万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年10月3日

引用文(ヤスパース3)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

前回記事の続き。

 

彼は知性に唯一の故郷を見いだしている。知性のなかで彼は快感をおぼえるが、それは、知性においては、一切を、思考する運動のなかで他者として把握することだけが、課題だからである。彼は、一切を混同する。彼には、<自己であること>が欠けているために、決して科学をわがものとして獲得することができない。彼は、科学への迷信から科学と闘う迷信まで、いつでも状況しだいであちらこちらと動揺している。

 

彼の情熱は論争である。彼は決定的な言葉を用い、徹底的な立場をとるが、しかもそれらに固執しない。他人の語ることを、彼は受け入れる。彼は、自分の語ることも正当で、ただ、これを付け加えあれを言いかえなければならないだけなのだと、誰にでも申したてる。彼は、他人にまったく同意しておいて、そのあとでは、そんなことが全然語られなかったかのように行為する。

 

詭弁家は、その人にとっては知性がそれ自体であるのでなく現象する存在の媒体であるような、自己である相手にぶつかると、際限なく動揺する。その場合、彼には彼の現存在の妥当性が侵害されるように思えるものだから、彼は極端に昂奮し、たえず視点をずらしていき、次々に別の論争分野に踏みこみ、ある瞬間には完全に客観的な即物主義を強調して、しかもそのあとすぐに自分では情緒的になる。彼は、ひとつの公式に自分を一致させようとして、まるでそこに真理が存するとでもいったように、迎合する。彼は、いま哀れっぽくもちかけているかと思えば、もうこんどは激昂している。何ごとにおいても、連続性というものがない。しかし、彼にしてみれば、全然目だたないでいるよりは、壊滅的に解体される方がましなのである。

 

詭弁家にとっては、一切を合理的に取りあつかいうるということが、生活条件である。彼は、思考方式、範疇、例外なき方法のもろもろを採用するが、それはもっぱら話術形式としてであって、認識作用の内実豊かな運動としてではない。彼は、論理的に周知の手段で瞬間的な成果をめざすために推理式的論理一貫性で考え、語られているものが何であろうとそれを才気縦横に反対命題に転換させるために弁証法を使用し、なんら事態に接近することなしに直観や実例をねらい、平明な理解しやすさをねらうのであるが、それは彼が修辞学的な効果をおさめることを考えて、洞察を意に介しないからである。彼は、他のすべての人々の忘れっぽさをあてにしている。彼の修辞学的断定性のパトスは、彼を捕えるかもしれないすべてのものから、のらりくらりと逃げることを彼にゆるしてくれる。彼は、気の向くままに是認したり否認したりする。彼が語ることは、時の進行にたえて立っている建築物を欠いたひとつの遊戯であり、彼との交わりは、底なしの淵に落ちこむことである。何ひとつ生い育たないが、それは彼が出まかせに、おしゃべりをしているのだからである。彼と関係することは、自己浪費を意味する。全体的に見て、彼はみずからの無の意識に、不安に満ちてつらぬかれており、それでいながら、彼を存在にもたらすような飛躍をおこなおうとは欲しないのである。

 

このような描写は、つづけていけば際限がない。それらは、われわれをそれに変化させるためなのか、われわれを現存在から排除するためなのか知らないが、隠密のうちに一切を横領したがっているひとつの無名の力をめぐって、巡回しているのである。

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