万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年10月2日

引用文(ヤスパース2)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

カール・ヤスパース『現代の精神的状況』(理想社)より。

 

顛倒というものについてのいかなる特定の把握も、単純すぎる。なぜならば、詭弁的な現存在の顛倒は、ひとつの普遍的なものだからである。それが捉えられるところでは、それはもうすでに変化してしまっているのである。詭弁家の可能性は、現存在秩序に関しては、現存在における人間の未来に対する無名的な警告として産みだされるものであるが、そうした詭弁家は、間断なく顛倒することとしてしか描かれることができない。定式化されるときに詭弁家が受けとる特徴は、つねに、もうすでに規定されすぎているのである―――

 

詭弁家は、外見上どれほど自然的に見える自明性においても、自分はそこには決していない。すべてに通暁していて、彼はあらゆる可能性を、或るときはこれ、或るときはそれと、任意につかむのである。

 

彼はつねに自分が共働者であることを示す。なぜなら、彼はその場に居合わせることを欲するから。重大な衝突となると、かれはそのことごとくを避けようと努め、それをどんな平面においても明瞭な現象とならせまいとする。全面的なつながれ方をしているというヴェールをかぶりながら彼が欲しているのは現存在だけであって、より高い性質のものになろうとすることから、同一水準にある他の人々に反対して、問いを出していく運命の戦いに入っていくところの、あの真の敵対性をもつ能力は彼にはないのである。

 

すべてのものが彼に反対するところでは、その波が過ぎ去ったときふたたびそこにあることを期待して、彼は屈して従うことができる。一切が見こみなく見えるときでも、なおそこに有利な道を見いだすことが、彼には可能になる。彼はいたるところに関係をつける。そして、彼は、ひとが彼を愛顧して昇進させるしかないように自分を示す。彼は権力がそこで彼に出会うところの、経営のなかでは従順である。だが、もはや権力がないとなると、獰猛で不忠実である。何の代価もはらわないでいいところでは激情的であり、みずからの我意が挫かれるところでは感傷的である。

 

彼が優勢になり確固たる地位を獲得すると、いましがたまで卑屈であったその彼が、存在である一切のものに対して、俄然、攻撃的になる。憤怒の衣服をまとって、彼は人間の高貴さに彼の憎悪を向ける。なぜならば、彼の身に何が起ころうとも、彼はそれを無のなかに止揚するのだから。無の可能性の前に立つ代わりに、彼は無を信じているのである。彼に迫るものは、どんな存在に直面しても、それが無であることを彼流に確信することである。彼がすべてをわきまえていようとも、畏敬とか羞恥とか忠誠とかが彼に無縁なのは、このことに由来する。

 

彼は根底的な不満に激情的に身を投じ、忍耐のヒロイズムを思わせるゼスチュアをする。実存なきアイロニーの態度には、彼は達者なものである。

 

・・・・・

決してまともな相手ではなく、彼は名乗って出ることはないし、すべてを忘れ、口ではいつも責任を言うくせに内的責任というものはまるで知らない。彼には無条件的なものの自主性が欠けており、しかも彼には非存在の無拘束性が残っていて、その点に、瞬間的で任意に取りかえる主張の強引さがある。

広告

WordPress.com Blog.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。