万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年5月3日

引用文(ショーペンハウアー1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

『ショーペンハウアー全集13』(白水社)、「法学と政治によせて」より。

主権在民の問題はつきつめたところ、およそだれかが根源的に、ある国民をその意志に反して支配する権利をもちうるかどうかという点に帰着する。そういうことが筋を通して主張できるとはわたしは思わない。ともかく国民に主権はある。しかしこの主権者は永遠に未成年の主権者で、いつまでたっても後見を受ける必要があり、自分で自分の権利を行使すれば、かならず無限の危険をまねく。とりわけこの主権者は、すべての未成年者と同様、煽動政治家とよばれる術策にとんだぺてん師に簡単に乗じられるのである。

・・・・・出版の自由が国家機構に対してもつ意味は、安全弁が蒸気機関に対するのと同様である。というのは、どういう不平・不満も、出版の自由がありさえすれば、ただちに言葉で発散させることができ、それどころか、材料があまりない場合には、言葉だけで種切れになるからだ。しかし種が多い場合には、機を失せずそれを看破して、はけ口をつけてやるがよい。不平をむりやり閉じこめ、それが卵をかえし、発酵し、煮えたぎり、伸びほうだいに伸びて、ついに爆発するよりも、このほうがはるかにうまくいくのだ。

他方、出版の自由は毒物販売の許可のようなものとみるべきだ。毒物といっても精神と気分に対する毒物だ。というのは、知識も判断ももたない大衆の頭にどんなことが浮かぶか、わからないではないか。とりわけ目先に利益や儲けといったことをちらつかせる場合、なにを考えだすかわかったものではないからだ。いったんなにかをこの頭に吹きこんでしまえば、どんな非行・犯罪もできないことはないではないか。だからわたしは、出版の自由は危険のほうがその利点をうわまわることになりはしまいかと、非常におそれるものである。とりわけどんな苦情でも法的に訴える道が開かれているから、なおさらである。いずれにしても出版の自由は、いっさいの匿名を厳に禁止することを条件にすべきであろう。

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