万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年4月28日

『世界史B』 (東京書籍) その2

Filed under: 教科書・年表・事典 — 万年初心者 @ 06:00

前日の記事の続き。

スラヴ人諸国家の項、ノヴゴロド国の註で、「首長リューリックに率いられたノルマン人の一派ルスがノヴゴロド国を建て、このルスがロシアの起源になったとされる。この建国説をノルマン説といい有力視されているが、ロシアの学者はこの説を否定しがちである。」と書いてある。

高校生の頃、教科書でこの辺の史実を知った時にも思ったことだが、「やっぱりいろいろあるんだなあ」との感想を持つ。

教科書レベルをやや飛び越えたこの手の文章は渋い。

余談ですが、このノヴゴロド国ってある時期以降は実質共和政に近い政体だったみたいですね。

一般的イメージからすると、「この時代のロシアに共和国???」という感じですが、名目上の公は存在したものの、実質的にはイタリアの都市国家のような寡頭支配だったと中公新版「世界の歴史」『11 ビザンツとスラヴ』に書いてあったと思う。

そのすぐ下のキエフ公国の註では「公国や大公国は、貴族の爵位によるよび方である。ヨーロッパでは、時代や地域により異なるが、公、侯、伯、子、男などの称号がある。」とある。

こういう基礎的過ぎて盲点となる部分をきちんと説明してくれているのは、教科書の役割を十分果たしていると言える。

中世ヨーロッパで「12世紀ルネサンス」が載ってる。

「カロリング・ルネサンス」と違って、これは今までの教科書では見たことが無かった。

近代では、やはり「17世紀の危機」という歴史用語が出てくる。

これはもう完全に教科書レベルの言葉となったのだろうか。

私の頃の高校世界史とは大きく変りましたね。

こんなことで自分の歳を感じるのも妙な気がしますが。

「反宗教改革」ではなく、「対抗宗教改革」という用語を使い、「カトリックの改革運動」というタイトルが付いてる。

絶対王政の説明で、王権神授説が君主権の絶対・万能を主張したが、実際は国王が絶対的権力をふるえたわけではなく、当時の国家は個々人を直接支配できず、様々な職能・身分団体および地域的団体を統制していただけだという記述は非常に重要性が高いと思った(プティフィス『ルイ16世 上』(中央公論新社)参照)。

こういう比較的高度で明解な説明が載っているのは大変素晴らしい。

「政治の民主化と権力増大の過程は不可分に結びついている」(高坂正堯『国際政治』(中公新書))という視点からの記述があれば、なお良かった。

三十年戦争でのドイツの荒廃には触れているが、これでドイツの近代化が致命的に立ち遅れたとかそういう昔ながらのことは書いてない。

坂井栄八郎『ドイツ史10講』(岩波新書)によれば、三十年戦争の被害をそこまで過大に見積もるのは現在の学界では少数派だそうです。

この坂井氏の本はその他にも多くの通説を訂正する見方が平易に紹介された、非常に面白い本ですので是非お読み下さい。

大変な碩学が書かれたにしては期待外れの感がある(失礼)、阿部謹也『物語ドイツの歴史』(中公新書)よりはるかに上です。

ロシアのピョートル1世が清の康熙帝とネルチンスク条約を結んだのはその通りですし、同時代の年代比較の基準として覚えておくと非常に便利な史実でもありますが、アンリ・トロワイヤ『大帝ピョートル』(中公文庫)によると、当時のピョートルはまだ若年の上、腹違いの兄弟との共同統治を敷いていた時期で、必ずしも実権を持っていなかったというような状況だった記憶がある。

まあ、そんなこといちいち高校教科書の脚注で説明するのも煩雑でしょうから、別に書かなくてもいいですけど。

イギリス産業革命の項で、「ジョン・ケイの飛び梭」、「ハーグリーヴズのジェニー紡績機」、「アークライトの水力紡績機」、「クロンプトンのミュール紡績機」、「カートライトの力織機」、「ホイットニーの綿繰機」と発明者と機械名を呪文のように憶えたもんですが、考えてみればここだけ異様なほど詳しい技術史を教えられることになりますね。

まあ重要ではあるんでしょうけど、これに比べるとダイムラーのガソリン自動車とかの項目が霞みがちなのがややアンバランスな気がする。

アメリカ独立革命の後、すぐラテン・アメリカ諸国独立が述べられているが、フランス革命やウィーン会議の章の前にこれが書かれると何やら妙な感じがする。

「大西洋革命」という言葉が載っているが、アメリカ独立革命とフランス革命の間にある大きな断絶といった話も載せていいんじゃないでしょうか。

それについては、上記『ルイ16世』の下巻にある程度記されていて、他にハンナ・アレント『革命について』(ちくま学芸文庫)が重要文献なんでしょうが、これは以前100ページくらい読んだところで挫折しました。

とにかく非常に難解な著作です。

私の頭では相当キツイ。

いつかは通読すべきと思っていますが、いつになるやらわかりません。

普墺戦争を「プロイセン-オーストリア戦争」、普仏戦争を「プロイセン-フランス戦争」、米西戦争を「アメリカ-スペイン戦争」と記しているのは、個人的な感覚に合わず非常に嫌です。

ちなみに「アメリカ-メキシコ戦争」はそうでもない。

米墨戦争以外に、「メキシコ=墨」という略語を使うことがまず無いからだろうか。

コンゴを領有したベルギー王レオポルド2世は憶えるべき人物なんでしょうか。

特に不服があるわけでもないんですが。

同じ所で、「1876年のアフリカ大陸」という地図があるんですが、当時のヨーロッパ領として、アルジェリアとセネガルのフランス領、ケープ植民地のイギリス領、アンゴラとモザンビークのポルトガル領、およびトランスヴァール共和国とオレンジ自由国がかなりの面積を占めている植民地で、あとは黄金海岸や象牙海岸の辺りに英仏領がポツポツといった状態。

