万年初心者のための世界史ブックガイド

2008年7月29日

読むべきではあるが読めない本

Filed under: おしらせ・雑記 — 万年初心者 @ 06:00

先日の記事で久しぶりに硬い本を取り上げましたが、この種の古典的なもので読めない本がまだまだ山ほどあります。

高校世界史で出てくるような思想・文学関係の本はひとまず置くとして、歴史書の類に限っても以下の通り読むべきだなあと思う本がいくらでも出てくる。

クセノポン 『ギリシア史 1・2』 (京都大学学術出版会)

ポリュビオス 『歴史 1・2』 (京都大学学術出版会)

アエリウス・スパルティアヌス 『ローマ皇帝群像 1・2』 (京都大学学術出版会)

イブン・ハルドゥーン 『歴史序説 全4巻』 (岩波文庫)

アレクシス・トクヴィル 『旧体制と大革命』 (ちくま学芸文庫)

ヤコプ・ブルクハルト 『イタリア・ルネサンスの文化 上・下』 (中公文庫)

ヨハン・ホイジンガ 『中世の秋 上・下』 (中公文庫)

マルク・ブロック 『封建社会 1・2』 (みすず書房)

フェルナン・ブローデル 『地中海 全10巻』 (藤原書店)

チャールズ・ハスキンズ 『十二世紀ルネサンス』 (みすず書房)

アンリ・ピレンヌ 『ヨーロッパ世界の誕生』 (創文社)

フリードリヒ・マイネッケ 『歴史主義の成立』 (筑摩書房)

テオドール・モムゼン 『ローマの歴史 全4巻』 (名古屋大学出版会)

E・H・カー 『ボリシェヴィキ革命 ソヴェト・ロシア史』 (みすず書房)

・・・・・・等々。

果たしてこの先以上の内、どれだけの本を読めるのか、考えると気が遠くなります。

例えば、「ブローデルの『地中海』は素晴らしい傑作だ」と聞かされても、私の場合「いくら名著でもそういう大部の社会史はちょっと・・・・・」と気後れしてしまうのはどうしようもない。

まあ所詮人間身の丈に合ったことしかできませんから読めなくても仕方ありません。

気力が充実した時にできるだけ手にとってみるようにはします。

ただ硬い古典であっても、エドマンド・バーク『フランス革命の省察』(みすず書房)トーマス・マン『非政治的人間の考察』(筑摩書房)のように私でもこれ以上無いほど面白く読めた本があるから、あまり躊躇するのも得策ではないかもしれない。

さらに一冊だけつけ加えれば、ヨハン・ホイジンガ『朝の影のなかに』(中公文庫)を挙げたい。

これまでこの本の素晴らしさについては何度か触れてきましたが、改めて強調したい気分です。

恐ろしい危機が襲い掛かる時代にあって、左右の政治的狂信に囚われるのを避け、伝統的な信仰を固守しつつ、静かに救いを待つという品位ある姿勢が宗教的崇高さすら感じさせる。

この本の秘めている叡智は本当にただごとではない。

本書は、世論の表層に現れる右とか左とかといったレベルの話から完全に超越した次元にある。

どんな立場にあっても本書に真摯に向き合えば、自省と謙虚さに導かれるはずだと思う。

どうしようもなく自堕落でくだらない生き方をしている自分ではあるが、こういう本を読んだ時だけ反省する気分になる。

思想関係の書物などほとんど読まないのに、本書だけは折に触れページを開き、その度に深い感銘を受ける。

私のような人間でもそう感じられるのは、本書の持つ力がどれだけ大きいのかを物語っている。

高坂正堯氏も苛立つことが多く眠れないときは本書を手に取り心を落ち着かせるとどこかで書いてらしたのを読んだ記憶があります。

とにかく一度手にとってみられることを是非お勧め致します。

これは何としても復刊してもらいたい本であります。

本当に何とかして下さい、中央公論様。

教養があるなしにかかわらず、じつに多くの人のばあい、生に対する構えは、いぜんとして、あそびと人生とに対する少年の心そのままである。さきにわたしはたまたま、永遠の青年期と呼んでしかるべき、あのひろくみとめられる精神状況について語った。それを特徴づけるのは、適切なことと適切でないことをみわける感情の欠落、他人および他人の意見を尊重する配慮の欠如、個人の尊厳の無視、自分じしんのことに対する過大の関心である。判断力と批判意欲の衰弱がその基礎にある。このなかばみずからえらびとった昏迷の状態に、大衆はひじょうな居心地のよさを感じている。ひとたび倫理的確信のブレーキがゆるむや、いついかなる瞬間にも危険きわまりないものとなりうる状況がここにある。

