万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年1月30日

スカルノについてのメモ

Filed under: おしらせ・雑記, 東南アジア — 万年初心者 @ 06:00

昨日の後藤乾一 山崎功『スカルノ インドネシア「建国の父」と日本』(吉川弘文館)より。

独立後のスカルノの業績は、残念ながらあまり芳しくないように思える。

まず、1955年アジア・アフリカ会議(バンドン会議)という重要事項は年代と共に要記憶。

国民党、共産党(アイディットが指導)とイスラム政党であるマシュミ(ハッタの支持基盤)とナフダトゥル・ウラマの四大政党制。

経済不振が続き、地方での反乱が頻発、共産党が勢力伸張、対抗して陸軍も政治組織化を進める。

56年スカルノの容共政策に抗議してハッタが辞任。

57年「指導された民主主義」構想、権力集中を進め、オランダ資産国有化。

58年日本と賠償協定締結。

中国に接近し、スカルノは、ガーナのエンクルマ、アルジェリアのベン・ベラ、ギニアのセク・トゥーレと共に第三世界の急進派指導者として名を馳せる。

以上のうちセク・トゥーレを除く三人は1965~66年に相次いで失脚する。

それにより中国の反米反ソ「革命外交」は完全に挫折、まもなく国内では文化大革命が勃発し、1971年の米中接近まで中国の正常な外交活動は停止することになる。

穏健派指導者としてはインドのネール、エジプトのナセル、ユーゴのチトーなどを上記四人との対比として記憶。

(ちなみにこの辺は、『新世界史』(山川出版社)が教科書とは思えないほど巧みに説明しています。)

63年西イリアン(ニューギニア西部)施政権返還。

これで政治闘争は一旦終了させ、地道な経済建設に向えば良かったのだが、同年結成されたマレーシア連邦をイギリスの傀儡国家だとして対決政策を採り、ますます国内情勢を悪化させる。

運命の1965年、9・30事件が起こり、共産党クーデタへの支持が疑われたスカルノは実権喪失、スハルトが政権を掌握、「独立の父」を徐々に追い落とし、66年権限委譲、67年大統領代行就任、68年正式大統領。

9・30事件当時、確かスハルトは戦略予備軍司令官という立場だったはずですが、この戦略予備軍というのは西イリアン解放のための精鋭軍で最新装備を持っていたと白石隆『スカルノとスハルト』には書いていた記憶がある。

事件でのスハルトの動きについて、上記本では、妙な謀略説は書いていないが、事件勃発直後、スハルトがクーデタ派軍人に対して同調あるいは中立の立場を取ると匂わせ、それを利用して共産派の監視をくぐって軍司令部中枢に陣取り、一挙に事態を反転させたのではないかというふうなことが書いてあった。

以後スハルト政権下で親西側路線を取り経済の高度成長を達成、アジア経済危機までスハルト体制は続く。

98年ハビビ、99年ワヒド、01年メガワティ(スカルノの娘)と短期政権が続いて04年ユドヨノ大統領就任、昨年再選され久しぶりの長期政権になる見込み。

あと、この国にしか聞かない職名として「調整相」というのがある。

「○○担当調整相」という名称で複数いるのだが、これがどういう制度なのか、どこかの文章で読んだ記憶があるが、忘れてしまった。

見つけたら、また別の機会にでも書きます。

やっと終わった・・・・・。

長所。

コンパクトかつ平易で読みやすい。

高校教科書にゴチック体で載っている人名は漏れなく本書程度の簡単な伝記が新書・文庫版で出て欲しいもんです。

短所。

日本との関係に紙数を割き過ぎて、肝心の民族運動の説明がやや粗く感じる。

読者の興味を持たせるためにはいいんでしょうが、ややアンバランスな印象を持った。

また54ページに、ヒトラー政権成立を1931年とする、我が目を疑うような誤記(あるいは誤植)があった(第一刷では)。

といっても基本的には良書です。

高校世界史の次の段階で十分読めますので、気が向いたらどうぞお読み下さい。

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