万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年5月30日

臼井勝美 『新版 日中戦争 和平か戦線拡大か』 (中公新書)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 06:00

日中戦争について、出来るだけ感情を交えず冷静に史実を描写した本がないかなと探していたところ、灯台下暗しで中公新書にこういう本があった。

1967年刊行の旧版を改訂して2000年に出されたもの。

三部構成で、第一期は1933年塘沽(タンクー)停戦協定による満州事変の一応の終結から37年まで。

第二期は37年7月盧溝橋事件と日中開戦から41年まで。

第三期は41年12月日米戦争勃発から45年日本の敗戦まで。

以上、ごく常識的な区分に沿って細かく説明されている。

第一期では、満州事変以来の日中対立が一時緩和し、両国関係の改善が見込まれたにも関わらず、35年5月頃から始まった日本陸軍の華北自治工作とそれを黙認する高圧的な日本外交によって日中関係が急激に悪化していく様が叙述される。

『広田弘毅』(中公新書)での評価と同じく、本書でもこの時期長く外相を務めた広田と外務次官の重光葵に対する評価は相当厳しい。

私も本書を読んで重光へかなり悪い感情を持つようになってしまった。

岡崎久彦『重光・東郷とその時代』(PHP文庫)では、そんな感じを受けた記憶が全然無いんですが・・・・・。実際その本では重光をマイナスには評価していないのか、私が読みこなせてないのか、単に内容を忘れているだけなのか、わかりません。)

それに対して南京中央政府の実力を認め、中国の統一を阻害せず、満州国の存続という日本にとっての絶対条件のみを固守した上で、蒋介石政権との対話を主張した有吉明駐中国公使、佐藤尚武外相(1937年2月~6月林銑十郎内閣)を著者は高く評価しているようである。

第二期、37年6月近衛文麿内閣成立、7月7日盧溝橋事件勃発、冀察政務委員会委員長宋哲元との交渉で一時現地停戦協定が結ばれるが、日中両軍の衝突は収まらず、8月始め北平(北京)・天津地方を日本軍が制圧、8月半ば第二次上海事変。

長期戦の惧れを考慮しない「対中一撃論」と華北の勢力圏化に拘る姿勢で初期の和平工作は失敗を重ね、戦火は拡大の一途を辿る。

11月杭州・上海方面の中国軍が総退却、12月には南京陥落。

(気になる方がいるかもしれませんので、一応書いておきますが南京事件の記述はごく常識的なもので、左右の極論に流されていません。)

38年1月山東省占領、5月華北と華中の間の要衝である徐州も占領するが、中国軍大部隊を捕捉・殲滅することはできず。

同じ5月に近衛内閣改造、和平推進派の宇垣一成が外相となるが、関東軍から転身してきた、蒋介石と国民党への不信と軽侮に凝り固まっている板垣征四郎と東条英機がそれぞれ陸相と次官になったことによる悪影響に著者は言及している。

10月の武漢および広東の占領で日本の軍事進出はとりあえずの頂点に達するが、事態は完全に泥沼化し、収拾の目途が一切立たなくなる。

以後、中国を屈服させることもできず、それを背後で支える米英の仲介を経て和平に至ろうとするが、その交渉が失敗すると、フランス降伏という好機に乗じて、対独接近による威嚇に走るが、かえってそれに足を取られて米英との決定的対立に直面してしまう。

この辺の極東情勢と欧州情勢がリンクする経緯は他の多くの本でも載ってますが、本書でも熟読して頭に入れましょう。

また近衛以後、平沼・阿部・米内の中間的性格の内閣、第二次・第三次近衛および東条内閣の成立年度や主要史実も憶えた方がいいです。

第三期は端折りますが、ビルマ・ルートをめぐる戦いや1944年の一号作戦(大陸打通作戦)などの描写が興味深い。

基礎に忠実かつ地道な記述でなかなか良い。

高すぎず、低すぎもしない、この程度のレベルなら、多くの人にとって裨益するところが大きいでしょう。

初心者は、自分の考えと違うところがあっても、事実関係の基礎を身に付けるため素直に本書に就いて学ぶべき。

それだけのしっかりした内容を持っています。

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2009年5月27日

森田安一 『物語スイスの歴史』 (中公新書)

Filed under: ドイツ — 万年初心者 @ 06:00

カテゴリはドイツでいいですね。

ドイツ語圏の他、フランス語圏、イタリア語圏も含む多言語国家ですが、ドイツ語圏が一番広いし、独立の中心となったのがドイツ語圏なので本書の記述もそれを重点的に扱うと書かれていますから。

ケルト・ローマ・ゲルマン・フランクの支配を経て、11世紀前半に神聖ローマ帝国領に。

いくつかの土着支配者の変遷はややこしいので飛ばすと、ここでハプスブルク家の登場となる。

ハプスブルク家の元々の根拠地はオーストリアではなく、スイス北部のアールガウ地方。

(初期のハプスブルク帝国に関しては、菊池良生『ハプスブルクをつくった男』(講談社現代新書)という非常に優れた概説がありますので、お読み下さい。)

ハプスブルク朝以前の皇帝が、イタリア政策遂行上重要な位置にあった中央スイスの三つの邦、ウーリ・シュヴィーツ・ウンターヴァルデンに帝国直轄領としての「自由と自治」特権を与えており、それを制限しようとするハプスブルク家に対抗して、1291年三地域が結成した「永久同盟」が建国起源の模様。

それから徐々に他の都市や地域と同盟関係を広げていく展開に。

これを機に各都市の大体の位置関係を憶えましょうか。

チューリヒが北部中央、ベルンが中央西寄り、ジュネーヴが南西端、バーゼルが北端西寄りとか。

1315年モルガルテンの戦い、1388年ネーフェルスの戦いでスイス盟約者団が勝利。

ハプスブルク家のスイス領はほぼ崩壊し、1414年コンスタンツ公会議での皇帝ジギスムント(当時帝位はルクセンブルク朝)とハプスブルクとの対立を利用して、発祥の地アールガウも奪う。

時に内紛に見舞われながらも、スイスは更に膨張政策を続け、西はブルゴーニュ公と戦ってシャルル突進公を敗死させブルゴーニュ公国は解体、南はミラノに進出、最終的にフランスに撃退されるもロカルノを手に入れる。

