万年初心者のための世界史ブックガイド

2010年1月4日

森久男 『日本陸軍と内蒙工作 関東軍はなぜ独走したか』 (講談社選書メチエ)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 06:00

去年の6月刊。

満州国に隣接する内モンゴル地域での日本陸軍による自治・独立促進工作活動について、あれこれ書いた本。

かなり詳細な本だが、この辺は高校世界史では(高校日本史でも)完全に範囲外なので、ごく大まかなことだけ読み取ればよいと割り切る。

時期的には1933年ごろから36年ごろまでが中心に扱われる。

この時期は32年五・一五事件から36年二・二六事件までの一応の小康状態だが、国内では皇道派・統制派の陸軍派閥抗争、国外では華北分離工作によって日中両国が徐々に正面衝突路線に歩みつつある不安な時代でもある。

内閣は32年斉藤実、34年岡田啓介と、二代海軍穏健派内閣が続き、二・二六事件後には広田弘毅内閣が成立している。

まず基礎事項確認。

当時、外モンゴルは辛亥革命・清朝崩壊後の混乱期にロシア革命での白衛軍が侵入してきて、それを赤軍が追い払ったドサクサ紛れに共産化してモンゴル人民共和国成立、ソ連の衛星国になっている。

(経緯が不正確かもしれないが、すみません、覚えてません。)

内モンゴルというのはモンゴル人民共和国東南部、満州国西部に隣接するチャハル・綏遠両省を中心とする地方のようだ。

なお、満州というのは奉天・吉林・黒竜江の3省をいい、満州国領土に加えられた西部の興安・熱河両省も内モンゴルの一部らしい。

(「ようだ」とか「らしい」ばかりで恐縮ですが、地理的な詳しい説明があまり無いのでこういう書き方しかできない。地図は一応載ってるんですが、一番基礎的な地理をもうちょっと叙述しておいて欲しかったです。)

チャハル・綏遠を越えてさらに西に向かうと寧夏、甘粛、新疆に達する。

冒頭の凡例の後、主要登場人物として相当の数の人名がズラズラ並べられていてビビってしまうが、あまり気にせずに飛ばす。

以下、各章ごとの内容メモ。

序章「帝国国防方針と中国一撃論」で、本書の問題意識と全体の構成を説明。

第一章「日本陸軍の革新運動と対中国政策」。

先日の『浜口雄幸と永田鉄山』の記事で書いたような、陸軍の派閥抗争の歴史を簡潔にまとめてある。

1921年バーデンバーデンの密約、1929年双葉会・木曜会が合流して一夕会結成。

1931年満州事変、33年熱河作戦・塘沽(タンクー)停戦協定。

この頃から皇道派と統制派の対立。

皇道派は荒木貞夫・真崎甚三郎を担ぎ、対ソ戦重視と中国和平論、統制派は林銑十郎を担ぎ中心は永田鉄山、対ソ戦の前提としての中国一撃論。

当初は皇道派が優勢で、31年12月犬養内閣で荒木が陸相就任、32年1月真崎が参謀次長に。

統制派が反発、33年6月真崎転出、34年1月陸相が荒木から林に交替、3月永田が陸軍省軍務局長就任、人事権を武器に徐々に皇道派排除。

永田自身はかつての中国一撃論から距離を置いて、日中関係改善を模索するが、34年末関東軍首脳に板垣征四郎参謀副長、土肥原賢二奉天特務機関長などが復帰すると、関東軍内部で華北分離工作・内蒙工作を遂行しようとする対中強硬論が台頭。

35年6月梅津・何応欽協定(国民党河北省撤退)、土肥原・秦徳純協定(チャハル撤退)、8月永田斬殺(相沢事件)。

永田死後、陸軍中央部に統一的中国政策を遂行する求心力は無く、関東軍の独走を抑止することが不可能になる。

第二章「内蒙高度自治運動」。

清朝時代、蒙古の土地に複数の「盟」とその下に「旗」を置き、王公が世襲の旗長となり絶対権力を行使する体制。

辛亥革命後も変化無く、綏遠・チャハル・熱河には省を置かず、盟旗制度存続。

南京国民政府の北伐完了後、1928年9月綏遠・チャハル・熱河の特別区廃止、省制施行。

盟旗制度廃止を求める急進派(白雲梯ら)、部分的改定を目指す漸進派(呉鶴齢ら)、保守的王公派(徳王=チャハルのシリンゴル盟副盟長ら)の分立。

徳王が内蒙高度自治運動を始めると、蒙古知識青年の支持を集めて、白雲梯・呉鶴齢も参加。

国民政府との交渉を経て、1934年4月蒙古地方自治政務委員会(百霊廟蒙政会・百霊廟は地名)成立。

経済支援の不足や徳王側近の暗殺などが重なり国民政府との関係が悪化、徳王は対日接近に踏み切り、36年には徳王派と中央帰順派に蒙政会は分裂する。

長すぎるので、以後端折ります。

第三章「満州国と初期内蒙工作」。

細かすぎる・・・・・。

満州事変や熱河作戦を経て、33・34年ごろのチャハル東部への浸透工作などが述べられているが、適当に飛ばし読み。

第四章「関東軍の内蒙工作の展開」。

これも細かい。

要は36年徳王が蒙古軍総司令部・蒙古軍政府というものを作り、関東軍の支援で綏遠に侵攻するが、傅作義がこれを撃退し、西安事件直前に中国ナショナリズムを沸き立たせたこと(綏遠事件)だけメモ。

第五章「欧亜連絡航空路」。

内蒙・新疆・アフガン・イラクなどを経て、ベルリンに至る航空路線を開発し、日独防共政策の一環にしようとした構想について。

これも「ああそんなことがあったんですか」というだけなので、飛ばし読み。

第六章「外務省池田書記生の『中国一撃論』批判」。

当時の外交官による関東軍の対中政策批判。

終章「辺境が照射する日本陸軍の対中国政策の特質」。

短いページながら、これまでの記述を概括的にまとめており、有益。

一章、二章までは快調だったのだが、以後は末梢的な、やたら細かい史実を並べ立てた章が続くのがかなわない。

類書が少ないので貴重だと思う記述もある(特に第二章)が、途中からは到底初心者向けとは言えない内容となる。

もう少しレベルを落として、登場人物の数を減らして、日中戦争勃発から終戦までの内モンゴルの状況なども併せて記してくれればより良かったんですが。

読もうと思う方には、一章・二章・終章に力を入れて読み、後は適当に斜め読みで済ませる気持ちで取り組むことをお勧めします。

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