万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年7月29日

松本重治 責任編集 『世界の名著40 フランクリン ジェファソン マディソン他 トクヴィル』 (中公バックス)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

「世界の名著」の通し番号40というのは中公バックス版のもので、ハードカバー版だと違うかもしれません。

この巻の中身は、フランクリンの『自伝』、ジェファソンの『独立宣言』や書簡、ハミルトン・マディソン・ジェイの『ザ・フェデラリスト』抄訳、トクヴィルの『アメリカにおけるデモクラシーについて』抄訳。

以上のうち、フランクリンとジェファソンはそもそも読む気が起きず、『ザ・フェデラリスト』は岩波文庫で別の抄訳を読んでいるので、結局通読したのはトクヴィルの部分だけです。

このトクヴィルの主著は以前から必ず読まなきゃいけない本だなとは思っており、講談社学術文庫版の『アメリカの民主政治 上・中・下』と岩波文庫版の『アメリカのデモクラシー 全4巻』を手に取ったことはあるのですが、なにぶん大部の著作のため挑戦するのを躊躇してきました。

本書では、1部・2部構成の原著のうち、全体の序文と結語および第2部の全10章から6~9章を訳出して、100ページほどにまとめてある。

全体のからすればほんの抄訳に過ぎないが、民主主義に内在する「多数の専制」という危険と、当時のアメリカ社会がそれをある程度抑えることに成功していた要因である、法律家集団という擬似貴族層と強固な宗教的信念の存在について述べているキモの部分とのことらしいので、読めば極めて有益だと思います。

アメリカほど一般に、自主独立の精神と真の言論の自由(が支配すること)の少ない国を私は知らない。・・・・・・アメリカでは、多数が思想にきびしい枠をはめている。その範囲内では、文筆にたずさわるものは自由であるが、あえてそれからはずれようとすると災難である。火あぶりの刑の恐れはないが、あらゆる種類の不快と、日々の迫害の的となる。政界での活躍の途は封じられる。それを開きうる唯一の権威を傷つけたからである。名声にいたるまで、すべてのものが拒まれる。その意見を公表するまでは味方がいると信じていたのに、すべての前に自己を明らかにしたいまでは、もはや味方はいないかに見える。非難する人々の声は高く、見解を同じくする人々は、それを公表する勇気に欠け、沈黙して遠ざかるからである。彼は譲歩し、そしてついには日々の営みに身を屈し、あたかも真理を語ったのを悔いるかのように、沈黙にかえる。

鉄鎖と死刑執行人、これが往時の圧制の粗野な用具であった。(君主)専制に、もはや何も学ぶ必要がないかに見えていたのであるが、今日では文明によって専制までが完璧になった。君主は、暴力を、いわば物理的に(使用)した。(これに対し)今日の民主的共和政は、みずからが抑制したいと思う人間の意思が理知的になるのとひとしく、暴力を知能的にした。個人の絶対支配、すなわち、専制は、人の魂にまで立ち入るために、肉体にはげしい打撃を加えた。魂はその打撃を逃れて、肉体を超えて輝かしく高揚した。しかし、民主的共和政では、圧制の過程はこれと全く違う。肉体を措いて、直接、魂に向かう。主人は「私と同じに考えろ。でなければ殺されるよ」とはもういわない。「おまえが私と同じ考えでないのは自由だ。生命にも、財産にも、すべてに異状は生じない。しかし、私に楯ついたその日から、おまえは異邦人だ。市民としての特権が依然としてあるが、そんなものは無用になる。選挙において同胞の支持を求めても、誰もおまえを支持はすまい。自分を認めてくれるだけでよいといっても、同胞は口実をもうけて拒むだろう。おまえは社会には住むが、人としての権利を失うであろう。仲間に近づこうとしても、仲間は何かけがらわしいものかのようにおまえを避けるだろう。無実を信じる人々でさえ、おまえを見捨てるだろう。さもないと、今度は自分が忌避されるから。安心して行け。おまえの命はとらぬが、その日々は死よりも辛いことだろう」という。

絶対君主政は専制を不名誉にした。民主的共和政がそれを復権させ、少数の人々にはこれを重い負担とする一方、大多数の眼にはその忌むべき堕落の様相をおおいかくす。そんなことにならぬよう注意しよう。

旧世界の最も誇り高い国々では、同時代人の道徳的な欠陥と滑稽な言動とをありのまま描くような著作が公刊された。ラ・ブリュイエールが大貴族の章を書いたときには、ルイ十四世の宮廷に住んでいた。モリエールは廷臣の前で演じられた劇の中で宮廷を批判した。しかし、合衆国を支配する力は、このような戯れを決して望まない。わずかの非難にさえ傷つき、少しでも痛いところをつかれると猛り立つ。言葉つきから最も堅固な志操に至るまで、すべてを称賛しなければならぬ。すべての作家は、その名声がいかに高くとも、同胞市民を称える義務から免れることができない。多数は常に自讃の中に生きている。・・・・・・

2009年7月26日

鈴木董 編 『パクス・イスラミカの世紀 (新書イスラームの世界史2)』 (講談社現代新書)