1499年には神聖ローマ帝国から離脱、これで事実上の独立達成と本書では評されている。

チューリヒでツヴィングリが、ジュネーヴでカルヴァンが宗教改革運動。

チューリヒ、ジュネーヴおよびベルンを中心としたプロテスタント地域と原初三邦などのカトリック地域との対立が激しく、しばしば内乱状態となる。

国外に多数の傭兵を派遣、近世欧州の国際戦争で敵味方双方にスイス兵がいる場合もあった。

1798年、総裁政府下のフランス軍が侵攻、革命輸出の結果、ヘルヴェティア共和国成立、フランスの衛星国となる。

ナポレオン没落後は、旧体制への復帰が成るが、臣従地を対等のカントン(邦)に格上げするなど衛星国時代の措置の一部は追認され、新たに「同盟規約」制定。

ウィーン会議で永世中立国の地位を認められる。

19世紀前半は自由主義者と保守派の党派対立が激しく、宗教改革時代と同じように、邦間の内戦や邦内部での反乱・蜂起の記述が頻繁に出てくる。

よくこれで国自体が空中分解しなかったなとの感想を持った。

1848年自由主義派の勝利で憲法制定。

19世紀後半は半直接民主制が導入されていって、鉄道建設を中心に経済成長が続いて、20世紀の二度の大戦では武装中立を維持して、となりますが、19世紀以降は正直興味が薄れるので適当に流しました。

面白い。

前回記事の『バルト三国』と同じく、いろいろな意味でバランスが取れている。

常にヨーロッパ史の著名史実と結び付けて叙述が行なわれるので、飽きがこない。

近現代史だけが肥大化してそれ以前が貧弱極まるという、よくある弊害も無い。

やや細かい部分でも、初心者にとって煩瑣で読むに耐えないというレベルのギリギリ手前で踏み留まっている。

この『物語~の歴史』シリーズの存在意義である、各国別の良質な入門通史という役割を十分果たしている。

かなりの程度確信を持ってお勧めできます。

2009年5月24日

志摩園子 『物語バルト三国の歴史』 (中公新書)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:00

マイナーな小国のイメージがあるバルト三国の通史だが、読んでみると想像以上に他国の歴史や重要史実と繋がりのある物語で、非常に面白かった。

まず、三国の位置関係を憶えないと話にならないが、先日書いたように、最初の一文字の五十音順で北から、エストニア・ラトヴィア・リトアニアと憶える。

首都はそれぞれタリン・リガ・ヴィリニュス。

言語的にはラトヴィア語とリトアニア語はインド・ヨーロッパ語族中のバルト語族に属し、それに対してエストニア語はハンガリー語、フィンランド語などと同じ非印欧系のウラル語族。

しかし、歴史的にはエストニアとラトヴィアが20世紀まで独自の国家を形成することなく、似た経緯を経たのに対し、リトアニアだけは他の二国と非常に異なる道を辿ることになる。

通史の前提として、こうした地理や民族系統に関する知識を最初に押さえてくれるのは、大変親切で好感の持てる記述。

まずキエフ公国やヴァイキングの短期間の統治を経て、12世紀末頃からドイツ人が進出、現在のエストニアとラトヴィアを併せた地域であるリヴォニアを支配していく。

(この辺り、山内進『北の十字軍』(講談社選書メチエ)も参照。)

1201年ブレーメン大司教の甥アルベルトがリガを建設、1211年にはリガ司教の座に就く。

1202年帯剣騎士修道会(帯剣騎士団)成立、周辺地域を征服し、リヴォニアの大部分が帯剣騎士団領と司教領になっていく。

1230年タリン建設、のちリガと共にハンザ同盟加入。

1236年帯剣騎士団がリトアニア人によって大損害を蒙り、ドイツ騎士団の援助を受け、リヴォニア騎士団領が成立することになる。

リトアニアのみはミンダウガス、ゲディミナス、ヨガイラ(ヤギェウヴォ)などの優れた指導者を得て、独自国家を建設、リヴォニア騎士団と対抗。

ちなみにこの3人のいずれもがカトリックに改宗したとの記述が出てきますが、首長が一時改宗しても民族全体のキリスト教化は不完全だったということでしょうか?

ヨガイラの代、1386年にポーランドと同君連合結成、ヤゲウォ朝成立。

(ただその直後ではリトアニアには独自の公がいたような記述になっており、この辺よくわからない。)

貴族層のポーランド化が進む。

地図を見てもらえればわかるんですが、15世紀半ば頃の領土はすごいです。

「ドイツとロシアに挟まれて散々苛められた可哀想な国」という近代史におけるイメージとは大違いで、ミンスクを超え、ドニエプル川沿いのキエフを含め、黒海にまで達する広大な領域がリトアニア大公国となっている。

今の領土の十何倍ですかね・・・・・。

1558年ロシアのイヴァン4世がリヴォニアに侵入、リヴォニア戦争開始。

これでロシアの領土になれば話は簡単だったんですが、スウェーデンとポーランドが介入し、イヴァンは目的を達せず。

結果、リヴォニア騎士団領は崩壊し、北部のエストラントと中部のリヴラントはスウェーデン領に、東部のラトガレはポーランド・リトアニア領となり、南部のクールラントのみは公国として独自の国家を保ったがポーランドの宗主権下に入った。

三十年戦争中のグスタフ・アドルフで頂点に達するスウェーデンの「バルト帝国」成立です。

北方戦争とニスタト条約でエストラントとリヴラントがスウェーデンからロシアに割譲。

1772年第一次ポーランド分割でラトガレが、93年第二次分割でリトアニアの一部が、95年第三次分割でリトアニア全体がロシア領となる。

クールラントは、ピョートル大帝の姪のアンナがクールラント公妃となった後、1730年にロシア女帝として即位することによって、事実上ロシアの領土となる。

こうやってロシア支配にまで筆が進むと、ああやっと話が繋がったという気分になる。

なお、以上政治史ばかりに重点を置いてメモしてますが、本文では社会史・経済史にも程よく触れられています。

リヴォニアではバルト・ドイツ人が地主層を占め社会的優位を誇り、ロシアへの併合後もドイツ系の支配層への進出が著しかったとか、ルター派の教説が現地の言葉で布教されたため識字率が非常に高かったとか、19世紀初頭にロシア本土に先駆けて農奴解放が行なわれ工業化が順調に進んだとか。

