万年初心者のための世界史ブックガイド

2008年8月30日

ミルトン・オズボーン 『シハヌーク 悲劇のカンボジア現代史』 (岩波書店)

Filed under: 東南アジア — 万年初心者 @ 06:00

原著が1994年、翻訳は96年刊行の伝記。

「シアヌーク」というのはフランス語読みで、原語ではタイトル通りの「シハヌーク」が近いそうだ。

ポル・ポト政権による虐殺という最大級の悲劇があるので、小国でありながら関連本の多いカンボジア現代史ではあるが、対象年代とテーマの双方が幅広くて一般的通史として網羅性のあるものを探してみて、これが目に付いたので読んでみました。

1860年アン・ドゥオン王の死去後、二人の息子ノロドム王(在位1860~1904年)とシソワット王(1904~27年)が相次いで即位。

その間1863年にカンボジアはフランスの保護国となる。

シソワット王の後を継いだ息子のモニヴォン王(1927~41年)が死去した際、ノロドム家とシソワット家の継承争いをフランスが裁定し、モニヴォン王の娘とノロドム王の孫スラマリットの間に生まれたノロドム・シハヌーク(シアヌーク)が若干19歳で即位。

当時日本軍の1940年北部仏印進駐、41年南部仏印進駐によってフランス植民地体制が動揺しており、御し易い王として若いシアヌークを選んだという背景があった。

第二次大戦後、シアヌークは共和政を志向する急進独立派や北ヴェトナムの影響を受ける極左派などの圧力をかわしながら、復帰してきたフランスと巧みな交渉を行い、カンボジアを独立へと導く。

このカンボジア独立の年というのがはっきりしない。

46年の暫定協定でフランス連合内での内政自治権を承認され、49年フランス連合内での独立を果たし、53年に司法・警察・軍事権限が委譲され、54年に外交権委譲で完全独立という流れになっている。

本によって以上四つの年代のどれかが独立達成年とされている。

55年父親に譲位しスラマリット王即位、自らは殿下と呼ばれるようになり、人民社会主義共同体(サンクム)という政治組織を結成、王制社会主義というユニークな体制を唱える。

外交面では55年バンドンでのアジア・アフリカ会議出席後、やや中国よりの中立政策を推進し、54年結成の東南アジア条約機構(SEATO)への参加を拒否。

58年に中華人民共和国と外交関係を樹立するが、アメリカの援助も受けいれる。

60年父王が死去すると王位には就かず、国家元首に就任。

しかしカンボジアの中立路線を過度に容共的とみなす東西の隣国、南ヴェトナムとタイ、およびその支援者である米国との関係が徐々に悪化、シアヌーク暗殺未遂やクーデタ計画が起こる。

シアヌーク自身も対米不信を強め、63年にはアメリカの援助を拒否、65年には対米断交に踏み切る。

65年には北爆によってヴェトナム戦争のエスカレーションが進むが、将来ヴェトナムでの共産勢力の勝利は避けられないとみたシアヌークは融和策を取り、カンボジア東部国境での北ヴェトナム・ヴェトコン軍による補給基地建設を黙認する。

この政策には国内の右派勢力が反発し、加えて援助停止と経済建設の失敗、汚職の蔓延で西部農民の暴動、東部山岳民族の反乱が起こり、国内情勢は騒然となる。

シアヌークは国内では左派勢力を激しく弾圧していたが、ポル・ポト(本名サロト・サル)に率いられる極左勢力クメール・ルージュが徐々に不気味な頭角を現してくる。

70年シアヌーク外遊中に、右派のロン・ノル将軍が政権を奪取。

シアヌークは中国の支持を得て、かつての敵クメール・ルージュと共闘関係に入り、75年ロン・ノル政権は打倒されるが、シアヌークに独自の勢力はなく、実質クメール・ルージュの虜囚に等しい存在となる。

このポル・ポト政権下で、農村への強制移住、強制労働、大量虐殺が行われ、カンボジア国民は地獄を見た。

対外的な看板としての利用価値を認められたシアヌーク自身はようやく生き延びるが、子や孫や親族の多くが殺害される。

76年に最大の支援国である中国で毛沢東の死と極左派「四人組」逮捕が起こり、中国内政が穏健路線に舵を切ったことも、ポル・ポト政権がシアヌークを生かしておく決定をしたことに影響があったらしい。

本書でシアヌークに対して厳しい見方をすることが多い著者であるが、クメール・ルージュが勝利した後あれほど極端で残忍な政策を実行するとは誰にも予想できなかったとして、シアヌークの70年から75年の行動に関しては同情的である。

