万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年3月9日

引用文(「マスメディアの構造と空気」)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

柴山佐利 編著 『マスメディアの「構造」と「空気」』(宣伝会議)より。

市場の外側を想定した「市場」

このように市場を異なった視点から捉え直すハイエクの議論では、それゆえに「すべてを市場に」という強い主張は成り立たない。つまり、あくまで市場という仕組みの有効性を説明する論理なのであって、市場がすべてに優先する唯一の回答であることを保障しない。ハイエクの論理は、市場が市場だけで成り立つものであることを証明するものでも、他のコミュニケーションとそれに基づく社会システムの有効性を否定するものでもないのである。確かに、ハイエクの言う通り、市場経済と計画経済の二者択一ということを考えるなら、資源配分の効率性という点でも、また人間の自由な意志決定という尊厳を保障するという点でも、市場経済の側に理があることは明らかである。しかし、その結論は、市場の仕組みに市場以外のさまざまなオルタナティブを組み合わせていくことの除外を含意してはいない。それどころか、よく考えてみるならば、ハイエクの言うところの「市場」には、あらかじめ市場以外の仕掛けとの並立が前提とされているとすら主張することが可能である。

何度も述べたように、貨幣は複雑な内容を一次元の尺度に縮減し、コミュニケーションの接続を拡大していく極めて強い力を持っている。しかし、その特性は同時に、意味体系のすり合わせという過剰なコトバ・表現の繰り返しを必要とする機能を、貨幣だけでは持ち得ないということにも繋がっている。要するに市場取引だけでは、取引を可能とする社会的な合意も、相互の信頼関係も生まれてはこない。だからこそ、ハイエクは市場の優位を語る一方で、その基礎としての社会の道徳や倫理を、アダム・スミスの継承者として常に強調せざるを得なかった。ハイエクの自由主義は、市場と道徳の二輪によって支えられているのだ。そのあり方は強欲を常とする新自由主義の姿と鋭い対照をなしている。市場の計画経済に対する優位性を説くことと、市場万能主義を振りかざすこととは、似ているようでいて全く異なる主張なのだ。

新自由主義の問題=ウェブ礼讃論への疑問

ウェブ礼讃論の考え方についていったんまとめよう。その考え方は大きく二つの流れからなっていた。一つは参加の平等性をウェブ優位の源泉とする「ウェブ民主主義」。もう一つはウェブを一種の市場、つまり個人の自由な選択の集計として動いていく仕掛けであるからこそ優位性があるとする、グーグルが主張するような「ウェブ新自由主義」の思想である。

しかし、これまで見てきたように、双方ともその原理原則となる思想には大きな矛盾がある。ウェブ民主主義でいえば、それは「完全に平等な立場」では議論は有限の時間内に収束し得ない、ということであった。これはアローの不可能性原理とも重複する論点である。議論というものは結局、各自の選好の単なる表明を越え、単純な話し合いで調整がきくようなレベルを離れ、多数の人の世界観や価値観そのものをすり合わせていくことでしかまとまっていかない。そうしたまとまりをつくっていくためには、同調の起点を与え、収束を加速するマスの仕掛けが必要となる。つまり議会やマスメディアといった「今までにもある」ような構造がどうしても求められるのである。これはウェブ民主主義の主張には実のところ新しさがない、ということを示している。確かにウェブという技術はコスト面などで有効かもしれない。しかし、ウェブで民主主義の意思決定のあり方が根本的に変っていくと主張するのは難しい。

一方、各自の好き嫌いを数値化して集計しさえすればいいというウェブ新自由主義の主張は、より大きな問題を孕んでいる。なぜならば、背景となる新自由主義のイデオロギーそのものが、もともと破綻したものだからだ。新自由主義は、各個人が森羅万象を知り尽くしているというあり得ない前提のもとで、しかも「市場の失敗」も大局的には例外事項でしかないという思い込みの下に、市場万能主義=政府による規制を徹底的になくしてすべて市場に任せてしまえ、ということを主張する。この無理を押し通した結果出現するのは、一部の富裕層やグローバル企業などの「私的権力者」の放縦の姿でしかない。新自由主義とは、現実問題としては自由の美名の下に既存の私的権力者層の利益を確保しようという恣意にほかならないのである。・・・・・・

参考記事。

西部邁『経済倫理学序説』(中央公論社)

間宮陽介『ケインズとハイエク』(ちくま学芸文庫)

松原隆一郎『経済学の名著30』(ちくま新書)

引用文(内田樹2)

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