このような精神状態は、ただたんに、自分じしんの判断を下す意欲に欠けるところがあり、集団組織の画一化作用が、できあいのワンセットの考えかたを押しつけ、つねに思考が皮相に流れてしまうところからもたらされたというにとどまるものではなく、じつに憂慮すべくも注目すべきことに、おどろくべき技術の発展それじたいが、じつはこのような精神状態をひきおこし、これにたっぷり餌を与えているところのものなのである。人間は、この驚異の世界にあって、文字どおり子供のようだ。お伽噺の世界のなかの子供のようだ。飛ぶ機械で旅することができる、いながらにして地球の反対側と話をすることができる、自動機械を使ってちょっとつまむことができる、ラジオを通じてひとつの大陸全部を自分のものにすることができる。ボタンを押せばそれでよい。生がかれのほうにやってくるのだ。このような生は、かれを成熟させるだろうか。まさに逆だ。世界はかれのおもちゃになってしまったのだ。おもちゃを手にしたかれが子供のようにふるまうからといって、それになんのふしぎがあろう。

技術の完成、経済および政治の機能の有効なはたらきという塁壁は、これは、なんら、わたしたちの文化を野蛮の侵入から守るものではないのである。野蛮は、これをしてみずからに奉仕せしめる。野蛮は、完成された手段と結び、ますます力を増し、ますます圧制的にふるまう。

野蛮は、高度な技術の完成と手に手をとって歩くばかりか、ひろく普及した学校教育とも連れ立って進む。文盲率の減少でもって文化の程度を測るというのは、これは、すでに過ぎ去った時代の素朴な知恵である。学校で教える知識がどれほどの量であろうと、それはいささかも文化の財産を意味するものではない。視線をあげて現代の精神状況全般をみるに、このようなみかたは、これをほとんどおおげさなペシミズムと呼ぶことはできないのである、以下のように証言しなければならぬと考えるのである以上は。

いたるところに妄想と妄語がはびこる。かつてないまでに、人びとは、ことばの、合言葉の奴隷となって、たがいに殺しあう、相手を議論で屈服させるのである。世界は、憎しみと誤解を負わされている。愚かなものがどのくらいおおぜいいるか、過去にくらべて、どのくらい多いか、その比率を測ろうにも尺度はない。だが、愚かさは、以前にもまして旺盛に害毒を流し、高く君臨している。生半可な教養を身につけた、にぶい精神に対しては、伝統、形式、礼拝といったことへの敬意も、しだいに歯止めとしてはたらかなくなってきた。最悪の事態は、いたるところにみとめられる「真理ということについての無関心」であって、これは、政治的欺瞞の推賞ということのうちに、その極みにまで達している。

2008年7月26日

G・W・ヘーゲル 『歴史哲学講義 上・下』 (ワイド版岩波文庫)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

普段取り上げてる本のレベルからすると、「何をトチ狂ったんだ、コイツは」と思われるでしょうが、たまたま気が向いたので本書を手に取りました。

当然ながら、これまでヘーゲルなど一行も読んだことありません。

しかし、高校の倫理の時間に習ったようなことが頭に入っていれば、これは普通に読めます。

読むのに一週間ほどかかったが、通読はさして困難ではなかった。

長谷川宏氏による新訳のお蔭かとも思う。

最初の凡例で

訳語は、いわゆる哲学専門用語のたぐいをなるべく避けた。たとえば、原書に頻出するSittlichkeitは、「人倫」の訳語をあてるのが通例だが、本書ではこの訳語はとらず、文脈に応じて、「共同体」「共同精神」「共同の倫理」「共同感情」「社会性」「道徳的」などの訳語をあてた。