それに対してリトアニアの農奴解放はロシアと同じ1861年で(ついでに言えばアメリカ南北戦争開始と同年)、民族意識よりもカトリック信仰をアイデンティティとする農業社会に留まったことなどが述べられている(ただ解放後の農民が土地を購入することはリトアニアの方が容易だったらしい)。

第一次大戦でドイツ軍の侵攻を受けて、初の民族的軍隊であるラトヴィア人ライフル兵などが設立。

ちなみにこのラトヴィア人ライフル(狙撃)兵は革命が起こると、ボリシェヴィキの影響下に入ってしまうが、旧来の軍隊の多くが崩壊状態になってしまったので異様なまでの重みを持ち、ボリシェヴィキの軍事力の支柱になったらしく、リチャード・パイプス『ロシア革命史』(成文社)でも何度か触れられているのを見た記憶がある。

全く余計なことをしたもんだと思う。

1918年のうちに、ドイツ敗北に前後して三か国とも独立を宣言。

ボリシェヴィキを撃退し、1920年にソヴィエト・ロシアと平和条約を結び独立承認。

この時期、上記のパイプス著で、西欧諸国は大戦争で疲弊しきっており干渉戦争は腰砕けという状況で、いくつかの勢力に分かれた白衛軍と反ボリシェヴィキの左派および、旧ロシア帝国から独立したウクライナ、ポーランド、バルト三国などとがソヴィエト政権打倒のために民族的・階級的対立を超えて協力できないのを読んで切歯扼腕した記憶がある。

白軍は、なぜか一つの勢力が敗北する頃次が現れるといった調子で相互の連携を欠き、社会革命党やメンシェヴィキとも対立し、旧帝国の復活を恐れる周辺国はソヴィエトとの和平に走るといった次第で、もしかしたら20世紀に億を超える人間が死なずに済んだかもしれないのにと残念に思えてならなかった。

独立後のバルト三国は安定した議会政治を運営できず、権威主義体制に移行したのは他の東欧諸国と同じく。

指導者はエストニアがパッツ、ラトヴィアがウルマニス、リトアニアがスメトナ。

1939年独ソ不可侵条約の秘密議定書でソ連の勢力圏下に入れられ、40年にはソ連軍に占領され併合。

1991年ソ連クーデタ失敗を機に独立、2004年三国そろってNATOおよびEU加盟。

かなり面白い。

比較的詳細な内容を含みながらも、説明が丁寧でわかりやすい。

時代ごとのページ配分、政治・経済・社会・文化への言及の割合、史実の評価や解釈、そのいずれもバランスが取れている。

巻末の年表、人名・地名リストも簡易ながら役に立つ。

初心者が読むのに適切な通史。

この地域に関して、素人はこの本だけ読んでりゃいいんじゃないですかね。

2009年5月22日

天児慧 『中華人民共和国史』 (岩波新書)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 06:00

岩波新書が続きます。

世界史読書の観点からすると、中公新書に比べると読みたい本ははるかに少ないですが、気になるものはこの際どんどん潰していきます。

1999年、人民共和国成立から50周年の年に出た通史。

本書の刊行からでも、もう10年経っちゃったんですよね・・・・・・。

200ページちょっとの本文で、半世紀の中共史を記述するわけだから、かなり内容が薄いんじゃないかとの危惧を持ちながら読み始める。

ところが、いい意味で期待を裏切られた。

コンパクトで簡便な通史でありながら、重要項目はしっかり押さえられており、史実の本筋が捉えやすい。

巧みな文章で記される、キビキビした説明は明解で非常に有益。

初歩的な段階から必要十分の知識を得るところまで、スムーズに読者を引き上げてくれる。

簡易な叙述の中に、中級者でも役に立つ視点をさり気なく含ませているのもなかなか良い。

例えば、林彪事件について、毛沢東・周恩来の対米接近・ソ連主敵論に対して、林彪が対米対ソ二正面対抗路線を主張したためという、外交戦略の対立を原因とする見方は根拠が薄いと断言しているところなど。

史実評価の基準も適切・穏当で、妙なバイアスを全然感じない。

同じ岩波新書の小島晋治・丸山松幸『中国近現代史』にそれをやや感じるのとは異なる。

(ただ、この本も改革開放期以後の著作ですから、文革礼賛とかそれほど常識外れのことは書いてないですけど。)

初心者にとってはかなり使える本です。

中国現代史入門書としては、やはり中嶋嶺雄『中国 歴史・社会・国際関係』(中公新書)が依然一番優れていると思うが、高校教科書から中嶋氏著に行く前に、本書でワンクッション挟んでもいいかもしれない。

80年代初頭までの中嶋氏著に比べ、90年代までフォローしているのもよい。

(それから10年はまだジャーナリズムの分野ですが、何かで補強しましょう。)

楽に読める割には、効用が大きい。

お勧めします。

2009年5月20日

小野理子 『女帝のロシア』 (岩波新書)

Filed under: ロシア — 万年初心者 @ 06:00

1994年刊。

18世紀のロマノフ朝ロシアでは、女帝の治世が非常に多かった。

まずピョートル大帝の死後、妻のエカチェリーナ1世が即位したのを皮切りに、姪のアンナ、娘のエリザヴェータが間を置いて在位し、エリザヴェータの甥で養子となったピョートル3世と結婚したエカチェリーナ2世がトリを務める。

タイトルからすると、これら4人の女帝をすべて取り上げてくれているのかなとも思ったが、最初の3人はほんの付け足しで、実質的にはエカチェリーナ2世単独の伝記となっている。

この点、ややガックリきたが、内容自体は悪くない。

著者は、アンリ・トロワイヤ『女帝エカテリーナ 上・下』(中公文庫)に記されている淫蕩で策謀家で抑圧的な専制君主というイメージを本書の中で何度も批判している。

しかし、私個人の印象では、以上のトロワイヤの伝記は同じロシア皇帝伝シリーズの中ではまだマシな方。

このトロワイヤという人は、革命後亡命した家族に生まれたロシア系フランス人という出自のせいでボリシェヴィズムだけでなく、ロシアの伝統に対しても「偏見」に近いような視線で眺めている気がする。

