万年初心者のための世界史ブックガイド

2009年1月30日

ロデリック・ナッシュ グレゴリー・グレイヴズ 『人物アメリカ史 下』 (講談社学術文庫)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 06:00

上巻の続き。

マーク・トウェインから、リチャード・ニクソンまで。

冒頭、南北戦争後の「鍍金時代」のアメリカに絶望して、極めて悲観的な人間観を抱いたトウェインの章は強い印象を与える。

また、上巻と同じく背景説明もしっかりしているので、リンカーン暗殺から19世紀末までのアメリカ政治史というマイナーであまり知られていないテーマについても一定の知識を得ることができる。

その後の章も同じ。

マーティン・ルーサー・キングの章では、ブーカー・ワシントンやウィリアム・デュ・ボイスなどの先駆者を含めた公民権運動の歴史が概観できて便利。

最後のニクソンの章はやや視点がリベラル寄り過ぎるかなとも思ったが、じっくり読むとそうでもなかった。

上・下巻を通して読んでみて、比較的良い印象を受ける。

アメリカ史のテキストとしてこれを選ぶのも悪くない。

しかし、これを何度も読み返す基本書にすべきだとか、多数あるアメリカ史の本のうちこれをまず第一に読むべきだとかは、正直思わない。

私が優先して勧めるのは、「またかよ」と思われること必定でしょうが、やはりアンドレ・モロワ『アメリカ史 上・下』(新潮文庫)です。

「いい加減しつこいよ」と言われようが、この本の長所に触れずにはいられない。

まず実直かつ着実に、各大統領の任期を一つも省略することなく叙述し、政治史の基礎を与えてくれる。

その際、多彩な人物・事件に関するエピソードを交え、物語が深く印象付けられる。

それに加えて経済・社会・文化の動きも遺漏無く触れられ、決して視野の狭い事件史に留まっていない。

この本の完成度と初心者が得られる効用は本当にずば抜けてます。

以前も書きましたが、『英国史』および『フランス史』共々、復刊する気が無いのなら新潮社さんには版権を一刻も早く手放してもらいたい。

こういう本はいつでも新刊書店で手に入るようにならないとダメです。

オンデマンド出版でもいいから、何とかなりませんかね。

2009年1月27日

ロデリック・ナッシュ グレゴリー・グレイヴズ 『人物アメリカ史 上』 (講談社学術文庫)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 06:00

上・下巻に分かれてますが、とりあえず上巻のみ記事にします。

伝記を積み重ねて、ある国の通史を物語るという形式の本。

中公新書世界史関係の傑作藤沢道郎『物語イタリアの歴史』と同じタイプの本ですね。

この巻は植民地時代から南北戦争まで。

取り上げられている人物として、コロンブス、フランクリン、ジェファソンと誰でも知ってる有名人もいれは、テカムセとかキット・カーソンのように「誰、それ?」と言いたくなる人もいる。

(前者は19世紀初頭のインディアン部族連合の指導者、後者は西部の偶像となった探検家・開拓者。)

こういうマイナーな人物を含めた伝記でありながら、背景説明にも力を注ぎ、空白の無い通史として一応きちんと成り立たせているところは、かなりよく出来ていると思います。(上記の藤沢氏著ほどではありませんが。)

もともと本書は、アメリカの大学の学部授業で使用されることを想定した歴史教科書らしく、日本人が読んで煩瑣で読むに耐えないという部分は特に無かった。

史実の描写がものすごく面白いとか、鋭い史的解釈に蒙を啓かれる思いがするとか、そういうことはないが、標準的なアメリカ史テキストとして十分使える出来ではないでしょうか。

本書のうち、個人的に一番強い関心を持つのは末尾に載っている南軍のロバート・リー将軍の章。

前から思ってたんですが、このリー将軍というのは本当に立派な人ですね。

奴隷制度をはっきり悪と認識し、相続した自分の家の奴隷を、大きな経済的困難を抱えながら、彼らのために職探しまでした上で一人残らず解放。

南北戦争勃発にあたっては、北軍司令官への就任を要請されながら、悩みに悩んだ末、奴隷制擁護のためではなく、故郷ヴァージニアを守るために南軍に加わり、兵員・物量の圧倒的不利を背負いながら孤軍奮闘し、南部連合を支えるが、ついに力尽き降伏。

なお、ほんのわずかな記述だが、しかし私が一番感動した南北戦争後のエピソードが、本書ではなくアンドレ・モロワ『アメリカ史 上・下』(新潮文庫)に載っている。

農園主たちも、神の前では万人の平等を否定することはできなかった。それにもかかわらず、最初、リッチモンドの一黒人が、白人に混って聖餐拝受のために跪いた際、そのまわりにいた白人たちは身を退いた。この時、いつも変わらぬ威厳をもって、その黒人の傍らに立ってやったのは、他ならぬリー将軍であった。こうした先例ができたので、その後は他の人人も、これに倣うようになった。[下巻492~493ページより]

本書の筆致は必ずしも常にリーに対して好意的というわけではないのですが、個人的にはアレグザンダー・ハミルトン、ジョージ・ケナンと並んで、アメリカ史では最も好きな人物です。

