万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年2月11日

植手通有 責任編集 『日本の名著34 西周 加藤弘之』 (中央公論社)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

この巻で読んだのは、加藤弘之の『人権新説』だけです。

猪木正道『軍国日本の興亡』と同じく、こちらのブログを見て、読む気になりました。

この「日本の名著」シリーズは基本的に、前近代のものは現代語訳して、本書を含め近代のものは仮名遣いなどを変更して読みやすくしてあるみたいです。

高校時代文系だったくせに、古文が死ぬほど嫌いだった私にはありがたい。

あの「古典文法」というやつは、今思い出してもジンマシンが出そうです。

閑話休題。

「加藤弘之?知らんなあ・・・・・」と思ってたんですが、明治初期に社会進化論の立場から民権派の天賦人権論を批判したと、『人権新説』の書名と共に、日本史教科書にちゃんと名前が出てますね。

すっかり忘れてました。

「社会進化論? ダーウィンの適者生存説のことか。そういう弱肉強食の世界観から普遍的な人権概念を否定したのか? 全くとんでもない奴だ! 低劣な藩閥政府の御用学者め!」というのが大概の人の第一印象かと思いますし、私も高校生の頃そう感じたはずです。

実際読んでみると、そうそう矯激なことを言っているわけでもない。

まず「優勝劣敗」という進化主義の原則が人間社会の歴史においても貫徹していることを強調するが、社会契約説が想定するような自然状態は文字通りの弱肉強食の凄惨な世界であり、その中の最優等者が徐々に秩序を形成し弱者を保護してきたとする。

著者はそれを「大優勝劣敗の作用を用いて、もって小優勝劣敗の作用を制するをえたる」と表現している。

そうした歴史的経緯を経て人々の多様な権利は成り立ってきたのであり、無条件かつ機械的に同質的権利が全ての人間に与えられているとするのは「妄想」だとまで言っている。

また社会の優勢なる勢力が必ずしも正義でないことも認めている。

優勝劣敗の文字たる、もとより字面において明瞭なるが、ごとく、ただ優者が勝ち、劣者が敗るというの義を徴するのみ。・・・・・けだし正善なる優者が勝を得て、暴悪なる劣者を倒せば、これすなわち良正なる優勝劣敗というべく、また暴悪なる優者が勝を得て、正善なる劣者を倒せば、これすなわち邪悪なる優勝劣敗というべきなり。・・・・・はたしてしからばたんに力の一点よりいえる優勝劣敗の文字をもって、ただちにこれを不祥文字とし、したがいてこの書をもって人民を不正・不義に誘導するにたるの悪書となすがごときは、はなはだしき暴言といわざるをえざるなり。

「優勝劣敗」が過去においてはしばしば多くの不正を含んでいたが、近代において上流市民が優者として社会の実権を握るにつれ、概ね公正で穏当な秩序が作られるようになった、こうした社会の漸進的進歩を急進的変化によって遮ってはならない、といったことが書いてあるんだと思います。

かなり短い作品だし、以上の要約は多分それほど間違っていないと思いますが・・・・・・。

例によって、あまり当てにしないで下さい。

自然科学の概念をそのまま適用して、社会を解釈する姿勢に何とも言えない違和感を感じますし、他にも今読むと「いや、これはちょっと・・・・・」と思う所がいくつかありますが、まあ面白くないことはない。

ボルク氏[英人]は、仏国顚覆党の主義を駁撃せる論説中に「およそ邦国はひとり今日生存するところの吾人人民の団結社会にあらず。吾人人民が吾人の祖先よりこれを享受し、さらに吾人の子孫に譲与するものなれば、ひとり今日の吾人人民がみだりにこの社会を紊乱するがごときはけっして許すべからず」といい・・・・・・

という部分があるんですが(「ボルク氏」ってまず間違いなくバークのことでしょうね。『フランス革命の省察』に上記引用文と同意味の文章があった記憶が確かにあります。)、社会進化論ではなく、こういう視点をもっと前面に出して論じてもらえば、今読んでもより説得的な作品になったのではないかと、偉そうな言い方ですが感じてしまう。

読んでも無駄にはならないでしょう。

本作への評価は別にして、自由とか民主主義とか人権とかの概念は、現代においてもう疑いようもない価値と認められているのだから、我々が福沢諭吉など明治の先人に学ぶべきなのは、むしろ近代の意義を十分認めながらも同時にそれらへの懐疑を保っていた一面ではないかなと愚考する次第です。

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