内陸部の広大な領域は完全に真っ白。

教科書によく載っているのは、リヴィングストンとスタンリーの探検と1884~85年のベルリン会議後の、エチオピアとリベリアの二つの独立国を除く全域がヨーロッパ列強に分割された地図なので、それと比較するとアフリカ分割がどれだけ急激に進んだのかがよくわかり、逆に1876年の時点ではまだこんなものだったのかと新鮮な驚きを覚える。

(ちなみに上記ベルリン会議は、露土戦争の後に開かれた1878年のベルリン会議と区別するため“アフリカ分割に関するベルリン会議”と長ったらしく呼ぶのが私の高校生の頃の慣例だったみたいですが、今はどうなんでしょうか。年代も近いのがややこしいですね。)

インド史で、マラータ王国が18世紀に諸侯たちのゆるやかな連合体であるマラータ同盟になったと明言して、用語の区別をしてくれているのは親切。

ガンディーの抵抗運動の例として「塩の行進」が太字なのはやや驚く。

米西戦争後、一時アギナルドが大統領となった「マロロス共和国」も同じく。

オセアニアの植民地化の項、オーストラリアの先住民がアボリジニー、ニュージーランドのそれがマオリ人というのは一般常識として知っておくべき事柄でしょうから、ここの記述は適切です。

中国国民党は1919年結成だが、辛亥革命後1912年に中国同盟会が中心となって「国民党」(これには“中国”が付かない)が組織されてる。

それが袁世凱の弾圧を受けて1914年中華革命党が作られ、次いで1919年の中国国民党に繋がる。

前から不思議に思っているのですが、この最初にできた方の「国民党」が教科書に載っている頻度が高く、東京書籍刊の本書でも、『詳説世界史』でも『新世界史』でもゴチック体で載っている。

さして重要とも思えないんですがね・・・・・。

しかし、この「国民党」と中国国民党を区別させる問題を見た記憶は無い。

あまりにも瑣末な引っ掛け問題に過ぎると判断されるからだろうか?

レザー・ハーンの建てた王朝の名前をパフレヴィーと表記しているのにやや違和感。

原語の発音ではそれが近いのかもしれないが、ずっとパーレヴィと憶えていたため。

ウズベク族が中央アジアに作ったブハラ、ヒヴァ、コーカンドの三ハン国のうち、コーカンドは1876年にロシアに滅ぼされてるが、ブハラとヒヴァは保護国として一応存続している。

両国の滅亡が1920年なので、これはソヴィエト政権に潰されたんだなと思っていたんですが、本書のコラムによるとまずロシア革命後、独立派が20年にハン国を滅ぼして共和国を樹立したが、その後赤軍に破れ、22年にソヴィエト支配下に入ったという経緯らしい。

そんなこと全然知りませんでしたよ。

「コミンテルンとアジアのナショナリズム」というコラムで、ソ連およびコミンテルンの社会民主主義敵視(いわゆる社会ファシズム論)がナチスの政権掌握を許したと書いてあるのは、詳細かつ適切な記述で良い。

スターリン時代のソ連で工業生産が躍進し、世界恐慌下の資本主義国にも注目される成果をあげたとする一方、農業集団化で数百万の農民を餓死させたとはっきり書いている。

右とか左とかいう党派的な意図は別にして、こういうことは高校レベルでもやはり教えるべきだと思う。

ナチによるユダヤ人への差別・迫害は政権掌握当初からだが、アウシュヴィッツなどの絶滅収容所稼動という最悪の事態が生じるのはあくまで独ソ戦開始以後。

本書を含む教科書でもそのことは読み取れるようになっているが、これは宥和政策などの評価にも係わるので、現場の先生には強調して教えて頂きたいです。

戦後史の記述は要領がよく、好印象。

うまく言えませんが、史実の配列の仕方が適切でわかりやすいという感じがする。

ただ、この教科書だけじゃないんですが、冷戦期の記述で1954年結成の東南アジア条約機構(SEATO)や55年の中東条約機構(METO)、59年の中央条約機構(CENTO)は名前を出すのはいいとして、太字にするほど重視すべきものでもないと思う。

NATOや日米安保と違って実質的意義の乏しい同盟で、国際政治史では他にもっと憶えるべきことがあると感じる。

あと、1947年日独以外の枢軸国、イタリア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・フィンランドと連合国の間に結ばれたパリ講和条約って要りますかね?

1968年に日本の国民総生産が(西ドイツを抜いて)資本主義圏でアメリカに次ぐ第2位になったとあるが、この事実は高校生でも覚えておいた方が良い。

この手の経済統計に関する史実では1890年頃アメリカがイギリスを抜いて工業生産世界一になったということと並んで記憶に値する。

1965年インドネシアの九・三〇事件が太字なのは適切と思える。

ヴェトナム戦争を除けば、ひょっとして戦後の東南アジア史で一番重要な事件じゃないでしょうか。

全般的な感想を言えば、非常に完成度の高い教科書だと思います。

内容が詳しい上に、痒い所に手が届くといった感の記述も少なくない。

個人的には、帝国書院の『新詳世界史B』と並んで好きなタイプの教科書です。

もし入手できるのなら、これを手元に置いておくのも良いでしょう。

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2009年4月27日

『世界史B』 (東京書籍) その1

Filed under: 教科書・年表・事典 — 万年初心者 @ 06:00

東京書籍の世界史教科書をたまたま手に取る機会があったので、また適当な感想を書いてみます。

入手したのは2006年版で、奥付の著作関係者を見ると、尾形勇氏、後藤明氏、福井憲彦氏、本村凌二氏など知った名前がちらほら。

なお、同じ東京書籍の教科書で『新選世界史B』というのがありますが、こちらは非常に簡略で物足りず、取り立てて言うべきこともない本ですので、無視します。

あくまで何も付かない『世界史B』の方を対象にしてますので、お間違え無きよう。

全体的な歴史観がどうとかという話は私の手に余るので、主にゴチック体(太字)で記された個々の歴史用語についてあれこれ書くだけにします。

以下脈絡も無く書き連ねていきますが、大体ページ順です。

共和政末期ローマの政治家としてレピドゥスの名が出てきますが、オクタヴィアヌスとアントニウスの間に挟まれた完全な脇役で、あっという間に失脚しますから、本来高校教科書のレベルでゴチック体で載るような人物ではないですね。

