万年初心者のための世界史ブックガイド

2008年8月11日

塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』 (新潮文庫)

Filed under: イタリア — 万年初心者 @ 06:00

『ローマ人の物語』刊行中の2001年に出た単行本の文庫化。

当時著者のルネサンス期イタリアを扱った作品の版権が中央公論から新潮社に移され(率直に言ってこれは非常に残念でした)単行本として刊行されており、それに合わせて書き下ろされた本。

対談の形式でフィレンツェ、ローマ、ヴェネツィアのイタリア・ルネサンスについて概説したもの。

文意は明解で非常に楽に読めます。

しかし内容に特筆すべき点はない。

ルネサンスに関する独創的な視点に驚かされたり感動したりということもなく、最後まで読んでも「あー、そうですか」という感じ。

こういう大御所に浅薄な一読者の私が文句をつけるのは噴飯ものだと承知しながら言わせてもらうと、至るところに出てくる執拗なキリスト教への批判がどうにも気になってしょうがなかった。

「反宗教改革」の代わりに最近用いられる「対抗宗教改革」という言葉は使わず、「反動宗教改革」とより悪いイメージの用語を選んで、それがイタリア・ルネサンスの息の根を止めたと断言している。

『ローマ人の物語』を読んでいる時にも感じたことだが、この人の一神教的宗教への非難は行き過ぎというか公平さを欠くというか、ちょっと素直に受け取れないものを感じる。

『ローマ人・・・』で、共和政から帝政への移行は自由の喪失でも歴史の退歩でもないと力説したり、ペリクレス治下のアテネが民主政のモデルとして評価されたのはフランス革命以後であり、それ以前はアウグストゥス治下のローマ帝国と同じく単に善政の模範として高く評価されていただけだったと述べたりした部分には、通俗的な価値観とは異なる良い意味での著者の独自性を感じたものだったが、それに対してキリスト教に代表される一神教の普及により人間精神の自由が抑圧され「暗黒の中世」を迎えたという見方は平凡過ぎて全然感銘を受けない。

チェスタトン『正統とは何か』(春秋社)を読んだ後だとますますそう思える。

読んで損したとまでは思わないが、あんまり面白い本でもない。

本文が終った後、「主役たちの略歴一覧」というものが続き、ルネサンス文化人の肖像・作品の写真の下にごく短い紹介文が付せられている。

これはまあ便利ではあるが、同じような形式の列伝がある樺山紘一『ルネサンスと地中海』(中公文庫)の方がより印象的で頭に入る。

あと事実関係の記述でルネサンス期のローマ教皇が順に載せられており、良い機会なのでこれを以下メモしておきます。

まず全般的なことを言いますが、歴代ローマ教皇を全部覚えるなんて事は絶対に不可能です。

自分ができる見込みが全く無いことを皆様に偉そうに勧めるつもりは毛頭ございません。

高校世界史で出てくる教皇と言えば、初代のペテロはまあ別にして、レオ1世、グレゴリウス1世、レオ3世、ヨハネス12世、グレゴリウス7世、ウルバヌス2世、インノケンティウス3世、ボニファティウス8世、アレクサンデル6世、ユリウス2世、レオ10世、パウルス3世くらいですか。

せめて叙任権闘争とシスマの時期、およびルネサンス期の教皇ぐらいは覚えようかと思うのですが、なかなかうまくいかない。

教皇位は国王と違って世襲ではないので前任者の死去後、年配の候補者が順に継いでいき、勢い在任期間が短く就任者が多くなる。

当然ながら王朝のように、ある王の息子が誰それで、その子が誰それと、系図のイメージで印象付けて覚えることもできない。

ただ人名を機械的に暗記する他ないのが苦しい。

地道に覚える努力をするしかないのですが、とりあえずルネサンス期の教皇は以下の通りです。

ピウス2世(1458~64年)

1453年のコンスタンティノープル陥落とビザンツ帝国滅亡を受け、十字軍再編成を企図するがイタリア諸都市の支持を得られず挫折。

パウルス2世(1464~71年)

ヴェネツィア出身。祖国の政策に呼応して前教皇の対トルコ政策を転換。

シクストゥス4世(1471~84年)

俗名フランチェスコ・デラ・ローヴェレ。最後のビザンツ皇帝の姪とロシアのイヴァン3世との結婚を斡旋。メディチ家を敵視、「パッツィ家の陰謀」を影で支持。「システィナ礼拝堂」はこの教皇の名に由来。

インノケンティウス8世(1484~92年)

俗名ジョヴァンニ・チボー。ジェノヴァ出身。ロレンツォ・デ・メディチと密接に協力。

アレクサンデル6世(1492~1503年)

俗名ロドリゴ・ボルジア。息子が有名なチェーザレ・ボルジア。シャルル8世のフランス軍侵入に対応。メディチ家追放後のフィレンツェを支配したサヴォナローラとの正面対決を避け、その自滅を待つ。

ユリウス2世(1503~13年)

アレクサンデル6世との間にピウス3世がいるが、本書では省略。俗名ジュリアーノ・デラ・ローヴェレ。シクストゥス4世の甥。ミケランジェロ、ラファエロのパトロン。

レオ10世(1513~21年)

俗名ジョヴァンニ・デ・メディチ。ロレンツォの次男。言わずと知れたルターの敵役。レオナルド・ミケランジェロ・ラファエロの三人が在位中短期間ながらローマに滞在。

ハドリアヌス6世(1522~23年)

オランダ出身。

クレメンス7世(1523~34年)

俗名ジュリオ・デ・メディチ。レオ10世のいとこ。1527年カール5世による「ローマ掠奪」の憂き目に遭う。のちカールと和解、その支援を得てフィレンツェにメディチ家支配を復興させ、フィレンツェは共和国から公国に変わる。

パウルス3世(1534~49年)

俗名アレッサンドロ・ファルネーゼ。即位早々ヘンリ8世のイギリスがカトリックから分離。イエズス会を認可。1545年トリエント公会議開催。ルネサンスの巨匠たちのなかで最後まで長命を保ったミケランジェロに「最後の審判」作成を依頼。本書ではルネサンス教皇はこの人まで。

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