万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年11月15日

引用文(ヴォルコゴーノフ1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

ドミートリー・ヴォルコゴーノフ『レーニンの秘密 上・下』(NHK出版)より。

1906年の第四回党大会でボリシェヴィキとメンシェヴィキは再び統合されることになっていたが、両派の間で革命のためならそのような「押収」は奨励されるべきか否かをめぐって激しい論戦が繰り広げられた。ボリシェヴィキは武装集団による銀行襲撃は認められるべきだと主張した。メンシェヴィキはこれに強く反対し、自分たちの決議を通過させることに成功した。それにもかかわらず、こうした強奪はつづき、レーニンもこれを承知していた。

実際にボリシェヴィキとメンシェヴィキとの間に明確な一線を画していたのは組織の問題ではなかった。唯一の本当の社会民主主義者はメンシェヴィキだったのである。彼らは民主主義、議会制、社会の進歩を実現する手段として暴力を避けることができる価値観として、政治的多元主義を認めていた。彼らにとって民主主義とは永遠の理想であって、政治用の飾りものではなかった。ボリシェヴィキはそれとは反対に、暴力の重要性をますます強く信じるようになっていった。

・・・・・レーニンが広範な暴力とテロルを支持したため、メンシェヴィキに党の再統合をいっそう考えにくくした。1908年9月、マルトフは友人のメンシェヴィキの同志パーヴェル・アクセリロードに、「打ち明けていえば、たとえ名目上だけでもこの掠奪強盗団とかかわり合いになるのは間違いであるという思いを深くしています」と書いている。

マルトフにとって、政治的「柔軟性」とは妥協が可能であることを意味するだけでなく、高度の道義心に支えられた連合体が必要であるという認識を暗に示していた。そして、彼をレーニンと永遠に訣別させたのはまさにこの点で、組織的な問題ではなかったのである。ふたりの間の争点は、政治的規範ではなく、主として道義的規範をめぐるものであった。

マルトフは、もしも民主主義者が、たとえば臨時政府が、何とか平和をもたらしていたら、レーニンはどうしただろうと考えた。「彼はきっと戦術を変え、大衆に向かって、戦後のあらゆる不幸はばかな民主主義者があまりにも早く戦争を終わらせ、ドイツ帝国主義を徹底的に粉砕するまで戦争を遂行する勇気がなかったせいであると説教したであろう」

赤軍テロと白衛軍テロとがぶつかり合って途方もない暴力行為が発生するようになった時、マルトフは「死刑を廃止せよ」という小冊子を書いた。その中で彼はこういっている。

ボリシェヴィキが権力の座についてすぐ、死刑の廃止を発表しておきながら、その第一日から彼らは、まるで野蛮人がするように、内戦中に戦場で捕らえた捕虜たちを殺しはじめた。生命は助けるという約束で戦場で降伏させた敵を殺すとは・・・・・死刑は廃止されているのに、どこの町や地方でも、いろいろな非常時委員会や軍事革命委員会が何百人という人たちに銃殺刑を宣告している・・・・・こういう血祭りが社会主義の名において、人類の最高の目標のために働く人たちの兄弟愛を称揚する教えの名において、行なわれているのである・・・・・死刑を行う党は、ポグロムを行う党と同様、労働者階級の敵である。

この本を読むと、帝政派と革命諸派の間ではなく、ボリシェヴィキとその他全ての党派の間にこそ、決して超えることのできない深い断絶があったという印象を持つ。

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