万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年4月1日

岡倉登志 『ボーア戦争』 (山川出版社)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 06:00

やっと5冊目のアフリカ史で、個別テーマの本は初めてか。

イギリスカテゴリに入れられないこともないが、もったいないので当然そうしない。

著者名をどこかで見た覚えがあるなあと思っていたら、『サウジアラビア現代史』の著者岡倉徹志氏と一字違いの別人でした。

1899~1902年の南ア(南アフリカ・ボーア)戦争に関する本。

南アフリカに最初に到達したヨーロッパ人は、当然1488年喜望峰に達したポルトガルのバルトロメウ・ディアスなわけですが、結局ポルトガルはこの地に勢力を築けなかったようで、1652年全盛期のオランダがケープ植民地を建設。

それが1815年ウィーン議定書でイギリス領となる。

ウィーン会議で、オランダはナポレオンに占領されていたのが解放され、一応戦勝国の立場のはずなのに、ナポレオン戦争中にイギリスに占領されたこのケープ植民地とセイロン島という重要拠点を奪われてるのが妙な感じ。

代わりにオランダは旧オーストリア領の南ネーデルラント(ベルギー)を併合、オーストリアはロンバルディア・ヴェネツィアの北イタリア併合というのはもちろん要記憶。

しかし16年後には七月革命の影響でベルギーは独立するんだから、オランダはやはり大損ですよね。

ボーア(ブール)人とは、オランダ系を中心とする非イギリス系白人のこと。

イギリス統治に不満を持つボーア人が北東部沿岸沿いに移動、ズールー族の黒人王国と戦い、ナタールを手に入れるが、独立は認められず1842年ナタールも英領となる。

一部のボーア人はさらに移動し、1852年トランスヴァール共和国(正式名称は南アフリカ共和国)、1854年オレンジ自由国成立、この二つの国の自治権は認められる。

ここで位置関係を確認。

ナタールからやや内陸に入ったところにバストランドというソト人の黒人国家があり(1868年イギリスにより保護国化)、これが現在の南アフリカ共和国に周辺を囲まれたレソト王国。

その西にオレンジ自由国が広がり、その北、ヴァール川を挟んでトランスヴァール共和国。

ナタール北東にズールーランド、さらに進むとスワジランド、この二つもトランスヴァールと接する。

バストランドとスワジランドが保護国として存続し、現在も独立国なのに対し、ズールーランドは完全に併合されて現在も南アフリカ共和国の一部のようだ。

1879年イギリスとのズールー戦争で敗北、97年ズールー王国はトランスヴァールとナタールに併合されると書いてある。

(ちなみにズールー戦争では、イギリス軍に加わっていたナポレオン3世の遺児が戦死している。)

現代史ではズールー人を支持基盤にするインカタ自由党という政党があって、アパルトヘイト時代には白人政権に妥協的姿勢を取り、ANC(アフリカ民族会議)と対立。

このインカタ自由党というのは昔はよくニュースで名前を聞きましたが、最近とんと耳にしなくなりましたねえ(気のせいか?)。

オレンジとトランスヴァールの西にはベチュアナランド(現ボツワナ)があり1885年イギリスの保護領に。

ボツワナと言うと、十年ほど前に格付け会社のムーディーズがこの国の国債を日本国債より上位に格付けして、日本政府要人が抗議したとかいうことが記憶に残っています。

実際アフリカ諸国の中では、かなり安定して順調に経済発展している国らしいですが。

トランスヴァールの北にはローデシア(現ザンビアとジンバブエ)で1890~94年に英領。

北がザンビア、南がジンバブエ。

ジンバブエはムガベ大統領の下、経済が完全に破綻してしまった国ですね。

ちなみにこのムガベ大統領と南アフリカの前大統領ムベキ氏を混同しないようにご注意。

なお、この手のごく最近の事項は外務省 各国・地域情勢で確認すると良いと思います。

個人的にウィキペディアは一切使いたくないので。

現在の主要都市として喜望峰近くにケープタウンがあり、ヨハネスブルクは当時トランスヴァールの領域、その少し北にプレトリアがあり、これが現首都の模様。

自治権取り消しから1880~81年に戦争勃発、これを第一次ボーア戦争と呼ぶようです。

結局イギリスの実質宗主権の下での自治確認という結果になる。

1886年トランスヴァールで金鉱発見、開発のため入国したイギリス系を中心とする外国人の権利問題をめぐるボーア人との対立。

1895年末トランスヴァール共和国政府転覆を狙ったジェームソン侵入事件。

失敗に終わり、翌96年ケープ首相セシル・ローズ辞任(有名なローズは1890年から首相だったがこの事件で辞任したため肝心のボーア戦争自体にはあまり大きく関わっていない)。

同96年ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世のクリューガー祝電事件(クリューガーはトランスヴァール大統領)。

その後もケープ当局とトランスヴァールとの交渉が続くが、ついに決裂。

本書の叙述ではイギリスと主に相対していたのは常にトランスヴァールで、オレンジ自由国は同じボーア人の誼でトランスヴァール側についたことになっている。

ケープ総督ミルナー主導で1899年開戦。

細かな戦史は適当に流す。

ボーア側のボータ(1910年南アフリカ連邦初代首相)、スマッツ(1919年南アフリカ首相に)、イギリス側のキッチナー(マフディーの乱鎮圧、ファショダ事件指揮官)の名前にだけ注意。

イギリス軍は苦戦しながら1900年プレトリア・ヨハネスブルクを占領し、普通ならこれで終戦となるはずが、ボーア側は地の利を生かしたゲリラ戦を展開、イギリスは大いに苦しめられ、農家焼き討ちや家畜殺害などの焦土作戦、女性・子供を含むボーア人非戦闘員を強制収容所に閉じこめるなどの策を取り、国外だけでなく国内の反戦世論を刺激する。

結局、1902年講和条約締結、戦争終結。

その後の章では、コナン・ドイル、チャーチル、ガンディー、タゴール、幸徳秋水、内村鑑三といった人々の、ボーア戦争との関わりが記されてあって中々面白い。

初心者にはちょっと苦しい部分もあるが、全然読めないというわけではない。

類書の少ない、貴重な本ではあると思う。

一読して、マイナー分野の穴を少しでも埋めるのもよいでしょう。

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