第2回三頭政治を出す以上、名前に触れないわけにはいかないんでしょうが。

コンスタンティヌス帝の事績としてソリドゥス金貨の鋳造を挙げているのが目を惹く。

こんなの私の高校時代には全く聞いたことないですわ。

キリスト教普及の背景として、地中海世界にそれまで見られなかった禁欲思想を指摘し、文明の基調が根本的に変化した証として古代末期と中世初期を一まとめの時代としてとらえる見方があると解説しているのはなかなか渋い。

教科書レベルを超えて、簡単な概説書に出てくるような内容。

その少しあとに載ってる「日本の中のインド文明」というコラムも併せて、完成度の高さを窺わせる。

中国史の冊封体制の説明で、中国と近隣国の関係を君臣関係になぞらえる通常の「君臣の礼」と、突厥・ウイグル・吐蕃など強国に対して便宜的に用いられた家父長制的な「家人の礼」の区別もそう。

内陸ユーラシア世界の章の最初に時代別に西部と東部に興亡した遊牧民勢力の表が掲げられているのは非常に親切。

こういうのは副読本の年表・史料集でもなかなか載ってない。

ウイグルと唐の「絹馬貿易」という用語はこれまで見たことが無かったですねえ。

この中央アジア史の部分で両方ともトルコ系のブルガール人とハザールが出てくるのは珍しいが適切と思われる。

次のページの「トルコ人の西進」という地図は非常に便利。

モンゴル高原北部のトルコ族原住地から、ウイグル、ハザール、カラ・ハン朝、ガズナ朝、セルジューク朝、オスマン朝の版図を示し、その上で小アジアと中央アジアに分かれた、現在の主なトルコ人居住地を枠で囲っている。

昔の教科書ではまず見られない工夫である。

東南アジアの基層文化としてヴェトナムのドンソン文化に対比して、南シナ海とタイランド湾沿岸の漁労民たちのサーフィン文化を挙げている。

この言葉も全然聞いたことが無かった。

同名のイスラム王国と区別して形容詞をつけた、8世紀中頃ジャワに成立した「古マタラム」とこの王朝が建てたヒンドゥー教の「プランバナン寺院群」もゴチック体なのが意表を突かれる。

ヨーロッパ人侵入以前の南北アメリカ史が、大航海時代の章の付け足しでなく、他地域の古代文明と並行した部分に載せられているのが新鮮。

もっともそうするのが本来当たり前なのかもしれませんが。

しかし本書でも、アフリカ史はやはりイスラム史の章の内部に組み込まれている。

まあ南部と中部の王国以外イスラムの影響を強く受けているので、これは適切なのかもしれません。

イスラム史では、10世紀・11世紀・12世紀のイスラム世界の王朝分布図を載せているのが非常に良い。

これも普通は歴史地図帳に頼るものを教科書で済ませてくれるのだから、懇切丁寧と言うべき。

その近くの本文で、『ビジュアル版イスラーム歴史物語』の記事で書いたような「10世紀後半から11世紀前半のイスラム世界でのシーア派の優勢」という見方が述べられているのは非常にわかりやすい説明で良いと思う(よく考えたら、最初に書いたように著者の後藤明氏がこの教科書でも執筆者でしたね)。

アッバース朝の分裂傾向を記した部分で、後ウマイヤ朝の他には、イランのターヒル朝やサッファール朝、エジプトのトゥールーン朝の名を挙げずに、モロッコのイドリース朝だけを述べ、アリーの子孫が建てた初めてのシーア派政権だがその主張を前面に出さずアッバース朝カリフの権威を尊重したと、比較的詳しく説明しているのが印象的。

このイドリース朝は2002年版の『世界史B用語集』で見当たらないので、この時点では載せてある教科書はゼロのはずだが、本書では堂々とゴチック体。

ホラズム朝がきちんとイスラム史の章でセルジューク朝滅亡後の後継王朝として記されている。

私が高校生の頃の教科書だと、「チンギス・ハンの噛ませ犬」といった感じの扱いでモンゴル史の部分にしか載ってなかったものです。

富裕なムスリムが寄贈する公共のための信託財産「ワクフ」も最近の概説では必ず載っている用語だと思うが、これも太字なので憶えるべき言葉と見なされている模様。

オスマン帝国治下の各宗教ごとの共同体「ミッレト」(発音しにくいなあ)も同じく。

「スルタン・カリフ制」という言葉を無視するのではなく、衰退期のオスマン朝が欧米諸国のキリスト教徒保護権要求に対抗するために主張し始めたものと断った上で載せているのは良い。

宋代の青磁・白磁を運んだ、「海の道」に沿った陶磁器交易路「陶磁の道」も見覚えの無い用語ではある。

モンゴル帝国の章で、モンケ・ハンが太字でガザン・ハンがそうでない教科書は初めて見た。

短い在位期間でも大ハン位を占めたモンケの方が重要だと言われればそうかもしれない(さすがにグユク・ハンは欄外の系図に名前が出てくるだけだが)。

スマトラの三仏斉について、「位置的にはシュリーヴィジャヤとほぼ重複するが、王家の継承関係はないと考えられている」と明解に書かれている。

同じ東南アジア史で、スコータイ朝、アユタヤ朝、パガン朝がそれぞれスコータイ王国、アユタヤ王国、パガン王国となっているのは何か理由があるんだろうか?

