万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年5月16日

グイド・クノップ 『ヒトラーの共犯者  12人の側近たち 上』 (原書房)

Filed under: ドイツ — 万年初心者 @ 06:00

2001年刊の、ヒトラー側近たちの伝記。

この上巻は、ゲッベルス、ゲーリング、ヒムラー、ヘス、シュペーア、デーニッツの6人。

こういうナチの最高幹部の名は、高校世界史ではほとんど出てこないが、かなりの程度一般常識とも言えるので、こういう本を読んで知識を仕入れるのも良いでしょう。

同じ著者と出版社で、軍人を扱った『ヒトラーの戦士たち』も出ています。

最初の「序文」は、ホロコーストとドイツ人の関わりについて。

ユダヤ人虐殺の罪はあくまでそれを実行した個人が負うもので、ドイツ民族全体の「集団的罪」は無いが、それを止められなかったことからくる「集団的責任」はある、というのが戦後ドイツの一致した公式見解なわけですが、ここではホロコーストに一般的ドイツ人全体が荷担していたとする、十年ほど前に出たダニエル・ゴールドハーゲンの本が批判されている。

(この本の存在とそれが論争を引き起こしたことは聞いたことがありました。)

ナチ政権が密かに行っていた世論調査という一次史料から判断して、1935年ユダヤ人に対する差別を制度化したニュルンベルク法が、当時のドイツ国民の間で広く受け入れられていたことを著者はまず認める。

しかし38年の「水晶の夜」と呼ばれた大規模なユダヤ人迫害に対しては、広範囲な不満や批判が見られたことが記されている。

また41年以降のホロコーストについて、普通考えられてきたよりも多く、およそ3割のドイツ人が当時からその事実を知っていたと推定されるが、「知っていた」ことと「それを望んでいた」ことは全く別だとしている。

ヴェストファーレンのある報告に、次のようなものがある。「こんな風に人々は語っている。ロシアではユダヤ人が、かつてソ連のものであった工場へ連れていかれ、そこで働かされている。しかし、年寄りや病気のユダヤ人は銃殺されるそうだ。そんなに野蛮に人間を殺せるなんて信じられない。ユダヤ人だろうが、アーリア人だろうが、みな、神の創りたもうた人間ではないか」。また別の報告書にはこうある。「年配の国民同胞の多くが、ユダヤ人をドイツから国外へ移送することに対し、一般に否定的な見解をもっていると考えられた。ドイツ国民にいつか神の罰が下されなければよいが。教会と結びつきの強い人々の間では、内輪でこう言われていた」

その後、以下のような、驚くべき文章が載っている。

身体障害者および精神障害者に対する殺害計画T4は、公式には「安楽死」という言葉で誤魔化されていたが、ファウルハーバーならびにガーレン両枢機卿が、公然と教会の説教檀から、これを殺人であると弾劾したとき、ヒトラーはこの計画を中止させた。1943年のはじめ、ベルリンで、ユダヤ人である夫や妻が絶滅収容所へ強制移送されることになり、彼らの非ユダヤ人配偶者たちが、移送の集合場前に集まって敢然と抗議した(いわゆる「ローゼン通り事件」)とき、多くの移送登録者が釈放された。少なくともドイツ国内では、政府はおおっぴらに人目をひくことを避けようとしていた。すべては秩序にそって、静かに進めねばならなかった――ガス室につくまでは。同様の抗議行動が、国内でも国外でもふくれ上がっていたならば、ホロコーストを防ぐことができた、あるいは早い時期に終わらせることができただろうか?だが、そのような試みが、あえてなされたことはなかった。

前半、教会の抗議で障害者抹殺計画が中止されたということは、ハフナー『ヒトラーとは何か』(草思社)などで知っていたが、後半の「ローゼン通り事件」は本書で初めて知った。

誤解を招く言い方かもしれないが、ヒトラー政権成立後も旧社会の勢力と前近代的価値観が多く温存された分、全体主義化の程度においてナチス・ドイツはソ連より軽症だった部分もかなりあったのではないかと思える。

少なくともスターリン時代の大粛清や「富農撲滅」の過程において、ソ連で似たようなことが起こり得たとは想像できない。

本文に入って、第1章「火つけ役」ヨーゼフ・ゲッベルス。

ナチ党プロパガンダ担当。

最初はヒトラーと指導権を争った社会主義的傾向の党内左派グレゴール・シュトラッサーの下にいたが、ヒトラー派に鞍替え。

政権獲得後、宣伝相就任。

意識をもっとも効果的にくもらせるものは、あからさまな嘘ではなく、操作された真実である。ゲッベルスは、このことを認識するぬけめのなさを十分に持ち合わせていた。そして、大衆が彼の思いどおりに作られていくことを確信していた。「これがプロパガンダの秘訣だ」と、彼は党員に教えた。「狙いを定めた人物に、そうとは気づかれないように、プロパガンダする理念を浴びせつづける。プロパガンダにはもちろん目的がある。けれどもその目的は、ぬけめなくみごとにかくしとおさなければならない。それがねらった人物にまったく気づかれないように」