『イヴァン雷帝』『大帝ピョートル』は陰惨な記述があまりに多く(特に前者)、読んでいて嫌になる内容だし、だいぶ時代の下がった『アレクサンドル1世』にも西欧から一方的に見下した教条主義的批判を感じる。

しかし、上記の『女帝エカテリーナ』だけは明らかに読後感が違う。

賢明な啓蒙君主といった印象を強く受ける記述であり、ロマノフ朝では最高の名君ではないかとさえ思った。

トロワイヤの本の中では唯一強くお勧めできます。

話を『女帝のロシア』に戻しますと、この本でもやはりエカチェリーナ2世の功績を高く評価し、その人物に同情的な評価を与えています。

グリゴーリイ・オルローフ、スタニスワフ・ポニャトフスキ、グリゴーリイ・ポチョムキンらの寵臣、ヴォロンツォーフ家出身で後にロシア・アカデミー初代総裁となったエカテリーナ・ダーシコワなどの協力者たちの群像を交えて、その治世を手際よくまとめている。

エカチェリーナの出自や最後のポーランド国王との関係など、意外な史実がありますが、お読みになる前に皆様が興醒めしてはいけませんので、ネタバレはやめておきます。

枝葉の部分が多く煩瑣で冗長なトロワイヤの本よりも、本書の方がコンパクトで話の展開が速いので、退屈しない。

高校レベルの次に読む伝記としては、こちらの方がいいでしょう。

2009年5月17日

加藤九祚 『中央アジア歴史群像』 (岩波新書)

Filed under: 中央アジア — 万年初心者 @ 06:00

中央アジア史も非常な苦手分野なので、目に付いたものは何でも読んでみるかと、前から気になってたこれを読みました。

伝記と通常の時代概説を組み合わせた形式の通史。

取り上げられている人物は、イブン・シーナー、ティムール、バーブルという有名人と、ルダキー、ナワイー、マハトゥム・クリという聞いたこともない詩人・文学者と、侵入してきた征服者に抵抗したほぼ無名の地方支配者。

最初の方はかなりたるいですね。

内容自体面白くないし、章と章の時代の間が空き過ぎて、物足りない。

イブン・シーナーがサーマーン朝統治下に生まれたことは知っていたが、999年カラ・ハン朝がサーマーン朝を滅ぼした時にはまだ存命中で、ガズナ朝に招かれるが応じず、最後はブワイフ朝に仕えたことは本書で初めて知った。

チャガタイ・ハン国の分裂とティムールの台頭の過程は本当に複雑で訳がわからない。

最初メモしようと思って読み返したんですが、あまりのややこしさにやる気が失せました。

この辺、何かいい本ないですかね・・・・・。

バーブルがティムール朝滅亡後の中央アジア支配を断念して、アフガンのカーブルで勢力を蓄え、インドへ入るまでの経緯も同様。

ウズベク族を率いて南下し、バーブルを破ったシャイバニ・ハンが、バーブルと同盟していたサファヴィー朝創始者イスマイル1世と戦って敗死したことだけ覚えた。

後にムガル朝第二代皇帝フマーユーンがインド支配を失って亡命した先もサファヴィー朝だが、この初期のムガル朝とサファヴィー朝の密接な関係は年代比較の上からも便利なので、覚えておいた方が良い。

本書ではシャイバニ朝から、ブハラ・ヒヴァ(ヒワ)・コーカンドの三ハン国支配にどう繋がったのかが読み取れない。

せめて地理的なことを頭に入れるようにする。

まずアラル海に注ぐ二つの大河、アム(ダリヤ)川・シル(ダリヤ)川を覚える。

(アム川が南、シル川が北側。)

アム川上流にサマルカンド、ブハラがあり、下流にヒヴァのあるホラズム地方がある。

南西、イラン方面に向うと、ヘラト、メルヴなどのホラサン地方があり、東北方面がコーカンドのあるフェルガナ地方。

これら三ハン国はブハラ、ヒヴァはロシアの保護国になり、コーカンドは1876年に完全に滅亡させられた。

ついでに、現在の中央アジア諸国の位置も確認すると、まずロシアのすぐ南にある一番バカでかい国がカザフスタン。

そのさらに南に4か国がある。

東側で中国に接する二国がキルギスとタジキスタン。

北がキルギス、南がタジキスタン。上下(北南)の位置関係は「キ」ルギスと「タ」ジキスタンで五十音順だと覚えればよい。

(これはバルト三国の位置関係を覚えるのにも使える。北から順に「エ」ストニア、「ラ」トヴィア、「リ」トアニア。)

その西側にウズベキスタンがあり、この国に中央アジアの歴史的都市が多く存在しており、ブハラ・サマルカンド・コーカンド・タシケント・ウルゲンチなどが含まれる。

そのさらに西隣、イランに接するのがトルクメニスタン。

これらの国々はソ連崩壊による独立後、国名の末尾に「~スタン」と付けるようになりましたが、キルギスだけは元の名前に戻ったようです。

あんまり面白くないです。

複雑な内容を手際よく整理してくれるという感じの本ではない。

通読しても苦手意識を払拭することはできなかった。

中央アジア史もこのまま放置するのも気分が良くないので、また何か別の本を探してみます。

2009年5月13日

剣持久木 『記憶の中のファシズム 「火の十字団」とフランス現代史』 (講談社選書メチエ)

Filed under: フランス — 万年初心者 @ 06:00

両大戦間期のフランスで活動したクロワ・ド・フー(火の十字団)については、野田宣雄『ヒトラーの時代 上・下』(講談社学術文庫)にちょこっと出てくるので、名前だけは知っていた。

要は、フランスのファシズム団体なんでしょ、という理解であった。

しかし、退役軍人ラロック中佐に率いられたこの組織は、実際は共和政体支持・合法路線の尊重・対独宥和政策への反対・反ユダヤ主義の拒絶などを特徴とする、保守中道志向の穏健な結社であり、他の右翼団体とはかなり多くの面で区別され得るものであった。

