万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年8月12日

佐伯啓思 『ケインズの予言 幻想のグローバル資本主義(下)』 (PHP新書)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

上巻『アダム・スミスの誤算』の続き。

新自由主義からの批判に対して、伝統的保守主義の立場からケインズをかなりの程度擁護するのは、西部邁『経済倫理学序説』と同じ。

本書も驚くほど明解で一貫した内容。

上・下合わせて丸一日で読めましたが、速読が一切出来ない私が新書版を一日二冊読んだのは初めて。

極端な市場主義の問題点についていろいろ考えさせられる。

末尾の著者の予測は去年になって完全に実現したと言える。

これは読む価値大です。

・・・・・一方で、資本主義の発展つまり人間の物質生活の向上のためには貨幣が存在しなければならないし、金融市場は拡大し発展しなければならない。だがそうなればなるほど、人間の生は貨幣的なものに依存して不確かな基礎の上に配置されることになる。それだけならまだしも、貨幣的なものの展開は、貨幣にしか確かなものをみいだせない人間を、貨幣の世界(金融のゲーム)の中に巻き込んでゆく。こうして、人々は、貨幣に生の確かさをみいだすどころか、金融の奴隷のごとき存在に落ちてゆく。自由を求める人間の活動の帰結は、この新たな隷従への道を歩まざるをえないのである。

ここに現代の資本主義のパラドックスとでもいうべきものがある。スミスやケインズは、社会に、人々の「富と徳」あるいは「知識と徳」を評価する価値規範が存在するとした。そしてそれがかろうじて、資本主義のパラドックスがもたらす新たな隷従を回避するとみたわけである。そして、グローバル資本主義は、それぞれの社会がもつ価値規範をほとんど風化させることによってこのパラドックスを剥き出しの形でわれわれに突き付けかねない。

人がすべて「純粋の経済人」になったとき、もはや社会の価値規範や規律は不必要となる。それは、人間の、経済への一面化であり、経済への奴隷化にほかならない。人間のもつ多面性は、市場の場でのゲームにおいて一面化されてしまう。そして、それをいまわれわれは「自立した個人」と呼んでいるのである。・・・・・

ケインズが見越したように、経済が相当期間の成長を続け、ある程度大きくなれば、その経済は「豊かさの中の停滞」に陥らざるをえないであろう。その結果、いずれ低成長経済に移行せざるをえない。一方、この「豊かさ」の中で、人々は、ただ退屈しのぎにその日その日を暮らすようになる。規範や倫理ではなく、スキャンダルや投機(スペキュレーション)が人々の精神を支配するようになる。「自由」は拡大するが、そうなればなるほど、人々は精神の緊張を失ってゆくだろう。社会の規範や「公共性」への配慮はますます希薄となってゆくだろう。「公共性」を定義するはずの国家そのものが人々の意識の対象としては疎遠なものとなってゆくだろう。スミスが述べたように、社会の基礎となる同感や、同感を可能とする人々の社会的関係はますます弱体化する。人々をつなぐものは、規範(ルール)の基礎となる「公平な観察者」の責任ある同感ではなく、無責任な「匿名」の風評のようなものである。名前をもったものの「観察(スペクテーション)」ではなく、匿名のものたちの「見世物(スペクタクル)」が支配する。政治は匿名のものたちの作り上げる「スキャンダリズム」や「ポピュリズム」へと推移し、市場は、やはり匿名のものたちの「投機」の様相を示す。・・・・・・

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