と書かれているのを読めば、それだけで相当わかりやすい翻訳になっているなと推測できる。

もちろん、所々よくわからない部分も出てくるが、少なくとも全く論旨がつかめずに立ち往生して放り出すということはなかった。

内容についてあれこれ書こうとしても、私の知能だととんでもない誤読を書き連ねることにもなりかねないので、これ以上無いほど大雑把な論旨だけ書くと、世界史とは自由の発展の歴史であり、その観点から見るとアフリカやシベリア、高地アジアなどは論外、中国とインドもダメ、ペルシアに代表されるオリエント世界でちょっとマシになって、ギリシアにおいて自由の可能性が大きく開花するが同時に強い限界もあり、結局完全な自由を実現するのはキリスト教的ゲルマン国家であり、それもカトリックではなくプロテスタント諸国がその完璧な体現者だ、というもの。

どんな素人でもやろうと思えば、いくらでも突っ込みたくなる史観ではあるが、私ごときがこういう大思想家に文句をつけても仕方ないので、19世紀初頭のヨーロッパ人にはこう見えたんだなとひとまず御説拝聴しておく。

なお、ギリシアとゲルマン国家の間にあるローマに対する評価がかなり低いのが印象的だった。

ローマの支配はペルシアに比べてもある意味で過酷であったが、その圧政によって人間精神が鍛え上げられ、キリスト教の誕生を可能にしたというふうに読める記述があった記憶がある。

この点、ヘーゲルの思弁的歴史観を批判したランケが『世界史概観』(岩波文庫)を、ギリシアを無視して、古代史のすべての流れが集積され近世史のすべての流れが流出する源とも喩えられるローマから始めているのと対照的で、ちょっと面白いと思った。

(しかし、これも枝葉の部分を誇張した誤読かもしれない。)

この種の本にしてはかなり読みやすい方だと思いますので、気が向いたら皆様もお読み下さい。

2008年7月23日

林建彦 『朴正熙の時代』 (悠思社)

Filed under: 朝鮮 — 万年初心者 @ 06:00

1991年刊。副題は「韓国『上からの革命』の十八年」。

1960~70年代の韓国史。

おそらく現代史上最も成功した権威主義政権である朴政権を高く評価する視点から書かれている。

個人的にはかなり前から朴正熙という人物に敬意を抱いていたので、素直に得心がいった。

この本も実は刊行当初何度か図書館で飛ばし読みしていたのだが、通読は今回が初めて。

特に難渋なところもなく、読みやすい。

できれば朴体制の前後も充実させて、より広い範囲をカバーした韓国現代史にして欲しかったところですが、紙数の問題もありますからまあこれでいいのかもしれません。

重要事件とその年代を確認しながら読み進むのが良いでしょう。

1948年大韓民国成立、50年朝鮮戦争、60年四・一九学生革命と李承晩退陣、61年五・一六軍事革命、63年民政移管と朴大統領就任、65年日韓基本条約とヴェトナム派兵、68年青瓦台武装ゲリラ事件、71年米中接近と南北赤十字会談、72年南北共同声明と「維新」体制への移行、73年金大中事件、74年文世光事件、77年カーター政権成立と「人権外交」・在韓地上米軍撤退をめぐる摩擦、79年側近による朴暗殺。