その実態を詳説し、ファシズム・イメージがなぜ塗り付けられたかを考察する本。

本書の主人公、フランソワ・ド・ラロックは熱心な王党派の人物を父にして生まれ、第一次大戦に従軍、戦後ソヴィエト・ポーランド戦争に派遣されたフランス軍事使節団の一員としてピウスツキ将軍と協力し、後にモロッコでアブデル・クリム率いるリーフ共和国の鎮圧に従事する。

余談ですが、このリーフ共和国というのは、私の頃の『新世界史』(山川出版社)ではゴチック体で載っていた記憶が確かにあるのですが、今の教科書では全然載ってないみたいですね。

どうして重視されなくなったのか、よくわかりませんけど。

1927年結成された退役軍人組織「火の十字団」に加わり(ラロック自身は創設者ではない)、31年頃には最高指導者となる。

1934年2月6日、スタヴィスキー事件という汚職スキャンダルをきっかけにパリで右翼団体が主導した大規模なデモと暴動が起き、多数の死傷者を出すが、ラロックと火の十字団はデモには加わったものの、秩序を保ち非暴力的行動に徹し、他の右翼団体とは一線を画す。

この2月6日事件を脅威に感じた左派陣営が人民戦線結成へと向うが、そこでのイメージ戦略の一環で、むしろ穏健だが大きな勢力を持つラロックが「ファシスト」として攻撃を受ける。

実際はラロック自身は合法・穏健な保守中道路線を支持し、彼が打ち出した進歩的な社会政策は人民戦線側とも多くの共通点があったと記されている。

「私は伝統にたいしては心から愛着を抱いているが、進歩は左派にあると考えている。」

1936年ブルム人民戦線内閣成立、準軍事組織の極右団体解散を命ずる政令を発布、火の十字団も解散するが、これはかなり不当・不公平な措置であったとされている。

同年ラロックは合法政党「フランス社会党(PSF)」を立ち上げる。

これが、1905年結成された、誰でも知ってる左派政党の(統一)社会党と紛らわしい。

左派の社会党の正式名称は「労働者インターナショナル・フランス支部」で略称はSFIO。

第三インター下の各国共産党は、ソ連による極度の中央集権的支配に服従して、組織面でも、あくまでコミンテルンの支部という扱いだったのは知っていたが、緩やかな国際組織である第二インター時代に結成されたフランスの社会党がこういう名称なのを渡辺啓貴『フランス現代史』(中公新書)で初めて知ってかなり意外な感じがしたのを覚えている。

なお、この時期のフランスに存在した他の右翼団体を挙げると、まず戦前からの王党派団体アクシオン・フランセーズがある。

シャルル・モーラスを指導者とし、反ドレフュス派としても名を馳せた組織だが、その余りに過激な言動が災いして、1926年には教皇庁から破門され、37年には当時の王位継承者から絶縁宣言が出されるという、組織のレゾンデートルにも関わる失態を演じている。

ちなみに当時ラロックの兄弟が王位継承者に仕えていたが、絶縁宣言後、アクシオン・フランセーズはこの兄弟を「君側の奸」として攻撃し、ラロック本人へも中傷を行なった。

(ラロックは父と兄弟の信条にも関わらず、共和政を一貫して支持していたらしい。)

また軍内部で、カグール団という右派的軍人の秘密結社があり、隣国スペインで勃発した内戦をみてフランコをモデルにクーデタを目論むが、37年11月計画は発覚、関係者が一斉に検挙される。

スペイン内戦についてラロックは、フランコ側への共感を公言しつつ、「慎重な中立」を主張した。

「モスクワが欲する流血革命の危険は存在する。(しかし)反共結集がすべてを解決するという奇跡の万能薬は警戒せよ。」

共産党が人民戦線戦術に転換する前、ファシズムに対抗して社共統一行動を唱えた共産党幹部ジャック・ドリオは党指導者モーリス・トレーズによって追放される。

この離党経緯は至極マトモなんですが、その後ドリオが結成したフランス人民党(PPF)は、徐々に右へ右へと傾いていき、最後には最も確信犯的な対独協力者となってしまったので、評判の良かろうはずがない。

37年6月人民戦線内閣崩壊後、右派の大同団結の動きが強まるが、ラロックとPSFはそれを拒否、中道勢力の結集を目指す。

それを受けて右翼団体によるラロックへの攻撃・誹謗中傷が激しさを増す。

しかしPSFは党勢を順調に拡大させ、戦争で行なわれなかった1940年総選挙では第一党となる可能性もあったとまで言われている。

実際の1940年はフランスにとって屈辱的な敗戦の年となり、ドイツに占領される。

ラロックは国内に留まり、ペタンとヴィシー政権に是々非々の立場を取り、対独協力を拒否、密かにイギリス情報機関と接触する。

著者は、こうしたラロックをはじめとする人々を、ド・ゴール派や共産党系とはまた違った、ヴィシー派レジスタンスとしてその存在を認めている。

「ドイツの教義は国民の性質を人種主義起源に従属させている。われわれの教義はキリスト教文明の承認と国民的性質を同一視している。」

ヴィシー政権内で、戦前の外相ラヴァルが積極的対独協力派として台頭し、ダルナン率いるミリス(対独協力民兵)を組織すると、ラロックはフランス軍隊侮辱への反論として、厳しい検閲の中、以下の文章を発表する。

「これら侮辱者たちは、半可通なだけではない。犯罪者である。なぜなら彼らは、20年来のフランスの破壊において、多かれ少なかれ役割を演じてきた。・・・・・今日の彼らのナショナリズムは、かつての彼らの反軍国主義のお粗末な改悛に過ぎない。・・・・・あるいはむしろ、彼らの今日の下劣さはかつての失敗の自然な延長線上にある。ニシン樽はいつまでもニシン樽の臭いがするものである。」

これは対独協力者の多くが、両大戦間期には平和主義者だったことを揶揄しており、ラヴァルにたいする明白な攻撃になっている。

(このラロックの言葉、ここ5、6年の日本でも思い当たる節がありますなあ・・・・・。自分も含めてですけど・・・・・。)