カンボジア国民の激しい反ヴェトナム感情はクメール・ルージュにも共有されており、ポル・ポト政権成立と同じ75年にサイゴンを陥落させ南北統一を達成したヴェトナムとの国境紛争が起こる。

78年末にヴェトナム軍がカンボジアに進攻、79年初頭にプノンペン陥落、親ヴェトナムのヘン・サムリン政権樹立。

国外に脱出したシアヌークはヴェトナム軍追放のため、怒りと嫌悪を押し殺しポル・ポト派と連携、それにソン・サン派を加えた三派で中国・ASEAN・米国の支持を得て82年民主カンボジア連合政府を樹立。

このソン・サン派を、以前私は旧ロン・ノル派と理解していたが、ソン・サン自身は元はシアヌーク経済・財政顧問で後に袂を分かった人物で、冨山泰『カンボジア戦記』(中公新書)によると一部に旧ロン・ノル派系統の人物が参加しているというだけだそうだ。

この後、国際情勢の緊張緩和を受け、89年ヴェトナム軍撤退、91年カンボジア和平協定締結、93年国連監視の下での総選挙を経て、シアヌークの国王再即位、連立政権樹立と相成り、ようやく安定と平和の道を歩むことになります。

なかなか良いです。

カンボジア現代史として過不足の無い記述でわかりやすい。

各章のページ数が短めなので読みやすい。

手堅い入門書としてお勧めします。

2008年8月27日

染田秀藤 『インカ帝国の虚像と実像』 (講談社選書メチエ)

Filed under: ラテン・アメリカ — 万年初心者 @ 06:00

タイトルが実に面白そうなので、取り寄せて読み始める。

しかし冒頭からスペイン人が書いた数々の記録文書の紹介が続く。

それぞれの著者の立場がその記述にどう反映しているかや、そうした文書が描き出すインカ文明像を検討しているのだが、では現実のインカ帝国の実像はどうだったのかという話は最後の第四章まで出てこないので、ちょっと辛い。

通常の形式のインカ帝国史またはインカ征服史とは言い難く、使いにくい本。

増田義郎『インカ帝国探検記』(中公文庫)をまず読むべき。

上記の本を読んで、余裕があればどうぞといった感じ。

特に面白くもなく、強くはお勧めしません。

2008年8月23日

尾形勇 平勢隆郎 『中華文明の誕生 (世界の歴史2)』 (中央公論社)

Filed under: 全集, 中国 — 万年初心者 @ 06:00

中国古代史の巻で、第1部が新石器時代・殷・周・春秋戦国、第2部が秦漢帝国。

第1部で暦を中心とする話が長々と続くのがひたすらだるい。

こんなことを細かく説明されても全然わからない。

精読してきちんと理解するなんて普通の読者には到底不可能。

私は徹底して読み飛ばしました。

そうでないと絶対挫折する。

ただ論旨が全く読み取れないわけではない。

『論語』や『春秋』といった古典は戦国時代に原型ができたものであり、その内容を遡及させて前代の歴史を再現しようとすると大きな過ちを犯すとか、君主の在位年代について戦国時代から創められた踰年(ゆねん)称元法がそれ以前の立年称元法が行われていた時代にも適用された結果、『史記』をはじめとする史書にある年代に多くの矛盾が生じることになったとかなど。

ちなみに踰年称元法とは前君主が死去した場合、その年は前君主の年として継続し、翌年正月をもって新君主の元年とする方法。

それに対して立年称元法とは前君主死去後、すみやかに新君主が即位し同時に元年とする方法で、現代日本もこれですね。

先帝崩御によって昭和64年は一週間だけの存在で、1989年は昭和64年であると同時に平成元年でもあるわけです。

踰年称元法が戦国時代に現れた意味として、前君主死去から新年までの期間が賢人による新君主即位予定者の補佐とその徳性資格認定の時期と見做されており、それが無条件の血統原理を相対化する働きをし、「下克上」の支配層交替をある程度正当化したからだと述べられている。

以上のような視点の紹介が無意味だとか全く興味が持てないとか言うつもりはない。

しかし初心者向けの世界史全集でこの種のことを延々講じられても徒労感だけが残る。

高校世界史をほぼマスターしている人であっても、古代中国については堯・舜も桀・紂も文王・武王・周公旦も春秋戦国の山ほどある逸話も知らないわけで、そういう読者のうち本書のような記述を求める人がどれだけいるのだろうか。

