万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年5月8日

内田日出海 『物語ストラスブールの歴史  国家の辺境、ヨーロッパの中核』 (中公新書)

Filed under: ドイツ, フランス — 万年初心者 @ 06:00

ライン河左岸、独仏国境沿いにあり、長年両国の争覇の舞台となったフランス・アルザス地方の中心都市ストラスブール(独名シュトラスブルク)の歴史を概観した本。

その起源は、ヨーロッパの多くの都市がそうであるように、ローマ帝国に遡る。

ローマ時代の名称はアルゲントラートゥム。

これは高校世界史レベルでは一切出てこない名前だが、「背教者」ユリアヌスが副帝時代に侵入してきたゲルマン人に決定的勝利を収めた場所として以前から知っていた。

以後、ゲルマン系アレマンニ族の定住、アッティラ率いるフン族の侵入と破壊を経て、496年クローヴィスの支配下に入り、フランク王国領へ。

カール大帝の子ルートヴィヒ1世死後、843年ヴェルダン条約で長子ロタール領(ロタリンギア王国・ロレーヌの語源)に。

870年メルセン条約で東フランク領となり、長いドイツ時代が始まる。

982年神聖ローマ皇帝より裁判権と司教領の完全承認を受けて、司教都市として自立。

1263年司教権力から独立、帝国直属の自由都市・都市共和国となり、さらにツンフト闘争を経て貴族・上層市民の権力独占が崩れる。

1514年訪問したエラスムスは「専制政治なき王国、党派争いなき貴族政、騒乱なき民主政、奢侈なき富、厚顔なき繁栄」を見たと、この都市を讃えている。

宗教改革時代にはルター派が優勢になる。

この時期、アルザス南部はほぼハプスブルク家領で、シュトラスブルクが属する北部は諸侯・司教領・自由都市・帝国騎士領がモザイク状に入り組む複雑な情勢。

地理を確認すると、アルザス南東にはスイスのバーゼルがあり、南西はフランシュ・コンテ。

北にファルツ、西(北西)にロレーヌ(ロートリンゲン)があり、ロレーヌを越えてさらに北西に行くとルクセンブルク・ベルギーに達する。

これらフランス国境東部地域の少なからぬ部分がルイ14世時代に仏領となっていく(チャールズ・ウィルスン『オランダ共和国』参照)。

まず1648年ウェストファリア条約で南部を中心とするアルザスの大部分と、ロレーヌのうちヴェルダン・メッツ(メス)・トゥールの三司教領を併合。

以上のうちトゥール(Toul)は、カール・マルテルがイスラム教徒を撃退したトゥール・ポワティエ間の戦いのトゥール(Tours)とは場所が全然違いますのでご注意。

次に1659年ピレネー条約でスペインからアルトワとルシヨンを獲得。

アルトワは北東部ベルギー近くの土地、ルシヨンは南西部スペイン国境沿い。

地図を見たらルシヨンとミニ国家のアンドラが接しているようだ。

さて、ここからがややこしい四つの「ルイ14世の侵略戦争」です。

1667~68年 南ネーデルラント継承戦争 (アーヘン条約)

1672~78年 オランダ戦争 (ナイメーヘン条約)

1688~97年 ファルツ継承戦争 (ライスワイク条約)

1701~13年 スペイン継承戦争 (ユトレヒト条約・ラシュタット条約[14年])

それぞれの名称と順番を憶えるのはさほど困難を感じないが最初三つの年号と和平条約名がね・・・・・。

それとクロムウェル時代の第1次英蘭戦争(1652~54年)に続く、1665~67年第2次英蘭戦争、1672~74年第3次英蘭戦争が重なっていることにも注意を払わなければいけない。

今回気付いたが、講和条約については最も著名なユトレヒト条約を外して考えると、「ア」ーヘン、「ナ」イメーヘン、「ライ」スワイク、「ラシ」ュタットだから、バルト三国の位置記憶法と同じく、五十音順だという語呂合わせが使えますね。

アーヘン条約でリール併合、ナイメーヘン条約でフランシュ・コンテとカンブレーなど併合。

(リールとカンブレーは北東部の土地でアルトワに接する。)

1679年にはシュトラスブルク以外の十都市同盟が併合されたと書いてあり、これもナイメーヘン条約の結果のようだが、フランスと神聖ローマ帝国間の帰属について曖昧な条項だったといったことが書かれていたと思う。

またこの条約ではライン右岸にあるフライブルクも一時フランス領になっている。

1681年には遂にシュトラスブルクもフランスの軍門に下り、旧来の自由と特権を維持するという条件でフランス領ストラスブールに。

ライスワイク条約ではストラスブールおよび上記アルザス残部のフランス領有を確認。

ただしフライブルクは返還され、この地域ではライン河が独仏間の国境となる(より下流ではもちろん違う)。

こうやってストラスブールを含むアルザスがフランス領になった後では話が簡単になるので、やれやれという気分になる。

なお、ロレーヌの併合については『ポーランド民族の歴史』の記事の真ん中辺りを参照。

(「何でポーランド史の本が出てくるんだ?」と疑問に感じられるでしょうが、実は関係あるんですよ。)

以後、普仏戦争の結果1871年独領に、第一次世界大戦の結果1918年仏領に、第二次世界大戦中1940年ドイツに占領され、1945年ドイツ敗戦の結果再度仏領に、とオセロゲームのように統治国が変わったのはご承知の通り。

1871年アルザス・ロレーヌが割譲され、エルザス・ロートリンゲンとなったわけですが、本書ではロレーヌのうち割譲されたのは北東部ドイツ語圏のみと書かれていて、教科書などの地図を見ると確かにロレーヌがアルザスの真西じゃなくて北西に偏っているようにも見えるから、その通りに思えるのですが、正確には未確認です。

なお、それ以後のドイツ帝国時代には、意外にも第三共和政のフランス時代よりも、地方自治が広く認められていたと書いてある。

ただし、それなりの軋轢はやはりあったようで、第一次大戦前夜の1913年には駐留軍の一部がアルザス住民を侮辱したことから中央政府や議会を巻き込むまでの対立に発展したサヴェルヌ(ツァーバン)事件が起こっている。

フランス領となった現在では、欧州議会の所在地として有名。

長年独仏間の係争地でありながら、同時に国際交流の中心でもあったこの都市を象徴している。

いつもの通り、政治史だけのメモですが、本書では経済・文化にも十分触れられている。

経済では前近代・近代を通じて、工業ではなく商業が繁栄の中心であったとか。

文化史もいろいろ書いてあるが、マインツ人のグーテンベルクが1434年から十年間この都市に滞在しており、その間に印刷術を発明したという説が一部にあるとか、19世紀以降の大学人に仏側ではフュステル・ド・クーランジュ、パストゥール、マルク・ブロック、リュシアン・フェーヴル、独側ではシュモラー、ブレンターノなどの著名人がいることくらいが記憶に残った。

割と良い。

一地方都市の歴史ながら、ヨーロッパ史の大きな流れと関連付けて語られており、中々参考になる。

読んでも損はしません。

広告

WordPress.com で無料サイトやブログを作成.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。