1943年、ラロックはとうとうドイツ軍に逮捕され、収容所送りとなる。

戦後解放されるが、レジスタンスとしての実績は認められず、45年5月の帰国後はむしろヴィシー関係者として保護拘束という名の行政収容が行なわれた。

しばらくして釈放されるが、不遇のうちに46年4月死去。

ド・ゴール政権時代に名誉回復がなされる。

最後の章では、ラロックを“ファシスト”“反ユダヤ主義者”とする報道や著書に対して、遺族が反論権を行使し、粘り強く訂正を求めていった経緯について触れられている。

面白い。

極めて特殊なテーマにのみ関わる本かと思っていたが、読み通すと1930年代のフランス政治史について広く知ることができた。

文章も上手いし、話の運び方も巧みで、スラスラ読める。

相当強くお勧めできます。

2009年5月11日

引用文(内田樹1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

内田樹『知に働けば蔵が建つ』(文春文庫)より。

この方はあえてわかりやすい政治的色分けをすれば穏健リベラル派なんでしょうけど、確か松原隆一郎氏が某誌で「内田氏は良質の“保守主義者”だ」と書いていたのに強い同意の念を覚えたのを思い出します。

あるいは、そういうレッテルよりも単に本当に「成熟した大人」と呼ぶに値する人と言った方が適切かもしれません。

こういう「真に優れた少数者」に属する人に対しては、何の取り柄も無い私はひたすら黙り込んで頭を下げるしかない。

アルファブロガーと言われるような人のうちで、個人的に読む気がするのはこの方だけです。

著者をご存じない方は、「ブックマーク」にあるブログのバックナンバーを数時間かけてすべて読む価値があると思います。

個人と共同体を潜在的な敵対関係としてとらえる考え方は、中間的な共同体が解体されたあと、個人と社会が緩衝帯抜きでダイレクトに向き合う「リスク社会」に固有のものである。そして、そのような社会が登場したのは、ほんとうにごく最近のことなのである。

ほんらい私たちは個人である前に大小さまざまな規模の共生体の一員である。「個人である前に共同体の一員である」というようなことを書くと、鼻白んで、「家父長制的イデオロギーだ」というようなことを言い出す人がいるだろうけれど、こんなことは誰が考えても当然のことである。

例えば、家族の一員である前に個人であるような人間はこの世に存在しない。

子どもは自分の固有名を名乗るより先に母子癒着状態の中でちゅうちゅう母乳を吸う口唇の快感に焦点化した存在として出発する(固有名を名乗ろうにも、まだ名前がない)。そもそも「自我」という概念が獲得されるのは鏡像段階以降なのであるから、それ以前の私に「個人」という概念が存在するはずがない。

起源にまず個人がいて、それが家族を構築してゆくわけではない。

まずアモルファスな共生体があり、個人はその共生体内部で果たしている分化的機能(家族内部的地位、性別、年齢、能力、見識などなど)に応じて、共生体内部の特異的として記号的に析出されてゆくのである。

「親に依存し、扶養され保護される存在」というぼんやりした意識から始まり、やがて家庭内的なリソースを奪い合う「兄弟」のうちのより劣位にある「弟」という立場を発見し、「ウチダ家の次男」という社会的機能を引き受けることを通じて(犬を散歩に連れて行ったり、庭掃除をしたり、お風呂の水を汲んだり)、ゆっくりと家庭内的労働力として認知され、やがてそれを基盤にして個の人格的単一性が解離してゆく・・・・というふうにして私の自我は成立していった。

家庭内的存在としての承認を受けてはじめて個人のアイデンティティは基礎づけられるのであり、透明にして一望俯瞰的な「私のコギト」が家族のそれぞれとの利害関係を調整しながら契約的に関係を取り結んだわけではない。

個人は共同体の「結節点」として構築されるものである。

2009年5月9日

姜在彦 『歴史物語 朝鮮半島』 (朝日選書)

Filed under: 朝鮮 — 万年初心者 @ 06:00

2006年刊。

檀君朝鮮から日韓併合までの通史。

あんまり面白くないです。

古代史の部分はやや中身が薄い印象がある。

仏教関係や日中両国との交流についての挿話はやや退屈。

制度史の説明も無味乾燥に思える。

物語性に乏しく、歴史の流れを記憶する助けになるエピソードや人物描写は少ない。

李朝時代になるとかなりマシになるが、特筆すべき長所は無い。

韓国通史としては、以前記事にした水野俊平『韓国の歴史』(河出書房新社)の方がやはり優れていると思う。

それに加えて、金素雲『三韓昔がたり』『朝鮮史譚』(講談社学術文庫)で史話・挿話の類いを補強すると良いでしょう。

2009年5月7日

ニコス・スボロノス 『近代ギリシア史』 (白水社 文庫クセジュ)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 06:00

ギリシアカテゴリは当然古典古代用に作ったものだが、本書を別のカテゴリに入れるのも変なので、ここに入れます。

第四回十字軍のギリシア占領辺りから筆を起こして、1980年代までを叙述した本。

冒頭部分はごく簡略だがなかなか読むのがだるい。

そのうちオスマン帝国の支配を受けて、1821年独立戦争が起こって、27年のナヴァリノ海戦を経て29年独立というのは教科書通り。

最初は大統領職が置かれたが党派対立の中で暗殺され、バイエルンのヴィッテルスバッハ家から迎えられたオトン1世が国王に即位する。

その後も、独立を支援した各国を後ろ盾にした英国派、仏派、露派の対立が激しい。

オトン1世は親露政策を取ったため、クリミア戦争中には英仏が国土の一部を一時占領。

1863年オトン退位、イギリスが主導する形でデンマーク出身王家が跡を継ぐ。

自由主義者と寡頭的旧支配層の対立が続くが、1909年に前年敵国トルコで起きた青年トルコ革命に影響を受けた反乱が起こり、これを期に大物政治家ヴェニゼロスが台頭。

二度のバルカン戦争があって、ヴェニゼロス主導で第一次大戦に協商国側に参戦、1920年のセーヴル条約で領土を拡大するが、ケマル・パシャに敗れて23年ローザンヌ条約で小アジアから追い出されるという経緯は教科書にも載ってますね。

その後24年から35年にかけて共和政となり、35年王政復古、40年に独伊侵攻、戦後は左派系レジスタンスと王党派の内戦、王党派が勝利してNATO加盟。

67年クーデタで成立した軍事政権下で73年共和政宣言、74年キプロス問題での対応失敗から軍事政権が倒れ、スペイン・ポルトガルなど南欧諸国と同じ時期に民主化が行なわれた、と。

