万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年1月17日

引用文(高坂正堯3)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

高坂正堯『大国日本の世渡り学』(PHP文庫)より。

イギリスは議会主義の国であり、もっとも早くから立憲君主政をとってきた国として知られている。しかし、そこでおこなわれてきた政治は、教科書に書かれてきたようなものではなかった。たしかにこの二百数十年間の政治は討論による政治だが、その前はかなりの混乱と流血を伴うものであった。

まず、中世から近世の初めにかけて激しい王位争いがあった。その顛末を述べることは、手間がかかって退屈だからやめるとして、その雰囲気を知りたいと思えばシェークスピアの史劇を二、三読むことをすすめたい。たとえば、「リチャード三世」は、サー・ローレンス・オリビエが主演して映画化されたけれども、陰惨な権力争いの史実に基づいている。あるいは、ロンドン塔を訪れて、かつては監獄であった部屋をみ、展示されている数々の品物をみてもよい。それができなければ、夏目漱石の初期の作品に「倫敦塔」があり、その雰囲気を伝えている。イギリス人は、こうした激しい抗争の経験を学んで、話し合い、妥協するようになったのではないかと、あるフランスの政治学者が書いているが、その通りだと思う。「議会主義は頭をたたき割るのにかえて、頭数を勘定する制度である」という有名な言葉は、ジョークにとどまらず、彼らの体験に基づいているのである。

立憲君主政にしても、すんなりそうなったわけではなかった。イギリス人は十七世紀の半ば、国王が専制的になってきたので、清教徒革命をおこし、共和政をとった。ところが、今度はクロムウェルが独裁者になり、その弊害が大きかったので、彼の死後、王政に復帰した。しかし、その王がまた威張りだし、専制君主になる兆候を示したから、つまりは王政も共和政もうまくいかないことが判ったということである。そこで、国王はおくが、あまり国王らしくない国王にしたという批判をアンドレ・マルローがおこなっているのが面白い。

つまり、イギリス人の政治観の基礎には、かなり強い懐疑主義が存在するということであろう。実際、人間がそれぞれ異なった欲求や主張をもち、しかもそれを押し通そうとする以上、対立は避けられないし、その解決は難しい。みごとな意見の一致ということはまずないし、抗争の結果一方の側が勝ち、自らの見方を押しつけても、恨みが残り、したがって反動がおこる。だから、なんとか妥協しつつ、その場を切り抜けていくしかないのである。イギリス人が、政治の問題についてsolve(解決する)という言葉をあまり使わず、settle(おさめる)という言葉を用いることはまことに示唆的であるといわなくてはならない。

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