悪い本ではないですが、やや対象範囲が狭いので、神谷不二『朝鮮半島で起きたこと起きること』(PHP研究所)などと併読して下さい。

なお朴政権下の韓国については、岡崎久彦『隣の国で考えたこと』(中公文庫)という素晴らしい本がありますので、こちらも是非どうぞ。

ついでに歴史に限らず、韓国関係で面白かった本を挙げると、鄭大均『韓国のイメージ』『日本のイメージ』(共に中公新書)は非常に良いと思いました。

そこで紹介されている任文桓『愛と民族 ある韓国人の提言』(同成社)も出色の出来。

中公文庫に収録されていた『日韓理解への道』および『日韓ソウルの友情』という司馬遼太郎らの座談会も読めば参考になるところ大。

その参加者の一人である鮮于煇氏が両書で末尾に書いた文章が本当に素晴らしい。

最後にあまり知られていない本だと思いますが、吉岡忠雄『ソウル・ラプソディ』(草風館)。

紀行文の一種ですが、この本が醸し出す品位と哀切には強く心を動かされる。

気が向いたら以上の本も一度図書館で借りてみて下さい。

2008年7月20日

上田雄 『渤海国の謎』 (講談社現代新書)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 06:00

1992年刊。現在は『渤海国』というタイトルで講談社学術文庫に収録されている模様。

高校教科書にも必ず出てくる王朝ではありますが、この国が中国史に属するのか、朝鮮史に属するのかで、中韓間の外交摩擦すら生じているのはご存知の通り。

その件については文庫版のまえがきで著者も少しだけ触れているようだ。

教科書では唐代の東アジア文化圏の一国として、吐蕃・南詔・新羅・日本と同列に扱っているようなので、一応カテゴリは中国にしておきます。

668年高句麗が唐軍の攻撃によって滅ぼされた後、高句麗王族の流れを汲むという大祚栄が698年に建国。

支配層は高句麗の遺民を中心とする朝鮮系で、国民の大部分は原住民の靺鞨(まっかつ)族だったらしい。

都は時に変動があったが、基本は上京龍泉府。

初代大祚栄没後、二代目の大武芸が盛んな武力をもって近隣に領土拡大、次の大欽茂の代には文治主義を採用、唐文化の移入に努める。

以後の王は系図もはっきりしない部分があるので、とりあえず憶えなくていいでしょう。

最後は926年に契丹に滅ぼされ、その特色ある文化を伝えるものも無い程徹底的な破壊を蒙る。

本書で以上の通常の通史的部分は第一章のみ。

残りの二章から六章までは日本・渤海関係史に費やされている。

この辺、ちょっとアンバランスを感じないではないが、読むに耐えないというような退屈さは無いし、興味を持って読める部分もある。

最初両者間にある新羅を仮想敵国とした軍事同盟の色彩が濃かった日渤関係だが、後には経済・文化面での穏和な交流が主となる。

その様相を多くの例を挙げながら詳細に記述している。

その他、渤海との使節交換と遣唐使との関連にも紙数を割いている。

読みやすい方だと思うし、そんな悪い本でもないです。

ただ類書として、浜田耕策『渤海国興亡史』(吉川弘文館)があり、こちらの方がオーソドックスな通史に近いので良いかなとも思います。

2008年7月17日

千葉治男 『ルイ14世 フランス絶対王政の虚実』 (清水書院)

Filed under: フランス — 万年初心者 @ 06:00

先日『聖なる王権ブルボン家』を読んだところですが、類書のこれを読んで知識を固めるつもりで手に取る。

200ページに満たない本であり、難しいところもなく非常に楽にページが手繰れるので、その気になれば半日もかからず読める。

しかしその分内容が薄い気がするというのは言い過ぎでしょうか。

正直あまり面白くない。

ルイ14世の伝記としてあまり特筆すべきことがない。

平板な叙述が淡々と続くのみといった感じ。

唯一、1685年ナントの勅令廃止が同年即位したイギリス国王ジェームズ2世との連携を考慮した措置だったという記述が記憶に残った。

この頃のイギリスで、ピューリタン革命時の清教徒vs国教徒の図式から、国教徒vs旧教徒というふうに宗教的対立軸がずれており、ジェームズ2世が即位とともに旧教復活を企て名誉革命が勃発するわけですが、ルイ14世はジェームズと協力してハプスブルク家からカトリック教諸国の盟主の座を奪うつもりだったらしい。

こういう視点は他の本で読んだことが無い(もっとも実はちゃんと書いてあって、単に私が忘れてるだけかもしれませんが)。

ただそれ以外得たものは無く、結論として特に読むべき本とも思えませんでした。

2008年7月13日

井上浩一 『生き残った帝国ビザンティン』 (講談社学術文庫)