もっと細かい経緯とか人名は本書では覚える気になれない。

先日の『ルーマニア史』と同じで、物語性が希薄なので読んでも面白くないし記憶にも残らない。

簡略で淡々とした事実関係のみの叙述であり、深い印象を受けない。

本文が130ページ余りしかない本書にそんなものを求めるのが間違いなんでしょうが。

類書が少ないので希少価値はありますが(C・M・ウッドハウス『近代ギリシァ史』(みすず書房)は長くて読む気になれない)、ごく大まかな概略を調べるのにはいいとしても、通読してしっかりと歴史の流れを頭に入れるために使える本とは言い難い。

あんまり得たものはありませんでした。

2009年5月5日

中公新版「世界の歴史」について

Filed under: おしらせ・雑記, 全集 — 万年初心者 @ 06:00

最終巻の記事から数ヶ月も経って、「今さら」という感じもしますが、中央公論社新版世界史全集の感想を改めて書いてみます。

(基本的に各巻の記事でバラバラに書いたことの繰り返しですが。)

高校で世界史を習って興味を持ち、より詳しく知るために手に取ったという、おそらく最大公約数的な想定読者の立場で言うと、ちょっと困るなという記述が多数ありました。

執筆者の方の専攻分野に関することを長々と述べたり、理解に苦しむ詳細なことに多くの紙数を割いたり・・・・・・。

名編集者と謳われた宮脇俊三氏が携わった旧版に比べると、そういった逸脱へのチェックが極めて甘いという印象を受けます。

また叙述形式として、旧来の政治史、伝記偏重の通史が否定されるのはやむを得ないとしても、あまりにも社会史・生活史・心性史・文化史だけに焦点を合わせ過ぎた、逆の偏りがしばしば感じられるのも残念。

まず基礎的な政治史を述べながら、新しい視野から見た歴史像を上手く付け加えるということも可能なはずだし、この全集でも出来のいい巻はそれに十分成功している。

それを達成しているビザンツ・イスラムなどの巻は、読者がその時代と地域に馴染みが薄いことを自覚しているがゆえに、著者が慎重に叙述を進めたせいだろうか。

しかし、これまでの世界史全集の中心だった中国史とヨーロッパ史の巻では失望することが多かった。

極めて役に立つと感じた巻とほとんど得たものが無いと感じた巻の差が極端。

全30巻を通読するのは相当骨が折れるし、「是非挑戦して下さい」とは言い難い。

むしろ前近代に関してはやはり旧版を読んだ方がいいんじゃないかという気さえしてくる。

なお、以下五段階評価で各巻を分類してみます。

一巻が何部かに分かれている場合、悪い方の部分に引きずられて評価してますので、各巻の記事で書いたよりも厳し目の評価になっていると思います。

「最高、言うこと無し」

『3 古代インドの文明と社会』

『8 イスラーム世界の興隆』

『11 ビザンツとスラヴ』

『18 ラテンアメリカ文明の興亡』

「まあまあ、面白いです」

『13 東南アジアの伝統と発展』

『16 ルネサンスと地中海』

『17 ヨーロッパ近世の開花』

『20 近代イスラームの挑戦』

『22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩』

『25 アジアと欧米世界』

「普通・・・・・ですかね」

『1 人類の起源と古代オリエント』

『4 オリエント世界の発展』

『5 ギリシアとローマ』

『6 隋唐帝国と古代朝鮮』

『12 明清と李朝の時代』

『15 成熟のイスラーム社会』

『24 アフリカの民族と社会』

『26 世界大戦と現代文化の開幕』

『28 第二次世界大戦から米ソ対立へ』

「いや、これはちょっと・・・・・」

『7 宋と中央ユーラシア』

『9 大モンゴルの時代』

『14 ムガル帝国から英領インドへ』

『19 中華帝国の危機』

『21 アメリカとフランスの革命』

『23 アメリカ合衆国の膨張』

『27 自立へ向うアジア』

『29 冷戦と経済繁栄』

『30 新世紀の世界と日本』

「勘弁して下さい・・・・・」

『2 中華文明の誕生』

『10 西ヨーロッパ世界の形成』

2009年5月4日

引用文(ショーペンハウアー2)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

『ショーペンハウアー全集13』(白水社)、「法学と政治によせて」より。

リンネの人為的な恣意的に選ばれた植物体系を自然の体系でとりかえることはできない。たとえ自然の体系がどれだけ理性にかなっていようとも、またじつにしばしばそういう体系がこころみられたにしても、それはできないのである。というのは、自然の体系には、恣意的・人為的体系のそなえているあの概念規定のしっかりした確実さがないからである。同様に、右に示唆したような憲法の人為的・恣意的基礎を純粋に自然的な基礎でとりかえることはできない。自然的基礎は上述の諸制約を非難して、生得の特権のかわりに人格的価値こそ特権をもつべきだとし、国教のかわりに理性的探究の成果をすえようなどとするものだ。こうした言いぶんがどんなに理性にかなっていようとも、そこには国家共同体の安定性を確保する、あの諸規定の確実さが欠けているのである。たんに抽象的な法だけが具体化されているような憲法は、立派は立派でも、なにか人間以外の存在のためのものであろう。というのは人間の大多数は、きわめて利己主義的で不正であり、思いやりもなければ嘘もつき、ときには邪悪でさえあり、知性などろくにそなえていないからだ。さてこそ一身に権力を集中した人間、法や規則に超然としてなんの責任ももたぬ権威、すべてのものがそれに屈服する権力、いちだんと高い存在とみなされる、いわゆる天佑を保全せる支配者が必要になってくるわけだ。こうしてはじめて、人類は長期にわたって制御・支配されうるのである。

