万年初心者のための世界史ブックガイド

2008年10月31日

佐藤正哲 中里成章 水島司 『ムガル帝国から英領インドへ (世界の歴史14)』 (中央公論社)

Filed under: インド, 全集 — 万年初心者 @ 06:00

まず分厚さに驚く。

本文が550ページを超え、たぶんこのシリーズで一番長い。

3部構成になっており、第1部はイスラム教徒のインド侵入とラージプート族との戦いからムガル朝衰退期まで。

五つあるデリー・スルタン朝の全てのスルタン家系図が載っており、非常に詳しい政治史が記されてる。

普段、一般的な政治史を排除しすぎたこのシリーズの叙述に文句をつけることが多いのに、こういうのも何ですが、この巻は逆に詳しすぎて読むのが疲れる。

我ながら勝手なものだと思いますが、ムガル朝とその覇権下にあるラージプート諸王国との細々した関係や、マンサブ(禄位・位階)制とジャーギール(給与地・知行地)制をめぐる支配構造の話は初心者には相当辛いので、かなり飛ばし読みしました。

ただ、地図が多めなのは良い。

歴史書を読んでいて、本文中に細かな地名が続出するのに、関連地図が無いというのは本当に腹が立ちますが、本書はそういう恐れはあまりない。

同じインド史の本で例を挙げると、以前記事にしたシャルマ『古代インドの歴史』は、古代国家の支配領域を現代インドの州名を使って説明しているが、きちんとその地図を載せている。

しかし、その続巻で、類書として名を挙げたサティーシュ・チャンドラ『中世インドの歴史』では省略されており、首を傾げた。

(そのこともあってチャンドラ著は途中で放棄したままです。)

バーブルからアウラングゼーブに至る初期のムガル皇帝の描写はなかなか面白い。

このうちアウラングゼーブは、ジズヤ復活によってアクバルのヒンドゥー融和策を捨て帝国衰退の原因を作ったと高校教科書のレベルでも断定されている評判の悪い皇帝ですが、必ずしもそう見ずに擁護する史観も一部にはあるようです。

スピィア『インド史』第3巻が確かそういう記述だったはず(すみません、記憶があやふやなので、もしかしたら違うかもしれません)。

本書はかなり伝統的史観に近く、アウラングゼーブへの評価は低い。

(個人としては敬虔なスンナ派イスラム教徒として清廉で質素な生活を送った人物とされているが。)

他に気になった記述として、シャー・ジャハーンの治世に南インドのヒンドゥー教国であるヴィジャヤナガル王国が1649年に滅亡してますが、これはムガル朝に滅ぼされたのではなく、北にあったビージャプル王国というイスラム王朝(これはシーア派に属していたらしい)によるもの。

アウラングゼーブが「異端」王朝であるこのビージャプル王国と、同じくシーア派国家のゴールコンダ王国を滅ぼすことによって、教科書にも載っている、古代アショーカ王以来久しぶりの亜大陸南端部を除いただけの大統一が実現した。

第2部はヨーロッパ勢力のインド到達から「大反乱」(セポイの乱)までの、前期植民地時代。

この部分は非常に良い。

省略すべきところは省略し、よく整理されたメリハリのある叙述ながら、重要ポイントは洩れなく押さえられているという感じ。

イギリス統治を正当化することなく、しかしインドの民族主義的主張を無批判に取り入れるでもない、バランスの取れた視点。

イギリスが西インドのスーラトに最初の商館設置権を獲得してから、カルカッタ・ボンベイ・マドラスの三大根拠地建設に至る過程は手際よく無難な説明。

アウラングゼーブ死後のムガル帝国分裂の記述もわかりやすい。

まず、ニザーム(デカン総督)領(首都ハイダラーバード)、ベンガル、北インドのアワドの三地域が分離し、ムガル皇帝の権威を認めながらも事実上の独立王朝となる。

イランでサファヴィー朝を倒したアフシャール朝のナーディル・シャーが1739年インドに侵攻、ムガル朝軍を惨敗させデリー占領。ムガル皇帝の権威は地に堕ちる。

マラータ王国では18世紀初頭以降、シヴァージー直系の王家の力が弱まり、実権が宰相に移る(だからマラータ“王国”ではなく、マラータ“同盟”ということが多いのか?)。

