万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年5月31日

プラトン 『国家 上』 (ワイド版岩波文庫)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

『ソクラテスの弁明・クリトン・パイドン』を読んだ後は『饗宴』あたりでも読むべきかもしれないが、面倒くさいのでいきなり主著に行ってしまえと、これを手に取る。

挫折するかもしれないがその時はしばらく本棚の飾りとして置いておくのも悪くないだろうと思って、買ってみた。

分厚い文庫本、上・下二巻でついつい気後れするが、実際取り組んでみると、事前に思っていたよりもはるかに楽に読めた。

ソクラテスの一人称を基本に、対話体で語られる文章は哲学書とは思えないほど読みやすい。

これを普通に面白く読めたということに何より驚いた。

藤沢令夫先生の翻訳がすごくいいんでしょうね。

最初に「全篇の構成」が載っていて、まともに見ると気圧されるが、これは読み終えてから内容を思い出すために見ることにして、初めは無視。

上巻では、正義とは何か、それは不正よりも不利ではないかという問題から始まり、国家における知恵・勇気・節制・正義を検討し、これら四つの徳が個人の中にも当てはまることを述べ、魂の三区分として理知的部分・気概的部分・欲望的部分を提示し、それぞれを国家における統治者階級・戦士階級・生産者階級に対比し、徳とは魂の健康にあたるものであるとし、理想国家と哲人政治の構想を述べて、この巻はお仕舞い。

全編ソクラテスとの対話という形で進められるが、同席者はおとなしく御説拝聴する人物ばかりではなく以下のトラシュマコスのように論敵のような態度で接する人物もいる。

「何というたわけたお喋りに、さっきからあなた方はうつつをぬかしているのだ、ソクラテス?ごもっとも、ごもっともと譲り合いながら、お互いに人の好いところを見せ合っているそのざまは、何ごとですかね?もし〈正義〉とは何かをほんとうに知りたいのなら、質問するほうにばかりまわって、人が答えたことをひっくり返しては得意になるというようなことは、やめるがいい。答えるよりも問うほうがやさしいことは、百も承知のくせに!いやさ、自分のほうからも答を提出しなさい。あなたの主張では〈正義〉とは何なのか、ちゃんと言いなさい!・・・・・」

「けだし、そうすればソクラテスは、いつもの流儀をまんまと押し通せるわけだ。自分では答えようとせずに、人が答えると、その言葉をつかまえてやりこめるという、お得意のやり方をね」

このトラシュマコスが提出した「正義とは強者の利益になることである」という主張への反駁などの、ソクラテス(の口を借りたプラトン)の弁論を素直に追っていくだけでも十分興味をそそられる。

「統治階級内における子女の共有」とか、統治者には被治者には決して許されない嘘を述べることが許されるという、いわゆる「高貴な嘘」の主張などにはギョッとしてしまうが、今の感覚で引っかかっても無意味だとも思う。

また、そうした極端な主張の中にも、当時のアテネや現代の社会に対する批判や皮肉を読み取ることも可能だと感じる。

最初はあまり難しいことを考えず、問答法のレトリックを楽しむくらいの気持ちでいたらいいと思う。

かなりサボりながら読んでも、通読に一週間かからなかった。

集中したら3、4日で読めると思う。

臆せずまず手に取ってみるべき。

私程度の読者でも十分楽しんで読めたのだから間違いない。

哲学書といっても、政治哲学とそれ以外、前近代と近代以降の本を比べると、それぞれ前者に属するものなら、初心者でもまだしも読める。

この分なら下巻も挫折せずに読めそうです。

「しかし、一般の名もない人たちや手職人たちばかりか、自由教育を身につけたと称する人たちまでもが、最高の腕をもつ医者や裁判官を必要としているということ、――いったい、一国における教育が悪しき恥ずべき状態にあることを告げる証拠として、これよりももっと大きなものを何か君は見出すことができるかね?そもそも君には、自分が用いるべき正義を他の人々から借り入れざるをえず、そういう他人をみずからの主人・判定者となし、自分自身の内には訴えるべき正義を何ももたないという状態が、恥ずべきことであり、無教育の大きな証拠だとは思えないかね?」

「それはもう、何よりも恥ずべきことだと思います」と彼は答えた。

「次の場合よりも、もっと恥ずべきだと思うというのかね?」とぼくは言った。「すなわちそれは、生涯の大部分を法廷で訴えたり訴えられたりしながら費やすだけでなく、低俗な好みのために、まさにそうすること自体を得意がるような考えを植えつけられている場合だ。自分は不正を犯すことにかけては腕ききで、あらゆる仕方で身をかわし、あらゆる抜け道を通り抜けて、身をしなわせながら罰を受けないように逃れるだけの腕をもっているのだ、とね。それも、些細でまったくつまらない事柄のためにだよ。それというのもほかではない、そういう人は、自分自身の生涯を、居眠りしている裁判官など少しも必要としないようなものにするほうが、どれだけ美しく善いことであるかということを知らないからなのだが」

「そうするとどうやら」とぼくは言った、「守護者たちとしては、どこかそのあたりに見張所を建てなければならないようだね――つまり音楽・文芸のなかに」

「たしかに、法に反したことでも音楽・文芸におけるそれは」と彼は言った、「やすやすと気づかれずに忍びこんでくるものですからね」

「そう」とぼくは言った、「自分では娯楽にすぎないというようなふりをして、何ひとつ悪事をはたらかないような顔をしてね」

「事実またそれは、ほかには何もしないのですからね」と彼は言った、「こういう大へんなことを別にすれば。――すなわち、そういう音楽・文芸における違法というものは、少しずつ入りこんできては住みつき、じわじわ目立たぬように人々の品性と営みのなかへ流れこんで行く。そしてそこから出てくるときには、もっと大きな流れとなっていて、こんどは契約・取引上の人間関係の分野を侵すことになり、さらにそこから進んで法律や国制へと、ソクラテス、大へんな放縦さをもって向かって行き、こうして最後には、公私両面にわたるすべてを覆すに至るのです」

「まことに大したものだね、グラウコン」とぼくは言った、「あの反論術の威力たるや!」

「いったいどうしてなのですか?」

「ほかでもない」とぼくは言った、「多くの人々が、自分ではそんなつもりでなくてもその中にはまりこんでしまって、実際には口論しているだけなのに、そうではなくて自分はまともな対話をしているのだ、と思いこんでいるようにぼくには見えるからだ。それというのも、彼らは論題になっている事柄を、その適切な種類ごとに分けて考察することができずに、ただ言葉尻だけをつかまえては相手の論旨を矛盾に追いこもうとするからなのであって、その場合お互いにしているのは、ただの口論であって対話ではないのだ」

・・・・・

「じっさいわれわれは、そのつもりはないのに、反対論のための反対論に巻きこまれているおそれがあるのだ」

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