万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年10月21日

辻清明 責任編集 『世界の名著72 バジョット ラスキ マッキーヴァー』 (中公バックス)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

この巻はウォルター・バジョットの『イギリス憲政論』だけを読みました。

ラスキ『主権の基礎』、マッキーヴァー『権力の変容』も収録されているが、一切無視。

『イギリス憲政論』は1867年刊で、マルクス『資本論』第一巻刊行、日本の大政奉還と同年。

書名はかなり前から知っており、いつかは読まなければならない本だなと思っていたが、先日の水谷三公『王室・貴族・大衆』で引用されているのを見て、いい機会だからこの際通読するかと手に取った。

全般的な内容としては、保守的自由主義の立場から、立憲君主制・議院内閣制の、共和制・大統領制に対する優位を説き、立憲君主と貴族院、下院(衆議院)を持つ、当時のイギリスの政体を肯定する本ではあるが、その論調は世襲君主と伝統的貴族制を盲目的に崇拝するといった態度からは程遠い。

その筆致は甚だドライであり、時にはシニカルですらある。

世襲王家から有能な君主が生まれることは稀で、その大半は凡庸・愚鈍な存在であり、イギリスの貴族院は所属議員の怠惰・頑迷・偏見によって公正・中立な立場からの修正・調整という本来果たすべき役割を果たしていないとしている。

ヴィクトリア女王と夫のアルバート公はその稀な例外とされているが、基本的に「国王親政」という考えは強く批判され、それを目指したジョージ3世(アメリカ独立からフランス革命・ナポレオン戦争までの時期に長期間在位したが、晩年は精神を病んだ英国王)などは繰り返し非難されている。

ジョージ3世は生涯の大部分を通じて、一種の「神聖な障害」であった。・・・・・かれは人並みの善意をいだき政務にも精励した。・・・・・しかしかれは、狭量で、片よった教育を受けていた。・・・・・したがってかれはいつも、しなければならないことを拒否し、してはならないことにいつまでも固執した。かれはその治世中、歴代内閣の半数に対し、意地悪く、しかも神聖な大権を振りかざして攻撃した。

(ただ、その直後に以下のように書いてもいるが。)

そして、やがてフランス革命を迎えて世界が恐怖に駆り立てられ、民主政治が「不敬」であることが明らかになったとき、イギリス人の崇敬の念がかれに集中し、その結果、何倍もの力をかれに与えるに至ったのである。

貴族院については、衆議院に対して大幅に譲歩することを説き、有能・賢明な人材を一代貴族に任命して議員とすることを提案している。

また、新興国に対しては、大統領制を排するのは同じだが、伝統の支えを欠いた君主制を無理に創設するより、君主制抜きの議院内閣制(バジョットはそれを可能としている)を推奨している。

(今で言えば、大統領はいても儀礼的存在で、政治実権は首相にあるドイツ・イタリア・ポルトガル?・インド・イスラエルなどの政体がそうか。元首が英国王であり、女王が任命する総督が存在するが、カナダとオーストラリアも。)

イギリスの政体については、モンテスキュー以来、行政・立法・司法の三権分立がその大きな特徴だと言われてきたが、バジョットはそれはむしろ、行政府と立法部がそれぞれ独立に民衆の選挙で選ばれるアメリカ合衆国のような大統領制の特徴だとして、議院内閣制の本質は行政府が立法部と密接な繋がりを持ち、そこから選出されることだとしている(高坂正堯『世界史の中から考える』(新潮選書)に少しだけ関連記述有り)。

こうした議院内閣制が、有能な行政府の選出・国民意思の表明・国民の政治的教育・政治問題の周知・公正な立法・適切な財政について、大統領制よりも良好な成績を残せるとしてあれこれ書いている。

巻置く能わずという程でもないが、なかなか面白い。

訳文は割と良くて、読みやすい方だと思う。

読もうと思う方に一点だけご提案。

「第二版の序文」というものが、本書では末尾に付け加えられています。

版によっては(昔、清水弘文堂書房から『英国の国家構造』というタイトルで出たものがたぶんそう)、これが原書通り巻頭に載せられている本もあるかと思いますが、これは最初は飛ばしていきなり本文から入ったほうがいいです。

