万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年10月24日

引用文(バジョット1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

『世界の名著72 バジョット ラスキ マッキーヴァー』(中公バックス)より。

貴族院――むしろ貴族というほうがよい――の威厳の力は、非常に大きな効用をもっている。かれらは君主ほどの尊敬を受けてはいないが、やはり相当大きな尊敬を受けているといえる。貴族階級の役割は、一般民衆の心の中になにものかを植え付けることである。植え付けるものは、必ずしも虚偽ではなく、いわんや有害なものでもない。貴族は、民衆の鈍重な想像力に、貴族であればこそといえるような、なにものかを植え付けるのである。大多数の人間の空想力は、驚くほど貧弱である。かれらの空想力からすると、目に見える象徴がなければ、なにも理解できない。また象徴を示しても、十分に理解できないものがたくさんある。・・・・・このような階級の存在は、非常な効用をもっているといえる。すなわち、これによって、粗野で愚鈍な、しかも度量の狭い大衆は、元来評価や認識ができないにもかかわらず、知能をもった、ある種の者に対し服従感覚を呼び起こすようになるのである。

なお貴族階級は、服従感覚をつくり出すだけではなく、それを防止することでも大いに役立っている。貴族は、富の支配、すなわち黄金崇拝を防止している。富がアングロ・サクソンの偶像であることは、疑いないところであり、またそれは当然ともいえる。・・・・・ところがイギリスでは、貴族制度がこのようなことを防いでいる。「気の毒なことに、百万長者がイギリスほど不自由に暮らしている」国はどこにもない。金だけで、ただ単に金だけで「ロンドン社交界」をのし歩けないことは、毎日身にしみて味わわされており、また実証されてもいる。財力と違った別の優勢な権威によって、富が押さえつけられているのである。いな脅迫されている、といったほうがよい。

しかし、これは別段長所とはいえない、単にある崇拝を別の崇拝に替えるだけである、黄金崇拝も地位の崇拝も同じである、といわれるかもしれない。かりにこの理屈を認めるとしても、やはり二つの偶像をもっていることは、社会にとって非常に結構なことである。偶像崇拝の競争をすると、本物のほうが勝利を占めるからである。しかし地位の尊敬、少なくとも世襲的な地位の尊敬が、黄金崇拝と同様にいやらしいというのは当たらない。これまでの経験によると、礼儀作法は、ある身分層で半ば世襲的に受け継がれてきている。礼儀作法はすばらしい芸術の一つである。それは、社会の品格を示すものである。それが日常会話のやりとりで大切なことは、文章の綴り方がときおりの手紙の交換に大切なのと同じである。富を尊敬することによって、人間でなく人間の付属物を尊敬しているのである。世襲貴族を尊敬することによって、貴族が所有していると思われる偉大な能力――貴族のもっているなにものかを示す能力――を尊敬しているのである。・・・・・礼儀作法は、たまには個々の貴族に欠けているかもしれないが、体質的に貴族階級に付随しているものである。

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