Filed under: ビザンツ — 万年初心者 @ 06:00

以前講談社現代新書から出ていたものの文庫化。

新書(文庫)一冊という短いページ数でビザンツ帝国一千年の歴史を概観しているため、取り上げられている皇帝・事件・社会の動きなどは全体のごく一部に過ぎないが、その選択が非常に絶妙で、大きな空白を感じさせない。

精選された記述によって帝国の政治と社会の大まかな変遷を知ることができる。

史的解釈も明解で鋭いものを感じた。

テーマの大きさに比べて紙数の乏しいこの種の入門書でありがちだが、内容がスカスカで細かな事実も全体的解釈も共に頭に入らないという弊害を免れている。

目立たないが、これはなかなかの名著ではないでしょうか。

新書版で出ていた際、書店や図書館で見かけていたが、「どうせありきたりの駄本だろう」と無視していた自分の眼力の無さを思い知りました。

一番最初に読むビザンツ史としては、岩波新書の『コンスタンティノープル千年』『中世ローマ帝国』より、こちらの方が一般的でずっと良いです。

具体的記述としては、ユスティニアヌス1世以後ずっと衰退期といったイメージのある帝国であるが、本書では10世紀半ばから11世紀初頭にかけて在位したニケフォロス2世、ヨハネス1世、バシレイオス2世治世下の繁栄を強調しているのが印象的。

この三代の間、セルジューク朝以前の分裂期であったイスラム圏、ブルガリア人、ロシア人に対して盛んな外征を行い、帝国の全盛期を築いた様が記述されている。

かなり面白いです。

全体の構成も見事だし、文章も巧い(と思う)ので、かなりのスピードで通読できます。

良質な啓蒙書として推奨させて頂きます。

2008年7月9日

長谷川輝夫 『聖なる王権ブルボン家』 (講談社選書メチエ)

Filed under: フランス — 万年初心者 @ 06:00

17~18世紀フランスに君臨したブルボン朝君主の列伝風史書。

(19世紀初頭の復古王政は範囲外。)

各国王の在位期間が長いので、1589年のアンリ4世の即位から1789年の大革命までのちょうど200年間に存在した君主はアンリ4世・ルイ13世・ルイ14世・ルイ15世・ルイ16世の5人だけ。

これらの国王名は高校教科書ではすべてゴチック体で載っていて暗記することになっている。

考えてみると高校レベルで、属する君主をすべて覚える必要のある王朝というのも少ない。

ブルボン朝の他にはイギリスのテューダー朝とステュアート朝くらいか。

あと、中国の清朝は歴代皇帝の名が一応すべて出ますね。

閑話休題。

プロローグで、著者は、あえて経済・社会史的、法制史的アプローチを取らず、人物史の形式を取ったと書いてある。

ということはすなわち私のような人間向きの本であると言えます。

詳しい系図や地図が付されていて親切。

王家の細かな人的関係を把握しながら、実にわかりやすくこの時期の政治史を物語っている。

男子の王族だけでなく、アンリ4世妃のマリ・ド・メディシス、ルイ13世妃でスペイン出身のアンヌ・ドートリッシュなどの王妃や、ルイ14世の愛妾モンテスパン夫人、マントノン夫人、ルイ15世のそれであるポンパドゥール夫人、デュ・バリー夫人などの愛人たちにも触れられている。

文章も読みやすいし、曖昧な点を残さず、最後までよく整理された叙述が続く。

内政と外交の関連にも程よく目配りされている。

例えば、サンバルテルミの虐殺(1572年)の背景としてユグノー指導者のコリニー提督がオランダ独立戦争(1568~1609年)のプロテスタント反乱者側での参戦を主張していたとか、フロンドの乱(1648~53年)の際パリ高等法院が1649年ピューリタン革命におけるチャールズ1世処刑の報を聞き、民衆運動が制御不能になるのを恐れて一時王権と妥協的態度を取ったとか、ファルツ継承戦争(1688~97年)の開戦決断はオスマン朝の第2次ウィーン包囲(1683年)によるオーストリアの疲弊を考慮に入れていたとかという事実は他の概説書等では読んだ記憶が無く、面白いと思った。

