万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年9月20日

引用文(遅塚忠躬1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

遅塚忠躬『フランス革命 歴史における劇薬』(岩波ジュニア新書)より。

まず、中江兆民の場合です。兆民は、フランスで第三共和政が成立した直後の1872(明治5)年から1874(明治7)年までフランスに留学し、帰国後には、ルソーの『社会契約論』の翻訳などを通じて自由民権運動に大きな影響を与えた人です。ルソーは、主権が人民にあることを説いて、フランス革命の思想的源泉になった人ですから、「東洋のルソー」ともよばれた兆民は、デモクラシーを樹立するうえでのフランス革命の意義をよく理解していました。

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しかし、その兆民も、フランス革命の悲惨な側面にたいしては、強い不満と怒りをもっていました。たとえば、ロベスピエールについては、「鄙賎無頼(ひせんぶらい)の民(いやしいならずもの)」を煽動して権力を手に入れ、「酷暴ヲ恣(ほしいまま)ニシ、威刑ヲ以テ政ノ主旨ト為シ(残酷な暴力をふりまわして恐怖政治をおこない)・・・・・殆ンド専制ノ君主ト異ナルコト無キニ至ル」と述べているほどです・・・・・。

兆民の革命観をよく伝えている史料として、幸徳秋水の書いた『兆民先生』という文章があります。幸徳秋水は、のちに明治天皇の暗殺を計画したという罪を着せられて死刑に処せられる人ですが、若いころ、兆民の家に書生として住みこんで、親しく兆民から教えを受けたことがあるのです。その秋水が、兆民の死んだ翌年(明治35年)に彼をしのんで書いたこの文章のなかに、次の一節があります。

予(秋水のこと)曾(かつ)て曰く、仏国革命は千古の偉業也。然れども予は其(その)惨に堪へざる也と。先生(兆民のこと)曰く、然り予は革命党也。然れども当時予をして路易(ルイ)十六世王の絞頸(こうけい)台上に登るを見せしめば、予は必ず走って劊手(かいしゅ)(処刑役人のこと)を撞倒し、王を抱擁して遁れしならんと・・・・・。

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