万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年1月14日

ウィリアム・シェイクスピア 『ヘンリー五世』 (白水社uブックス)

Filed under: イギリス, 文学 — 万年初心者 @ 06:00

『リチャード二世』に続いてこれを読む。

リチャード2世廃位でプランタジネット朝が終焉した後を継いだランカスター朝の国王は3人。

ヘンリ4世、ヘンリ5世、ヘンリ6世。

全員名前が「ヘンリ」で、しかも王位継承が二回とも、ストレートな父子継承なので覚えやすい。

(これよりも「一つ前のヘンリ」はジョン王の息子で、シモン・ド・モンフォールに反乱を起こされたヘンリ3世、「次のヘンリ」はバラ戦争を終結させテューダー朝をひらいたヘンリ7世。)

シェイクスピアの作品には、『ヘンリー四世』と『ヘンリー六世』もあるが、前者は2部構成、後者は3部構成で読むのが面倒臭いというひどい理由で本書を選んだ。

リチャード2世からヘンリ4世への王位の移動は確かに「簒奪」としか言い様の無いものだが、エドワード3世→ジョン・オヴ・ゴーント→ヘンリ4世と男子直系で繋がっており、この前の佐藤賢一『カペー朝』(講談社現代新書)の記事で、カペー・ヴァロワ両王朝について書いたのと同じく、これで王朝が変ったことになるのかなあと思った。

福田恆存『私の英国史』でも、ランカスター朝とヨーク朝を単にプランタジネット朝の継続と見なす見解が紹介されていた。

そもそも中国の「易姓革命」のように、基本的に前王朝と何の血縁関係もない一族が新たに王朝を建てるという感じではない。

男系・女系に拘らなければ、ノルマン朝から現王朝までのイギリス王室も(カペー朝から大革命までのフランス王室も)、ある意味「万世一系」である。

本書の主人公、ヘンリ5世はヘンリ4世の息子で、1413~22年の間在位。

(当時、ドイツではジギスムントがコンスタンツ公会議を開いていて、中央アジアではティムール没後間もなく、中国では明の永楽帝が在位していた頃。)

在位期間は短いものの、この王の治世は、百年戦争でイギリスが最も優位に立った時代である。

英仏間の休戦が破棄され、1415年アザンクールの戦いで、戦争初期のクレシーおよびポワティエの戦いに並ぶ、決定的勝利を得る。

1420年トロワ条約で、ヘンリ5世はシャルル6世の娘カトリーヌと結婚、フランス王位継承権を獲得、とうとうヘンリの下、英仏両国が合併するのかと思われたが、わずか二年後ヘンリ5世は死去、イギリスの勝利は水泡に帰す。

ヘンリ6世(1422~61年)が跡を継ぐが、同1422年仏国王シャルル6世も死去、ジャンヌ・ダルクが登場し、王太子だったシャルル7世が戴冠する。

結局フランス優位のうちに1453年百年戦争終結、その同じ年にヘンリ6世は精神に異常をきたす。

(ヘンリ6世は上記仏王女カトリーヌの子なので、同じく精神を病んだ祖父シャルル6世の遺伝とも言われる。時期がかなりずれるが英仏とも[ヘンリとシャルル]「6世」が精神を病み国政が乱れて、「7世」が混乱収拾と覚える。)

百年戦争終結から間もない1455年バラ戦争が始まり、61年ヨーク家のエドワード4世が即位、その後も紆余曲折があったが(ヘンリ6世が捕虜になったり、救出されて復位したり、また敗れて捕らえられたり、この経緯は上記『私の英国史』を読み返すと頭が痛くなります)、最終的にヘンリ6世は幽閉・殺害される。

リチャード2世の廃位から始まったランカスター朝がこういう終わり方を迎えたのは因果応酬というべきか。

ヨーク家の系図は、エドワード3世→ヨーク公エドマンド・オヴ・ラングリー→ケンブリッジ伯リチャード→ヨーク公リチャード・プランタジネット→エドワード4世。

ランカスター家は、エドワード3世→ジョン・オヴ・ゴーント→ヘンリ4世→ヘンリ5世→ヘンリ6世。

よってエドワード4世は、ヘンリ6世と概ね同世代か。

直接本書と関係無いことをあれこれ書きましたが、これもなかなか面白いです。

『リチャード二世』ほどには感銘を受けませんでしたが。

フランスとの戦争再開決断から始まり、後半部クライマックスのアザンクールの戦いを経て、仏王女との婚約が成就するところでおしまい。

基本、人生の浮き沈みの無い、王の成功を描写しているので強い印象は受けない。

よってイギリスの王位継承争いを知るには『ヘンリー六世』を読んだ方がいいのかもしれないが、上記の複雑さを思うとつい面倒だなと感じてしまう。

気が向いたら、いつかは読もうと思います。

広告

WordPress.com で無料サイトやブログを作成.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。