万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年3月1日

引用文(水谷三公1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

最近飛ばし読みした、水谷三公『丸山真男 ある時代の肖像』(ちくま新書)より。

経験に即して考えるなら、ロシア革命からポル・ポトまで、二〇世紀の多くの全体主義が、国民主権の否定ではなく、フランス革命同様、国民意思ないしその変奏である人民意思の絶対的優越を根拠に登場し、伝統的体制では想像できないほど悲惨で徹底した抑圧を実行した事実は残る。それらが直接・短期的にもたらした諸結果は、「長期的に見た」革命と普遍理念の負債項目に計上される。そして、それらの犠牲が普遍的理念の「定着」によってもたらされたとされる果実・成果と釣り合うかどうかには、深い懐疑がつきまとう。

そもそも日本に、ドイツやイタリアと一括して論じられるようなファシズムが存在したかどうかが疑問である。強い精神のナチ指導者と、天皇や権限に逃避するひ弱な精神の日本の指導者を(やや誇張と歪曲を交えながら)対照させて描くなど、丸山は日本型ファシズムの特異性を強調する。これには日本ファシズムの特殊性を強調しすぎるという批判があるが、逆の理解も可能である。つまり、戦時日本の体制をナチスと基本的には同一のファシズムという類型に一括したのが問題で、異なった類型としてなら処理できたはずの差異を説明するため、日本ファシズムの特殊性をことさら強調せざるをえなくなったという見方もできる。

一九三〇年代から敗戦までの日本政治がきわめて異常な状態に陥ったのは事実だし、その下でまず「敵性外国人」やコミュニスト、ついで自由主義者が迫害された。これ以外にも、ナチス・ドイツとの類似点をいくつも指摘するのは容易だろう。しかしそれらは、ドイツや日本以外の国の戦時動員体制にも無縁ではなかった。他方で、ドイツと日本では、違いもまた際立っている。たとえば、ドイツではコミュニストを含めた「危険人物」は、数万人規模で殺され、処刑されたが、日本ではおおむね「泣き落としの転向」と「不愉快な拘禁・監視」でけりをつけた。日本の弾圧はたいした問題ではないと言うのではなく、「体制敵」の「処理」方法の違いに、体制自体の違いが深く刻印されているという意味である。

あるいは、戦時体制下、ほとんどお飾りにすぎなかったとは言え、帝国議会が最後まで開かれていた事実をあげてもよい。この結果、憲法をはじめとして、法的正統性の面で、戦後体制がそれ以前の体制の「改正」として出発したことは、戦後日本とドイツを比較して考える上でも重要である(このかぎりで、憲法学者がポツダム宣言受諾による「八・一五革命」論を借用し、もてはやしたのは疑問である)。国民主権を含めて、原理的断絶があったにもかかわらず、戦前までの体制の「改正」という「虚構」から出発したから、民主化も改革も中途半端で、結局は反動・復古・逆コースを許したとする評価も可能だろう。他方で、なぜヨーロッパのように、組織だったレジスタンスが組まれなかったのか、「戦争責任者」の処罰を日本人自らの手で行なわなかったのかなどについて、日本人民後進論(ずるずるべったりで、泣き寝入りの国民性)や「天皇制無責任体制」とは別の見方も開けるだろう。

ファシズムの問題を正面から取り上げ、詳細に議論する準備も能力もないが、ドイツのナチズムと日本の体制を、基本的には同じファシズムに属するヴァリエーションと考えるより、ソ連のコミュニズム体制、ドイツのナチズム体制などと同列に並ぶ、しかしそれらより組織性・動員力などが劣る、全体主義体制の、しかしファシズムとは別の下位類型の一つと考えるほうが、政治的、党派的な利害得失はともかく、認識的には実りが多いように思われる。

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