ドヴァーラヴァティとかピューとかペグーとかのマイナー王朝も太字。

「港市国家とは何か」というコラムはなかなか面白い。

長くなり過ぎたので、続きは明日やります。

(追記:続きはこちら→『世界史B』(東京書籍)その2

2009年4月25日

浜林正夫 『世界史再入門 歴史のながれと日本の位置を見直す』 (講談社学術文庫)

Filed under: アジア, ヨーロッパ — 万年初心者 @ 06:00

数ヶ月前に新刊情報の記事の中で、名前だけ出した本を通読。

さほど厚くない、一冊モノの世界史。

私程度の知識しか無い人間が、自分に合わないからといって一刀両断に切り捨てるのは、どんな本であれ宜しくないでしょうし、そんなのを読まされる方も鬱陶しいのはわかっているつもりですが、これについては言わずにおれない。

はっきり言って長所が全くわからない本でした。

「まえがき」で使用方法として、まず各章のまとめの節を先に読んでもらっても良いと書いてあって、こういうふうに明解な指針を読者に示してくれるのには好感が持てる。

しかし、そのまとめを読んでみても「うーん」と思うだけで、全世界史を一望の下に理解することができる認識軸を提示してくれているとは到底思えないし、さしたる感銘も受けない。

(著者には「そりゃ君の頭が悪いだけだ」と言われるかもしれませんが。)

その前後に記されている大まかな史実の流れは、高校教科書の記述を薄めに薄めた絞りかすみたいな文章で、全然面白くない。

最後の「補論 世界史像の再構成へむけて」はまあ興味深い点が無いでは無いが、著者と同じ考えを持てない読者にとっては「???」の連続ではないでしょうか。

(なお、現代史の部分で著者の相当に左派的な立場が打ち出されていますが、そういうことだけで文句を付けているのではありません。)

同じ世界史概説でも、ウィリアム・マクニール『世界史』(中央公論新社)(現在は中公文庫に上・下巻が収録)や宮崎市定『アジア史概説』(中公文庫)と比べれば、天と地ほどの差を感じる。

この両書とはそもそもページ数が違うと指摘されれば、やや対象範囲がせまいとは言え、同じく薄い文庫本である松田壽男『アジアの歴史』(岩波現代文庫)と比べても役に立つ視点が少な過ぎると言いたい。

「読む価値無し」と断言する気はありませんが、積極的にお勧めする気もゼロです。

2009年4月22日

石井美樹子 『王妃エレアノール』 (朝日選書)

Filed under: イギリス, フランス — 万年初心者 @ 06:00

『世界史のための文献案内』(山川出版社)を眺めてて、たまたまタイトルが目に付いたので、これを読んでみた。

12世紀に生きたフランス王妃の伝記。

1988年に平凡社から同じタイトルで出たものの増補改訂版で1994年刊。

この王妃は名前を知っている人の方が珍しいくらいだし、そもそも夫のルイ7世自体が高校世界史で出てくる人物ではない。

ルイの息子のフィリップ2世は必ず記憶しなければならない重要な国王だが、フィリップはルイと別の妃との間に生まれた子供であり、エレアノールの実子ではない。

では、なぜこういう人物を主人公にした結構な厚さの伝記を読む気になったのかというと、彼女がルイ7世と離婚し、実家である広大なアキテーヌ公領を婚資として、後にイギリス国王ヘンリ2世となるアンジュー伯ヘンリと再婚し、リチャード1世とジョン王の母となったため。

あの高校世界史でも出てくる、「フランスの西半分がイギリス王の封土」という状況を作った女性とも言えるのだから、考えてみれば超重要人物である。

アキテーヌ公爵家は代々ポワトゥー伯爵とガスコーニュ公爵を兼ね、現在のフランスのおよそ四分の一を占める大諸侯で、パリ周辺のイル・ド・フランスのみを領有するカペー王家よりも強勢を誇っていた。

王権強化のために、アキテーヌのエレアノールとカペー王家のルイの政略結婚が行なわれるが、夫妻揃って行軍した第2回十字軍が完全な失敗に終わった後、性格の不一致などがあり別離。

フランス東部の雄シャンパーニュ伯と並ぶ有力諸侯アンジュー伯ヘンリと再婚したことにより、ノルマン朝以来の支配地ノルマンディーを含めて、英仏海峡からピレネー山脈に至る広大な「アンジュー帝国」が出現する。

(息子の結婚で大西洋に突き出た半島のブルターニュも勢力下に入れたように書かれているから本当にフランス西半分全てがイングランドと同一の君主に統治された状態になっている。)

離婚後もルイ7世は男子に恵まれず、その娘がエレアノールとヘンリ2世の間の王子(名は父と同じヘンリ、のち父より先に死去)と結婚していたので、場合によっては英仏両国が完全に一人の君主の下に統合される可能性すらあったらしい。

しかしルイの三度目の結婚でフィリップ2世が生まれ、彼がジョン王から大陸の領土のほとんどを奪い返すのは高校教科書の通り。

その前から父のヘンリ2世およびヘンリ王子、リチャード、ジェフリー(ブルターニュ公女と結婚)、ジョンら息子の間には紛争が絶えず、この不和をフランス王に利用されて、アンジュー帝国はあっけなく瓦解する。

ちなみにエレアノールの娘とカスティリャ王アルフォンソ8世との間に生まれた娘がフィリップ2世の息子ルイ8世と結婚し、その両者から聖王ルイ9世が生まれることになります。

これはとても良い。

人物描写が非常に鮮やかで巧みであり、良質の歴史小説を思わせる。

大変読みやすく、史実が明解なイメージを伴って、頭に深く刻み込まれる。

話の本筋だけでなく、周辺的な事項も丁寧に論じられており、曖昧さを感じない。

この辺の時代は複数国に跨る王家間の婚姻関係が複雑でわかりにくいが、詳細な家系図を添え、親切に繰り返し言及するので理解しやすい。

400ページ超と選書にしてはかなり長いが、ほとんど苦にならない。

一日一章のペースで読めば無理なく通読できるでしょう。

中世ヨーロッパ史として相当の名著だと思います。

しかし、これが新刊書店で手に入らないのは痛い。

痛すぎる。

刊行から15年も経てばやむを得ないのかもしれませんが・・・・・。

まずは図書館で借り出して、ご一読下さい。

それで気に入って、ネット古書店で非常識な価格でなければ、注文して手元に置いておくのも悪くないと思います。

2009年4月20日

フランク・レンウィック 『とびきり哀しいスコットランド史』 (ちくま文庫)