それに比べて中公旧版貝塚茂樹『古代文明の発見』が読物として極めて優れたものであったとつくづく感じる。

マトモな研究者としてそんな低レベルの歴史物語など書きたくないという気持ちはわかるが、あえてそれを押し殺して執筆するのが一般読者への親切というものではないでしょうか。

旧版は刊行後およそ半世紀にもなろうかという骨董品だし、何でもかんでも新版より秀でているなどと主張するつもりはないが、名の知れている一流の学者が初心者に向けて平易な物語風歴史叙述を、照れもなく淡々と書いてくれた時代はやはり幸福であったなあと感じてしまう。

現在それを実現しようと思ったら、とにかく編集者が著者によっぽどの強権を振るえる体制を取らないとダメですね。

結論として、第1部は本当にゲンナリします。

第2部に入るとごく普通の通史になり、かなりマシになる。

私は中国史の全ての人物のうちで前漢の高祖劉邦とその謀臣である張良が一番好きなので、この辺の話は、政治史・伝記の範囲に収まる限り、いくら詳しくても良いと感じる。

多くの人が三国志に持つくらいの興味を、個人的には秦末から漢王朝成立期に感じるので、劉邦とその臣下の細々した話をもっと載せて欲しいくらい。

以後三国時代までが範囲内だが、後漢の興亡は本書の記述でちょうどいいくらいだが、三国は一般的な予備知識を持っている人ならかなり退屈。

よって第2部は読みやすいが、やや物足りないといった印象。

第1巻に続いて、やはり良好な出来とは思えない。

第1部を飛ばし読みした結果、かなりのスピードで読んで二日で読了できたが、あまり充実感はない。

ただ最近の世界史全集だと、どうしてもこういう形式の記述になるのはやむを得ないんでしょうかねえ。

2008年8月19日

岡田英弘 神田信夫 松村潤 『紫禁城の栄光 明・清全史』 (講談社学術文庫)

Filed under: 中国, 中央アジア — 万年初心者 @ 06:00

これも文芸春秋「大世界史」シリーズの中の一巻の文庫化。

いつもの悪い癖でタイトルだけ見て、「ああ、腐るほどある凡庸な中国史概説だな、読む価値無し」と決め付けて全く手に取ることが無かったが、たまたま前書きだけを読んでユニークさを感じたので通読。

はっきり言って通常の中国史の記述はさして興味深いものではないが、全巻のおよそ三分の一が北アジアの遊牧民勢力の歴史に当てられており、それが滅法面白い。

宮脇淳子『最後の遊牧帝国ジューンガル部の興亡』(講談社選書メチエ)と同じような内容を含みながら、表現ははるかに平易で読みやすく、極めて有益。

本書の基本的視座として、まず漢民族が居住する「シナ」と、シナに満州・モンゴル・新疆・チベットを加えた五つの地域からなる歴史的世界の「中国」を区別している。

「中国」的帝国としての元朝崩壊後、明は洪武帝・永楽帝時代にその継承を目指し対外積極策を採るが、遊牧民勢力の根強い抵抗の前に挫折し、以後「シナ」的帝国としての存在に甘んじ、モンゴルと明の抗争が続くが、結局満州から出た清朝が大膨張を遂げ、「中国」全土を支配下に入れるというのが全体の構図。

なお、元および北元滅亡後の北アジアでは西部(西北モンゴル)のオイラートと東部(内モンゴル)の韃靼(タタール)が交互に興亡したというのが教科書的記述だが、本書ではモンゴル勢力は東部で元朝の伝統の継続性を強く保ったまま存続しているとする立場から韃靼(タタール)という言葉は一切使われていない。

1388年北元が一族の内紛で滅んだ後、臣下筋のオイラット(オイラート)が勢力を得る。

このオイラートはモンゴル系ではあるが、チンギス一族直系を戴く部族ではないようだ。

テムジン時代のチンギスによって併合されたナイマンとかケレイト、メルキト、タイチュウトなどの部族と同格の存在ということでしょうか(前2者はトルコ系らしいですが)。

その最盛期の首領は教科書の記述ではエセン・ハンではなく単にエセンとなっている場合があるが、それは土木の変(1449年)の際にはまだハンに即位していなかったからだと思われる。

また結局ハン即位後わずか一年で部下に暗殺されたが、それはハンとなるにはチンギス一族直系でなければならないとするモンゴル民族の観念からすると正統性に疑義があると当時は考えられていたことも一因だと上記の宮脇氏著には書かれていた(通婚関係で女系ではチンギス一族と繋がっているが)。

