万年初心者のための世界史ブックガイド

2008年5月18日

前田耕作 山根聡 『アフガニスタン史』 (河出書房新社)

Filed under: イスラム・中東 — 万年初心者 @ 06:00

2001年9・11テロと米軍のアフガン攻撃の翌年刊と、便乗本みたいな刊行経緯のアフガニスタン史だが、内容は非常にしっかりしている。

この国は南部と東部に居住するパシュトゥン人(パタン人)が多数派民族で、他にタジク人、ハザラ人、ウズベク人、トゥルコマン人などの少数民族がいる。

国土の中央部東寄りにある首都カブール、西部のヘラート、南部のカンダハルという三つの最重要都市の位置だけ確認しておく。

アケメネス朝ペルシアに始まり、マウリヤ朝とバクトリア、クシャーナ朝、ササン朝ペルシア、イスラム、ターヒル朝、サッファール朝、サーマーン朝、ガズナ朝、ゴール朝、モンゴル、ティムール、ムガル朝とサファヴィー朝、と支配者は次々と替わり、18世紀半ばアフシャール朝のナーディル・シャーの統治下におかれたが、ナーディルが暗殺されたことによってようやく独立の機を掴む。

1747年パシュトゥン系ドゥラニ族に属するアフマド・シャーがアフガン王として即位、サドザイ朝をひらく。

だが王位継承争いが激しく、混乱の中で1835年ドスト・モハンマドが新たにバラクザイ朝を建てる。

(本書ではサドザイもバラクザイもドゥラニ族に属すると書いてあるが、「ドゥラニ朝」という場合普通サドザイ朝だけを指す模様。)

この時期、ロシアの進出を恐れるイギリスが、親英的政権の樹立を目指し、サドザイ朝の元国王を復位させる名目で侵攻、1839年第一次アフガン戦争勃発(教科書等では38年になっている)。

この戦争はイギリスの敗北と言われており、確かに派遣軍が全滅の憂き目に遭っているが、その後再派遣された軍が報復行為を行い、1842年終結した後ドスト・モハンマドが復位したが、外国軍の侵入の際はイギリスの軍事支援を受けるという条件付きであり、本書では事実上イギリスはアフガンの保護国・緩衝国化に成功したと書かれている。

1868年ブハラ、73年ヒヴァ、75年ホーカンドの三ハン国がロシアの保護領となると、イギリスは再度アフガンへの圧力を強め、外交団常駐などを求めるが拒否されると、1878年第二次アフガン戦争を起こし、一部領土の割譲・外交干渉権容認・イギリス使節のカブール常駐などを定め1880年保護国化。

といっても戦争末期のアフガン側の抵抗でイギリス軍は一切駐屯せず、その後アフガンは国王を中心に独自の近代化・中央集権化政策を進めるのだから、「保護国」という名称が与えるイメージよりは独立の色彩が濃い。

この辺はかつて教科書で得ていた知識が覆されるようで、なかなか面白い。

1919年、アマヌッラー王が第一次世界大戦でイギリスが疲弊したのを機に、外交主権奪還を目指して宣戦布告。

この第三次アフガン戦争で、完全な独立を達成。

1933年最後の国王ザーヒル・シャー即位。

第二次大戦後、パキスタン領内在住のパシュトゥン人を統合しようとする運動が起こり、対パキスタン関係が悪化。

非同盟主義のインドに対して親西側外交をとるパキスタンに対抗するため、アフガンは次第に不吉な対ソ傾斜を深める。

1973年国王が病気治療で国内に不在の時、国王の従兄で王族のダウドがクーデタを起こし、政権掌握。王制廃止と共和制樹立を宣言。

ザーヒル王時代一時融和策を取っていた対パキスタン外交で再び強硬策を採用、国内ではイスラム回帰運動を弾圧、ソ連への傾斜をさらに強める。

その後、アラブ諸国からの忠告もあり、ダウドがソ連と距離を置き始めると、1978年アフガンの共産主義政党である人民民主党が軍を煽動して「サウル(四月)革命」を起こし、ダウドを殺害、政権奪取。

急激な社会主義化政策が国民の反発を招き、反政府運動が激化。

タラキが大統領となるが、今度は人民民主党内での派閥争いが激化、79年にはタラキが殺害されアミンが取って代わる。

「民族共産主義者」としてアミンがソ連と距離を置くと、ソ連は79年12月大規模な軍事侵攻に踏み切り、アミン政権を打倒、親ソ的なカルマル政権を樹立(86年ナジブラ政権に替わる)。

ムジャヒディンと呼ばれるイスラム戦士ゲリラがアメリカの支援を受けて抵抗。

1988~89年ソ連軍撤退、92年ナジブラ政権が崩壊するがヘクマティアル派とラバニ派の対立を軸に、国内一致が見られず内戦が継続。

そのうち94年ごろからタリバンと呼ばれるイスラム原理主義勢力が台頭、数年のうちに旧ゲリラのムジャヒディン勢力を追い詰め、国土の多くを支配、ウサマ・ビン・ラディンがこの頃タリバン支配下のアフガンに入国。

01年テロ後、アメリカ軍の攻撃によってタリバン政権は崩壊、ムジャヒディンが作った北部同盟が政権を奪還したが、その後も混迷が続いてタリバン復活の兆しが見られるのはご承知の通り。

この最後ら辺は政治的に微妙な問題で喧しいところですが、本書の筆致はよくあるような一本調子の反米論でもなく、かと言って能天気な親米論でもなく、非常にバランスの取れた記述に思えて、かなり感心させられました。

前半部分はちょっとゴチャゴチャしていて読みにくいところもありますが、総合的には優れた通史だと思います。

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