上巻を読んだ限り、特に優れているというわけではないですが、大きな欠点は無いと思います。

ただ、500ページ超の分量は少々かなわない。

もうちょっとコンパクトならいいんですけどね。

近日中に下巻を読んでまた記事にします。

2009年1月25日

引用文(高坂正堯1・岡崎久彦1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

高坂正堯『世界史の中から考える』(新潮選書)、162ページより。

よく知られていることだが念のために書いておくと、戦前の日本では首相は“同輩のなかの第一人者”に過ぎなかったので、閣内不統一は内閣総辞職ということになった。それに陸海軍大臣は現役軍人でなくてはならぬきまりになっていたため、陸軍と海軍は大臣を出さないことで内閣をつぶすことができた。いわば拒否権を持っていたわけで、陸軍はそれを使って強大な政治力を築いた。

岡崎久彦『幣原喜重郎とその時代』(PHP文庫)、43ページより。

他方、この事件[大正政変―引用者註]を通じて、昭和になって軍閥の跳梁を許すこととなる明治憲法の不備もみえてきた。それは、明治憲法には「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」とだけあって、総理の大臣任免権にも、内閣の連帯責任にもなんら触れるところがないことである。『憲法義解』によれば、これは意図的であり、閣僚が連帯の力で君権を制限することを恐れたためのようである。・・・・・

後年、統帥権独立論によって軍が、軍政あるいは国政全般に発言力をもつようになるが、これを可能にしたのは、国務大臣がそれぞれ独立して天皇に対して責任を負うというこの条文である。

ちなみに現行憲法では、「内閣は連帯責任を負い、国務大臣は総理が任命する」と明記しているので、たとえ軍がいかに強くなっても、そのような事態が起こる可能性はまったく排除されている。現行憲法は、外国の占領下で日本の国家と国民の意思が自由に独立して表明されることが許されなかった環境の下に制定されたという根源的な欠点を有することは否定しがたいが、この点については、明治憲法の不備を正している。

軍部大臣現役武官制とその弊害についてはもちろん知っていたが、その前提である戦前の内閣の性格について、これだけ重要なことを私は中学・高校の歴史の授業で習った記憶が無い。

2009年1月22日

服部龍二 『広田弘毅 「悲劇の宰相」の実像』 (中公新書)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 06:00

去年の6月に出た本。

1930年代に外相・首相を務め、戦後の東京裁判で文官として唯一死刑になった外交官の伝記。

本書では、東京裁判が正当だったのかどうか、死刑が適当だったのかという論争から一先ず距離を置いて、その政治的責任を冷静に論ずるという視点を取っている。

この人については、城山三郎『落日燃ゆ』(新潮文庫)という有名な歴史小説があり、平和を望みつつも軍部の圧力によって果たせず、戦犯裁判で不当にも絞首刑となりながら、一言も弁明せず従容として死に臨んだという、同情的なイメージが広く持たれていたそうです(私は未読なので何とも言えませんが)。

それに対して本書での評価はかなり厳しい。

年代順に見ていきましょう。

まず、1933年9月斉藤実内閣の内田康哉外相の後任として外相に就任。

この時期塘沽(タンクー)停戦協定で満州事変は一応終結し、日中関係は小康状態に入っていた。

蒋介石は対日融和策を取りつつ、共産党討伐に全力を挙げており、日本側でも協調外交の気運が一時優勢となる。

(この時期の日中関係については、松本重治『上海時代 』(中公文庫)、大杉一雄『日中十五年戦争史』(中公新書)が非常に優れたテキストになります。)

34年4月、いわゆる天羽声明が「アジア・モンロー主義」の表明だとして列強の猜疑を招き、広田外交の最初の躓きとなる。

(これについては重光葵が排他的革新派として背後にいたと批判的に記されている。)

同年7月成立の岡田啓介内閣でも外相に留任。

国民政府内の汪兆銘・黄郛(こうふ)・唐有壬などの親日派と協力し、「日中提携」路線を推進し、1935年には相互の公使を大使に格上げするなどの成果を上げる。

しかし35年には後に致命的結果を招く、日本陸軍の華北分離工作が始まり、6月梅津・何応欽協定と土肥原・秦徳純協定により中国軍が河北省・チャハル省から撤退。

広田はそれを強く抑えようとはせず、逆にこれを利用して「広田3原則」と呼ばれる外交方針を中国に提示。

1.排日言動取締りおよび欧米依存策からの脱却と対日親善策の採用

2.満州国の黙認と反満政策の停止、北支における経済的文化的融通提携

3.外蒙等よりの赤化脅威に対処するため外蒙接壌方面での諸般施設への協力

がその内容で中国側への一方的要求のみであり、この時期イギリスの支援で進められていた中国の幣制改革にも協力しなかった。

これで中国政府内の親日派はその基盤を失い、黄郛は引退、汪兆銘は狙撃され負傷、唐有壬は暗殺される。

11月の冀東防共自治政府成立など陸軍の分離工作の更なる進行にも、広田はさしたる抵抗をみせなかった。

1936年二・二六事件で岡田内閣が倒壊した後、広田に大命降下。

この広田内閣でまず重要視されるのが、組閣への陸軍の露骨な介入と軍部大臣現役武官制の復活。

軍部大臣現役武官制については、これを陸軍の政治介入の決定的要因と見做すべきではないという意見が筒井清忠『昭和十年代の陸軍と政治』(岩波書店)という本で展開されているらしく(例によって私は未読)、本書でもその意義を過大に評価すべきでないと書かれているが、教科書的な理解ではやはりこれが軍が政治を引きずり回す上で有効な手段となり大きな弊害を残したということになっています。