エセンは北元皇族の多くを殺したが、エセンの娘を祖母に、北元皇族の一人を祖父に持つダヤン・ハンが1487年帝位に就き、内モンゴルと外モンゴル東部に君臨する(これが普通韃靼の興隆とされるもの)。

ダヤン死後、孫のアルタン・ハンが指導権を握り、1550年明に侵入し北京を包囲、黄帽派チベット仏教に帰依しダライ・ラマの称号付与。

なおダヤンの子孫のうち、アルタンと別系統がそれぞれチャハル部、ハルハ部の祖となる。

内モンゴルのチャハル部は清の太宗ホンタイジによって併合。

17世紀後半エセン以後200年ぶりにオイラート系勢力が復興、その一員のジュンガル部のガルダン・ハンが台頭、外モンゴルのハルハ部の内紛に介入し結局外モンゴル全土を支配。

これに脅威を覚えた清の康熙帝が親征、苦戦するが別働隊がガルダンの軍を壊滅させ、ガルダンは逃亡後まもなく病死、ジュンガル部ハン位はガルダンと対立した甥が継承し、清との関係はしばらく小康状態に入る。

その後チベットにオイラート系ホシュート部とジュンガル部が相次いで侵入、康熙帝は1720年軍を派遣しダライ・ラマを保護、以後チベットは清朝の保護下に入る。

乾隆帝時代に継承争いの渦中にあったジュンガル部は清朝に滅ぼされ新疆として併合された。

これはかなり良いです。

中国史の本としてより、元朝崩壊後の中央アジア史として非常に面白いし役に立つ。

今も新刊として手に入りますし、是非一読しておきたいものであります。

2008年8月15日

大貫良夫 他 『人類の起源と古代オリエント (世界の歴史1)』 (中央公論社)

Filed under: オリエント, 全集 — 万年初心者 @ 06:00

中公新版「世界の歴史」第1巻がこれ。ただし配本順はかなり後の方。

河出版「世界の歴史」だと第1巻がまるごと『人類の誕生』に当てられてますが、本書は先史時代とアケメネス朝ペルシアの統一直前までのオリエント史がセットになってる。

(ただしオリエントではフェニキア、アラム、ヘブライの地中海沿岸の諸民族は範囲外。)

さて第1部「人類文明の誕生」ですが、しょっぱなの原人やら新人の話辺りはまあまあ快調だったんですが、そもそも自分が先史時代への関心がはなはだ薄いので、「○○文化」とか「○○期」とか「○○伝統」とか、世界各地の新・旧石器文化が次々出てくる部分になると、いかんいかんと思いながらも、「あー早く終わんねーかなー」という気持ちを抑えることができない。

石器がどうとか、土器がどうとか、住居跡がどうとかいう話はどうにも退屈でしょうがない。

それが終わってやれやれと思い、第2部のオリエント史に入るのだが、こちらもどうも宜しくない。

まずごく大まかな概観を提示し、それから細部を論じてくれればいいのだが、やたら細かい都市国家の歴史を工夫無く書き連ねたといった記述が続くので、少々辛い。

それでもアッシリアの章くらいからは割と面白くなってくるのだが、高校世界史レベルからより高度な段階を橋渡しして、初心者が押さえるべき知識の一応の目安となるレベルをはっきりと提示してくれるような叙述ではない。

そもそも自分の苦手分野だということを差し引いても、どうもまとまりに欠けるという印象があり、読んでもすっきりしない。

初心者向け概説としては、河出文庫の『古代オリエント』や文春大世界史の『ここに歴史はじまる』のような古い本にも劣る気がする。

だが、第3部のエジプト史になると一転してわかりやすくなる。

オーソドックスな通史という感じで良好。

(ただそれは単にエジプト史という対象自体がアジアのオリエント史ほど複雑ではないというだけかもしれない。)

新王国第18王朝のファラオたちの治績に詳しく、暗記すれば効用大。

他に個々の記述では、カッシートとミタンニの民族系統について、帝国書院『新詳世界史B』での記述と同じく、どちらもインド・ヨーロッパ語族ではなく、ミタンニの被支配民族のフリ(フルリ)人は言語系統不明であり、また支配層だけが印欧系であるとの説も認めがたく、支配層含めフルリ人の国家であったとの説が有力と書かれている。

高校時代、古バビロニアが滅ぼされた後の印欧語族国家として、ヒッタイト・ミタンニ・カッシートとセットにして覚えていたのが、確実に印欧語系なのはヒッタイトだけということらしく、せっかく覚えたことが訂正されて何となく残念というか妙な気分です。

