万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年3月5日

引用文(苅部直1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

前々回の記事と同じく、飛ばし読みした苅部直『丸山眞男 リベラリストの肖像』(岩波新書)より。

前に見たように、丸山が大学に入学した前後は、共産党員の大量転向によって、かつての活動家たちが、放蕩息子の帰宅とばかりに、「國體」への帰依を、たとえ偽装にでもせよ公言するようになった。その他方で、たとえば河合栄治郎のような、かつては左翼の敵と見なされた自由主義の知識人が、政府や国粋主義者からの抑圧に対して、きびしく節を守って抵抗するようすを目にするのである。

なだれを打った左翼の転向時代で、しかもきのうまで勇ましい、ラディカルなことを言ってたやつが、たちまちわたしなんかをとび越して右がかったことを言い出し、やがて御稜威(みいつ)とか聖戦とかを口ばしるようになる。むしろ、いままでなまぬるいリベラルだと思っていた人のなかに、反動期になればなるほどシャンとしてくるという人がいる。むろんリベラルにもダラシのないのが多かったけれど。とにかく平素口で言っている思想だけではわからないものだという感じを痛切に味わった。

滔々たる「政治化」の波の中で、「人格的内面性」を徹底して守りうるのは、宗教の立場、とりわけ「ラジカルなプロテスタント、例えば無教会主義者であろう」と、丸山の「人間と政治」は説いている。明らかに、無教会のキリスト者であった南原繁を念頭に置いた文言である。・・・・・・

もし経験的現実として目に映る世界がすべてになってしまって、それをこえた目に見えない権威―神であっても理性であっても「主義」であってもいい、とにかく見えざる権威によって自分がしばられているという感覚がなくなったら、結局は見える権威に―これまた政治権力であろうと、世論であろうと、評判であろうと―ひきずられるというのが、私の非合理的確信なんです。

神仏への信仰にせよ、ある理想への確信にせよ、「見えざる権威」に縛られているという感覚が、みずからの「人格」の一貫した統合をしっかり守る。・・・・・しかし先にも見たように、宗教信仰までもが、国家や政治党派、あるいは営利団体による操作の対象となっている時代が、丸山の言う「現代」にほかならない。また、南原であれば、個人の内面での信仰とともに、ネイションの理想を表現する皇室への敬意を通じて、人と人が感情の次元で「国民」の共同体に結ばれる回路を、安定した秩序の支えとして説くことができた。だがすでに「天皇制」への批判者である丸山には、そうした選択肢はのこされていない。「現代」において人間は、不断に流動する力関係の渦にまきこまれ、何が本当の自分の思考なのかもわからなくなり、足元には価値の相対性とニヒリズムがつきまとってゆく。この難問が、丸山の思想の営みには、終生の課題として残ることになる。

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