広田内閣時のもう一つの重大史実は36年11月の日独防共協定締結。

ナチス・ドイツへの接近という不吉な第一歩を踏み出したわけだが、広田は防共協定に中国の参加も想定し、それを通じて日中関係の改善を目論んでいたらしい。

しかし蒋介石は日本側の譲歩のない共同防共を拒否、12月には西安事件で自らが監禁され、これまでのような反共政策を続け得なくなってしまう。

ちなみに、何度も何度も同じことを書いて恐縮ですが、こういう現代史は年代を記憶することが絶対に必要です。

1935年=冀東防共自治政府、幣制改革、ドイツ再軍備宣言、英独海軍協定、エチオピア戦争、仏ソ相互援助条約、米国中立法、1936年=二・二六事件、西安事件、日独防共協定、ベルリン・ローマ枢軸、ラインラント進駐、ブルム人民戦線内閣、スペイン内戦、大粛清開始(ジノヴィエフ・カーメネフ裁判)と頭に浮かぶようにすべき。

なお1939~41年の三年間についてはかなりの程度、月も覚える必要がある。

初心者でも、というか初心者だからこそ、この手の作業を疎かにすべきではないと考えます。

閑話休題。

1937年1月広田内閣総辞職、陸軍穏健派の実力者宇垣一成に一旦大命は下るが、かつての「宇垣軍縮」の推進者に対する陸軍中堅層の反発で、上記の軍部大臣現役武官制が早速悪用され、組閣は流産。

いくつかの本を読んだ限りではこの宇垣という人を褒める記述が多く、もし半年後の盧溝橋事件の際、首相が宇垣だったら日本の運命は変わっていたかもしれないとも言われていた。

結局2月に陸軍出身の林銑十郎内閣が成立するが、5月末には総辞職。

37年6月第一次近衛文麿内閣成立、広田は外相復帰。

7月7日盧溝橋事件勃発。

当初近衛内閣は現地解決・不拡大方針を取ったものの、杉山元陸相が動員を主張すると、近衛・広田ともそれをあっさり認めてしまう。

それどころか近衛はメディアに華北への派兵を大々的に発表し、世論を煽ることすら行なった。

近衛には、陸軍の独走に先手を打って、政治が主導権を保持できるようにとの意図があったが、これは結果的に事変の収拾を不可能にし、破滅的な事態を招くことになった。

7月20日の閣議で内地三個師団の派兵が決定。

これがいくつかある「昭和史の決定的瞬間」の一つだったと思われるが、この時外相の広田の下にあった石射猪太郎は広田への深い失望の言葉を残している。

8月に第二次上海事変が起こり、戦争は華中に飛び火。

10月ごろからドイツを仲介としたいわゆるトラウトマン工作が始まったが、首都南京攻撃前の交渉進展を求める進言を広田は無視、矯激で無思慮な反中世論に迎合し陸軍にも先立って和平条件を吊り上げる愚を犯す。

1938年1月に多田駿参謀次長らの反対を押し切り、トラウトマン工作打ち切りを決定、「爾後国民政府を対手とせず」との第一次近衛声明を発表。

日中全面戦争は泥沼化し、5月には広田は外相を辞任。

こういう記述を読んでいくと、近衛共々、「悪意でやったんじゃないでしょうけど、やっぱり困った人だなあ」という印象を拭えない。

戦後の東京裁判の章は、通説を一部修正するところはあるものの、基本的に広田に対して非常に同情的な記述。

面白い。

よく整理された叙述で、初心者でも十分読みこなせるレベルでありながら、熟読すれば基本的知識がしっかり身に付く。

史的解釈に関しても、明解で一部厳しい評価を下しながらも、後世の安全地帯から完全な後知恵で一方的に断罪するという色彩が薄いのが良い。

相当使える本です。

2009年1月20日

09年世界史Bセンター試験について

Filed under: おしらせ・雑記 — 万年初心者 @ 06:00

去年もやりましたが、17日に行なわれた大学入試センター試験の世界史Bの問題が、翌日の朝刊に載っていましたので、暇潰しにやってみました。

以下、すべて適当な個人的な感想です。

今年は一問間違えました。

第3問の問8、カロリング朝フランク王国が建国された8世紀に起こった出来事について述べた文のうち、正しいものを選べという問題で、選択肢は以下四つ。

1.ピピンは、ランゴバルド王国を滅ぼした。

2.カール大帝は、マジャール人を撃退した。

3.唐の太宗の治世は、開元の治と呼ばれた。

4.ハールーン・アッラシードの治世が始まった。

まず、2は間違い。

アヴァール人とマジャール人の区別、前者はカール大帝、後者はオットー1世によって撃退されたというのはよく問われる基本事項なので、即クリア。

3は開元ではなく貞観の治というだけで判別できるが、唐の成立が618年で、太宗は二代目皇帝だからその治世は7世紀のはず、よって間違いと二重にチェックして落とす。

(唐王朝建国年代は確か山村良橘『世界史年代記憶法』(代々木ライブラリー)では「李(6)[六を“り”と読ませる。六朝から]淵いちばん(18)、唐興る」と載っていた。この憶え方はたぶん死ぬまで忘れないでしょう。)

問題は1と4。

カール戴冠が800年で、普通考えたらカールと使節を交換したハールーン・アッラシードは8世紀末には在位しているはずだが、ひょっとして9世紀初頭に即位してそれからカールと交渉したのか。

ランゴバルドを滅ぼしたのってピピン3世だったかな、それとも息子のカール大帝だったかな、ピピンの寄進ってのがあってイタリアのラヴェンナ地方を教皇に献上したんだから、やっぱりピピン3世か、などと考えて1を選んだら、ものの見事に間違えました。

教科書には、ピピンはランゴバルドを「討って」ラヴェンナを献上したとしているが、完全に滅ぼしたのはカール大帝時代だとちゃんと書いてある。

よって4が正解。

ハールーン・アッラシードの在位年代786~809年を正確に憶えておくのは難しいので、やはり上記のランゴバルド関係の記述を押さえて消去法で選択すべきところでしょう。

話が逸れますが、「ランゴバルド」の表記って最後は「ド」なんですかね?