平易な記述ながら、内容は詳しく、初心者が熟読すればかなり力がつく。

近世フランス政治史のテキストとしては非常に有益。

お勧めします。

2008年7月5日

藤沢道郎 『メディチ家はなぜ栄えたか』 (講談社選書メチエ)

Filed under: イタリア — 万年初心者 @ 06:00

フィレンツェ共和国を事実上支配し、ルネサンスのパトロンとしても有名な一族の盛衰をコジモ・デ・メディチを中心に叙述した本。

14世紀末毛織物工業労働者の反乱であるチョンピの乱で、メディチ家は労働者に同情的態度を取り、寡頭的共和政の主導権を握る上流階級から白眼視されながらも、下層階級からは根強い支持を受ける。

15世紀初頭ジョヴァンニ・デ・メディチが家業の銀行業を大いに発展させ、教会大分裂(シスマ)時の混乱を利用して、自行を教皇庁のメインバンクにすることに成功、巨万の富を築く。

その子のコジモは一族最大の偉才であり、1434年ライバルのアルビッツィ家を打倒、共和制の政治システムを保存しながらも、実質的にはフィレンツェの君主となる。

ミラノ公国・ヴェネツィア共和国・フィレンツェ共和国・教皇領・ナポリ王国という当時のイタリア五大国のうち、特にフィレンツェとミラノは激しく対立していた。

コジモはミラノ公国のヴィスコンティ家断絶を見越してフランチェスコ・スフォルツァの公位継承を支援し、それに加えて1453年ビザンツ帝国滅亡によるトルコの脅威増大も梃子にして、1454年五大国すべてが参加するローディの和を締結。

以後、1494年フランス王シャルル8世がイタリアに侵攻し、イタリア戦争が勃発するまでの40年間平和が維持され、ルネサンスは全盛期を迎える。

他にコジモの文化面での功績として、ブルネレスキ、ドナテルロなどに対する支援について述べられている。

コジモ以後のメディチ家の歴史に関しては簡略な記述。

子のピエロがコジモの遺産を何とか守りきった後、孫のロレンツォ(イル・マニフィコ=「壮麗な」という添え名で知られる)の代となる。

この大ロレンツォの時代をメディチ家全盛期とする見方もあるが、著者はそう考えてはいないようだ。

ロレンツォ死後はシャルル8世の仏軍侵入のあおりを受け、メディチ家は失脚、サヴォナローラの神政的独裁が生まれる。

後、ロレンツォの次男のジョバンニが教皇レオ10世に、甥のジュリオがクレメンス7世に即位するが、メディチ家の企業家・文化のパトロンとしての活力は失われていった。

文章が明解でわかりやすく、なかなか面白い。

文化史の章は私には晦渋なところもあったが、大体何を言いたいかはわかる。

ごく良質な世界史啓蒙書と言えるでしょう。

なお藤沢道郎氏は『物語イタリアの歴史』『同 Ⅱ』の著者でもあります。

このうち前者は中公新書の『物語 歴史』シリーズの最高傑作だと思います。

カノッサ女伯マティルデ、作曲家ヴェルディなど高校世界史レベルではさして重要とは思えない人物を含む10人の伝記で各時代を生き生きと描き切り、しかも教科書に載っているような重要事件は洩れなく記述し網羅性は確保するという離れ業を見事に成功させている。

大学時代、刊行当初の本書を偶然生協書店で見かけて何の気無しに通読し、そのあまりの面白さに驚嘆しました。

初心者が絶対に読むべき本の一つだと思います。

他の著作としては『ファシズムの誕生 ムッソリーニのローマ進軍』(中央公論社)がありますが、こちらは非常に大部な本で、ムッソリーニ政権成立時にのみ特化した史書のようですので今のところ敬遠しております。