通読してみましたが、あまり面白いと思いませんでした。

500ページを超え、このシリーズでもかなり分厚い方ですが、読む手間の割に得られるものは少ない。

頭が鈍く根気もないのに文句だけは一人前という私ですから、無いものねだりの悪口もいい加減にしろと言われるかもしれませんが・・・・・強いてお勧めしたいという本でもないです。

ただ、それほど酷いというわけでもないので、このシリーズを全巻読むつもりなら避ける理由はないでしょう。

2008年8月11日

塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』 (新潮文庫)

Filed under: イタリア — 万年初心者 @ 06:00

『ローマ人の物語』刊行中の2001年に出た単行本の文庫化。

当時著者のルネサンス期イタリアを扱った作品の版権が中央公論から新潮社に移され(率直に言ってこれは非常に残念でした)単行本として刊行されており、それに合わせて書き下ろされた本。

対談の形式でフィレンツェ、ローマ、ヴェネツィアのイタリア・ルネサンスについて概説したもの。

文意は明解で非常に楽に読めます。

しかし内容に特筆すべき点はない。

ルネサンスに関する独創的な視点に驚かされたり感動したりということもなく、最後まで読んでも「あー、そうですか」という感じ。

こういう大御所に浅薄な一読者の私が文句をつけるのは噴飯ものだと承知しながら言わせてもらうと、至るところに出てくる執拗なキリスト教への批判がどうにも気になってしょうがなかった。

「反宗教改革」の代わりに最近用いられる「対抗宗教改革」という言葉は使わず、「反動宗教改革」とより悪いイメージの用語を選んで、それがイタリア・ルネサンスの息の根を止めたと断言している。

『ローマ人の物語』を読んでいる時にも感じたことだが、この人の一神教的宗教への非難は行き過ぎというか公平さを欠くというか、ちょっと素直に受け取れないものを感じる。

『ローマ人・・・』で、共和政から帝政への移行は自由の喪失でも歴史の退歩でもないと力説したり、ペリクレス治下のアテネが民主政のモデルとして評価されたのはフランス革命以後であり、それ以前はアウグストゥス治下のローマ帝国と同じく単に善政の模範として高く評価されていただけだったと述べたりした部分には、通俗的な価値観とは異なる良い意味での著者の独自性を感じたものだったが、それに対してキリスト教に代表される一神教の普及により人間精神の自由が抑圧され「暗黒の中世」を迎えたという見方は平凡過ぎて全然感銘を受けない。

チェスタトン『正統とは何か』(春秋社)を読んだ後だとますますそう思える。

読んで損したとまでは思わないが、あんまり面白い本でもない。

本文が終った後、「主役たちの略歴一覧」というものが続き、ルネサンス文化人の肖像・作品の写真の下にごく短い紹介文が付せられている。

これはまあ便利ではあるが、同じような形式の列伝がある樺山紘一『ルネサンスと地中海』(中公文庫)の方がより印象的で頭に入る。

あと事実関係の記述でルネサンス期のローマ教皇が順に載せられており、良い機会なのでこれを以下メモしておきます。

まず全般的なことを言いますが、歴代ローマ教皇を全部覚えるなんて事は絶対に不可能です。

自分ができる見込みが全く無いことを皆様に偉そうに勧めるつもりは毛頭ございません。

高校世界史で出てくる教皇と言えば、初代のペテロはまあ別にして、レオ1世、グレゴリウス1世、レオ3世、ヨハネス12世、グレゴリウス7世、ウルバヌス2世、インノケンティウス3世、ボニファティウス8世、アレクサンデル6世、ユリウス2世、レオ10世、パウルス3世くらいですか。

せめて叙任権闘争とシスマの時期、およびルネサンス期の教皇ぐらいは覚えようかと思うのですが、なかなかうまくいかない。

教皇位は国王と違って世襲ではないので前任者の死去後、年配の候補者が順に継いでいき、勢い在任期間が短く就任者が多くなる。

当然ながら王朝のように、ある王の息子が誰それで、その子が誰それと、系図のイメージで印象付けて覚えることもできない。

ただ人名を機械的に暗記する他ないのが苦しい。

地道に覚える努力をするしかないのですが、とりあえずルネサンス期の教皇は以下の通りです。

ピウス2世(1458~64年)

1453年のコンスタンティノープル陥落とビザンツ帝国滅亡を受け、十字軍再編成を企図するがイタリア諸都市の支持を得られず挫折。

パウルス2世(1464~71年)

ヴェネツィア出身。祖国の政策に呼応して前教皇の対トルコ政策を転換。

シクストゥス4世(1471~84年)