私が高校生の頃「ランゴバルト」と憶えた記憶があるんですが。

最近の教科書では「ロンバルド」と書いてあるようです。

Burgundsはブルグン「ト」でいいみたいですけど。

全く外国語を知らない私にはよくわかりません。

その他の問題では、中国経済史で、宋代の「蘇湖(江浙)熟すれば天下足る」と明代の「湖広熟すれば天下足る」の区別をさせるのはやや難しい(私も高校時代からあやふやでした)。

問題文で「穀倉地帯が長江中流域に広がり」と書いてあるので、私はそれで判断したが、それでも中国の省名のごく大雑把な位置関係を押さえておかないと選べない。

なお、年代を記憶しておかないと答えられない問題が多数あるのも去年と同じ。

選択肢の史実そのものの年代は憶えていなくてもいいが、それと関連のある重要史実の年代の前後関係から類推していかないと解けない問いが非常に多い。

もう受験生じゃない身分としてはそんなことどうでもいいと言えますが、趣味として普通に世界史を学ぶ上でも年代記憶は避けられないというのがご承知の通り私の意見です。

以下、高句麗に関して誤っている文を選ぶ問題。

1.4世紀に、楽浪郡を滅ぼした。

2.5世紀に、百済や新羅と対立した。

3.6世紀に、百済を滅ぼした。

4.7世紀に、唐と戦った。

高句麗による楽浪郡滅亡は確か313年だったかな(確認したらあってた)、だから1はマル、2は5世紀だけじゃなくて常に対立してるようなもんだろうと思い保留、百済を滅ぼしたのは唐と新羅連合軍だからその時点で3がバツとわかるのだが、そこまで考えが回らず、645年大化の改新の後、中大兄皇子が百済滅亡を受けて出兵し白村江で戦ったのだから7世紀のはずだ、とまわりくどいやり方で正解を出す。

なお、12世紀の出来事を選ばせる問題で、「日本では、鎌倉幕府が開かれた。」という選択肢があり、1192年(今は1185年の守護・地頭設置ですかね)という日本史の年代さえ頭にあれば答えられるので、あまり良問とは言い難いと思った。

ドンソン文化の器物の写真を見せて正しいかどうか答えさせたり、アンコール・ワットが最初は仏教寺院ではなく、ヒンドゥー教寺院として建てられたことを確認する問題も難しい(石澤良昭『アンコール・王たちの物語』参照)。

「中世末にヨーロッパで描かれた『死の舞踏』は、最後の審判の様子を示している。」という正誤判定があり、これは黒死病に関するものだと思うのでバツでしょうが、センター試験で問うべきことかなあと疑問に感じる。

「国際連盟に、国際労働機関(ILO)が付置された。」という文では、ILOというのは今もあるから連盟じゃなくて国際連合だろうと思ってしまうが、実際は第一次大戦後からあった。

これはやや引っかけ問題の匂いがする。

「アズハル学院は、ファーティマ朝時代のカイロに設立された。」

アズハル大学ってイスラム世界でも最有力学府だよな、それがシーア派王朝のファーティマ朝治下で設立されたんだっけな、もしかして次のスンナ派アイユーブ朝の時じゃないのか、しかし最初はシーア派で後に正統派大学になったとも考えられるだろうと思い、マルにしたら正解でした。

危ない、危ない。

こんな基礎的なところで引っ掛かっちゃいけませんね。

第二次大戦でスウェーデンが中立を維持したことが問われた。

デンマーク、ノルウェーはドイツに占領され、フィンランドはその前にソ連に侵攻されたこともあって枢軸側に加わる。(この辺の話は武田龍夫『嵐の中の北欧』が面白い。)

あとはスペインが第一次・第二次大戦ともに中立、第一次大戦ではベルギーが中立侵犯されたのに対しオランダは中立維持、第二次大戦ではオランダ・ベルギーともドイツに蹂躙されたことなんかも憶えておきましょうか。

ちなみに今確認したら第一次大戦時はデンマーク・ノルウェー・スウェーデンは3ヵ国とも中立だったそうです(なお当時フィンランドはロシア支配下にあり国自体存在してない)。

こういうペーパーテストの形式で歴史を学ぶのは大嫌いという方もおられるでしょうが、私にとってはいい暇潰しになります。

思わぬところで基礎知識も確認できたりしますし。

以前たまに歴史能力検定でも受けてみようかなと思ったことがあります。

例題を見てみると2級までは概ね高校世界史の範囲内ですが、1級になると急に難しくなりますね。

ものすごく細かな点まで問われるようで、さすがに少々意欲が鈍ります。

ですが、気が向いたら一度受けてみようかなとも思っております。

2009年1月18日

ジョゼフ・ギース フランシス・ギース 『中世ヨーロッパの都市の生活』 (講談社学術文庫)

