万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年1月16日

引用文(ゴーロ・マン1)

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ゴーロ・マン『近代ドイツ史 1』(みすず書房)、118ページより。

マルクスは政治を軽蔑した。従って、彼は階級間の闘争を和げるという、政治の持っていた可能性と政治的行動を通じて、自己の生活条件を改善するという、プロレタリアートの持っていた可能性を正当に評価できなかった。後に彼は、エンゲルスがすでに、その著書“イギリスにおける労働者階級の状態”において行なったように、イギリス工場視察官の報告を大いに資本論に引用したが、なぜ彼はこのことに戸惑いを感じなかったのだろうか。これらの視察官は、労働者の生活条件の実体を調査するため“ブルジョア的”、資本主義的国家から金を受け取っていた。しかも彼らは、なにも容赦しない客観的な報告を行なった。これをやらせたのは政治だった。だから政治は、このほかにも、いろいろなことを社会的に成し遂げることができたであろう。政治は確かに経済的闘争と結び付いているが、それと同一なものではなく、それから切り離すことができる。だが、マルクスはこの点を無視した。

政治と並んで、彼は政治哲学または政治学を軽蔑した。権力行使に対する制限、権力の分立を論じた憲法理論その他、法治国家に関する、数世紀間のあらゆる思索、実践はごまかしである、と彼は考えた。彼にとっては、経済的に支配する階級だけが重大関心事で、あとのことは、自分の地位を支え、かつ覆い隠すため、支配者の利益に沿って編み出された幻想的イデオロギーだった。だから、マルクス、エンゲルスの著作のなかには、どのようにして権力を制限すべきか、またはどのような形でこれを行使すべきか、という問題について一行の説明もない。彼らにいわせると、この問題はバカげていた。というのは、どんなに法的に飾り立てられていようとも、政治的権力は経済的搾取であり、一方がなければ、他方もありえないからだった。むぞうさに、政治を“経済的基盤”、所有関係と同一視するこの重大な誤りもまた、いまだにその影響力を失っていない。今日でもなお、共産主義者は、われわれに向って、生産手段が個人の手にない国家つまり共産国家は決して帝国主義的になることができない、国内に対して独裁的になることができない、労働者、農民を搾取できない、などというだろう。

マルクスが政治を軽蔑した理由は、人間の問題を単なる生物的問題に還元して、その道徳的面を否定したところにある。経済に支障がなければ、必然的に、他のすべてのことにもおのずから支障をきたさないだろう、というのである。経済的支障を除去すべき人間が霊と肉との、あらゆる弱点を持っているということ、また人間は経済的に解放されたのちにも、依然として人間であるということ―こうした反論を、彼は坊主的おしゃべりとして片付けた。彼はイギリスの資本家たちの冷酷な金銭欲に憤激することができた。―これはもっともなことだ。だが、体系的にみて、彼の哲学には、善悪の区別がはいりうる余地はなかった。人間は、そう行動せざるをえないから、そう行動するのである。経済状態が変われば、人間の行動も確実に変わる。この楽観主義は、マルクスが“啓蒙思想”から引き継いだもので、今日でもなお西欧の社会学者によって支持されている。マルクスは人間の問題を、永久に解決できないよう運命づけられている道徳的問題としてではなく、科学的に解決できる純客観的問題として取り上げた。もっと簡単にいうならば、人間の問題を解決すべき人間もまた人間であること、人間は信頼できないということを見落としたのである。

E・H・カー『カール・マルクス』の記事での引用文参照。)

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