万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年4月27日

『世界史B』 (東京書籍) その1

Filed under: 教科書・年表・事典 — 万年初心者 @ 06:00

東京書籍の世界史教科書をたまたま手に取る機会があったので、また適当な感想を書いてみます。

入手したのは2006年版で、奥付の著作関係者を見ると、尾形勇氏、後藤明氏、福井憲彦氏、本村凌二氏など知った名前がちらほら。

なお、同じ東京書籍の教科書で『新選世界史B』というのがありますが、こちらは非常に簡略で物足りず、取り立てて言うべきこともない本ですので、無視します。

あくまで何も付かない『世界史B』の方を対象にしてますので、お間違え無きよう。

全体的な歴史観がどうとかという話は私の手に余るので、主にゴチック体(太字)で記された個々の歴史用語についてあれこれ書くだけにします。

以下脈絡も無く書き連ねていきますが、大体ページ順です。

共和政末期ローマの政治家としてレピドゥスの名が出てきますが、オクタヴィアヌスとアントニウスの間に挟まれた完全な脇役で、あっという間に失脚しますから、本来高校教科書のレベルでゴチック体で載るような人物ではないですね。

第2回三頭政治を出す以上、名前に触れないわけにはいかないんでしょうが。

コンスタンティヌス帝の事績としてソリドゥス金貨の鋳造を挙げているのが目を惹く。

こんなの私の高校時代には全く聞いたことないですわ。

キリスト教普及の背景として、地中海世界にそれまで見られなかった禁欲思想を指摘し、文明の基調が根本的に変化した証として古代末期と中世初期を一まとめの時代としてとらえる見方があると解説しているのはなかなか渋い。

教科書レベルを超えて、簡単な概説書に出てくるような内容。

その少しあとに載ってる「日本の中のインド文明」というコラムも併せて、完成度の高さを窺わせる。

中国史の冊封体制の説明で、中国と近隣国の関係を君臣関係になぞらえる通常の「君臣の礼」と、突厥・ウイグル・吐蕃など強国に対して便宜的に用いられた家父長制的な「家人の礼」の区別もそう。

内陸ユーラシア世界の章の最初に時代別に西部と東部に興亡した遊牧民勢力の表が掲げられているのは非常に親切。

こういうのは副読本の年表・史料集でもなかなか載ってない。

ウイグルと唐の「絹馬貿易」という用語はこれまで見たことが無かったですねえ。

この中央アジア史の部分で両方ともトルコ系のブルガール人とハザールが出てくるのは珍しいが適切と思われる。

次のページの「トルコ人の西進」という地図は非常に便利。

モンゴル高原北部のトルコ族原住地から、ウイグル、ハザール、カラ・ハン朝、ガズナ朝、セルジューク朝、オスマン朝の版図を示し、その上で小アジアと中央アジアに分かれた、現在の主なトルコ人居住地を枠で囲っている。

昔の教科書ではまず見られない工夫である。

東南アジアの基層文化としてヴェトナムのドンソン文化に対比して、南シナ海とタイランド湾沿岸の漁労民たちのサーフィン文化を挙げている。

この言葉も全然聞いたことが無かった。

同名のイスラム王国と区別して形容詞をつけた、8世紀中頃ジャワに成立した「古マタラム」とこの王朝が建てたヒンドゥー教の「プランバナン寺院群」もゴチック体なのが意表を突かれる。

ヨーロッパ人侵入以前の南北アメリカ史が、大航海時代の章の付け足しでなく、他地域の古代文明と並行した部分に載せられているのが新鮮。

もっともそうするのが本来当たり前なのかもしれませんが。

しかし本書でも、アフリカ史はやはりイスラム史の章の内部に組み込まれている。

まあ南部と中部の王国以外イスラムの影響を強く受けているので、これは適切なのかもしれません。

イスラム史では、10世紀・11世紀・12世紀のイスラム世界の王朝分布図を載せているのが非常に良い。

これも普通は歴史地図帳に頼るものを教科書で済ませてくれるのだから、懇切丁寧と言うべき。

その近くの本文で、『ビジュアル版イスラーム歴史物語』の記事で書いたような「10世紀後半から11世紀前半のイスラム世界でのシーア派の優勢」という見方が述べられているのは非常にわかりやすい説明で良いと思う(よく考えたら、最初に書いたように著者の後藤明氏がこの教科書でも執筆者でしたね)。

アッバース朝の分裂傾向を記した部分で、後ウマイヤ朝の他には、イランのターヒル朝やサッファール朝、エジプトのトゥールーン朝の名を挙げずに、モロッコのイドリース朝だけを述べ、アリーの子孫が建てた初めてのシーア派政権だがその主張を前面に出さずアッバース朝カリフの権威を尊重したと、比較的詳しく説明しているのが印象的。

このイドリース朝は2002年版の『世界史B用語集』で見当たらないので、この時点では載せてある教科書はゼロのはずだが、本書では堂々とゴチック体。

ホラズム朝がきちんとイスラム史の章でセルジューク朝滅亡後の後継王朝として記されている。

私が高校生の頃の教科書だと、「チンギス・ハンの噛ませ犬」といった感じの扱いでモンゴル史の部分にしか載ってなかったものです。

富裕なムスリムが寄贈する公共のための信託財産「ワクフ」も最近の概説では必ず載っている用語だと思うが、これも太字なので憶えるべき言葉と見なされている模様。

オスマン帝国治下の各宗教ごとの共同体「ミッレト」(発音しにくいなあ)も同じく。

「スルタン・カリフ制」という言葉を無視するのではなく、衰退期のオスマン朝が欧米諸国のキリスト教徒保護権要求に対抗するために主張し始めたものと断った上で載せているのは良い。

宋代の青磁・白磁を運んだ、「海の道」に沿った陶磁器交易路「陶磁の道」も見覚えの無い用語ではある。

モンゴル帝国の章で、モンケ・ハンが太字でガザン・ハンがそうでない教科書は初めて見た。

短い在位期間でも大ハン位を占めたモンケの方が重要だと言われればそうかもしれない(さすがにグユク・ハンは欄外の系図に名前が出てくるだけだが)。

スマトラの三仏斉について、「位置的にはシュリーヴィジャヤとほぼ重複するが、王家の継承関係はないと考えられている」と明解に書かれている。

同じ東南アジア史で、スコータイ朝、アユタヤ朝、パガン朝がそれぞれスコータイ王国、アユタヤ王国、パガン王国となっているのは何か理由があるんだろうか?

ドヴァーラヴァティとかピューとかペグーとかのマイナー王朝も太字。

「港市国家とは何か」というコラムはなかなか面白い。

長くなり過ぎたので、続きは明日やります。

(追記:続きはこちら→『世界史B』(東京書籍)その2

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