Filed under: ヨーロッパ — 万年初心者 @ 06:00

私にしては珍しく社会史の本。

中世ヨーロッパと言っても、時代も地域も広範囲に及ぶが、本書では西暦1250年におけるフランス・シャンパーニュ地方の都市トロワを取り上げ、その社会を詳しく描写している。

この地方の領主シャンパーニュ伯の系図などが出てきますが、こんなのは別に憶える必要は無いでしょう。

社会史の本ではあるが、具体的な事実を記した生活史であり、抽象的な心性史・精神史ではないので、私でも楽しく読める。

著者は専門の歴史研究者ではなくアメリカの作家で、原著は1960年代末に書かれたもの。

そのせいか、難解な部分は全く無く、平易で読みやすい。

当時の都市住民の衣食住と冠婚葬祭、市政の運営と広範な経済取引、教会の文化事業についてわかりやすく述べられている。

役人、職人、商人、聖職者、学生が織り成す様々な活動を生き生きと知らせてくれる。

なかなかの本だと思います。

中世ヨーロッパ史の副読本として、たまにはこういう本を読むのも良いでしょう。

2009年1月16日

引用文(ゴーロ・マン1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

ゴーロ・マン『近代ドイツ史 1』(みすず書房)、118ページより。

マルクスは政治を軽蔑した。従って、彼は階級間の闘争を和げるという、政治の持っていた可能性と政治的行動を通じて、自己の生活条件を改善するという、プロレタリアートの持っていた可能性を正当に評価できなかった。後に彼は、エンゲルスがすでに、その著書“イギリスにおける労働者階級の状態”において行なったように、イギリス工場視察官の報告を大いに資本論に引用したが、なぜ彼はこのことに戸惑いを感じなかったのだろうか。これらの視察官は、労働者の生活条件の実体を調査するため“ブルジョア的”、資本主義的国家から金を受け取っていた。しかも彼らは、なにも容赦しない客観的な報告を行なった。これをやらせたのは政治だった。だから政治は、このほかにも、いろいろなことを社会的に成し遂げることができたであろう。政治は確かに経済的闘争と結び付いているが、それと同一なものではなく、それから切り離すことができる。だが、マルクスはこの点を無視した。

政治と並んで、彼は政治哲学または政治学を軽蔑した。権力行使に対する制限、権力の分立を論じた憲法理論その他、法治国家に関する、数世紀間のあらゆる思索、実践はごまかしである、と彼は考えた。彼にとっては、経済的に支配する階級だけが重大関心事で、あとのことは、自分の地位を支え、かつ覆い隠すため、支配者の利益に沿って編み出された幻想的イデオロギーだった。だから、マルクス、エンゲルスの著作のなかには、どのようにして権力を制限すべきか、またはどのような形でこれを行使すべきか、という問題について一行の説明もない。彼らにいわせると、この問題はバカげていた。というのは、どんなに法的に飾り立てられていようとも、政治的権力は経済的搾取であり、一方がなければ、他方もありえないからだった。むぞうさに、政治を“経済的基盤”、所有関係と同一視するこの重大な誤りもまた、いまだにその影響力を失っていない。今日でもなお、共産主義者は、われわれに向って、生産手段が個人の手にない国家つまり共産国家は決して帝国主義的になることができない、国内に対して独裁的になることができない、労働者、農民を搾取できない、などというだろう。

マルクスが政治を軽蔑した理由は、人間の問題を単なる生物的問題に還元して、その道徳的面を否定したところにある。経済に支障がなければ、必然的に、他のすべてのことにもおのずから支障をきたさないだろう、というのである。経済的支障を除去すべき人間が霊と肉との、あらゆる弱点を持っているということ、また人間は経済的に解放されたのちにも、依然として人間であるということ―こうした反論を、彼は坊主的おしゃべりとして片付けた。彼はイギリスの資本家たちの冷酷な金銭欲に憤激することができた。―これはもっともなことだ。だが、体系的にみて、彼の哲学には、善悪の区別がはいりうる余地はなかった。人間は、そう行動せざるをえないから、そう行動するのである。経済状態が変われば、人間の行動も確実に変わる。この楽観主義は、マルクスが“啓蒙思想”から引き継いだもので、今日でもなお西欧の社会学者によって支持されている。マルクスは人間の問題を、永久に解決できないよう運命づけられている道徳的問題としてではなく、科学的に解決できる純客観的問題として取り上げた。もっと簡単にいうならば、人間の問題を解決すべき人間もまた人間であること、人間は信頼できないということを見落としたのである。

E・H・カー『カール・マルクス』の記事での引用文参照。)

2009年1月13日

井上章一 『日本に古代はあったのか』 (角川選書)

Filed under: 史論・評論 — 万年初心者 @ 06:00

小中高で習った歴史を思い出してください。

古代、中世、近世、近代、現代という五つの時代区分がありますよね。

西洋史ではギリシアの都市国家からローマ帝国滅亡までが古代、ゲルマン民族の侵入と封建制の成立で中世が始まり、ルネサンスと宗教改革、大航海時代の15・16世紀あたりから近世。

アメリカ独立革命・フランス革命・イギリス産業革命以後が近代で、現代は人によってまちまちで帝国主義時代とか第一次世界大戦とかが画期になるんでしょうか。

日本史では平安時代までが古代、鎌倉時代から中世、安土桃山時代から近世が始まり、明治維新で近代に入るというのがほとんど全ての教科書の時代区分法でしょう。

近世と近代を分けるかどうかとか、近代と現代の境目はどこかは別にして、ヨーロッパ史と日本史に関しては、古代・中世・近世(近代)という時代ははっきりと断定的に教わりますし、誰でもいつ頃がその区分に当たるのかはすぐ思い浮かびます。

でも、世界の他の地域においては、あまりこの手の時代区分は聞かないですよね?