Filed under: イスラム・中東 — 万年初心者 @ 06:00

かなり前に第1巻を読んだ後、そのまま放置してあったシリーズの続巻。

13世紀モンゴル侵入から18世紀末辺りまでのイスラム史。

第1章モンゴル史の著者は杉山正明先生

いつもの調子で、イスラム史家が記したモンゴルの残忍・破壊は西欧史家・中国史家と同じく一切「偏見」と言わんばかりの叙述。

一応論拠は述べられていてそれなりに納得できるものではあるのですが、どうしてもそのまま素直に受け取れないと警戒してしまう気持ちは残る。

しかしここまで徹底されると、ある意味感心する。

もう誰も止めませんから、先生は行き着くところまで行って下さいという感じ。

第2章は東方イスラーム世界。

これは、モンゴル侵入以後500年間の、イラク・イラン・アフガン・西トルキスタンを併せた地域を指し、ペルシア語を共通語とし、軍事はトルコ系遊牧民が、民政はイラン系定住民(タージーク)が担当していたのが特徴。

教科書ではこの時期をイラン・イスラム文明の時代と名付けているが、本書ではトルコ・モンゴル系遊牧民が大きな役割を果たしていたので、この名称は使わないとしている。

王朝で言うと、イル・ハン国、ジャラーイール朝、ティムール朝、黒羊(カラコユンル)朝、白羊(アクコユンル)朝、サファヴィー朝。

支持基盤であるトルコ系遊牧民が持っていたかなり特殊な信仰であるキジルバシ的シーア主義と、統治下においたイラン系定住民の信仰との妥協点を見い出すため、サファヴィー朝が12イマーム派シーア主義を導入する経緯などはなかなか興味深い。

第3章はティムール朝。

中央アジアは歴史上常に被征服者の立場に置かれてきたが、ティムール朝において初めて自ら世界帝国の発祥となったと書かれていて、そう言われてみればそうかと気付いた。

16世紀の中央アジアで、ティムール帝国崩壊と大航海時代によってシルク・ロードの重要性が低下し、没落・停滞の様相が濃くなったという定説に疑問を投げかけている。

第4章はオスマン帝国。

有名な常備軍イェニチェリは、火砲を装備した歩兵集団であり、騎兵ではない。

これは結構盲点で、大学入試の引っ掛け問題で問われそう。

1514年、建国間もないサファヴィー朝とチャルディラーンで戦い、これを撃破。

当時在位していたスルタン、セリム1世は1517年のマムルーク朝エジプト征服でのみ、高校世界史では記憶されているが、上記チャルディラーンの戦いも結構重要と思われる。

オスマン帝国衰退の象徴を1571年レパントの海戦に見るのではなく、1683年第二次ウィーン包囲失敗と1699年カルロヴィッツ条約とハンガリー喪失に置くというのは、高校世界史でも出てきますね。

第5章オスマン支配下のアラブ。

オスマン治下時代を単純な暗黒時代としてではなく、アラブ有力者層の自立の時期として捉えて、各地域ごとの具体的様相を叙述している。

第6章ムガル帝国。

アウラングゼーブ死後の急激な分裂を考慮して、ムガル朝をインドの統一政権とは見ずにデリー・スルタン朝の継続に過ぎないとの見方を紹介しているのは非常に面白い。

第7章東南アジアのイスラム化。

実質マラッカ王国のみの記述。

短すぎてあまり書くべきこともない。

しかしマラッカの年代記において、自らの遠い始祖をアレクサンドロス大王としていると記されているのは意外だった。

(アレクサンドロス伝説はイスラム時代でも諸所に残されてるとの知識は事前にあったが。)

最後の第8章国際交易ネットワーク。

10世紀後半ごろ、イスラム圏の貿易・商業の中心がバグダードからカイロに移って以後の経済史。

無難で平易な叙述なので、素直に読む。

悪くはない。

悪くはないが、目の冴えるほど面白いとか、基礎から中級レベルの史実を洩れなく取り上げて、理解しやすい見解を添えて提示してくれるということはない。

以前も同じこと書きましたが、どうもイスラム史は初心者向けのいい本が少ない。

中公新版全集のイスラム史は全部読んだので、最低限の基礎は出来ていることにしようとも思うのですが、どうもすっきり理解できた気がしない。

あれこれと図書館の在庫本を検索して試し読みしてみるということが続きそうです。

2009年7月23日

土田宏 『リンカン 神になった男の功罪』 (彩流社)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 06:00

今年2月の新刊。

『ケネディ 「神話」と実像』(中公新書)と同じ著者。

リンカーンは野口英世やらエジソンやらシュヴァイツァーやらと並んで子供向け偉人伝の定番で、一般向け伝記もやたらと数があります。

このブログでも関連本が、『リンカン』(岩波新書)『リンカーン』(中公新書)『戦争指揮官リンカーン』(文春新書)に本書を加えて4冊目ですか。

いきなり卑近過ぎることから始めますけど、「リンカン」て書くの何か変じゃないですか?

高校世界史の人名・地名表記では、ネルーがネールだったり、チトーがティトーだったり、カブールがカーブルだったり、バグダッドがバグダードだったりと、いろいろ戸惑わされたが、高校2年で配付された『新世界史』(山川出版社)で「リンカン」と書かれているのを読んだ時には驚いた。

原語ではそれが近いのかもしれないが、日本人は普通リンカーンのことリンカンなんて発音しないでしょう。

慣用としてリンカーンはリンカーンでいいんじゃないでしょうか。

(といって、ジェファソンは「ジェファーソン」と書くと何か間延びした感がして違和感があるのが不思議。)

閑話休題。

本書の冒頭、ワシントンのリンカーン記念堂で巨大な像に祀られ、完全に神格化されたリンカーンの姿を見た時の、著者の違和感が記されている。

完全に聖人扱いされ、アメリカの歴史家へのアンケートで最も偉大な大統領に選ばれたという内容が年に一回ほど新聞の国際面のベタ記事に載るのを見て、何か変だなあという印象を私も持つことがあった。