1752年マラータ同盟軍がデリーに入城しムガル皇帝の保護者となり、同盟がムガル帝国に取って代わるかとも思われたが、1761年侵攻してきたアフガンのドゥラニ朝アフマド・シャーに惨敗、威信を失墜させる。

他には南インドのマイソール王国、北西インドのシク王国などが存在し、イギリスも当初はこれら諸勢力の中の一つに過ぎず、それが様々な経緯を経て植民地形成に至る。

1757年史上有名なプラッシーの戦いでベンガルを実質支配下に入れ、イギリス統治が始まるが、本書ではその少し後、1764年に起こったバクサルの戦いが記されている。

これは傀儡のベンガル太守がイギリスに不満を募らせ、ムガル皇帝、アワド太守と同盟し、東インド会社軍と戦ったもので、三者連合軍が完敗した。

プラッシーの戦いがベンガル太守の継承争いを利用してごく小規模の戦闘で勝利した、実質宮廷クーデタのようなものだったのに対し、このバクサルの戦いはヨーロッパの軍事的優勢をまざまざと示したものとして重要であるとされている。

真ん中あたりで、都市と農村の生活や、植民地下に台頭した中間層や女性の地位に関する社会史の章がかなりのページを割いて書かれていますが、私でも抵抗無く読める形式・内容で、とくに苦にはなりません。

第3部は南インド史が独立しており、やや時代を遡って9世紀のチョーラ朝時代から植民地時代まで。

五人の人物を選び出し、その描写によって各時代の特色を示すという形式ですが、どうもイマイチ。

通常の通史は、各章の最後にある「幕間」という節でちゃんと説明されているのですが、本文の方の良さは私にはなかなか理解し辛い。

本書での南インド政治史の概略を書くと、7世紀から9世紀にかけて、(前期)チャールキヤ朝、パッラヴァ朝、(再興[中期])パーンディヤ朝の鼎立。

9世紀半ば、後期チョーラ朝が勃興して、パッラヴァ朝を滅ぼし、前期チャールキヤに取って代わったデカンのラーシュトラクータ朝、およびそれを滅ぼした後期チャールキヤ朝と対立。

チョーラ朝がラージャラージャ1世時代に再興パーンディヤを一時滅ぼす。

子のラージェンドラ1世はシュリーヴィジャヤにも遠征軍を派遣。

12世紀末、後期パーンディヤ朝が台頭、13世紀後半チョーラ朝を滅ぼす。

デリー・スルタン朝のハルジー朝、トゥグルク朝による南インド侵攻。

1336年ヴィジャヤナガル王国成立。

同じ頃成立した北隣のムスリム王朝バフマニー王国と対立。

16世紀後半からヴィジャヤナガルは分裂傾向を示し、バフマニー王国も16世紀初めに五王国に分裂(そのうち、二つが上で少し触れたビージャプルとゴールコンダ)。

これ以降の分裂期の記述は細かすぎて全然わからない。

大筋を読み取ることすら困難。

結論。第2部は極めて良好だが第1部と(特に)第3部は難解で読みにくい部分が多い。

読むのに非常に骨が折れます。

最近の当シリーズは、通勤電車の行き帰り+風呂上がりから寝るまでの適当な時間=約150ページ弱×3日間で一巻読了することが多かったのですが、これは5日ほどかかりました。

第3巻の古代インド史が最高の出来だったのに比べると、かなり落ちるなと感じてしまいました。

本書が第14巻で、15巻16巻はすでに読んでいるので、ようやく半分を超えたことになります。

やれやれですな。

自分が通読した中公旧版だけを基礎として、他の全集は目に付いた巻のみ読めばよいと構えていましたが、中公新版を半ばまで通読してやはり旧版をそれほど絶対視してはならんなと感じました。

しかし、同時に「これは何とかならんか・・・・・」と思うような記述も新版には頻出します。

まあ、当たり前すぎますが、一長一短があるということでしょう。

何とか最後まで頑張ります。

広告

WordPress.com で無料サイトやブログを作成.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。