学会だけでなく、我々一般人にも広く普及した西アジア・インド・中国・東南アジア・アフリカ・ラテンアメリカの時代区分があるわけではない。

中国史ではこの時代区分論争が戦後しばらくの間、喧々諤々、華々しく繰り広げられたそうです。

私が初心者向け中国史入門書では最高の名著と思っている宮崎市定『中国史 上・下』(岩波書店)では、後漢までが古代、唐末までが中世、宋以後を近世と定義している。

この内藤湖南以来の京都学派に対して、東大系の歴史家は中国の古代をより長く設定し、いわゆる唐宋変革期は古代と中世の境目であると反駁した。

宋代の佃戸は農奴か自由民かなんていう論争が激しく続けられたが、70年代頃から下火になり、今はこの種の時代区分論は全く流行らないそうです(こちらのページなど参照)。

本書は宮崎氏の中国史・ユーラシア史論に触発されて、これまでの日本史の時代区分に根本的な疑問を投げかけるという本。

これは面白い。

ものすごく面白い。

難解な部分は何一つ無く、各学界の時代区分論をめぐる様々な言説を極めて平易に紹介しながら、著者の見解を蛮勇を奮って述べていく。

いろいろ批判もあるだろうが、私のような一般読者にも強い興味を持って通読できる読物であるのは間違いない。

ユーモアがあって、どことなくとぼけた筆致と意外な話の展開にニヤリとさせられること多数。

基本的に何の予備知識も要りません。

できれば中国史時代区分に関して上記宮崎氏の『中国史』と『大唐帝国』(中公文庫)、封建制への評価に関して梅棹忠夫『文明の生態史観』(中公文庫)岡崎久彦『隣の国で考えたこと』(中公文庫)『この国のかたち』など司馬遼太郎の著作のあれこれを事前に読んでおいたら、より楽に理解できるでしょうが、別に未読でもかまいません。

読みやすくて十二分に楽しめる良質な歴史談義。

私のような初心者にはぴったり。

買う価値有りです。

2009年1月11日

引用文(チェスタトン1)

Filed under: 引用文 — 万年初心者 @ 06:00

G・K・チェスタトン『正統とは何か』(春秋社)、270ページより。

さて、順序として、次に挙げた例に移ることにしよう。つまり、キリスト教は暗黒時代の産物だという説である。この問題に関しては、私は現代の抽象論に満足できないので、少しばかり歴史を読んでみた。そして、歴史を読んで発見したことは、キリスト教は暗黒時代の産物であるどころか、暗黒時代を貫いて横切っている唯一の道であり、暗黒ならざる唯一の道だということだったのだ。キリスト教こそは、二つの輝ける文明を結ぶ輝かしい橋だったのである。キリスト教信仰が無知と野蛮のうちに生まれたと説く者があれば、その男に与えるべき駁論は単純至極、それは事実ではないと言えばよい。キリスト教はローマ帝国の最盛期に生まれたものである。世界には懐疑派が群がり、汎神論は太陽のごとく明白自明の理とされていた。その時、コンスタンティヌス大帝は、この巨船の帆柱高く十字架を打ちつけたのだ。

なるほど後に船は沈んだ。そのことに疑問の余地はない。だが、さらにはるかに驚嘆すべきことは、この船が再び海面に浮上したという事実である。しかも船体はことごとく塗り変えられ、陽光にきらめき、そして帆柱の頂きにはなお十字架が光っていたのだ。これこそ、この宗教のなしとげた驚天動地の大事業であった。沈没船を潜水艦に変身させたのである。大海を船に積みこみながら、その底でこの箱舟はなお生きていたのだ。いくたの王朝、あまたの種族の没落の瓦礫の下に埋められた後もなお、われわれは蘇り、そしてローマを想い起こしたのである。

もしもわれわれの宗教が、時のまにまに滅び行く帝国の、単に一時の気まぐれな流行でしかなかったのなら、流行は時の流れの後を追って黄昏の中に没し去っていただろう。そして、かりにもしその文明が再び姿を現わしたとしても(ついに再び姿を現わさなかった文明は枚挙にいとまがないのだが)、その文明は何か新しい野蛮の旗をかざしていたにちがいない。ところがキリスト教会は、古い社会の最後に残った生命の火であり、新しい社会に初めてともった生命の火であった。教会は、すでにアーチの築き方を忘れかけていた人びとを捉えて、彼らにゴチック・アーチの発明を教えたのである。要するに、教会についてどれほど不条理なことを言うにしても、われわれみなが一度は耳にしたことのある、あの説ほどの不条理はない。教会がわれわれを暗黒時代に引き戻そうとしているなどと、いったい何を根拠にそんなことが言えるのか。教会こそは、われわれを暗黒時代から連れ出した唯一のものにほかならぬではないか。

塩野七生『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫)の記事参照。)