上記に挙げた本でも、中公新書の『リンカーン』は自らの正義に酔うことなく、可能な限り妥協と寛容の道を歩んだ穏健な現実主義者という肖像を描き出しているが、『戦争指揮官リンカーン』では、内戦の勝利をすべてに優先し南部での非道な焦土作戦(と書いたが、この言葉は攻める側では使わないのか)を黙認するマイナス面がかなり取り上げられている。

そうした感情への答えとして、リンカーンの生涯を探る本ではあるが、極端に偶像破壊的なものではなく、リンカーン個人の偉大な点は十分認めながらも聖人礼讃型の伝記にはなっていないといったところ。

中心的論題である、奴隷制に関する説明はまあまあ。

1820年ミズーリ協定、1850年カリフォルニア州昇格と逃亡奴隷取締りに関する妥協、1854年カンザス・ネブラスカ法、1857年ドレッド・スコット判決、1859年ジョン・ブラウンの反乱についての叙述は比較的わかりやすく、熟読して頭に入れるには適当。

リンカーン自身は奴隷制拡大反対論者であり、合衆国の統一維持を最優先に考え、急進的奴隷制廃止論とは常に距離を置いていたことは、高校世界史の範囲でも触れられているが、こういう微妙な立場についての説明も要を得ている。

なお、ミズーリ協定と1850年の妥協を成立させるのに努力したヘンリ・クレイと、南部支持の立場から強硬な州権論を唱えたジョン・カルフーン、それとは逆に州に対する連邦の優越を主張したダニエル・ウェブスターの存在が重視されているが、この3人は大統領に就任しなかった19世紀前半アメリカの有力政治家として名前を憶えておいた方が良い。

アンドレ・モロワ『アメリカ史 上・下』(新潮文庫)でも頻出する人名なので、それぞれの立場の違いを事前に頭に入れておいた方が理解しやすい。

全般的に無味乾燥な事実羅列型の伝記ではなく、著者独自の解釈を交えているので読みやすくはある。

例えば有名なゲティスバーグ演説で普通「人民」と訳されている部分を「国民」とし、普遍的なデモクラシーの宣言というより統一されたアメリカ連邦国家の継続性を主張するのが主眼だったとしているところなど(ややうろ覚え気味なのでニュアンスが違うかもしれませんが)。

版型が大きめでやや分厚く感じるが、通読してみるとそれほど長大だとは感じない。

下部に詳細な註が載っているが、本文の該当ページから離れて記されていることが多く、内容も煩瑣なものが少なくないと感じましたので、これはほとんど飛ばしました。

まあまあの内容だと思いますが、本体価格2500円と少々高いので、まずは図書館で在庫を探して下さい。

2009年7月21日

大林太良 生田滋 『東アジア 民族の興亡 漢民族と異民族の四千年』 (日本経済新聞社)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 06:00

タイトルには「東アジア」が付いてますが、実質周辺諸国との関わりを重視した上での中国史概説なのでカテゴリは中国にします。

単行本一冊で前近代の中国全史を叙述する本とくれば、内容の薄い無味乾燥の教科書的通史かと思ってしまうが、本書は比較的良い。

一般的な史実を述べていく中で、あまり知られていない知識を付け加え、独自性のある史的解釈を提供してくれる。

時代区分としては基本的に宮崎市定氏らの京都学派と同じく、後漢までを古代、唐末までを中世、宋以後を近世と見なしている模様。

著者は中国史専門ではなく、民族学者と東南アジア史研究者とのこと。

だからとは言いたくないが、「これまでの中国史の概説書では唐の滅亡に続いて五胡十六国の記述があり、ついて宋による天下の統一といった記述が続くのが普通である。」といった、「ええっ」と思うような記述ミスが3、4箇所あったのは残念(×五胡十六国 ○五代十国)。

私の読んだのは初版なので、第二刷以降では直っているかもしれない。

そういう瑕疵はあるものの、読む価値は十分あると思います。

宮崎氏の『中国史 上・下』(岩波全書)とは同列には扱えませんが、初心者がいろいろ得るところはあるでしょう。

しかし日経新聞がこの種の歴史書を出しているのがちょっと意外な気がします。

杉山正明先生の『遊牧民から見た世界史』の単行本と文庫版もそうなんですが。

2009年7月19日

下斗米伸夫 『アジア冷戦史』 (中公新書)