Filed under: イギリス — 万年初心者 @ 06:00

これもずいぶん前から存在には気付いていたが、そのまま放置してあったもの。

森護『スコットランド王国史話』(中公文庫)を読むのが面倒なので、まず簡略なこれを読んだ。

先史時代から1707年アン女王治下の大ブリテン王国成立までのスコットランド通史。

各章が2、3ページと短く、ユーモアとおふざけの入った文体に挿絵多数と、非常に取っ付きやすい形式。

しかし、その分さらっと読むだけでは何も頭に残らない恐れがある。

これだけを読んで、国王の系譜を憶えるのは相当難しい。

王家の系図や年表が無いのも不親切。

特に前者は是非付けて欲しかった。

登場人物のうち、マルコム2世、アレグザンダー3世、ウィリアム・ウォレス、ロバート・ブルース、ジェームズ1世(英国王ジェームズ1世[スコットランド王としては6世]の祖先)、メアリ・ステュアートなどを憶えればいいんですかね。

楽に読めたが、あまり得たものがない。

やはり上記の森氏の本を読んだ方がいいのかな。

2009年4月17日

モーリス・ブロール 『オランダ史』 (白水社 文庫クセジュ)

Filed under: オランダ — 万年初心者 @ 06:00

白水社の文庫クセジュを初めて通読。

フランスの啓蒙書シリーズの翻訳ですが、どうも気後れしてこれまで読む気がしませんでした。

こういうマイナー分野なら貴重だし、読む価値あるだろと思い、手に取ったのだが、これが意外な拾い物であった。

古代から第二次大戦後までを、もちろん記述の濃淡はあるが、基本的にどの時代も省略無く叙述する通史なのが極めて有益。

非常に面白い岡崎久彦『繁栄と衰退と』(文春文庫)およびあまり面白くないチャールズ・ウィルスン『オランダ共和国』(平凡社)が両方とも16・17世紀のみ集中的に記述しているのと対照的。

まず古代から近世初頭の歴史が述べられて、これが少々ややこしいが、要するに中世末にネーデルラントの大部分がブルゴーニュ公の支配下に入り、ブルゴーニュ自体がフランスに併合された後もネーデルラントにおけるブルゴーニュ家の統治は続き、跡取りのマリがマクシミリアン1世と結婚してハプスブルク家の領地となったことだけ押さえておけばいいでしょう。

この両者から生まれたフィリップが、スペイン国王フェルナンド5世とイサベル女王の一人娘フアナと結婚して、カール5世(カルロス1世)とフェルディナント1世をもうける。(この系図は高校教科書にも載っているから憶えた方がいいでしょうね。)

これで成立したオーストリアとスペインのハプスブルク帝国にヴァロワ朝・ブルボン朝のフランスが激しく対抗するというのが16・17世紀の西ヨーロッパの基本構図な訳ですが、オランダはこの中でフェリペ2世治下のハプスブルク朝スペインから独立を目指すことになります。

このオランダ独立戦争というのが、区切りがいくつもあって面倒なんですが、1568年に独立戦争開始、1579年に南部10州脱落と北部7州によるユトレヒト同盟成立、1581年にネーデルラント連邦共和国独立宣言、1584年オラニエ公ウィレム(1世)暗殺、1588年スペイン無敵艦隊敗北、1609年休戦条約(これは固有名詞が付いてないので単に「休戦条約」としか書きようがない)、1648年ウェストファリア条約で独立正式承認という流れになる。

独立以後の総督(本書の記述では知事)としてウィレム1世、その子のマウリッツおよびフレデリック・ヘンドリック、フレデリック・ヘンドリックの子ウィレム2世、2世の子ウィレム3世(のちに英国王ウィリアム3世)くらいは憶えましょうか。

オラニエ家が君主的存在だったとしても、この時期の政体はあくまで連邦共和国なので、ウィレム3世の前後には、ホラント州の大商人階級が主導権を取っていた、総督不在の期間もあった。

それでいて北部のフリースラント州ではオラニエ家の傍系が知事を務めていたという状況だったらしい。

17世紀後半からの英仏との抗争の経緯は相変わらずややこしいことこの上ない。

この辺は高校世界史では一番複雑な部分の一つじゃないでしょうか。

中央集権を志向するオラニエ派に対して、州分権を強調した大商人の寡頭派について著者はかなり厳しい評価を下している。

1688年名誉革命でウィリアム3世が即位するが、この人が死去すると英蘭の同君連合は解消。

しばらく無総督時代が続いた後、1747年に上記傍系からウィレム4世が総督就任、以後世襲となる。

フランス革命軍に占領され、「バタヴィア共和国」が創られたりフランス帝国の一部として併合されたりした後、ウィーン会議でベルギーを併合してオラニエ家のオランダ王国成立。

七月革命の余波でベルギーが分離した後は、もうヨーロッパ史の主要なプレイヤーでなくなった感がありますので、カルヴァン派、カトリック派、自由主義派、社会主義派の四つ巴の争いが続いた19世紀の記述は軽く流しましょう。

20世紀は、第一次大戦では中立を維持し、第二次大戦ではドイツに蹂躙されたこと、戦後の欧州統合とNATO加盟あたりを押さえておけばいいでしょう。

なかなかいいんじゃないですかね。

140ページほどで読むのにさほどの手間も掛からないし、全般的にバランスが良い。

手軽な通史として十分使える。

末尾の既刊本リストを見ると、『ルーマニア史』とか『ブラジル史』、『近代ギリシア史』などマイナー分野で読書意欲が湧いてくる本がいくつか載ってます。

これらも機会があれば読んでみたいと思います。

2009年4月15日

岩根圀和 『物語スペインの歴史』 (中公新書)