2009年1月9日

下斗米伸夫 北岡伸一 『新世紀の世界と日本 (世界の歴史30)』 (中央公論新社)

Filed under: 全集, 国際関係・外交 — 万年初心者 @ 06:00

とうとう最終巻です。

冷戦終結から本書が刊行された1999年までの約10年間の日本と世界の動きを記したもの。

もちろんテーマによっては80年代やそれ以前にも遡って説明されるが、前巻の記述範囲に比べると、ややバランスに欠けるような気がしないでもない。

確かに1989~91年あたりの国際情勢の変化は激烈であり、ここで時代を区切るのはある意味当然なんですが。

この辺は私にとって新聞・テレビ・雑誌で完全に動きを追っていた時代であり、ああこういうのも「歴史」になったんだなあと、ある種の感慨に浸ってしまう。

著者の分担は、ごく大まかに言って下斗米氏が世界情勢全般、北岡氏が日本と東アジアです。

またまた偉そうな感想で恐縮ですが、下斗米氏執筆の章はどうもイマイチ。

言いにくいんですが、文章があまり上手くないのではないかと・・・・・。

文と文とがうまく繋がっていないと思われる箇所が相当数あった。

内容自体は普通なんですけど。

北岡氏の章は文意も論旨も明解で読みやすいですが、特筆すべき点はやはり無し。

本書刊行からさらに10年経った現在ではやや古くなりましたが、ポスト冷戦期の国際関係史としては希少価値はあります。

ただこういう完全な同時代史についてはあまり類書を知らないので、初心者向けの本としての的確な評価は下しかねます。

まあ悪い本じゃないとは思います、はい。

ようやくこの中公新版「世界の歴史」も終わりましたね。

去年の夏から始めて半年弱かかりましたが、自分としてはかなりのハイペースでした。

全巻通読した感想は、基本的に各巻の記事の中で書いたことの繰り返しになりますので、ここでは書かないでおきます。

ちょっと間隔を空けて、改めて記事にするかもしれませんが。

ごく簡単に言えば、基礎を固めるために世界史全集をどれか一つ読みたいと決意された場合、これを選ぶのが無難かなあとも思うのですが、時々「これは到底初心者向けじゃないだろ」という部分が出てきて厄介、ということになります。

諸手を挙げてお勧めできる、という感じじゃないのが難しい。

文庫版も刊行中ですが、それを書店で見て、面白そうならとりあえずその巻だけ手にとってみるというのでいいのかもしれません。

さて、次に何を読むべきか。

一度日本史の全集を一つ通読すべきかなとも考えます。

何しろ近現代の外交史を除けば、自分の知識は依然高校教科書のレベルに留まっているので。

というか、高校教科書でも細かな部分は頭に入ってないのだから、本当に自分の血肉となっている日本史知識は小学校の頃読んだ学研版『漫画日本の歴史』だったりする。

いくら何でも情けないので、近年再文庫化された中公旧版『日本の歴史』でも読もうかと思ったことがあったが、日本史の全集は世界史のそれよりも経年劣化が激しいというか、ある程度新しいものでないと信頼して読めないという気がする。

どうしたもんかなあと今検討中です。

2009年1月6日

猪木武徳 高橋進 『冷戦と経済繁栄 (世界の歴史29)』 (中央公論新社)

Filed under: 全集, 国際関係・外交 — 万年初心者 @ 06:00

1950年代以降の国際政治史。

末尾は1990年ドイツ統一までで、残り一巻あるはずなのに「えっ、ここまで進むの?」という感じ。

半分くらいのページが経済史に費やされているが、経済に関しては誇張じゃなしに高校生並みの知識しかないので、理解に苦しむところが多い。

完全に理解できなくても何とか頭の中で話の辻褄が合うようにするため、2、3度読み返すことがあった。

全般的な感想を言うと、いろいろな事項を盛り込もうとするあまり、雑然とした印象を受ける。

うまく言えませんが、話の筋が通ってないというか、一貫した視点によって練られた史書という性質が希薄で、史実の羅列と思える点が多いのは残念。

と言って、戦後史について非常に詳しいデータが載っているという印象も無いのが不思議。

米ソ欧中の大国間の外交に焦点を絞って綿密に叙述するでもなく、各地域の政治情勢を詳しく取り上げるというのでもない。

どっちつかずで、私には良さが汲み取れない。

また偉そうな感想で申し訳ありませんが、率直に言ってあまり面白くないです。

国際政治史としては、相当古い本であっても文春大世界史の猪木正道『冷戦と共存』や、講談社旧版の猪木正道 佐瀬昌盛『現代の世界』の方が面白いし、初心者にとって有益と思われる。

それに加えてやはり高坂正堯『現代の国際政治』(講談社学術文庫)(前2著に比べれば新しいがこれも文庫化から20年ほど経ってる)の三つを基本テキストにしたい。

まあ好みの問題もありますから、押し付ける気は毛頭ございませんが、本書はあくまで副読本として使うべきではないかなあと思います。

2009年1月3日

内田義雄 『戦争指揮官リンカーン』 (文春新書)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 06:00