Filed under: 国際関係・外交 — 万年初心者 @ 06:00

2004年刊。

こちらの記事で少々腐してしまった下斗米先生の本。

タイトルに「アジア」とあるが、実際は日中韓朝露にモンゴルとヴェトナムを加えた東アジアのみが対象範囲。

冷戦終結後に出た政府文書や著作・インタヴューなどを利用して、中国・旧ソ連・北朝鮮の共産圏三ヶ国からみた冷戦史概観といった著作となっているのが主な特徴。

申し訳ないんですが、文章に微妙な違和感を感じる部分が少なからずあるのは上記記事で書いたのと同じです。

内容は特に良くもなく悪くもなくといった感じ。

叙述の軸は中ソ対立で、それを利用した北朝鮮のろくでもない自主路線がサブテーマ。

この辺は他の分野に比べればまだ予備知識を持っているので、個人的にはさしたる発見もなく、あまり面白いとは思わなかった。

教科書レベルの次にこれを読んだ場合、有益な入門書と言えるのか、中途半端な概説なのかは、ちょっと判断しかねる。

お役に立てず申し訳ございませんが、強い印象を受けない普通の本でしたので、あまり書くことがなく、はっきりとした評価も下せません。

2009年7月17日

引用文(レーデラー1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

先日のエミール・レーデラー『大衆の国家』(創元社)より。

左翼勢力に対する敵意の余り、ファシズムという大衆運動を自らの陣営に引き入れた保守的支配層についての叙述。

貴族・大富豪・銀行家・将校・教会といった初期および後期ファシズム運動の支持者たちはすべて、自分たちが不可欠であることをあまりにも過信していたので、極右だと信じていた政党の支配を恐れなかった。だから、独裁とか自由の喪失といったことが何を意味するかについてある種の見解をもっていたために、コミュニストに権力を与えなかった労働者に比べると、これらのひとびとには政治的本能がずっと少なかったといえよう。けれども右翼の集団はいつもシニカルである。いままでの支配の実績がかれらを勇気づけていたし、いったん民主政府の下からその支柱をとりのぞいた暁には、かれらの軍隊と官僚が勝利するにちがいないと確信していた。

だが民族主義的な叫び、労働者組織に対する闘争、暴力の讃美といった訴えも、ブルジョアジーと既存の歴史的権力に反対することばによっていささかよわめられた。くりかえしくりかえしファシズムは、それ以上にナチズムは、自分たちを革命的権力であると公言した。ファシズムのリーダーたちの貴族や銀行家や大富豪に対するあざけりのことばが、大いに聴衆をよろこばせた。かれらは自分たちの若さを強調し、すべての敵を粉砕して是が非でも国家を征服してみせると、自分たちの腕力と強さを自慢した。ところが、保守主義者はこれをことばどおりに信用せず、むしろ追随者用のデマゴギーだと考え、その運動の成功した暁には、大衆は「解散し」て貧民街や仕事場へ戻ってしまうだろうと信じて疑わなかった。こういったことが保守的なひとびとの間に広まった考えだったことは、今日ではほとんど信じられないことだろう―しかし、あまりにもボルシェヴィズムの危険に目がくらんでいたので、自分たちが何に直面しているかを悟らなかったのである。

これが、今の日本と何の関わりも無い文章であれば、幸いです。

2009年7月14日

エミール・レーデラー 『大衆の国家 階級なき社会の脅威』 (創元社)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

この記事で触れた中嶋嶺雄『国際関係論』(中公新書)の末尾に、国際関係論基礎文献というブックガイドがあり、そこでの必読書30点の中で政治思想分野で挙げられていた4冊のうちの1冊として本書の存在を知る。

(他の3冊はバーナード・クリック『政治の弁証』、ハンナ・アレント『革命について』、ホセ・オルテガ『大衆の反逆』

著者はドイツの経済学者で、一時日本で教鞭を取っていたこともあり、ナチ政権成立後アメリカに亡命、本書刊行の一年前の1939年に死去している。

この人の名前は以前から知っていたはずが、それはたぶん90年代初めに出た、ハンス・ファーレフェルト『儒教が生んだ経済大国』(文芸春秋)というドイツ人が書いた日本論の中での引用で知ったのかなとも思う。

(あるいは勘違いで、カール・レーヴィトと混同しているのかも。)

まず、ハンス・スパイヤーという人の書いた序文が本書の論旨を的確かつ平明に述べてくれているので、飛ばさずに熟読しましょう。

サブタイトルが本書の内容全てを語っています。

階級や身分が消滅し、人々が教会・組合・地域社会のしがらみから解放され、平等な個人として生きていくことができるようになると聞けば、我々は皆「そりゃ結構なことだ、それこそ民主主義だ」と思う。

しかし、そうした個人の原子化と社会集団の消滅こそがファシズムの勝利の大前提であったと著者は主張する。

様々な身分・階級・社会集団・中間組織が国家内に存在し、それらが相互の抑制と均衡のうちに共存することが自由の保障となっていた。

しかし、近代化によってそれらが解体した後出現した、「自由で平等で自立した個人」は、19世紀の社会主義者の理想主義的考えに反して、バラバラに孤立し、暴力的で不安定で、煽動に対する抵抗力をほとんど持たない群集に過ぎなかった。

この種の情緒的な群集の熱狂によって成立した独裁政治は、社会に残存するあらゆる集団を原子的個人に溶解し、一切の対抗勢力を持たないため、これまで存在したいかなる専制政府よりも、桁違いの暴虐をもたらす。(ジョージ・ケナン『二十世紀を生きて』等参照)

その意味で、著者はこのような恐るべき「大衆国家」を、封建主義から民主主義に至る全ての政府から区別し、社会における階層制の意義を強調する。

(本書ではスターリン主義下のソ連も大衆国家の枠内に入れているようである。)

ここで考えるのが、独伊に比べてより民主化されていたと一般的には思われる米・英・仏がなぜファッショ化をとりあえずは避けえたのかということ。

平板な個人主義と平等主義に対する懐疑という著者の問題意識にブレは無いはずなので、英・仏における隠微な階級意識や米国の根強い宗教感覚などの要因が歯止めとなったのか、それとも独伊が社会の平準化においてそもそも米英仏と大差は無く、別の要因や偶然が運命を分けたと見なしているのかなどということが思い浮かぶが、結局よくわからない。