俗名フランチェスコ・デラ・ローヴェレ。最後のビザンツ皇帝の姪とロシアのイヴァン3世との結婚を斡旋。メディチ家を敵視、「パッツィ家の陰謀」を影で支持。「システィナ礼拝堂」はこの教皇の名に由来。

インノケンティウス8世(1484~92年)

俗名ジョヴァンニ・チボー。ジェノヴァ出身。ロレンツォ・デ・メディチと密接に協力。

アレクサンデル6世(1492~1503年)

俗名ロドリゴ・ボルジア。息子が有名なチェーザレ・ボルジア。シャルル8世のフランス軍侵入に対応。メディチ家追放後のフィレンツェを支配したサヴォナローラとの正面対決を避け、その自滅を待つ。

ユリウス2世(1503~13年)

アレクサンデル6世との間にピウス3世がいるが、本書では省略。俗名ジュリアーノ・デラ・ローヴェレ。シクストゥス4世の甥。ミケランジェロ、ラファエロのパトロン。

レオ10世(1513~21年)

俗名ジョヴァンニ・デ・メディチ。ロレンツォの次男。言わずと知れたルターの敵役。レオナルド・ミケランジェロ・ラファエロの三人が在位中短期間ながらローマに滞在。

ハドリアヌス6世(1522~23年)

オランダ出身。

クレメンス7世(1523~34年)

俗名ジュリオ・デ・メディチ。レオ10世のいとこ。1527年カール5世による「ローマ掠奪」の憂き目に遭う。のちカールと和解、その支援を得てフィレンツェにメディチ家支配を復興させ、フィレンツェは共和国から公国に変わる。

パウルス3世(1534~49年)

俗名アレッサンドロ・ファルネーゼ。即位早々ヘンリ8世のイギリスがカトリックから分離。イエズス会を認可。1545年トリエント公会議開催。ルネサンスの巨匠たちのなかで最後まで長命を保ったミケランジェロに「最後の審判」作成を依頼。本書ではルネサンス教皇はこの人まで。

2008年8月9日

司馬遼太郎 『この国のかたち 1』 (文春文庫)

Filed under: 史論・評論 — 万年初心者 @ 06:00

世界史読書の観点から言うと、司馬遼太郎の作品のうち、『項羽と劉邦』および『韃靼疾風録』は絶対必読本であり、やや程度は薄れるが『坂の上の雲』もできるだけ読むべき本ではある。

それ以外の日本史関係の膨大な歴史小説は好きな人はどんどん読んでいけばいいんですが、私はあまりやる気がでない。

よってその内容のエッセンスを抽出した本で済まそうとして、大学時代これを読む。

全6巻あるが、何となく面倒になって1、2巻しか読まなかった。

『明治という国家』の方がよりまとまりがあって良い気がする。

しかし、これ以上無いほど楽に読める本ではありますので、気の向いた時ざっと読んでみるのも宜しいんじゃないでしょうか。

以前も書いたんですが、司馬作品を100%鵜呑みにして、それ以外の本を一切読まず、完全に歴史をわかった気になるのは問題だと思いますが、かといって初心者啓蒙用としての司馬作品の良さを全く認めずに頭から馬鹿にするのもどうかと思います。

少なくとも、私程度の読者には非常に有益であることは間違いないはず。

買わなくてもいいですが、暇なとき図書館で借りて斜め読みするのもよいでしょう。

2008年8月8日

年代暗記について

Filed under: おしらせ・雑記 — 万年初心者 @ 06:00

先日の『第一次世界大戦の起源』において列強の同盟外交を概観した文章を読んで思ったことを以下に書きます。

山村良橘『世界史年代記憶法』(代々木ライブラリー)の記事で書いたこととかなり重複しますが、要は世界史を学ぶ上でやはり年代暗記は避けられないのではないかということです。

例えば、普仏戦争から第一次大戦までのヨーロッパ外交史を概観すると以下の通りになります。

1873年 三帝同盟

1878年 ベルリン会議

1879年 独墺同盟

1882年 三国同盟

1887年 独露再保障条約

1891年 露仏同盟

1898年 ファショダ事件

1902年 日英同盟

1904年 日露戦争・英仏協商

1905年 第一次モロッコ事件

1907年 英露協商

1911年 第二次モロッコ事件・伊土戦争

1912年 第一次バルカン戦争

1913年 第二次バルカン戦争

1914年 サライェヴォ事件・第一次世界大戦

1890年に退陣するまでのビスマルクがフランス孤立策を成功させていたのに対し、それ以後は逆にドイツが孤立し三国協商による包囲網が形作られていく過程がわかりますが、以上の経緯を年代抜きで覚えることが有益とはどうしても思えない。

