万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年4月4日

引用文(ホイジンガ2)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

ヨハン・ホイジンガ『朝の影のなかに』(中公文庫)より。

(以下やこちらでの引用文を右とか左とかといった観点でお読みにならないようお願い致します。)

物質的な安楽、これを自然が限定していると、人びとは、いろいろな面で、たえず感じていたのである。

いまの人びとは、技術の進歩によって、衛生学的な環境整備に対する効果的な配慮によって、だめにされてしまっている。

数世代前の人びとは、日常生活における安楽の欠如を甘んじてしのび、そこからなにかを学びとろうとした。

いまの人たちは、このあきらめの心をなくしてしまったのである。同時に、また、生きるしあわせを、与えられるがままに、すなおに受けとることもできなくなったのである。

生活があまりにも快適になりすぎた。人間の心の骨格は、この物質の世界を支えうるほど強くはないことが明らかとなった。

 

 

奇妙な時代ではある。かつて信仰と闘い、これを倒したと信じた理性が、いまは、わが身の破滅からのがれようと、信仰に避難所を求めなければならないのである。

なぜといって、生きた形而上学という堅く、ゆるがぬ基盤の上に立ってこそ、真実という絶対の概念は、本能に出る生の衝動の上げ潮に抗して身を守り、道徳と正義の諸規範を十全に価値あらしめることをうるであろうからである。

 

 

宣伝の領分は手段の限定を知らない。宣伝は、どんなイメージについても、つめこめるかぎりの暗示を、これに負わせようとする。

あるスローガン、この独断的真理を民衆に押しつけようとして、可能なかぎりの嫌悪と讃美、両極端の感情をそれに仮託するのである。

民族主義とかボルシェヴィズムとか、その他なんであれ、スローガンを所有するもの、政治的ことばづかいを操るものは、すなわち、犬を打つ杖を手にするものである。

こんにちの政治的宣伝業は、犬を打つ杖を大売出ししている。そして客を、いたるところに犬をみる妄想病患者に仕立てているのである。

 

 

反知性的な生の教説の帰結するところには、ひとつの危険がしつようにつきまとっている。

生を理解の上におくということは、理解の規範とともに道徳の規範をも放棄することを必然たらしめる。

権威が暴力を説けば、すなわち理は暴力をはたらくものたちにある。

人びとは、暴行者を拒否する権利を、みずからに否認してしまったのである。

暴行者たちは、原理上、どんなに残虐非道なことをはたらこうとも正当化されるであろう。

社会の構成員のうち、動物的ないし病的な衝動の充足を暴力のうちに求める部分は、自分たちこそヒロイックな仕事の遂行者であるとして、大喜びで群がり集まるであろう。

厳密に軍事的権力がこれを押さえれば、かれらもあるていど制御されはしよう。

だが、民衆運動のファナティズムという状況にあっては、かれらは死刑執行人の助手となるであろう。

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