よく読めばこの点における著者の主張も本書に含まれているのかもしれないが、私には明確に読み取れなかった。

なお、本書で解剖されている実例は主に独伊両国だが、わずかながら日本についての言及もある。

そこでは、同じ枢軸国であっても、日本には確固とした諸階層が存在し、(一般的通念からすると逆説に聞こえるが)十分に民主化されていなかったがゆえに完全なファシズム国家になることを免れているという意味のことが書かれている(と思う)。

この記述は非常に興味深い。

平等化された民主主義社会が、ある意味前近代社会よりも脆弱であり、全体主義化の危険がダモクレスの剣のように常時頭上にぶら下がった状態であることを教えられる。

以上大雑把な内容を書き出してみましたが、上手くまとめられませんね・・・・・。

実際読んで頂いて、私の誤読や重点の置き方のおかしな点を訂正して下さればいいのですが、この翻訳が出たのが1961年ですので、もう半世紀近くにもなり入手もやや困難ではないかと。

これは岩波文庫か中公文庫に収録されて常時在庫されてしかるべき本じゃないでしょうか。

出版不況で大変だとは思いますが、こういう良書が少しでも新刊販売のルートに乗って欲しいです。

なお、以下の引用は本書の主要な論点からは外れるかもしれませんが、印象に残った記述です。

以上で、民主主義も一つの教義にまで堕落しやすい政治体制であることがわかった。民主的な教義というものは、ふつう抽象的なもので、平等と自由の原則をもてあそび、忠誠な市民と政治的な無頼漢の自由との区別を忘れて、もっぱら形式的にこれらの原則を説明する。

あらゆるひとに自由に考え自由に行動することを許す民主的方法は、政治的にいえば、市民は理性的存在であって何事も知っており、明確な判断力をもち、本質的には慈悲深く寛容で共同の善を欲するのだという、十八世紀的信念のうえにたっていた。しかし、さらに悪いことには、利己的な目的の追求が個人的利害と公共の利益との完全な調和にみちびくという、仮説を信奉していたことである。民主主義は、市民というものが、自由主義制度を利用しさえすれば、だれでもそのうえに自由に書き込むことのできるいわば一枚の白紙であるということを悟らなかった。

要するに民主主義の目的は、「なんとしても国内の平和を維持する」ところにあると説明されたのだ。政治的集団が国家内でほとんど最高の権力的地位を獲得し、民主的な諸政党も敵との戦いを拘束された。なぜかといえば、権力をにぎるや否や、敵は暴力をもちいて全滅させるぞとおどしたからである。そうしたやり方さえ、正当で合法的な政治的見解の表現と考えられ、「憲法の精神からみて」国家により禁止されえなかった。ファシスト集団がユニフォームを着て警察にとってかわりはじめても、国家が軍隊の独占を主張しなくなり、嘲笑的な宣伝や虚言や中傷が、野放しの状態で新聞をにぎわすようになっても、政府がなんら忠誠な支持者を動員しなくなったとき、民主主義は、事実上、民主主義者によって放棄されたといっていい。かれらは十八世紀的幻想のとりことなり、ル・ボン、グレーアム・ウォーラス、ニーチェその他のひとびと―何事も知る必要があると主張していたひとびとであるが―の教訓も、すでにかれらには効力を失っていた。だが、民主主義が支持者を失っていたというのは正しくない。欠けていたものは組織であり、リーダーシップであり、先制攻撃を加える決断だったのである。

2009年7月13日

書名一覧、一応完成しました

Filed under: おしらせ・雑記 — 万年初心者 @ 06:00

先日から作成していた書名一覧が完成しました。

サイドバーの「ウェブページ」下にある地域別カテゴリテーマ的カテゴリに、ほぼ全記事のリンクと個人的評価を載せています。

雑記的記事については、おしらせ・雑記のカテゴリをご覧下さい。

2009年7月12日

長崎暢子 『ガンディー 反近代の実験 (現代アジアの肖像8)』 (岩波書店)

Filed under: インド — 万年初心者 @ 06:00

200ページ余りと手ごろな分量の伝記。

最初にガンディーの生い立ちと南アフリカでの活動を記した後、時代を遡ってインドの植民地化と独立運動の歴史を概観。

この背景説明の部分が簡略ながら結構役に立つ史実と解釈を提供してくれる。

そこから元に戻り、ガンディーの思想を検討し、そして非協力運動の展開と暗殺されるまでの活動を述べる。

これは良い。

短いながらも一貫した視点が感じられて面白い。

平凡な独立運動家よりもはるかに長い射程を持ったガンディーの思想に対する著者の好意的評価に素直に共感できる。

事実関係でも結構細かい人名・地名・事件を含めて、豊富なデータが得られる。

『自立へ向かうアジア』の後半部を読むより、コンパクトなこちらを読んだ方が頭に入りやすいのではないでしょうか。

高校レベルからでもすんなり入っていけるので、お勧めです。

2009年7月10日

宮崎正勝 『鄭和の南海大遠征 永楽帝の世界秩序再編』 (中公新書)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 06:00

鄭和の有名な7回にわたる海上遠征に関する本。

本文が200ページに満たないのに、全10章もあり、それがさらに細かく節に分かれる。

それはそれで読みやすいとは言えるので、特に不服は無いです。

最初、モンゴル帝国と明の興亡とユーラシア秩序についてあれこれ記述されるが、それほど面白くはない。

なかなか鄭和のことが語られないので、少々イライラする。

永楽帝が直接軍事力を行使したモンゴルとヴェトナムの他、宦官を通じた外交交渉を行った西域・チベット・タイ・女真・日本の例に触れ、そうした中華帝国秩序確立の一環として鄭和の遠征を捉える必要が述べられる。