Filed under: スペイン — 万年初心者 @ 06:00

このシリーズでこの国だと、本来もっと早めに読んでおくべきではあるのだが、本書はこれまで全然読む気が起こらなかった。

なぜかと言うと、主要対象年代の偏りがあまりに極端だから。

目次で、全部で六つある章のタイトルを「スペイン・イスラムの誕生」「国土回復運動」「レパント海戦」「捕虜となったセルバンテス」「スペイン無敵艦隊」「現代のスペイン」と眺めるだけで、それがわかろうというもの。

全盛期の15・16世紀だけに集中して紙数が割かれており、それ以外の時代は極めて不十分。

英米仏独中ほどでなくても、スペインのような主要国の歴史を新書一冊にまとめるのは至難の業だと理解しているが、藤沢道郎『物語イタリアの歴史』というあまりに見事な成功例もあるのだから、本書の欠点が一層目立つ。

たまたま他に読む本が手元に無かったので通読したところ、全然面白くないとか興味が持てないということはありませんでした。

しかし内容のアンバランスさは如何ともしがたい。

この欠陥は通史としては致命的。

同シリーズでは、本書だけでなく宮田律『物語イランの歴史』も相当酷い。

20世紀以前は全くの付け足しに過ぎず、内容はどう見ても『イラン現代史』と言うべきもの。(その現代史の記述も大して重要で貴重だとは思えない。)

今からでもそう改題して、『物語』シリーズのイラン枠を空けてより専門に近い方に執筆を依頼すべきではないか。

本書を実際読んでみても、事前に持っていたマイナスイメージを払拭する感想は抱けなかった。

あまりお勧めしません。

2009年4月12日

引用文(ホイジンガ3)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

ヨハン・ホイジンガ『朝の影のなかに』(中公文庫)より。

ひとくちにいって文化の非理性化、このことの危険さかげんは、まずなによりもそれが自然を支配する技術能力の最高度の展開、および物質的幸福と富に対する欲望の激化という事態と並行し、またこれと結びついているという事実のうちに存する。

この物質的なものへの欲望が商業-個人主義的な形態をとるか、あるいは社会-集産主義的な形態であらわれるか、それとも国家-政策的形態のうちに発現するか、それはさしあたり問題ではない。

どのような社会原理に呼びかけんとするか、それは問題ではない、ともかく文化の非合理化からは生そのものの礼拝が結果し、これが支配と所有への非人間的、利己的衝動をいやがうえにも高めるのである。集産主義は利己主義を排除すると考えるなどは、およそ無思慮の一語につきよう。

かかる破滅的諸要因の協働によく対抗しうる釣合の力は、これを至高の倫理的、形而上的諸価値のうちにのみ求めることができよう。理性への回帰ということだけでは渦からぬけだしえないのである。

理性への回帰、せめてこれが要件だとはしても、わたしたちが正しい道を歩んでいるとはだれにもいえまい。どうみても、わたしたちは、この文化を脅かすに足る危機の錯綜を体験しているのだ。

感染と中毒に対する抵抗力の弱まりという状況、酩酊状態にも比すべき状況がみられるのである。精神は荒廃した。思想の交換手段、ことばは、文化の進展につれて、その価値を低めつつある。

ことばは、ますます多量に、ますます安易にまきちらされる。話され、あるいは綴られることばの価値の低下に正比例して、真理に対する無関心がふかまる。

非理性的な精神の構えがその地歩をすすめるにつれて、どの分野にあっても、誤った認識のはたらく余地がますますひろがる。商業的煽動的傾向の一時の宣伝が、たんにみかたの相違にしかすぎぬものを、一国全体の幻覚にまで拡大してしまう。

日々の思念は即座の行動を要求する。いったい、偉大な想念がこの世界にしみとおってゆくのは、ごくゆっくりした歩みでしかないというのに。都会にただようアスファルトとガソリンの匂いのように、世界の上には、むなしくあふれることばの雲がかかっている。

責任の観念は、一見、ヒロイズムのかけ声がこれを強化するかにみえるものの、そのじつ、個人の意識のうちにこそ求められるべきその基盤から引きはなされ、集団の利益のために、その視野のせまい考えを救済の法規とまで持ちあげたがり、これを押しひろめようと図る集団の利益のために動員される。

およそ集団の結びつきにあっては、個人の責任という観念は、個人の判断ともども、そのなにほどかの部分を、グループということばのうちに失うのである。

疑いもなく、今日の世界にあっては、すべての人がすべてのことに対して責任があるという感情が高まっている。だが、それと同時に、また、極度に無責任な大衆行動の危険が、異常なまでに増大してもいるのである。

2009年4月9日

木村幹 『韓国現代史 大統領たちの栄光と蹉跌』 (中公新書)

Filed under: 朝鮮 — 万年初心者 @ 06:00

08年8月刊。

日本の敗北から李明博現政権までの韓国政治史を叙述した本。

大統領の列伝をただ重ねた形式ではなく、年代で区切ってその時在任していた大統領だけでなく、将来の就任者の活動も記述している。

例えば、李承晩時代の朴正熙、金泳三、金大中といった具合。

これが非常に面白く、その試みは十分成功している。

全体的に史実の配列とその説明が適切で極めて理解しやすい。

巻末に置かれた「韓国政党変遷図」と「韓国の憲法制度変遷」という図も有益。

特に前者は極めて貴重なので、本文を読みながら常に参照すべき。

最後の年表も詳細でとても役に立つ。

これら図表も含めて丁寧な作りの本で、非常な好印象を受ける。

本書を読んでいく上で、大統領の任期はもちろん憶えるべきだが、それだけでなく建国から現在まで政体によって区分される六つの共和国と一つの軍政期の存続期間(多くは大統領任期と一致しますが)と、与野党の主要政治勢力が頭に浮かぶようにすべき。