周辺的事項についてあれこれ書いてある内容で、本文を読んでからでないと十全に理解することができず、最悪この時点で挫折しかねませんので。

読んでも決して無駄にはならない良書だと思いますので、皆様もどうぞ。

自由政治というものは、国民が自由意志によって選択した政府に服する政治である。ばらばらの民衆が偶然に集まってつくる自由政治は、たかだか民主的な政治にしかなりえない。他人のことを知らないし、気にかけないし、尊敬もしないという場合には、すべての人間が平等であるにちがいない。その場合、だれの意見も、他の意見より有力であるということはない。しかしすでに明らかにしたように、尊敬心をもった国民は、独自の政治構造をつくっている。そこでは特定の人々が、共通の同意によって他の人々よりも賢明であると考えられている。またその意見は、同意によって計数的価値を越えた大きな価値を認められている。

不幸な国民の場合は、票の数だけを数えるが、幸福な国民の場合は、票の数を数えるほか、票の重さも量るのである。

自由国家に権威を示す制度があれば、その効果は測りしれない。・・・・・指導者たちを選ぶ興奮は、選任することのできない支配者がいることがはっきりしておれば、抑制される。

・・・・・しかし、国民の大多数が選挙する能力をもっていない場合がある。事実、まれな例外はあるが、たいていの国において国民の過半数はこれに該当している。・・・・・その場合議院内閣制は、ぎこちない表現であるが、尊敬心をもった国民の間にだけ成立する可能性がある。奇妙に思われるかもしれないが、賢明な少数者の統治を希望する愚鈍な多数者を擁した国民が、現に存在しているのである。

つまり数の上での多数者が、習慣によるか自由意志によるかは別として、特定の選ばれた少数者に指導者を選任する権限を委任するつもりでおり、またそうしたがっているのである。・・・・・多数者は、立派な政府を選ぶ資格をもち、いかなる階級からも反対されることのない、すぐれた少数者に対し一種の忠誠心をいだいているのである。このような幸福な状態にある国民は、議院内閣制をつくるに当たって利点をもっていることは明らかである。

・・・・・イギリスは類型からいうと、尊敬心をもった国民を擁している国家である。・・・・・実際にはイギリス国民の大多数は、指導者を尊敬するというよりは、むしろなにか別の人間に尊敬の念をいだいているのである。かれらは、いわゆる社会の演劇的な見せ物に敬意を払っている。・・・・・哲学者たちは承認しないかもしれないが、宮廷や貴族階級は、大衆を支配するための偉大な資格を備えている。・・・・・哲学者たちは、こんな迷信を嘲笑するかもしれない。しかしその結果は測りしれないほど大きい。

尊敬心をもった人々で構成される社会は、たとえその最下層階級が賢明でなくとも、どんな種類の民主国家よりも、議院内閣制にはるかによく適している。・・・・・尊敬心をもった貧民を擁している国は、そのような貧民をもたない国に比べて、福祉という点でははるかに劣っているかもしれない。にもかかわらず、最上の政府をつくるという点では、はるかに適しているのである。尊敬心をもった人々を擁する国では最上の階級を利用できるが、自分が他のすべての人間と同等に、ひとかどの人間であると考える国民は、最悪の階級を利用できるだけである。

・・・・・ある社会で大衆が無知ではあるが、尊敬心をもっているという場合、この無知な階級にひとたび統治権を与えると、永久に尊敬心はもどってこない。現王朝[人民]の支配は、打倒された王朝[貴族]の支配よりすぐれているということを、煽動政治家が説き、新聞が話しかける。民衆は、自分に利害関係のある問題について、その賛否両論を聞くということはほとんどない。民衆の言論機関は、民衆に迎合的な議論ばかりをする。そしてそれ以外の言論機関は、事実上その意見を民衆の耳に入れることはできない。民衆は、自分自身に対する批判を決して聞こうとはしない。民衆が追放した教養ある少数者が、民衆の統治に比べて、いちだんと立派に、また賢明に統治していたということを、だれも民衆に教えようとはしない。民主主義は、恐ろしい破滅を味わわないかぎり、民主主義の打ち負かした体制へ復帰しようとしない。なぜなら、そうすることは、みずからが劣っていることを容認することになるからである。民主主義は、ほとんど耐えがたい不幸を体験しないと、みずからが劣っていることを決して信じないのである。

広告

WordPress.com で無料サイトやブログを作成.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。