これまでで約三分の一のページが過ぎて、次から鄭和の評伝と遠征の描写となる。

それほど細かくて煩瑣に感じる記述も無いので、淡々と読んでいきましょう。

3回目までの航海の目的地は西インドのカリカット。

数十年後、同世紀の末にはヴァスコ・ダ・ガマが到達することになる。

4回目以降、鄭和の本隊はイランのホルムズを目指し、分遣隊がアデン、メッカと東アフリカのモガデシオ、マリンディに達する。

このホルムズというのはペルシア湾岸入り口にある島で、後にポルトガルが領有し、それをサファヴィー朝のアッバース1世が奪い返し、と高校教科書では載っているが、本書の地図で見ると島ではなく大陸部の地名がホルムズとなっている。

吉川弘文館の『世界史年表・地図』でもそのような表記になっており、結局よくわからない。

また、鄭和がマラッカに圧力をかけるタイのアユタヤ朝を牽制し、艦隊の物資集積拠点としたため、マラッカ王国が急速に発展したと書いてあるが、こういう記述は高校世界史で習った記憶が無いし、他の概説でも読んだ覚えが無い(それとも忘れてるだけか)。

このマラッカ王国は盛期が短く、1511年にはポルトガルに滅ぼされてしまう。

(この辺の歴史については、山川出版社の『マレーシアの歴史』参照。)

格別面白いということもないが、手堅い叙述。

あんまり航海の詳細についてあれこれ書かれても読むのが疲れるでしょうから、本書くらいの記述がちょうどいいのかもしれない。

読んでも無駄にはならないでしょう。

2009年7月7日

引用文(ケナン1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

『ジョージ・F・ケナン回顧録 上』より。

1939年、ケナンは第二次大戦下の在ベルリン米大使館に勤務する。

(41年12月の日本の真珠湾攻撃とヒトラーの対米宣戦布告の前なので、当然米独間は交戦状態にはない。)

・・・・・ベルリン市民たち―ただの市民たち―は、ドイツ国民の中でも、ナチ化されることの最も少ない人々であった。彼らはナチ流のあいさつなど絶対にしなかった。最後まで、お互いの日常のあいさつは“グーテン・モルゲン”で通し、押しつけられた“ハイル・ヒトラー”を使おうとはしなかった。

彼らはまた、戦争にはいささかの熱意も示さなかった。ポーランド攻略を終えて帰還した軍隊の凱旋パレードを、彼らが重々しい沈黙で見守っていた(この忘れられない日に大使館前のパリーザー広場に集まった市民たちの中に私もまじっていた)のを、私ははっきりと証言できる。職業的なナチの煽動家たちが気違いじみたいかなる演説を行っても、彼らを興奮させ喜ばせることはできなかった。

パリ陥落のニュースも、同じような謎の沈黙と自制で迎えられた。たまたまその日の午後、私はバスに乗ったが、二階の囲いのある席にいたので、乗客の話し声が聞こえた。私の耳に入ってくる話し声の中には、パリ陥落のことなどは一言もなく、すべて食料の配給カードや靴下の値段のことばかりであった。

戦時下のベルリンにあって驚かされたことは、市民たちが、ナチ体制の思い上がった戦争目的に対し、はっきりと目に見える形ではないが、間違いなく精神的断絶感をもっているようであり、戦時下、規律が日に日に厳しくなってゆく中でも、できる限り、日常の生活を維持してゆこうとしていることであった。公共出版物は戦争一色に塗りつぶされていたにもかかわらず、ベルリン市民や他の大都市の大多数の一般市民にとって、戦争は体制のためのものであって、彼ら一般市民のためのものではなかった。

土曜の夜も更けて、私はハンブルクのビンネンアルスター地区の酒場を出ると、真っ暗な街をわが家に向けて手探り状態で歩き出した。

ある街角で、一人の婦人が姿を現し私の方に近づいてきた。婦人は立ちどまると、「どこかへお伴しましょうか?」と言った。その声は楽しげで、またしとやかで、決してとってつけたような優しさではなかった。どこかで一緒に飲みましょうと誘うと、「おお、ノー」ときた。彼女にはそんなやり方で時間を潰すゆとりはなかったのだ。「何か外に興味はありませんか?」と彼女は聞いてきたので、ないと答えた。しばらく言葉のやり取りした揚げ句、私が普通のサービス料を払うかわりに、彼女が私の顔を立ててパブリック酒場に一緒に行くことで話が決まった。

そこで彼女が行きつけのバーに私を案内し、腰を下ろした。私はまずハイボール一杯を飲み、彼女は何かカクテルを注文し、タバコを買った。明るいこのバーの中で、私は初めて彼女をはっきりと見ることができた。まだうら若い女性で、容姿も美しく、きりっとした顔の持ち主であった。衣裳も上品な好みのもので、彼女がこんな商売をしているとは誰にも思えないほどだった。

彼女の話では、街に出るようになってもう四、五年―その間時々休むこともあったが―になるという。最近では昼間は仕事を持ち、毎夜一、二時間ほどしか街へ出ないとのことだった。昼間の仕事というのは、ある工場で荷物を包装する仕事で、一週間十九マルクの賃金をもらっているとのことだった。それは辛い仕事で、指の爪をすっかり駄目にしてしまったらしい。しかし強制収容所にいるよりはずっとましだった。もし彼女が愚図愚図していて、この仕事に前からついていなかったとしたら、自分も強制収容所へもっていかれたかも知れなかったという。

