万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年8月10日

佐伯啓思 『アダム・スミスの誤算 幻想のグローバル資本主義(上)』 (PHP新書)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

ちょうど十年前、1999年刊。

アダム・スミスというと反射的に以下のような言葉が思い浮かぶ。

「自由放任」、「レッセ・フェール」、「見えざる手」、「市場の自動調節メカニズム」、「重商主義批判」、「自由貿易論」、「自由主義的古典派経済学」、「個人的利己心の肯定」、「封建的特権の批判」等々・・・・・・。

本書は、名誉革命後のイギリスにおいてスミスが直面した状況と彼の問題意識を探り、『国富論』と『道徳感情論』を読み直すことによって、上記の単純化されたイメージを覆し、なおかつ現在のグローバリズムの問題点を指摘するという構成。

書名に「誤算」と付いてますけど、基本的にスミスを批判的に見る本ではなく、その隠された思考を再現して、現代の視点から再評価する内容。

面白い。

論旨は明快で文章も優れているので、相当のスピードで通読できて、非常にすっきりと理解できる。

スミスの著作を適切に引用しながら、極めて鮮やかな切り口で議論を進めるので、一瞬、『国富論』を通読してみようかなという気にさせられる(次の瞬間には正気に返って「そりゃ自分では無理だ」となりますが)。

同じ著者の『アメリカニズムの終焉』および、堂目卓生『アダム・スミス』(中公新書)と併読すれば効果大。

下巻は次回記事にします。

全社会の安全をあやうくするおそれのあるような少数の個人の自然的自由は、もっとも自由な政府であろうとも、もっとも専制的な政府であろうとも、すべての政府によって現に抑制されているし、また当然抑制されるべきものである。

・・・・・実際、こうした表現を聞いて驚くのは、ただ、スミスを市場の自由放任主義者だとみなしてきたステレオタイプ的な理解の上にまどろんできた者だけである。スミスのいう自然的自由はつねに社会の秩序と両立できる限りでのことであった。当然ながら、社会の安全や秩序は、それを攪乱する可能性のある自由よりも優先されるべきであろう。

重要なことは、市場の自由や銀行業の自由がそのまま社会の秩序をもたらすとはスミスは考えていなかったということだ。それらは、あくまで、「土地と労働に基づく生産」に基礎づけられていなければならない。「土地と労働に基づく生産」だけが、比較的確実な収益を保証し、この確実な収益の上に、人々の確かな財産と計画の立つ生計が可能となるからである。こうした確実な生計と、ある種の徳、誠実、正直、勤勉といったものは不可分であろう。そこで、この確かな生計を営むことによって、人は社会の「是認」をえることができる。つまり社会という共同体の確かな一員として認められる。

よく知られた一節の中で、スミスは、分業が、人々の精神をいかに怠惰なものとするかを論じている。分業は人民大衆の大部分を次のような状況に陥れるのではないかとスミスはいうのだ。

かれはこういう努力(自分の理解力を働かせたり、発明力を働かせたりする努力・・・・著者)を払う習慣を失い、およそ創造物としての人間がなりさがれる限りのばかになり、無知にもなる。かれは精神が遅鈍になるから、何か筋のとおった会話に興をわかせたり、それに加わることができなくなるばかりか、どのような寛大で高尚な、またはやさしい感情をもつこともできなくなり、したがってまた、私生活の義務についてさえ、その多くのものについてどのような正当な判断も下せなくなる。かれは、自分の国の重大で広範な利害について、全然判断を下すことができないのであって、かれは戦時に自分の国を防衛することも、同じようにできないのである。・・・・・・こういうふうにしてかれ自身の特定の職業におけるかれの技巧は、かれの知的、社会的、軍事的な徳を犠牲にして獲得されるように思われる。

そうとうに厳しい言い方ではないか。単調な仕事の中で特定の職業の「専門家」になることが人間の精神を鈍磨し、「なりさがれる限りのばか」にし、無気力にもする。こうした状態が由々しき事態であるのは、『道徳感情論』で述べられたような、「相手の立場に身をおく」共感の前提となる公正な想像力など、ここからは全く期待できないからである。市場と分業の進展によって人民大衆がこのような状態におかれれば、「公正で中立的な観察者」などというものはとても期待できないであろう。とすれば、もはや、道徳の基礎を、これらの一般大衆の判断力に期待することはできなくなってしまうであろう。

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