万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年9月26日

岩崎育夫 『リー・クアンユー (現代アジアの肖像15)』 (岩波書店)

Filed under: 東南アジア — 万年初心者 @ 06:00

1996年刊。

シンガポールという国家の基礎をほぼ一人で作り上げた指導者であるリー・クアンユーの伝記。

シンガポールはマレー半島南端にある島国で、北はマレーシアのジョホールに、南はインドネシアのスマトラ島に隣接する。

東西42キロ、南北23キロ、淡路島とほぼ同じ面積の島に約300万の人口が暮らす都市国家。

華人(中国系)住民が多数を占めるが、その他マレー系、インド系住民も存在する他民族国家。

その起源は1819年イギリス東インド会社職員ラッフルズがジョホール王国から当地を租借したことに始まる。

(参考文献として『マレーシアの歴史』(山川出版社)『ラーマンとマハティール』(岩波書店)も参照。)

1826年シンガポール・ペナン・マラッカで海峡植民地成立。

第二次大戦で日本軍に占領された後、イギリス統治再編の中で1946年マレー半島・ペナン・マラッカでマラヤ連合が成立し、シンガポールは直轄植民地として行政的にマラヤから分離される。

57年マラヤは独立、シンガポールでも自治権付与は避けられないとみたイギリスは58年シンガポールを英連邦内自治州として外交・国防を除く完全内政自治権を付与。

1954年人民行動党を結成していたリー・クアンユーは59年総選挙で勝利し首相に就任。

同党はリー等、英語教育を受けた英国留学生のエリート集団と、華語教育を受けた共産系労組・学生組織が同床異夢で結合していたが、リーは首相就任後、共産系勢力の弾圧を開始。

共産勢力を覆滅するため、一足先に独立して、共産党鎮圧にも成功していたマラヤと合併する形での完全独立を目指す。

1963年マラヤ・シンガポール・ボルネオ北部のサバ・サラワクでマレーシア連邦結成。

しかし華人系とマレー系の民族対立や経済政策をめぐる確執で、わずか2年後の65年にはシンガポールが分離独立。

インドネシアのスカルノ政権はマレーシア結成を親西側穏健諸国の再編として対決政策を採っており、南北の大国と関係が悪化していた新国家の前途は危ぶまれたが、独立直後に起こった9・30事件でスカルノ政権が崩壊し、インドネシアが穏健路線に舵を切ったことにも助けられる。

また、同65年の北爆開始とアメリカのヴェトナム戦争本格介入に伴う特需も有益だったと思われる。

なお、念のため確認すると「北爆(北ヴェトナム爆撃)」の名の通り、米軍は北を海・空軍で攻撃しているが、陸軍・海兵隊を派遣したのは南ヴェトナム領域のみで、地上軍は北には侵攻していない。

(後に北の補給路[ホー・チミン・ルート]を絶つためにカンボジアとラオスには侵攻しているが。)

高校レベルの初心者だと案外勘違いすることがあるので、ご注意。

この1965年はヴェトナム戦争激化、9・30事件、シンガポール独立の他に、日韓基本条約調印、第2次印パ戦争、翌66年の文化大革命発動に繋がる中国の文芸批判など、アジア情勢が大きく動いた年として要記憶。

話を戻すと、独立後のシンガポールは人民行動党一党支配の下、独特の権威主義政治と管理社会を運営して、外資導入と工業化を推進して驚異的な経済成長を遂げる。

労働集約的産業から技術・資本集約的産業へと進化を進め、70年代末に韓国・台湾・香港と並んでアジアNIES(新興工業地帯)と呼ばれるようになり、80年代以降はハイテク・金融・サービス部門でも飛躍的成果を挙げる。

(このNIESという言葉、昔は頻繁に耳にしたのですが、他の東南アジア諸国や中国が経済的離陸を果たした今となっては全然聞かなくなりましたね。)

建国の父リー・クアンユーの手腕が高く評価される所以で、キッシンジャーの回顧録などでも、国の規模と指導者の鋭敏さが不均衡な例として挙げられていた。

しかし、戦時中の経験を考えればやむを得ないとは思うが、日本に対しては相当偏った見方をこの人は示しているようである。

このシリーズすべてに言える事だが、コンパクトにまとめられていてなかなか良い。

過不足の無い説明で読みやすいし、二日もあれば十分読めるので手間が掛からず一定の効用が期待できる。

シンガポール史を3冊も4冊も読めないので、初心者はとりあえずこれをしっかり読むだけでいいでしょう。

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