・・・・・外出禁止時刻がもうすぐだった。私は酒場の支払いをすませ、その釣り銭から彼女にサービス料を与えた。彼女は黙って受け取ったが、決して媚びた態度ではなかった。その時まで、私たちは真面目な友達同士だったのだ。

外へ出る時、私は彼女に言った。「このままでは、結局君は強制収容所行きになるかも知れないよ」

彼女は寂しげな笑いを浮かべ、「知ってるわ」と言った。彼女は暗闇の中を、すぐ近くのアパートに向けて歩いて行った。アパートの門口の鍵をあけると、廊下の薄青い光が見えた。彼女は白粉の匂いのする頬をおずおずと私にさし向けて、「キスしてもいいわ、ねえ」と言った。

家路をたどりながら北方の空を見上げると、サーチライトの大きな光束が四本、目標機を追って真っ黒な空をゆっくりと移動していた。

家に着いて初めて気がついたことだが、二人はいろいろたくさんおしゃべりしたが、結局、戦争のことは何一つしゃべらなかった。

このような経験をなめてきた私には、その後数年間、アメリカの世論が見境なく、その政治的敵対者に押しつけようとする極悪非道のイメージを、そのまま受け入れることができなかったのをわかっていただけるだろう。アメリカの新聞やワシントンの官辺筋の多くが、ドイツ国民を一括して、ヒトラーを熱烈に支持し、ヨーロッパ諸国の破滅と奴隷化の悪魔的野望に血道をあげる残忍な怪物集団だと決めつけることに同意するわけにはいかなかった。

ケナンは当初、ドイツの保守派と軍部による反ヒトラー運動に精神的支援を与えることに懐疑的だった。

しかし反ナチ人士との接触を重ねるうちにその意見は大きく変化する。

特に19世紀の著名な軍指揮者の兄弟筋の曾孫にあたるヘルムート・フォン・モルトケ伯や大宰相の孫であるゴトフリート・ビスマルクに対する強い敬意を語っている。

(モルトケは逮捕され1945年初めに絞首刑となる。ビスマルクも死刑を宣告され刑の執行が引き伸ばされているうちにドイツが敗北し釈放されるが、まもなく自動車事故で死去。)

このような経験に直面してきた私は、戦争の終わりごろ、フランクリン・ルーズベルト大統領と話した時、彼が第二次大戦を第一次大戦と厳密には区別できず、またプロイセンの大地主階級が、昔はカイゼルの権力の支柱であったし、あるいはそうだと言われてきたと同じく、今度はヒトラー権力の支柱となっていると考えている多くの人々の一人だと知って、驚いてしまった。実際には、ヒトラーはその中心の支持勢力を、下層中産階級と一部は新興財閥に求めていた。プロイセンの旧貴族階級は二つに割れていた。しかしこの貴族の中から、ヒトラーが相手にすることになった反対派の中でも最も進歩的で勇敢な人々が出て来たのである。

2009年7月4日

村瀬興雄 『ナチズム ドイツ保守主義の一系譜』 (中公新書)

Filed under: ドイツ — 万年初心者 @ 06:00

初版が1968年で現在も品切れになっていないようですので、これも中公新書の超ロングセラーと言えるでしょう。

標準的形式の概説かと思っていたが、かなり変わった構成。

ヒトラーの生い立ちからミュンヘン一揆までが非常に詳しく、それだけで四分の三ほどの紙数を費やし、そこから一気に話が飛んで、最後の二章で第二次大戦中のナチの東欧・ロシア占領構想とナチズムの基本的性格の概括を述べている。

政権獲得期や独裁確立期の記述は存在せず、表面的に見れば、相当アンバランスな印象を受ける。

ただし「はしがき」で著者自身が断っているように、本書はヒトラーやナチズムに関する包括的概説ではなく、初期ナチズムおよび末期ナチズムを比較して、ヒトラーとナチズムの本質を浮かび上がらせようとする本なので、通読すればそれほど不自然な感じはしない。

ミュンヘン一揆までの、他の右翼団体との関係を含めた詳細な事実についての叙述はなかなか有益と言える。

そして本書の史的解釈の特徴については、サブタイトルが全てを語っている。

著者は、「ナチズムをドイツ支配勢力の突然変異と考えずに、むしろドイツ的伝統の嫡出子と考えて、第二帝政から第三帝国にいたるドイツ支配勢力の連続性のなかで考えてみる必要」を説く。

中公旧版「世界の歴史」での著者の執筆巻を読んだ時にも思ったことだが、私自身はこういう見方には強く懐疑的になってしまう。

ニッパーダイドラッカーハフナーマイネッケトーマス・マンシュペーアの回顧録ケナンなど、不十分極まりないながらもあれこれ関連本を読んでいると、自分の無知を差し引いても、本書の主張はそうそう簡単に首肯できるものではない。

プロイセン的伝統に対する厳しい批判者のゴーロ・マンも、ナチズムとの関連性については、それほど短絡的な見方はしていなかったはず。

しかし実際通読した印象では、それほど教条的で硬直した感じはせず、一定の柔軟さを持った本だと思った。

ドイツ支配層のうち、王朝的「保守反動派」と近代的「大ドイツ派」を区別し、20世紀以降前者の衰微と後者の増殖が顕著となり、ナチズムを消極的にせよ支持し、その支配を可能にしたのは後者だったと述べているのには素直に得心がいった。

