万年初心者のための世界史ブックガイド

2008年11月4日

トーマス・ニッパーダイ 『ドイツ史を考える』 (山川出版社)

Filed under: ドイツ — 万年初心者 @ 06:00

久しぶりに中公新版全集以外の本。

たぶん半年以上前の読売新聞に書評が載っていて、これは読むべきだなと思ったのですが、最近ようやく手に入れて読了。

近代ドイツ史についての短いエッセイ集。

訳者は岩波新書世界史関係で最高の名著と言える(あくまで私基準)『ドイツ史10講』の著者坂井榮八郎氏。

著者のニッパーダイはどちらかと言えば保守派に属し、「構造分析」を中心とする左派的社会史家に対して批判を行い、1990年のドイツ再統一に際しては、ギュンター・グラスなど統一に懐疑的な著名知識人らと論戦を交えて統一の歴史的正当性を訴えたという人だが、なぜか長年社会民主党員だったという歴史家だそうです。

19世紀以降のドイツ史に関して、通俗的でステレオタイプな認識を覆す文章が6編、訳されている。

どれも短いし、それほど難解な内容でもない。

予想と異なり、ものすごく面白いということはなかったし、必読とまでは言えないでしょうが、熟読すればかなり有益かと思います。

ただ、問題はその価格。

200ページ余りのごく薄い本なのに、税込み定価4725円と我が目を疑う値段が付いている。

半額でもバカ高いと感じる。

これじゃあ、気軽に「是非お買い求め下さい」とは言えない。

いろいろご都合はあるんでしょうが、こういう良書はもう少し買いやすい値段で提供してもらえないもんでしょうかね。

とりあえず図書館で在庫のあるところをお探し下さい。

これを要するに、他の国では順次起こっていった一連の複数の過程がドイツでは重なって起こり、他所では順番に立てられていった諸問題がドイツでは同時に立てられたのだ。工業化、社会主義、大衆民主主義、経済的・社会的多元主義、国民国家と国民形成、さらには政治的・共同参加的近代化、そして古いエリートの入れ替え、あるいは排除、そういった問題である。あるいは、近代化理論の概念を使って言えば、アイデンティティ危機、正統性危機、共同参加危機、分配危機、そして統合危機が同時に解決されなければならなかったのだ。近代化の諸問題がこのように同時に押し寄せたことこそが、まさしく、政治的近代化を阻害し、抑止したところのものだったのである。

歴史家や社会学者はしばしばこの矛盾の中に十九世紀と二十世紀のドイツ史を解く鍵、ナチスの歴史を解く鍵を見ようとしてきた。民主化をやり残したことがワイマル共和国の不安定性を説明し、ヒトラーの勝利を説明する、といった風にである。私は、このような見方は人を誤らせると思う。一九一四年以前のドイツの政治・社会体制は、決して、しばしばそう描かれているほど不動のものではなかった。社会は一八七〇年と一九一八年の間に市民化し、近代化した。政治体制も決してどうしようもなく閉ざされているといったものではなかった(そしてその体制の特性は、何人もの人が相変わらずそう言い立てているように、近代的手法による大衆の操作、さらには帝国主義戦争によって旧エリートの支配を維持する、といったものでは決してなかった)。体制は徐々に、そしてしばしば無言のうちに、議会主義化の方向に向かって動いていた。政治的近代化の遅れはワイマル共和国の負担にはなった。しかしそれは必然的に破局にいたる、といったものではなかった。権威主義的伝統はナチスの権力掌握を容易にした。しかしそれは、[ナチスがまさにそれであるところの]革命的ファッショ的な大衆運動の成立を、およそ説明するものではないのである。近代的要素と前近代的要素の間の混合、混交、そして食い違いは、もちろんさまざまな様態と異なった程度においてだが、すべての近代化途上の社会に見出すことができる。遅れた政治的近代化とその社会的な結果である特定の前近代的構造の硬直化は、ドイツ社会の内的緊張と不安定性の一つの原因であった。それは一九一八年以降の負担になり、ヒトラーの権力掌握という破局の一つの原因であった。しかしそれが決定的であったとか、いわんや唯一決定的であったとか、そういうことではない。

ファシズムは反近代化運動である。・・・・・この反近代主義はしかし、近代的なものに対する保守派の批判とは違って、ラディカルであった。彼らがやろうとしたのは全面的変換であった。伝統を守ることではなく、伝統の背後に前歴史的なもの、太古的なものを遡求することであった。戦争と暴力、根絶と生存圏、人間を兵士と農民に逆戻りさせること、歴史的国民に対する生物学的人種の優位、ヨーロッパの最強の伝統であるキリスト教会に対する戦い、それは教会もまた、個人主義的で普遍主義的で多元主義的で、つまるところやはり近代化の勢力であったからである。ナチスの反近代主義は伝統主義的ではない。それはラディカルであり、ユートピア的であり、革命的であった。

ファシズムは同時に、逆説的ながら、その様式と手段の選択、またその効果において超近代的であって、それは一つの近代化運動だったのである。活力、若さ、行動主義、それがその様式の属性であった。技術、生産性、組織、最高度の効率、それが手段である。そして効果もまた近代化を促した。ドイツの生活世界は一九三三年以後、大都市型になり、工業的になり、反面故郷の香りは失われていった。独立営業者は少なくなり、より多くの女性が働くようになった。ドイツの伝統を担う制度や勢力は攻撃され、弱められ、解体された。連邦制、司法、経験を積んだ専門家、大学、教会がそうである。古いエリートは押し退けられた。ヒトラーと同盟することで自己保存を、という古いエリートの希望は幻想であったことが証された。事実上、彼らは一九三三年に引退させられた。それは本当に一つの革命的な事態、革命的なまでに近代化を促進する事態であったのだ。

そしてファシストたちは、決して人間の平等や市民の平等を宣伝しなかったし、また階級社会を解体することもなかったけれども、それでもファシズムはドイツの社会を平準化し、平等化した。社会的流動性は高まった。国民の日常生活、フォルクスワーゲン、国民ラジオ、大衆的団体旅行、党内や軍隊内での成り上がり者のための新しいポスト、全国家的青少年団、そして他の強制的大衆組織―それはチャンスは平等という新しい意識を生み出したし、それがまた社会のヒエラルキー的構造を実際に変えてもいったのである。そこにはブルジョワジーに対する、また前資本主義的な伝統的支配層に対する一つの「褐色の革命」[褐色はナチ党の制服の色]があった。そこには一片のジャコバン主義があり、それはただのカモフラージュとして片づけられないものをもっていたのである。

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