明けましておめでとうございます。

残りわずかの中公新版全集は一休みして、これを読みました。

何やら奇を衒ったタイトルですが、中身はごく標準的な南北戦争史です。

奴隷制度の概略やそれをめぐる論争の経緯など前史には深入りせず、戦争だけに焦点を絞っているが、新書版なのでそれが反って有益である。

開戦前の1844年に発明されたモールス信号の有線電信を使ったリンカーンの戦争指導を叙述している。

ご存知の方も多いと思いますが、アメリカ史上最も多くの自国民犠牲者を出した戦争は第二次世界大戦ではなく、この南北戦争です。

第二次大戦の死者が40万人余りなのに対し、南北戦争では62万人以上が死んでいる。

1860年当時の人口は3100万(そのうち奴隷400万)ですから、死亡率の高さは異常であり、とにかく常軌を逸した凄惨極まりない内戦だったことがわかります。

トーマス・マンが『非政治的人間の考察』の中で、アメリカ南北戦争について、醜聞となっていたほど時代錯誤な奴隷制度を廃棄するために、これだけ悲惨な大戦争を必要としたという事実は、民主主義の優位性を示すものではなく、むしろその逆ではないかと批判していたのを思い出した。

(同様にフランスのドレフュス事件について、無実のユダヤ人一人の冤罪を晴らすために、文字通り国家を二分するほどの不和軋轢を経なければならなかったことは、密かに恥じ入るべきことであって、あたかも自国の美徳のしるしであるかのように外に誇るべきことではないと辛辣に述べている。なお同事件については川上源太郎『ソレルのドレフュス事件』(中公新書)という極めて優れた本があります。)

本書は純粋な戦史として手ごろで平易な内容ですが、書かないとまたすぐ忘れるので、以下大まかな概略だけメモします。

南部連合の首都はヴァージニア州のリッチモンドに置かれるが、そもそも合衆国の首都ワシントンがヴァージニア州とメリーランド州の境にあるので、アメリカ全土が入る地図で見ると、敵対する二つの国家の首都がかなり接近しているという妙な状況になっている。

1861年4月サウスカロライナ州チャールストン港のサムター要塞を南軍が攻撃して開戦。

同年7月ワシントン目指して進軍してきた南軍と北軍が激突、第一次ブルランの戦い。

南軍のトマス・「ストーンウォール」・ジャクソン将軍の活躍もあり北軍敗走、一時ワシントンはパニックに陥る。

リンカーンは新たにマクレランをポトマック軍(首都防衛軍)の司令官に任命し態勢を立て直し、圧倒的優位にある海軍を用いた南部の海上封鎖を徹底。

1862年3月よりリッチモンド攻略を目指して海上より攻め入る「半島作戦」を展開するが失敗。

南部連合の北ヴァージニア軍(北部のポトマック軍にあたる)司令官に名将ロバート・リー将軍が就任。

同年8月第二次ブルランの戦い。またもやジャクソン率いる南軍が勝利。

次いで9月リー将軍が北上しメリーランド州に侵攻。マクレラン軍とアンティータムで戦い、北軍辛勝。

この戦勝を期に奴隷解放予備宣言発表。

アンティータム戦後、南軍を追撃して撃滅しなかったことに不満を持っていたリンカーンは、11月マクレランを罷免。

1863年北部諸州の瓦解と南部連合の国際的承認を促すため、リー軍が再度、ワシントンではなくペンシルヴェニア、ニュージャージー、ニューヨークなどを目標として北部侵攻。

(ジャクソンはこれ以前に味方の誤射で死亡。)

7月ゲティスバーグの戦いで、ミード率いる北軍が勝利するが、またもやリーは取り逃がす。

ほぼ同時に西部戦線でミシシッピ川中流の要衝ヴィクスバーグがグラント将軍指揮下の北軍に占領され、南部連合領土は東西に分断される。

1864年グラントが北軍総司令に就任。

ヴァージニア州で激戦が続くが勝敗つかず。

6月リッチモンド南方の補給基地ピーターズバーグ攻防戦。

7月逆に南部が派遣した軍がワシントンに迫るが、危うく首都陥落を阻止する。

同時期、北軍のウィリアム・シャーマン将軍が二分された南部をさらに分断するルートで進軍し、ジョージア州アトランタを攻略し大西洋岸のサヴァンナまで突き進む。

その過程で南部の戦意を喪失させ、戦争能力を根こそぎ無力化するために、軍事目標だけでなく民間施設に対しても破壊と掠奪の限りを尽くすという、(20世紀には常套手段となってしまったが)当時の倫理基準では滅茶苦茶に非道な作戦を遂行する。

「神と人間性の名において、私は抗議する」という南軍将軍の手紙に対して、シャーマンは、戦争とはそもそも残虐なものであり、そのような抗議は雷雨に対して抗議するのと同じく無駄だと言い放っている。

現在の視点からすれば「正義」は北軍の側にあるはずなのだが、ここまでくると何が「正義」で何が「不正義」なのか、頭が混乱する。

『文明論之概略』の記事で引用した、福沢諭吉の南北戦争への省察はやはり正しいと思えてくる。

1865年4月リッチモンドは陥落し、南部連合は降伏。

この戦争で表れ、その後のアメリカにも受け継がれた体質、すなわち敵にいささかの名誉も正当性も認めず、戦争を長引かせても「無条件降伏」を求める姿勢や、自らが体現すると信じる「正義」のためならば民間施設攻撃など極めて非道な手段を取ることも躊躇しない傾向を著者は批判的に記している。

面白いです。

新書版にしてはかなり中身が濃い。

史実がよく整理されており、読みやすい。

初心者用の南北戦争史としてはかなり使える。

機会がありましたら、皆様もお読み下さい。

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