万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年3月29日

引用文(西部邁2)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

西部邁『焚書坑儒のすすめ エコノミストの恣意を思惟して』(ミネルヴァ書房)より。

フリードリヒ・フォン・ハイエクはケインズよりもやや年の若い人で、単なる経済学者の枠を超えて、社会哲学者としても現代思想に強い影響を与えました。

しかし彼もまた、ケインズ同様にしばしば誤解されております。「ハイエクは新自由主義で、ケインズは新社会主義だ」などと論じられることがありますが、そういう単純な理解は間違いです。ハイエクは、たしかに表面上は1930年代の、ファシズム・ナチズム・スターリニズムという全体主義に政治的に抵抗した自由主義者ですから、その文脈で読めば、彼は個人の自由を最大限に強調したとみえます。だから「自由主義者」のレッテルが彼に貼られています。しかし、ハイエクの全著作を眺めれば、彼はアメリカの市場原理主義者、ミルトン・フリードマンとは似ても似つかず、「さすがヨーロッパの社会哲学者だ」といいたくなるぐらい、奥行きのある人物なのです。

彼のいう「自由」は、いかにもヨーロッパ的に、「自生的秩序(spontaneous order)」に根差しています。つまり、「長い歴史のなかで、おのずと生れてきたものとしての秩序がマーケットの基礎にあるし、あらねばならない」ということを、ハイエクはまず前提としているのです。それは、無秩序なところに個人たちが現れて、勝手に自分らの欲望と打算で自由な交換を行うという、「歴史なき北米大陸」の自由主義とは全く逆です。

歴史なき場所で大がかりな秩序を作るやり方を、ハイエクはconstructivism(設計主義)とよんで、それが全体主義の源になると批判したのです。アメリカの個人主義・自由主義は、一見したところ、設計主義の逆を行っていると思われます。しかし、そうした主義に偏向するのも、社会価値における設計主義だといわなければなりません。そうであればこそ、「個人の自由」が無秩序を招来したとき、アメリカ社会にはconformism(画一主義)に頼るしかなくなるのです。

歴史という土台があって、おのずからなる秩序が、消費者にも生産者にもマーケットにもあるとされています。しかし、その秩序はがんじがらめのものではありません。社会の「歴史的な構造」という範囲のなかで、人々は、自分の個性や特徴を生かして、さまざまな自由な取引を行っている、と考えるのがハイエキアンなのですね。

そのことを無視してハイエクとケインズを対立させて考えるのは、大きな間違いです。言葉を替えれば、ハイエクは生物学でいう「ホメオスタシス」つまり「動的な恒常性」のような過程として社会の動きをとらえ、その姿形は歴史によってもたらされると考えたのです。この動的恒常性の社会において、人々が個性を発揮し差異を競い合う、そういう意味での「自由」をハイエクは考えました。つまりハイエクの世界では、歴史にもとづく社会の安定性、人間関係の恒常性というものがあるとした上でのマーケット肯定である、ということを忘れてはなりません。

間宮陽介『ケインズとハイエク』(ちくま学芸文庫)参照。

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