与党系として、自由党、民主共和党、民主正義党、民主自由党・・・・・など。

なお野党勢力分立の系譜は類書が少ないだけに、本書の記述は極めて貴重。

その離合集散の過程を正確に記憶するのはちょっと苦しいかもしれませんが、民主党、民政党、民衆党、新民党、新韓民主党、統一民主党、平和民主党など、主要政党の名前はできれば指導者共々、大体頭に浮かぶくらいにはなった方がいいでしょう。

本書の欠点としては、尹潽善のような知名度の劣る大統領や、前職・現職の盧武鉉・李明博が取り上げられているのに、全斗煥・盧泰愚という重要性の高い大統領が背景説明としてしか記述されていないところ。

著者もあとがきでこの点に触れ、両者が退任後裁判にかけられたせいで客観的研究に乏しく、詳細な記述を断念したと書いている。

ただ、こういう啓蒙書レベルの本なら、著者自身の見解を基に、他の大統領と同様の形で書くことができたのではと思われてならないので、これはやはり残念。

また叙述の対象はほぼ内政に限られ、北朝鮮および諸外国との関係には最小限度触れられるだけである。

(これは紙数の問題もあるでしょうし、かえってコンパクトな通史になるという利点もあるでしょうが。)

以上を差し引いても、初心者にとって極めて有益な入門書であることに変わりありません。

予備知識はほとんど不要で、最後まで熟読すれば非常に力がつく。

強くお勧め致します。

借りてもいいですけど、買って手元に置いておく価値のある本だと思います。

2009年4月6日

ヘルマン・グラーザー 『ドイツ第三帝国』 (中公文庫)

Filed under: ドイツ — 万年初心者 @ 06:00

去年11月の新刊。

この著者名はどこかで見た覚えがあるなあと思って巻末を見ると、本作品は社会思想社の現代教養文庫『ヒトラーとナチス』を改題したものですとの記述が。

今は亡き社会思想社の教養文庫。懐かしいですね。

あまり良質とは言えない、すぐ茶色く変色する紙質の古びた文庫装丁を今でも思い出します。

世界史関係の書物も割と収録されていたのですが、ほとんど読まないうちに会社が潰れてしまいました。

「世界の歴史」シリーズも刊行していて、中国史と西欧史中心で物語風叙述方式の昔ながらの世界史全集といった風情でしたね。

本書もその存在は知っており、いつかは読もうと思っていたもの。

こういう絶版となった渋い本をさりげなく文庫化してくれるのはさすが中央公論といった感じ。

高島俊男氏が『独断!中国関係名著案内』(東方書店)で、書店の文庫コーナーで中公文庫の棚だけ輝いて見える、中公文庫編集部には大変な慧眼の士がいるに違いないと書いてらしたのに全く同感の意を抱いたことを思い出します。

ただ、バブルの頃、もうちょっと手堅い商売をしておいてくれれば、現在のように品切本を続出させたり、読売傘下に入ることもなかったんですが・・・・・・。

時間を90年代初頭くらいに戻して欲しい。

閑話休題。

本書は全5章の構成で、そのうち一般的な通史的記述は第1章のみであり、それも非常に簡略化されたもの。

以後、世界観・宣伝機構・文化政策・テロ支配というテーマごとに一章を割いて記述されている。

本文の後に一段小さめの活字で、当時の新聞・雑誌・書籍・演説からの引用が載せられており、分量的には本文に匹敵するほど。

よって、全くの初心者が基礎を固めるための概説という性質は希薄で、具体的歴史事例に触れることでイメージをつかむための本といったところか。

悪くはないし、教科書レベルの次に読もうとして読めない本ではないが、親切丁寧な入門書という感じではない。

(その分、深く考えさせられる引用文が数箇所あるんですが。)

何か別の本で基礎知識を得て、それから本書に取り掛かり、次にハフナー『ヒトラーとは何か』(草思社)で目から鱗を落とすというのが、なかなかいいコースだと思います。

以下、第三帝国時代、体制反対者によって広められたゴットフリート・ケラーの詩。

毒虫がほこりと

乾いた泥の中に、

軽い灰の中の焔のように

じっとかくれている。

雨と微風に

悪しき生命は目覚め

無から悪疫、

熱と煙が立ち上がる。

暗いほら穴から盗賊が

徘徊しようと立ちあらわれる。

獲物を求めようとして、

もっとよいものを見つける。

無意味な争いと

惑える知識と

ちぎれた旗と

愚かな民衆とを。

その行くところ、必ず

貧しき時代の空虚に会い、

厚顔無恥に歩み得て、

かくて盗賊は予言者となる。

塵芥の山に

悪の足ふみしめ、

呆れ顔の世間に

舌を鳴らしてあいさつする。

雲に包まれるように

卑劣に身を包み、

民衆の前の虚言者は

やがて巨大な権力をつかむ。

これに従う手下あまた。

位の高きも低きも、

機をうかがいつつ

頭にとり入ろうとする。

彼らは頭の言葉を、

かつて神の使徒が

五個のパンでしたように広め、

それは汚ならしくはびこってゆく。

はじめはかの犬めが欺いただけなのに

今は彼ら数千がそろって欺く。

嵐がふきまくるように、

今、彼の才は時を得て肥えふとる。

蒔いた種は高く伸び

国の姿は変りはて、

民は恥辱の生を生き

下劣な行いを意に介しない。

はじめはでたらめと思ったことが、

今や現実と化した。

よき人々は姿を消し

悪しき人々が群がっている。

いつかこの苦難が

遠く氷のようにとけたとき、

黒死病のように

語られることだろう。

子らは野に出て

藁人形をつくり、

苦しみを焼いて楽しみとし、

古き恐怖を焼いて光としよう。

2009年4月4日

引用文(ホイジンガ2)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

ヨハン・ホイジンガ『朝の影のなかに』(中公文庫)より。

(以下やこちらでの引用文を右とか左とかといった観点でお読みにならないようお願い致します。)

