万年初心者のための世界史ブックガイド

2008年5月26日

『アデナウアー回顧録 Ⅱ』 (河出書房)

Filed under: ドイツ — 万年初心者 @ 06:00

1950年ごろ、フランスが有力な炭鉱地帯のザール地方のドイツからの分離を図り、独仏関係が緊張する。

アデナウアーは逆にこれを奇貨として、フランス外相シューマンが提唱した超国家機構による石炭と鉄鋼の生産管理案(シューマン・プラン)に応じ、ジャン・モネと協力して、51年ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)条約に調印し、欧州統合の第一歩が踏み出される(発足は翌52年)。

このように国際機関で設立条約の調印と組織の発足がずれる場合があるのはややこしい。ヨーロッパ経済共同体(EEC)も57年ローマ条約調印、58年発足。

また1950年6月北朝鮮軍が韓国に侵攻し朝鮮戦争が勃発すると、弱体な警察と国境警備隊しか持たない西ドイツの安全保障を懸念する声が高まる。

東ドイツが「人民警察」という名称で実質的な軍隊を保持しており、北朝鮮と同じ行動によって西を「解放」するのではないかとの恐れが持たれた。

なお、当時の西ドイツは東ドイツの国家存在を全く認めていない。

60年代初め、ベルリンの壁が構築された頃に西ドイツに滞在した林健太郎氏は『昭和史と私』(文春文庫)で以下のように書いている。

そもそも当時の西ドイツ人は、東ドイツに対してドイツ民主共和国あるいはその略語DDRという名前を使わない。使うことがあるとすれば必ず「いわゆる」という言葉をつけて「ゾーゲナンテDDR」という。そして普通には「占領地帯」(ベザッツングスツォーネ)の略称である「ツォーネ」という言葉で呼んでおり、これは新聞紙上でもそうなのである。このように西ドイツ人は東ドイツの国家そのものを認めていなかった・・・・・

本書でも東ドイツは「ソ連地区」という呼び方が主になされており、一箇所だけ「いわゆるドイツ民主共和国」という言葉が出てきたはず。

69年成立のブラント社会民主党政権の東方外交までこの状態が続く。

朝鮮戦争の世界史的意義は冷戦の「世界化」と「軍事化」と言われる。

米中対立が始まり冷戦はアジアへも拡大、これまで核兵器の独占とマーシャル・プランのような経済援助政策に頼っていたアメリカが朝鮮での制限戦争において膠着状態の手詰まりに陥ったため、通常兵力の増強に乗り出す。

その一環として西ドイツの再軍備が検討されるが、フランスを始めとして対独警戒心は依然根強く、その道程は難航する。

フランス首相プレヴァンの提唱で、NATOの下に欧州防衛共同体(EDC)を結成しその枠内にドイツ軍を組み入れるという案(プレヴァン・プラン)が採用され、困難な交渉の後52年に条約が調印された。

この頃ソ連は西ドイツの再軍備を阻止するため、ドイツ統一のための交渉を西側に提案している。

これは必ずしも宣伝目的とは言い切れず、ソ連にとって最大の脅威となるドイツ軍の再建を防げるのなら、これまで常に拒否してきた全ドイツ自由選挙を容認して、東ドイツにすでに存在している共産主義政権を犠牲にして、中立・非武装の統一ドイツを認める可能性もあったと言われており、反ソ的な現実主義者の中でもソ連との交渉を一応は行うべきだと考えた人もいた。

しかしそのような中立ドイツが徐々に東側に侵食され影響下に置かれる懸念や再びドイツ・ナショナリズムが暴発する危険を思い、アデナウアーを含む西側指導者はドイツの西欧への統合を最優先とする政策を敢行した。

シューマン・プランが今日の統合欧州に繋がったのに対し、このプレヴァン・プランは54年フランス議会が条約批准を拒否したため、空中分解し、結局54年パリ協定によって西ドイツの主権回復と再軍備・NATO加盟が決定された。

本書の記述は53年までなのでそのことには触れられていない。

初心者がいきなり読む本ではなく、まず教科書レベルの史実を頭に入れて、国際政治史を1、2冊読んでから取り組むべき本ですが、なかなか良いです。

専門家が史料として用いるだけの本ではなく、素人が読んでも多くのことが得られる。

昔の中公文庫なら他社から出たこういう渋い本を収録して常時在庫してくれたんでしょうねえ。

今は無理かなあ・・・・・。

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