最後に付け加えられている、第10版以降の「あとがき」にある以下の文章などは、上記ニッパーダイの本などとも共通する視点を持つでしょうし、現在の社会で全体主義の危険を避けるために何が必要なのかを示唆してくれるのではないでしょうか。

自由・民主派とナチスとの間には、もとより対立する要素が多い。しかし・・・・・何よりも古い身分制的反動的勢力の打倒を求める空気、公益優先の福祉国家、強大なドイツと国内の民族共同体を求める気分、現状を打破するためにワイマル共和制の変革を求める気分が、この派の大衆の間に強かったのである。

かかる空気の中では、民主的愛国的大衆とナチス的民族主義的大衆の区別は必ずしもはっきりとしなかった。ナチスは、王朝的権威主義や貴族的復古主義には反対していたし、農村の旧式名望家、旧式で家父長的な資本家、貴族・将軍・高級官僚の特権的な態度、時代から取り残されたタイプの学校教師や教会牧師の不当に大きな勢力、その他、時代おくれな伝統的身分制的道徳や諸規範には反対していた。ナチスのかかる改革的な態度に対してこそ、ドイツの一般大衆は熱烈な広範な支持をたえず更新して与えたのである。決してゲッペルスの「悪辣な宣伝」が民衆をまどわせ続けたのではなかった。

・・・・・ドイツにおける権威的軍国的反民主的な伝統は、ナチズムの勝利をうながした重要な原因である。しかし、民衆がナチスを支持した重要な理由は上述の如くであり、ドイツ人だけが独裁と抑圧に対してとくべつに卑屈で臆病な民族性をもっていたわけでは決してない。今日の西ドイツで反動的復古的勢力が見るべき力をもっていないのは第三帝国時代において保守派の基盤が破壊されたためであり、今日の西ドイツは全体として第三帝国による破壊と抑圧と、しかしまた建設事業の上に民主主義をきずきあげているのである。

この記事で少し触れたフィッシャー説を完全に承認していたり、ちょっとついて行けない部分も多かったが、読後感は事前の予想よりかなり良かった。

中公新書に収録されていて、このタイトルの本が与える印象である、「初心者が必ず通り抜けるべき基本書」といった感じではないが、読めばそれなりに得るところはあるでしょう。

2009年7月1日

ジョゼフ・ギース フランシス・ギース 『中世ヨーロッパの城の生活』 (講談社学術文庫)

Filed under: ヨーロッパ — 万年初心者 @ 06:00

同じ著者の『都市の生活』『農村の生活』の読後感が比較的良好だったので、これも読みました。

領主・騎士という支配層から見た中世ヨーロッパ社会点描。

主に、11世紀から13世紀の中世盛期におけるイングランドとウェールズの事例が取り上げられている。

このシリーズすべてに言えることですが、読みにくいと感じた部分は軽く流して、どんどん読み進んだ方がいいです。

途中から興味がわいてくる文章が出てきて、楽にページが手繰れるようになりますので。

本書も、上記二著と同じく、なかなか良い。

社会史関連で、中世ヨーロッパはかなり類書が多い分野だと思いますし、他にもいい本が幾らでもあるんでしょうが、とりあえず『刑吏の社会史』『魔女狩り』『ペスト大流行』とこのシリーズ三点を読むだけにしておきます。

村の人口の大部分を占める農奴にとって、理屈の上では領主が絶対的権力者だった。領主は農奴の地代や奉仕の義務を勝手に増やしたり、所有物を差し押さえたりすることができるとされていた。しかし、実際のところは、昔から積み重ねられた慣習が法律と同じような効力を持っていて、領主の法的立場を制限していた。それに、小作人の奉仕がなければ領主の暮らしが立ちゆかないという現実もあったから、小作人たちが逃げ出したり、反抗を企てたりするほど締めつける領主はまれにしかいなかった。小作人は奉仕の義務を怠らない限り、小作地を維持し、跡継ぎに譲ることができたのだ。森や荒れ地も厳密には領主の所有物ではあったにしろ、小作人は慣習によって決められた範囲内で開拓することもできたのである。・・・・・小作人と領主との関係は互恵的、現実的であり、その上、永続的なものだった。農奴は土地にしばられてはいたが、同時に、その小作地を奪ってはならないという慣習によって守られてもいたのだ。

それぞれの階級の枠内で機会が均等に与えられ、隣人同士が協力して働き、身分と血筋の維持が重視された村の共同体の理念は、何世紀にもわたって保たれた。これとは対照的に、中世の都市生活者が理想とし、職人ギルドが目指した理念―各人がそれぞれの職業に勤しみ、作ったものを売り、極端な金持ちも貧乏人もいない社会―は、ほんの短い期間、しかも不完全な形で実現したにすぎず、やがて商業の発達によって大商人が生まれ、貧富の差がますます開いていくことになる。

村の理念が長く続いたのは、主に貨幣経済の浸透が地方ではゆっくりと進んだからである。成功した都市住民を豊かにしたような新しい事業や産業を起こす場は、荘園制のもとでは生まれにくかったのだ。イングランドで資本家農民が出現し、耕作地が囲い込まれて牧草地となり、小作人が賃金労働者に変わったのは十六世紀になってからだった。そして、歴史家R・H・トーニーの言葉によれば、「農奴はいなくなったが、救貧法が制定される」ことになってしまったのである。

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