万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年1月11日

引用文(チェスタトン1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

G・K・チェスタトン『正統とは何か』(春秋社)、270ページより。

さて、順序として、次に挙げた例に移ることにしよう。つまり、キリスト教は暗黒時代の産物だという説である。この問題に関しては、私は現代の抽象論に満足できないので、少しばかり歴史を読んでみた。そして、歴史を読んで発見したことは、キリスト教は暗黒時代の産物であるどころか、暗黒時代を貫いて横切っている唯一の道であり、暗黒ならざる唯一の道だということだったのだ。キリスト教こそは、二つの輝ける文明を結ぶ輝かしい橋だったのである。キリスト教信仰が無知と野蛮のうちに生まれたと説く者があれば、その男に与えるべき駁論は単純至極、それは事実ではないと言えばよい。キリスト教はローマ帝国の最盛期に生まれたものである。世界には懐疑派が群がり、汎神論は太陽のごとく明白自明の理とされていた。その時、コンスタンティヌス大帝は、この巨船の帆柱高く十字架を打ちつけたのだ。

なるほど後に船は沈んだ。そのことに疑問の余地はない。だが、さらにはるかに驚嘆すべきことは、この船が再び海面に浮上したという事実である。しかも船体はことごとく塗り変えられ、陽光にきらめき、そして帆柱の頂きにはなお十字架が光っていたのだ。これこそ、この宗教のなしとげた驚天動地の大事業であった。沈没船を潜水艦に変身させたのである。大海を船に積みこみながら、その底でこの箱舟はなお生きていたのだ。いくたの王朝、あまたの種族の没落の瓦礫の下に埋められた後もなお、われわれは蘇り、そしてローマを想い起こしたのである。

もしもわれわれの宗教が、時のまにまに滅び行く帝国の、単に一時の気まぐれな流行でしかなかったのなら、流行は時の流れの後を追って黄昏の中に没し去っていただろう。そして、かりにもしその文明が再び姿を現わしたとしても(ついに再び姿を現わさなかった文明は枚挙にいとまがないのだが)、その文明は何か新しい野蛮の旗をかざしていたにちがいない。ところがキリスト教会は、古い社会の最後に残った生命の火であり、新しい社会に初めてともった生命の火であった。教会は、すでにアーチの築き方を忘れかけていた人びとを捉えて、彼らにゴチック・アーチの発明を教えたのである。要するに、教会についてどれほど不条理なことを言うにしても、われわれみなが一度は耳にしたことのある、あの説ほどの不条理はない。教会がわれわれを暗黒時代に引き戻そうとしているなどと、いったい何を根拠にそんなことが言えるのか。教会こそは、われわれを暗黒時代から連れ出した唯一のものにほかならぬではないか。

塩野七生『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫)の記事参照。)

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