藤沢氏のもう一つの顔はインドロ・モンタネッリの『ローマの歴史』および『ルネサンスの歴史』の訳者であります。

この二つの著作も初学者必読。

『ルネサンスの歴史』の訳者あとがきで藤沢氏は以下のように述べています。

普通の人間が歴史に興味を持つ動機は、何と言っても歴史に登場する人物の魅力であって、歴史法則でもなければ思想の流れでもなく、いわんや経済社会的な統計資料でもない。明治以来戦前まで、『プルターク英雄伝』の翻訳が、西洋古代史への日本人の関心をかき立て、その知識の普及にいかに寄与しかかを思い出すのも無駄ではあるまい。

こういう観点から一般常識としての平易な歴史書を出版する意義を強調していた方で、個人的には本当に心から共感し感謝していた方でした。

先日書いたことの繰り返しで、しつこくて申し訳ありませんが、このモンタネッリのイタリア史シリーズの翻訳を何とか完結させてもらえないでしょうか。

「実は藤沢氏が試訳を残されてましたので、適切な監修者が手を入れて出版します」なんてことがあれば最高なんですが、それはいくらなんでもあり得ない勝手な空想でしょう。

中央公論新社編集者の方に新規翻訳を是非企画して頂きたいものであります。

2008年7月1日

山内昌之 『近代イスラームの挑戦 (世界の歴史20)』 (中公文庫)

Filed under: イスラム・中東, 全集 — 万年初心者 @ 06:00

先日に続いて今日も再読本(以前ごく簡単に記事にした単行本版はこちら)。

19世紀を中心にした衰退期のイスラム世界の歴史。

この著者の書くものは政治的価値判断の偏りがなく、非常にバランスが取れているという印象があるが、本書でもその特色が遺憾なく発揮されている。

イスラム世界の前に立ちはだかった近代ヨーロッパが持っていた自由・繁栄・進歩および圧迫・差別・植民地支配の両面性を全編通じて常に意識した叙述。

例えば、『アメリカの民主主義』の著者であるアレクシス・トクヴィルのような明晰な知性が、イスラム教に対して極めて素朴な蔑視と敵意を持ち、アルジェリアに対するフランスの帝国主義的行動を完全に肯定していた事実を挙げる。

(ただ、同じトクヴィルの『フランス二月革命の日々』を読むと、1848年革命でのハンガリー独立運動の指導者コッシュートの引渡しを求めるロシアに対して、毅然として拒否の姿勢を貫いたオスマン帝国を賞賛し、このイスラム教徒たちはロシア人よりもはるかにキリスト教の博愛精神を持っていると評している。)

他にロシアの中央アジア進出に伴う圧政と強引な同化政策を批判すると同時に、衛生面での顕著な改善や奴隷制度の廃止などの事実も記している。

ヨーロッパによる侵略・支配を告発するだけでなく、イスラム社会の側の腐敗・圧政・怠惰・停滞をこれでもかというほど詳細に描いている。

また、イスラム世界が熱い視線を寄せた近代日本の偉業を肯定的に扱う一方、明治後期の日本が徐々に自ら帝国主義化し、ヨーロッパと同じような視点でイスラム・アジア圏を眺めるようになったことも書いている。

このようにどんな立場の人が読んでも、一部は得心がいき、一部は疑問を覚えるという叙述であり、それがバランスが取れている証拠と言えるのではないでしょうか。

記述方法の点では、江戸時代の「オランダ風説書」や幕末明治の日本人の紀行文などを多数採用して、この時代のイスラム史を同時代の日本人がどのように見ていたのかを記しているのに特色がある。

ただ、そういう工夫や様々な角度からの背景説明に紙数を割きすぎて、いわゆる「事件史」的叙述はごくあっさりと済まされており、教科書にも載っているような重要史実について、印象深く脳裏に刻み込まれるという感じはあまりしない。

したがって、読み終えると充実感は確かにあるのだが、通常の政治史についていろいろ細かい知識を得て、それが頭の中で再現できるという意味の効用は少ない。

それが欠点と言えば欠点ですが、ただこれは私個人のかなり偏った感想である可能性がありますので、ある程度割り引いて読んでください。

基本的には良書だと思いますので、皆様もどうぞ。

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