万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年4月17日

引用文(伊藤之雄1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

伊藤之雄『伊藤博文』(講談社)224ページ、1888年枢密院での憲法草案審議の記述より。

伊藤は第一に、ヨーロッパにおいては「憲法政治」が「千余年」前に形成が始まり、「人民」が制度に習熟しているのみならず、「宗教なる者」があって、それが「機軸」となり深く人心に浸透して人心が一つになっているが、日本では宗教の力すら微弱で、国家の機軸になるものはない、とヨーロッパと日本の違いと、「憲法政治」を行うにあたっての、日本の条件の悪さを強調した。

第二に、日本において「機軸」とすべきは、「皇帝」[天皇]があるのみで、憲法草案では「君権を尊重して成るべく之を束縛せざらんことを勉めり」と、天皇を機軸として人心を一つにするため、天皇権力をなるべく制約しないようにしたことを説明した。

第三に、君権が大変強大である時は濫用されるおそれがあるという者がいるが、もしそのようなことがあったら「宰相」[首相]が責任を持つし、その他にも濫用を防ぐ道がないわけではないので、いたずらに君権の濫用を恐れ、「君権の区域を狭縮」しようとするのは、道理のない説であると論じた。

この伊藤議長の発言の裏には、枢密顧問官の中の保守派が、天皇大権を憲法で制約するのではないかと警戒しており、伊藤への感情的な反発もあったことへの配慮がある。彼らの疑心を解き、枢密院の審議を内実のあるものにしたかったのだ。それと同時に、ヨーロッパの実情や歴史も十分に知らず理想論ばかり述べる在野勢力への不信感が続き、彼らが多数を占める可能性がある衆議院への強い警戒心もあった。

そこで伊藤は、憲法で天皇大権をなるべく強く規定しておき、状況の進展に応じてそれらを他の機関に委任するという形で、行使しないようにしてゆけばよい、と考えたのである。元来、日本では、大久保利通・岩倉具視など有力閣員が実権を持ち、天皇が権力濫用をすることはなかった。しかも、明治天皇はすでにシュタインの君主機関説的考え方を身につけており、そんな心配はまったくない、むしろ当面警戒されるのは衆議院の「権力濫用」だ――。伊藤はこのように考えたのだろう。

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天皇は神聖にして侵すべからず(第三条)という有名な条文は、天皇が法律上や政治上の責任を問われないというものであり、君主が自由に様々なことに関与できるという意味ではない(伊藤之雄『明治天皇』270~271頁)。

さらに、伊藤が立憲君主制としては強い天皇大権を憲法に規定したのも、当面は政府(行政府)がそれを委任され、在野勢力が「憲法政治」に成熟するに従い、衆議院(立法府)への委任を増大させていくことになるだろう、という見通しのもとであった。

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