むしろ年代を押さえることによって史実の前後関係がはっきりし、事象の連鎖関係の正確な推移が頭に入るのではないでしょうか。

歴史の流れや因果関係を捉えることが重要だとしても、特に現代史においてそれは正確な年代把握と切り離せないものではないかと愚考する次第です。

初心者にやたら年代暗記を強要するのは歴史嫌いを増やすだけだ、という意見はわからないではないですが、しかし最も初歩的な段階を過ぎればやはり重要年代の暗記はおろそかにできないでしょう。

また初学者は「流れ」や「因果関係」を重視すべきといっても、実際は非常に通俗的で皮相な見方や観察を詰め込まれてしまう例も多い気がします。

それならまずは年代のような細かな部分を含め、事実関係において詳しい知識を得ることを一先ずの目標にすべきではないかと思います。

なお、高坂正堯氏が『大国日本の世渡り学』(PHP文庫)で述べていた歴史学習の方法に関する文章も大いに示唆的ですので、リンク先引用文も宜しければご覧下さい。

2008年8月5日

ジェームズ・ジョル 『第一次世界大戦の起源』 (みすず書房)

Filed under: 国際関係・外交 — 万年初心者 @ 06:00

似たタイトルのA・J・P・テイラー『第二次世界大戦の起源』(中央公論社)が、ヒトラーの戦争政策の計画性を否定して大論争を巻き起こした問題の書であるのに対して、こちらは手堅さを感じさせる内容。

だがその分、目の冴えるような鋭い記述や史的解釈は無く、著者自身の意見が控えめであり、やや明解さを欠く叙述が続き、論旨が掴みにくい。

大戦の原因に関するいくつかの見解を挙げながらその限界も指摘するが、その代わりにこれが正しいという説をはっきりと主張するわけでもない。

ちょっと言い過ぎかもしれないし、安易な説を当然視して大声で主張するよりはるかにいいでしょうが、ボーっとしながら読み進むだけだと、読了後何も頭に入ってないということにもなりかねないのでご注意。

というか、それがまさに私です。

途中から気合を入れて、特筆すべきポイントをできるだけ意識して読み取るようにしました。

まず1914年サライェヴォ事件以後の7月危機とそれに先立つ諸列強の外交を概観。

それから大戦の原因・背景の分析に移るが、まず硬直した軍事計画が規定事実とされ、それが危機における政治家と外交官の交渉の余地を狭めていたことを記す。

当時の主要兵站手段であった鉄道輸送に合わせた動員計画が柔軟性を欠いたため、外交交渉のタイムリミットが著しく切迫し、ついに各国の宣戦を地滑り的に誘発したといったことを他の本で読んだ記憶があるが、本書ではその辺り特に詳しい記述がない。

なお、この硬直した軍事計画に政治が引きずられた弊害として一番有名なのはドイツのシュリーフェン・プランですが、『ドイツ帝国の興亡』(平凡社)でセバスティアン・ハフナーが対露対仏二正面攻勢とイギリスの参戦を確実にするベルギー中立侵犯を当然視し、それ以外の作戦計画を放棄したドイツ参謀本部の姿勢を犯罪的とまで言って強く批判しています。

真ん中の「国際経済」の章では、軍需産業と金融資本が国際対立と戦争を惹き起こしたとするマルクス主義者の荒っぽい経済決定論に疑問を投げかけている。

結局、各国の指導者と国民双方に共通する精神状況に大戦勃発の主要背景を見ている模様。

膨張それ自身を目的とし必ずしも経済的利害に基かない帝国主義、俗流ダーウィン主義の生存競争説の国際関係への適用、野放図なナショナリズム、激しい相互不信とそれに伴う軍備拡張、外交危機の続発とそれから生じた「早く決着をつけたい」という大衆心理、近代科学技術に支えられた戦争の破壊規模への無理解など。

やはりドイツの責任に言及することが多いが、他国のそれに比べバランスを失しない程度であり、「プロイセン軍国主義」にすべての責任を被せるようなことはない。

1960年代にフリッツ・フィッシャーという学者が『世界強国への道』という本を出して、第二次大戦のみならず第一次大戦でもドイツの指導的政治家は世界制覇の野心を抱いており、それが大戦の原因だという(あえてわかりやすく言えば「自虐的な」)説を主張し、フィッシャー論争と言われる大きな問題になったそうですが、著者はフィッシャー説に同意しているようには全く見えない。

