万年初心者のための世界史ブックガイド

2008年9月13日

小川英雄 山本由美子 『オリエント世界の発展 (世界の歴史4)』 (中央公論社)

Filed under: オリエント, 全集 — 万年初心者 @ 06:00

第1巻『人類の起源と古代オリエント』の続き。

メソポタミアとエジプト中心の前巻に対して、アナトリアとシリア・パレスチナを併せた「地中海アジア」とイラン高原が本書の地理的叙述範囲。

時代的にはヒッタイトの興亡からアケメネス朝の統一、アレクサンドロス大王の東征とヘレニズム時代を経て、パルティア・ササン朝とローマ東方領の抗争まで。

教科書ではオリエント史の章は大抵アケメネス朝までで区切られているが、このようにイスラムによる征服まで一気に通した方がわかりやすい。

全体的に読みやすいので、これも二日で読めた。

面白さの面ではまあまあじゃないですかね。

以下例によって大雑把な感想や私的備忘録を箇条書きに記します。

第1巻とは異なり、ミタンニ王国は原住フリ(フルリ)人の上にインド・ヨーロッパ語族系の支配層が重なった国という標準的記述になってる。

ヒッタイトはハットゥシリ1世(在位前1650~1620)によって古王国成立。混乱期の後再統一に成功したシュッピルリウマ1世(前1345~)即位によって新王国が成立するが、それはフルリ人の血が濃い古王国とは別系統の王朝で実質的にはフルリ人が支配層となっていた、と前項に比べると教科書的記述とは大いに異なり、「ええっ」と思うようなことが書かれている。

ヒッタイト王ムワタリ2世が前1286年カデシュでエジプト王ラムセス2世と戦う。ハットゥシリ3世はアッシリアからの脅威を受け、ラムセス2世との間に講和条約を結ぶ。

(以上のような古代オリエントの君主名は細かいですが、少しずつ憶えていきたいと思います。)

アラム語が内陸商業の発展につれて広範囲に普及し、イエス・キリストが日常使っていた言語もアラム語だというのは受験時代から教えられていましたが、これがどういう状況なのかいまいちうまくつかめない。ヘブライ語はもう(インドのサンスクリット語のように)旧約聖書という聖典を記した言葉であり、当時のユダヤ人の話し言葉としては使われていなかったということでしょうか。

メディア王プラオルテスの子キュアクサレスが新バビロニアのナボポラッサル王と同盟し前612年アッシリアを滅ぼし、ギュゲスを祖とするリディア王国のアリュアッテス王と国境を定める。

キュアクサレスの子アステュアゲスはアケメネス朝のキュロス2世に地位を奪われる。

本書でも少し触れられているが、以上の君主のうちギュゲスやアステュアゲス、キュロスそしてリディア最後の王クロイソスについてはヘロドトス『歴史』の冒頭の、極めて印象的で面白い挿話に出てきます。

別にこういう王名をいちいち憶えなくても、と思われる方も多いでしょうし、私もそう感じないではありません。

しかし様々な概説書を読んでいく上で、名前を丸暗記しただけの人物であっても、その知識が全体を理解するための足掛かりになるという経験を私自身は何度もしています。

不思議なもので、全く未知の歴史に関する文章のうち、知っている人名や事件が少数あるだけで通読や全体像の把握、経緯の記憶が格段に容易となることが多いのです。

高校世界史が暗記に偏っているとの批判をよく聞きますし、当たっている所も大いにあるでしょうが、通常の歴史書を読む準備段階として避けられないという面もあるのではないかと思います。

話が大きく逸れましたが、よって以下もその種のメモを続けます。

クセルクセス1世後のアケメネス朝の系図として、まず息子のアルタクセルクセス1世。アテネの使節カリアスと交渉し、「カリアスの平和」と呼ばれる平和条約締結。

クセルクセス2世の短期間在位を経て、その弟のダレイオス2世即位。ペロポネソス戦争に介入。

次はアルタクセルクセス2世。弟の小キュロスの反乱を鎮圧。これはクセノフォン『アナバシス』に詳しい。穏和な内外政策を取り四十余年の在位中安定した統治を実現。

アルタクセルクセス3世。前王時代に独立したエジプトを再征服するが、その司令官の宦官バゴアスに暗殺される。

息子のアルセスが即位するが、これもバゴアスに殺される。

傍系のダレイオス3世がバゴアスに擁立されるが、彼がバゴアスを殺し王朝の再建を図る。しかしまもなくアレクサンドロスの東征に遭い、アケメネス朝は滅亡。

疲れました・・・・・。パルティアとササン朝については細かな系図は避け、全体的なことだけ。

詳しくは、講談社旧版の足利惇氏『ペルシア帝国』を見たほうがいいかもしれない。

パルティアは東北部の遊牧系イラン人が建てた国家で、ササン朝はアケメネス朝の故地である南部ファールス地方の農耕系イラン人国家。

そのせいか、ササン朝は自らをアケメネス朝の正統を継ぐ国家と見做し、それに対してパルティアはヘレニズム文化の影響を受けた非イラン的な、アレクサンドロス帝国の後継国家と主張した。

著者によるとそれにはかなりの誇張があり、ササン朝によってペルシア的伝統とされた文化も実はパルティア時代に形成されたものが多かったそうで、パルティア時代とその前後とのはっきりとした断絶を認めない立場を取っている模様。

本書ではパルティアを「アルサケス朝」と記すことが多いのは、同王朝をアケメネス朝・ササン朝と同列に扱うという理由からだろうか。

他には、後に突厥と同盟してエフタルを滅ぼすホスロー1世が、最初は父王共々エフタルの援助を得て王位に就いていたとかの意外な史実が興味深い。

最後のローマ東方領についての記述は平凡。あまり面白くない。

総合的評価を点数にすると・・・・・・50点か60点ですかね。

可もなく不可もなくといった感じ。

挫折するほど悪くはないですから、さらっと済ませて次行きましょう。

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