動物にはどのようにして近寄り、どのようにして触れなければならないか。どういうときにいちばん荒々しく、あるいはおとなしくなり、何が原因でそうなるのか。どういう場合にそれぞれの声を発する習性があるか。逆に、こちらからどういう声をかけてやれば、おだやかになったり、猛り立ったりするか、等々。

こういったすべてのことを、長いあいだいっしょにいて経験を積んだおかげで、よくのみこんでしまうと、彼はこれを『知恵』と呼び、ひとつの技術のかたちにまとめ上げたうえで、それを教えることへと向かうのだ。その動物が考えたり欲したりする、そういったさまざまのもののうち、何が<美>であり<醜>であるか、何が<善>であり<悪>であるか、何が<正>であり<不正>であるかについて、真実には何ひとつ知りもせずにね。こうした呼び方のすべてを、彼はその巨大な動物の考えに合わせて用いるのだ。つまり、その動物が喜ぶものを『善いもの』と呼び、その動物が嫌うものを『悪いもの』と呼んで、ほかにはそれらについて何ひとつ根拠をもっていない。要するに、必要やむをえざるものを『正しい事柄』と呼び『美しい事柄』と呼んでいるだけのことであって、そういう<必要なもの>と<善いもの>とでは、その本性が真にどれほど異なっているかについては、自分でも見きわめたことがないし、他人にも教え示すことができないのだ。

――さあ、教育者がこのようなありさまだとしたら、ゼウスに誓って、まことに奇妙な教育者だとは思わないかね?」

「ええ、たしかに」と彼。

「それでは、種々雑多な人々の集まりからなる群衆の気質や好みをよく心得ていることをもって、<知恵>であると考えている者――それは絵画の場合でも、音楽の場合でも、それからむろん政治の場合でもそうだが――そういう者は、いま述べたような動物飼育者とくらべて、いささかでも違うところがあると思うかね?実際、もし誰かがそういう群衆とつき合って、自分の詩その他の製作品や、国のための政策などを披露し、その際必要以上に自分を多数者の権威にゆだねるならば、そのような人は、何でも多数者がほめるとおりのことを為さざるをえないのは、まさに世に言うところの『ディオメデス的強制(必然)』だろうからね。けれども、その多数者がほめることが、ほんとうに善いことであり美しいことであるという理由づけの議論となると、君はこれまでそういう連中のうちの誰かから、噴飯ものでないような議論を聞いたことがあるかね?」

「いいえ」と彼は言った、「将来も聞くことはないだろうと思います」

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