これに反して、北アメリカの合衆国では、こうした恣意的基礎をすべて完全に排除して処理しようとする試み、すなわちまったく混ぜもののない、純粋・抽象的な法を施行しようとする試みがなされている。しかしその成果がかんばしくないのだ。というのは、この国は物質的には繁栄しているにもかかわらず、低劣な功利主義が支配的志操としてのさばっており、これにかならずつきまとう相棒の無知が、英国教会的な偏狭な頑信、おろかなうぬぼれ、ばかばかしい女性崇拝と組んだ残忍な粗暴さといったもののお先棒をかついでいるのである。さらにもっと始末のわるいことが一般的に行なわれている。すなわち、罰あたりな黒人奴隷制、奴隷に対する極端な残酷、自由な黒人に対する不法な抑圧、リンチ法、頻発するにもかかわらずしばしば処罰されないで終わる暗殺、ひどく残忍な決闘、ときには公然たる法の無視、公債の支払い拒絶、詐欺同然の腹立たしいくらいの隣接した州の政治的接収、その結果として起こる富める隣国への貪欲な掠奪行、それをまた最高の筋が、その国のだれもが嘘と知っていて笑っているような出まかせで弁解すること、いよいよ高まってゆく衆愚政治、右に述べたような上層部の法の無視が一般の道徳性に及ぼす結果としての堕落といったことどもである。

2009年5月3日

引用文(ショーペンハウアー1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

『ショーペンハウアー全集13』(白水社)、「法学と政治によせて」より。

主権在民の問題はつきつめたところ、およそだれかが根源的に、ある国民をその意志に反して支配する権利をもちうるかどうかという点に帰着する。そういうことが筋を通して主張できるとはわたしは思わない。ともかく国民に主権はある。しかしこの主権者は永遠に未成年の主権者で、いつまでたっても後見を受ける必要があり、自分で自分の権利を行使すれば、かならず無限の危険をまねく。とりわけこの主権者は、すべての未成年者と同様、煽動政治家とよばれる術策にとんだぺてん師に簡単に乗じられるのである。

・・・・・出版の自由が国家機構に対してもつ意味は、安全弁が蒸気機関に対するのと同様である。というのは、どういう不平・不満も、出版の自由がありさえすれば、ただちに言葉で発散させることができ、それどころか、材料があまりない場合には、言葉だけで種切れになるからだ。しかし種が多い場合には、機を失せずそれを看破して、はけ口をつけてやるがよい。不平をむりやり閉じこめ、それが卵をかえし、発酵し、煮えたぎり、伸びほうだいに伸びて、ついに爆発するよりも、このほうがはるかにうまくいくのだ。

他方、出版の自由は毒物販売の許可のようなものとみるべきだ。毒物といっても精神と気分に対する毒物だ。というのは、知識も判断ももたない大衆の頭にどんなことが浮かぶか、わからないではないか。とりわけ目先に利益や儲けといったことをちらつかせる場合、なにを考えだすかわかったものではないからだ。いったんなにかをこの頭に吹きこんでしまえば、どんな非行・犯罪もできないことはないではないか。だからわたしは、出版の自由は危険のほうがその利点をうわまわることになりはしまいかと、非常におそれるものである。とりわけどんな苦情でも法的に訴える道が開かれているから、なおさらである。いずれにしても出版の自由は、いっさいの匿名を厳に禁止することを条件にすべきであろう。

2009年5月1日

ジョルジュ・カステラン 『ルーマニア史』 (白水社 文庫クセジュ)

Filed under: 東欧・北欧 — 万年初心者 @ 06:00

さして気乗りしないが、類書が少ないこれを読んでみました。

この国に関して一般常識として知っておくべきことと言えば、位置関係はもちろんとして、非スラヴ系のラテン民族だということ、国土が主にワラキア、モルドヴァ、トランシルヴァニアの三つに分かれること、トランシルヴァニアは長年ハンガリーの支配下に置かれ、モルドヴァの北部ベッサラビアもロシアに奪われ、この両国との緊張関係が絶えなかったことくらいですか。

(ソ連崩壊後に独立したモルドヴァ共和国というのはこのベッサラビアを領土とする国のようです。)

あと意外な盲点として、ヨーロッパでは珍しい産油国ということでしょうか(今もそうかはわかりません)。

二度の大戦でも地理的位置の他、石油という貴重な戦略物資供給国としても重視されたようです。

モンゴル人侵攻後、14世紀に成立したワラキア、モルドヴァ両公国がオスマン朝に貢納し、従属国となる。

1859年地元貴族出身者のアレクサンドル・クザ公の下、両公国が合同。

1866年クザが追放され、ホーエンツォレルン・ジグマリンゲン家より迎えられたカロル1世即位。

高校世界史では、1878年ベルリン会議でセルビア・モンテネグロと共に独立ということになっていて、国際的に承認された完全独立としてはそれで間違いないが、実質的にはその以前から独立の色彩が濃い。

第一次大戦では、王家の出身と反露感情から同盟国派も少なくなかったが、結局協商国側に参戦。

戦後はトランシルヴァニアとベッサラビアを手に入れ大ルーマニアが成立。

1930年代ファシスト団体「鉄衛団」が台頭。

1940年アントネスク将軍の独裁。

この人は普通、東欧の小ファシストといった扱いだが、鉄衛団支持一辺倒ではなく、むしろこれをドイツの黙認の下、弾圧している。

この辺はちょっと前に長谷川公昭『ファシスト群像』(中公新書)で読んだところだが、もう忘れかけていた。

独ソ戦に参加するが、ソ連の反攻を受けて枢軸陣営から離脱。

ソ連の圧力の下、人民民主主義体制が確立、共産党独裁下に置かれる。

初代指導者のゲオルギュ・デジがスターリン批判の波も乗り越えて1965年の死に至るまでその地位を維持し、その後をニコラエ・チャウシェスクが継いで1989年の体制崩壊で銃殺されるまで政権担当者だったので、実質的に戦後の政治指導者は二人しかいなくて覚えるのが楽。

もっと細かいメモを作るつもりだったんですが、疲れたので止めます。

以上のように省きに省いた抜け殻みたいなメモも書くのが面倒臭い。

マイナー分野の貴重な本ではあるが、あまり面白くはない。

140ページ程と薄いのでさほどの労力も要らずに通読できるが、その分頭に残らない。

淡々とした事実の描写が続くだけで、強い印象を受けることもない。

期待したほどではなかったです。

中公新書の『物語ルーマニアの歴史』が早く出ないかなあとつくづく思いました。

ただし、くれぐれも著者を慎重に選んで、「人物を中心にした物語風叙述を用いた基礎的な政治史の素描」というコンセプトに合うように執筆してもらうよう、編集者は最大限神経を使ってもらいたいです。

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