基本的に俗受けしやすい安易な説に距離を置くという懐疑心を感じた。

よって悪くない本だとは思います。

なお、以上の要約というか感想はもしかして私の誤読が含まれている可能性がありますので鵜呑みになさらないで下さい。

類書としては、大戦自体の経緯を記したA・J・P・テイラー『第一次世界大戦 目で見る戦史』(新評論)があります。

これより詳しいものとしては、リデル・ハート『第一次世界大戦 上・下』(中央公論新社)。(同著者で『第二次世界大戦 上・下』(中央公論新社)もあり。)

大戦の俯瞰的考察に関しては、ジョージ・ケナン『アメリカ外交50年』(岩波現代文庫)の該当章を是非。

短いページでよくもこれまでというほど密度の濃い、含蓄のある叙述であり、深く納得させられます。

このケナンの本は初心者必読と思われます。

以上のうち、リデル・ハートの本は両方とも私は未読です。

読むべきだなとは思ってるんですがね・・・・・。

2008年8月1日

礪波護 武田幸男 『隋唐帝国と古代朝鮮 (世界の歴史6)』 (中央公論社)

Filed under: 全集, 朝鮮, 中国 — 万年初心者 @ 06:00

この度少々思うところあり、中公新版「世界の歴史」の全巻通読に取り組むことにしました。

全30巻のうち、これまで読んだものが4巻だけで、なおかつ他の本も読みながらですから、そもそも挫折する可能性もありますが、少しずつこなしていくつもりです。

本書は第3回配本分。

十余年前の刊行時には、確かこの巻の途中で嫌気が差して読むのを止めたんだと思う。

自分の忍耐力の無さに改めて呆れます。

今回は3日間ほどで無事読了。

しかし評価は微妙です。

三国時代から唐滅亡までの中国史と、先史時代から新羅滅亡までの朝鮮史が叙述範囲。

全14章のうち、中国史の第1部が8章で、朝鮮史の第2部が6章と、朝鮮史の比重が比較的高めの構成。

その分、中国史の部分は概括的記述が続くだけで、突っ込んだ説明に乏しく、物足りなさを覚えた。

合間に挟まれるエピソードも、仏教関係の細々した話が多くてそれほど興味が持てず、他の話もどうも面白いと思えなかった。

同じ時代を扱った宮崎市定『大唐帝国』(中公文庫)が再三再四の味読に値するのに比べたら、正直かなり落ちるなと感じてしまいました。

個々の記述に関しては、五胡十六国の興亡が簡略ながら説明されており、民族系統別に色分けされたわかりやすい図表が載っている。

これはなかなかいいんですが、やはり全体像を覚えるのは相当苦しいです。

この図表は単行本では色分けがはっきり区別できますが、文庫本だとわかりにくいかもしれませんね。

コストの問題もあるんでしょうが、文庫化の際、オールカラーじゃなくなったのはやはりかなり残念です。

なお西晋末の八王の乱は細かな記述が一切無いのですが、宮崎市定『東洋における素朴主義の民族と文明主義の社会』(平凡社東洋文庫)に確か司馬氏一族内の政権移動を図示した系図付きで詳細な叙述があったと思います。

しかしこれも私には暗記不可能です。本当に複雑すぎる。

本書がそういう煩雑さを避けたのは結構なんですが、この厚さの全集本ならもうちょっと読み応えのある明解な政治史を読みたかったところです。

朝鮮史の第2部に入ると、こちらはページに余裕があるせいか、ごく標準的な通史といった感じでまずは良い。

しかし読み進めていくと、全くの初心者向けの朝鮮史としては、あまり整理されておらずまとまりに欠ける印象がある。

私の頭が悪いせいもあるんでしょうが、話が前後して流れが掴みにくいという感想を持った。

細かな官職名の考察なんかは省いて、高句麗・新羅・百済と加羅諸国の民族的起源などをもう少し丁寧に説いてくれればと思いました。

偏った意見かもしれませんが、本書はあんまり面白い良好な出来ではない気がします。

昔の世界史全集と違って、すべての地域をカバーする必要がある以上、中国史のように伝統的に重視されてきた分野に過度の紙数を費やすことはできないんでしょうが、しかし本書の記述を読むとこの先不安になる。

この後も『明清と李朝の時代』という巻があるように、本全集では中国史の巻中に朝鮮史を組み込む方針のようですが、できれば朝鮮史を独立させて一巻割り当てて欲しかったところです。

まあ、以上はあくまで私の個人的感想ですのである程度割り引いてお読み下さい。

悪い本だとまで断言する気はありませんので。

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