徹底的な反ユダヤ主義者。

「いたるところでユダヤ人への同情が示されている。要するにこの国は未熟なのだ。愚かしいセンティメンタリズムに満ち満ちている。」

1945年4月30日にヒトラーが自殺した後、同じ首相官邸にいたゲッベルスも家族と共に自殺。

第2章「ナンバー・ツー」ヘルマン・ゲーリング。

第一次大戦では空軍パイロットとして活躍。

1922年ナチスに入党。

政権獲得後は空軍司令官。

ユダヤ人に対する曖昧な態度。

言葉の上では過激な反ユダヤ主義者だが、妻の知人のユダヤ人を保護したこともある。

しかし、本書には以下のような記述もある。

かつてゲーリング指揮下の戦闘機パイロットだったユダヤ人宝石商が、反ユダヤ的な脅迫状を受けとったことを憂慮しながら報告した時のことである。ゲーリングは、はじめのうちは好意的にこう言った。「心配するな。わたしが気を配ってやる」。しかしその後この請願者は、自分も同じドイツ人だと力説した。ゲーリングは彼をどなりつけて言った。「昔の仲間には何でもしてやろう。しかしおまえが自分のことをドイツ人だと称する権利は認めない。おまえがドイツ人であったことは一度もない。おまえはユダヤ人だ」

開戦前には戦争の帰結を恐れ、和平工作を行う。

開戦時にヒトラーの後継者とされるが、イギリス本土上陸前の空中戦(バトル・オヴ・ブリテン)に敗北、以後も空軍は失態を重ね、ゲーリングの権威は失墜する。

敗戦後逮捕され、ニュルンベルク裁判で死刑宣告を受けた後、服毒自殺。

第3章「実行者」ハインリヒ・ヒムラー。

バイエルン出身。

士官候補生になるが、出征する前に第一次大戦は休戦、ミュンヘン工業大学入学。

20年代のはじめ、若き大学生ヒムラーは、外国への移住計画を練っていた。・・・・・1924年、領地管理者としてウクライナに行けるかどうかを、ヒムラーはソヴィエト大使館に問い合わせている。その20年後、ウクライナで配下の部隊が収穫を焼きはらいユダヤ系住民を虐殺することになるこの男が、平和的な農民として開発を援助することを望んでいたのである。もしこれが承諾されていたなら、ハインリヒ・ヒムラーは、1941年のドイツ軍侵攻を、ウクライナの農民として、別の観点から見まもっていたかもしれない。

ゲッベルスと同じく、当初はシュトラッサー派。

親衛隊(SS)長官。

国家秘密警察(ゲシュタポ)も実質長官と言っていいのか。

1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件では、情報を掴みながら、実行グループを意図的に放置していたのではないかと、本書では推測されている(暗殺失敗後は反ヒトラー組織を残酷に摘発しているが)。

1945年イギリス軍に逮捕された直後、隠し持っていた毒を仰いで自殺。

「『ユダヤ民族は根絶される』と、党員なら誰でもそう言う。『あたりまえだ。党綱領に書いてある。ユダヤ人排除、ユダヤ人根絶をわれらは行う』。すると8000万人のりっぱなドイツ人がこぞってやって来て、そのひとりひとりがそれぞれの気に入りのユダヤ人を連れている。他の連中は豚だが、この人はすばらしいユダヤ人だ、決まってるじゃないかと。こんなことを言う連中に努力した者はいないし、実行した者もいない。」   ヒムラー。親衛隊中将に対して  1943年

第4章「代理人」ルドルフ・ヘス。

地政学者ハウスホーファーに師事(曽村保信『地政学入門』参照)。

アウシュヴィッツ収容所所長ルドルフ・ヘースとは別人(講談社学術文庫にルドルフ・ヘス『アウシュヴィッツ収容所』が収録)。

総統代理となるが、自らが引き立てたマルティン・ボルマンに徐々に実権を奪われていく。

1941年5月、独ソ戦開始直前に単身空軍機に乗り、イギリスへ独断で和平交渉のため飛行し逮捕される。

ニュルンベルク裁判で終身刑、収監されたまま1987年に死去、自殺とみられる。

第5章「建築家」アルベルト・シュペーア。

この人は『第三帝国の神殿にて』という回顧録を読んでいるのでわりと知っていた。

最初建築家としてヒトラーに引き立てられ、後に軍需相に就任、連合国軍の猛爆の中、軍需生産を1944年にピークに持っていくという離れ業をみせる。

ユダヤ人虐殺への関与について、上記回顧録では、何か恐ろしいことが行われていると気付いていたが後難を恐れて積極的に知ろうとせずやりすごした、その意味での自分の責任は逃れられないという記述だったはず。

それに対し、本書ではより多くの具体的なことをシュペーアは知っていたはずだと、厳しく追及している。

しかし軍需工場で死者が続出した劣悪な労働環境についてはともかく、絶滅収容所に関しては決定的なことは書いてないようにも思えるが、読み違いか?

ニュルンベルク裁判で禁固20年の判決、1966年釈放され、1981年死去。

第6章「後継者」カール・デーニッツ。

海軍軍人、Uボート艦隊司令長官を経て、海軍総司令官。

ヒトラー自殺直前に後継者に任命される。

自らを「非政治的軍人」と称し、軍人としての義務を果たしただけだと主張したが、本書ではヒトラーへの盲信、ユダヤ人迫害への関与などを厳しく指摘している。

ニュルンベルク裁判で禁固10年、1980年に死去。

結構面白い。

各章はそれほどの長さでもないので、読みやすい。

翻訳が上手いせいもあるのか、かなりの速度で読める。

下巻はアイヒマン、シーラッハ(ヒトラー・ユーゲント団員)、ボルマン、リッベントロープ、フライスラー、メンゲレという顔ぶれで、やや地位と知名度が下がるので、とりあえずこの上巻だけ消化するのでもいいかもしれない。

マイナー分野の雑学ではなく、世界史の正統的知識を得るために使える本です。

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