物質的な安楽、これを自然が限定していると、人びとは、いろいろな面で、たえず感じていたのである。

いまの人びとは、技術の進歩によって、衛生学的な環境整備に対する効果的な配慮によって、だめにされてしまっている。

数世代前の人びとは、日常生活における安楽の欠如を甘んじてしのび、そこからなにかを学びとろうとした。

いまの人たちは、このあきらめの心をなくしてしまったのである。同時に、また、生きるしあわせを、与えられるがままに、すなおに受けとることもできなくなったのである。

生活があまりにも快適になりすぎた。人間の心の骨格は、この物質の世界を支えうるほど強くはないことが明らかとなった。

 

 

奇妙な時代ではある。かつて信仰と闘い、これを倒したと信じた理性が、いまは、わが身の破滅からのがれようと、信仰に避難所を求めなければならないのである。

なぜといって、生きた形而上学という堅く、ゆるがぬ基盤の上に立ってこそ、真実という絶対の概念は、本能に出る生の衝動の上げ潮に抗して身を守り、道徳と正義の諸規範を十全に価値あらしめることをうるであろうからである。

 

 

宣伝の領分は手段の限定を知らない。宣伝は、どんなイメージについても、つめこめるかぎりの暗示を、これに負わせようとする。

あるスローガン、この独断的真理を民衆に押しつけようとして、可能なかぎりの嫌悪と讃美、両極端の感情をそれに仮託するのである。

民族主義とかボルシェヴィズムとか、その他なんであれ、スローガンを所有するもの、政治的ことばづかいを操るものは、すなわち、犬を打つ杖を手にするものである。

こんにちの政治的宣伝業は、犬を打つ杖を大売出ししている。そして客を、いたるところに犬をみる妄想病患者に仕立てているのである。

 

 

反知性的な生の教説の帰結するところには、ひとつの危険がしつようにつきまとっている。

生を理解の上におくということは、理解の規範とともに道徳の規範をも放棄することを必然たらしめる。

権威が暴力を説けば、すなわち理は暴力をはたらくものたちにある。

人びとは、暴行者を拒否する権利を、みずからに否認してしまったのである。

暴行者たちは、原理上、どんなに残虐非道なことをはたらこうとも正当化されるであろう。

社会の構成員のうち、動物的ないし病的な衝動の充足を暴力のうちに求める部分は、自分たちこそヒロイックな仕事の遂行者であるとして、大喜びで群がり集まるであろう。

厳密に軍事的権力がこれを押さえれば、かれらもあるていど制御されはしよう。

だが、民衆運動のファナティズムという状況にあっては、かれらは死刑執行人の助手となるであろう。

2009年4月1日

今谷明 『封建制の文明史観』 (PHP新書)

Filed under: 史論・評論 — 万年初心者 @ 06:00

著者の今谷氏は日本史関係で著名な方ですが、著作を読むのはこれが初めて。

西欧と日本が近代化に成功した原因を封建制の存在に求めて、それを肯定的に評価する視点からの本。

梅棹忠夫『文明の生態史観』(中公文庫)とも共通する点が多い。

まず第一章で13世紀モンゴルの征服と破壊から免れた日本・西欧・マムルーク朝エジプトの例を記し、それがいずれも封建制下に育まれた軍事力によるものだったとする。

日本については「神風」よりも鎌倉武士の奮戦を強調し、西欧についてワールシュタットの戦い後のモンゴル軍の撤退はオゴタイ・ハンの死によるものではなく、ドイツの城塞都市を破る見込みが無かったからだとする。

マムルーク朝について、1260年アイン・ジャールートの戦いでモンゴル軍を撃退したことの意義を記すが、以後のエジプトで近代化の動きに乏しかったことへの言及は特に無い。

また、普通の教科書ではモンゴルの侵攻を退けた地域としては日本、エジプト以外では西欧よりも陳朝大越治下のヴェトナムを挙げるのが通例だが、本書ではヴェトナムについては全く記述されることがない。

(別に細かなあら捜しをするためにこういうことを書くわけではありませんが。)

いずれにせよ、モンゴルのユーラシア制覇の破壊的側面を強調し、その支配を免れた地域のみが、自発的近代化を成し遂げたことに注目するという、杉山正明先生が聞いたら発狂しそうな史観。

(本書の元寇を記した部分では杉山氏の著書がやや批判的に引用されています。)

第二章以降では、上記梅棹氏をはじめ、オットー・ヒンツェ、ウィットフォーゲルなど内外の学者に関して、日本において封建制は存在したのか、存在したとしてそれをどう評価するのかについての様々な言説を紹介する内容に移る。

採り上げられている人物では、島崎藤村なんて意外な名前も出てきます。

封建制を近代化への障壁であり、全く否定すべきものと見なすか、むしろ逆に近代の基盤を準備したものと見るかで、意見が分かれる。

いろいろな学者の中で、本書ではウィットフォーゲルに対する評価が比較的高い。

この人は中国史での「征服王朝」という用語の発案者として高校世界史でも一応名前は出てきますよね(今は触れられないのかもしれませんが)。

ユダヤ系ドイツ人として生まれ、ドイツ共産党に入党、ヒトラー政権成立後は収容所送りになり、出獄後アメリカに亡命、そこで反共主義に転向しマッカーシズムの赤狩りに協力して、左翼知識人に蛇蝎の如く嫌悪されるというなかなかきな臭い人生。

中国などユーラシア中央部に大規模な水利・灌漑の必要から中央集権的な専制帝国が成立したのに対し、西欧と日本では封建制による権力の分立と近代化への萌芽が生まれたと説く「東洋的専制主義」の理論を構想。

こういう諸学説の紹介はそれなりに面白いんですが、著者の主張があまり明解に伝わってこないので、最後まで読むと「えっ、これだけ?」と何か中途半端な印象を持ってしまう。

途中から少し盛り上がりに欠ける展開のような気がしますが、初心者が予備知識無しに読めるのは良い。

大した労力も要らずに読めるが、その割にいろいろな知識が吸収できてなおかつ楽しめるというコストパフォーマンスの高い本。

井上章一『日本に古代はあったのか』と読み比べるのも良いでしょう。

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